庭礼拝 2025年9月10日 ヨブ記 31:1-40 ヨブの嘆き③

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起 

 今日の31章ではヨブは自分の義を語り続けます。自分は何も悪いことをしてはいないと主張するのです。29章では過ぎ去った日々の幸せで、祝福された日々を語りました。それが30章では一転して、不幸に陥り、悲しみ、苦しみ、嘲られ、もう死んでしまいたいと言う思いを語りました。でも最後の力を振り絞って、神様どうして私に答えてくださらないのですかと訴えるのです。そして今日の31章では居直ったように、自分が何も罪を犯していないことを一つ一つ論証し、なぜ罪のない私がこんなに苦しまなければならないのかと訴えているのです。それは神様に対して、これでもかこれでもかと、自分の正しさを列挙し、もし文句があるなら、一つでも答えてほしいと言ったような感じなのです。これほど自分の罪の潔白を、はっきりと神様に申し上げられる人はいないでしょう。普通ならば、たとえ自分がそう思っていても、でも自分の気が付かないところで罪を犯しているかもしれないと思うのが、神の前に謙遜な人間の姿です。でもヨブは違うのです。10以上の罪の例を挙げて、この例にもこの場合にも自分は当てはまらない。自分の罪は何なのだ。なぜ自分は裁かれているのだと、居直った感じになっているのです。

今日のヨブの話は、その10以上の罪の例を挙げて、自分がそれに当てはまらないことを語っているのですが、それを一つ一つ聞いて行きたいと思います。

まず最初に、ヨブが取り上げたのは乙女に対する好色の罪です。1節から4節です。

ヨブ 31:1 わたしは自分の目と契約を結んでいるのに/どうしておとめに目を注いだりしようか。

ヨブ 31:2 上から神がくださる分は何か/高きにいます全能者のお与えになるものは何か。

 

ヨブ 31:3 不正を行う者には災いを/悪を行う者には外敵をお与えになるではないか。

ヨブ 31:4 神はわたしの道を見張り/わたしの歩みをすべて数えておられるではないか。

この様に、ヨブは自分の体の目を、自分自身ではないように、それと契約を結んで、好色な目で女性を見ないと、契約しているのです。その契約は神様の前で行われているのです。旧約の世界はこの契約という事が大切にされているようです。神様は、その契約に背くものには災いを与え外敵を与えるではないか。神様が私を見張ってすべてを知っておられるではないか。だから私がその契約に背かず、乙女に好色な目を向けたりしたことが無い事が分かるはずだ。と言っているのです。

二番目は虚偽の罪です。私は欺いたことはないと言うのです。5節と6節です。

ヨブ 31:5 わたしがむなしいものと共に歩き/この足が欺きの道を急いだことは、決してない。もしあるというなら

ヨブ 31:6 正義を秤として量ってもらいたい。神にわたしの潔白を知っていただきたい。

この様に、自分が人を欺いたり、そのようなことを他の人とたくらんだことはない。その事が良いことなのか悪いことなのか正義の天秤で量って、自分の潔白を神様に示してほしいと言っているのです。私は人を欺いたことはないのだと言っているのです。

三番目は道を外れた欲望の罪です。7節と8節です。

ヨブ 31:7 わたしの歩みが道を外れ/目の向くままに心が動いたことは、決してない。この手には、決して汚れはない。もしあるというなら

ヨブ 31:8 わたしの蒔いたものを他人が食べてもよい。わたしの子孫は根絶やしにされてもよい。

この様に、ヨブは自分が道を外れた欲望に心を動かされたことはない。だからこの手で悪事はしていない。もしそのようなことをしていると示せるなら、私の財産も子孫も奪い去っても良いと誓う。それほど、私は潔白であると主張しているのです。

四番目は姦淫の罪です。9節から12節です。

ヨブ 31:9 わたしが隣人の妻に心奪われたり/門で待ち伏せたりしたことは、決してない。もしあるというなら

ヨブ 31:10 わたしの妻が他人のために粉をひき/よその男に犯されてもよい。

ヨブ 31:11 それは恥ずべき行為であり/裁かれるべき罪なのだから

ヨブ 31:12 滅びの国までも焼き尽くす火が/わたしの収穫を根まで焼き尽くしてもよい。

この様に、ヨブは隣人の妻に対して、姦淫しようと思ったり、行ったりしたことは決してないと主張します。もしそのようなことを行ったと言う証拠があるなら、どんな裁きが与えられても良い。私の大切な妻が他人のために粉を引く奴隷になっても、よその男に犯されてもいい。と言いました。今の感覚ではちょっと不思議ですが、もし自分が姦淫をしているなら、自分の妻がどうなってもいいと言っているのです。それは恥ずべきことであり裁かれるべきことだからそうだと言うのです。また、自分の収穫が焼き尽くす火で焼き尽くされても良いと、自分の覚悟を語っているのです。

五番目は、奴隷の権利の侵害の罪です。13節から15節です。

ヨブ 31:13 わたしが奴隷たちの言い分を聞かず/はしための権利を拒んだことは、決してない。もしあるというなら

ヨブ 31:14 神が裁きに立たれるとき/わたしが何をなしえよう。神が調べられるとき何と答えられよう。

ヨブ 31:15 わたしを胎内に造ってくださった方が/彼らをもお造りになり/我々は同じ方によって/母の胎に置かれたのだから。

この様に、ここの言葉は当時としてはとても珍しい言葉です。奴隷たちの権利や人権を尊重し、神の前ではみな平等だと言っているからです。

ここで、ヨブは自分が奴隷たちの言い分を聞かず、はしための権利を拒んだことは決してないと言っていますが、当時はそのようなことをしても誰も非難するはずがないのです。主人にはそのように自由にする権利があったのですが、ヨブは神様が私を作り、奴隷たちをもおつくりになったのだから、神様の前ではみな同じであると言っているのです。これはとても珍しい考えです。だから奴隷たちの権利を自分が犯したならば、神様の御前で、どんな言い開きをすることが出来るだろうかと、決して奴隷たちの権利を侵害するはずがないと言っているのです。

六番目は貧しい人々を顧みない罪です。16節から23節です。

ヨブ 31:16 わたしが貧しい人々を失望させ/やもめが目を泣きつぶしても顧みず

ヨブ 31:17 食べ物を独り占めにし/みなしごを飢えさせたことは、決してない。

ヨブ 31:18 いや、わたしは若いころから/父となって彼らを育て/母の胎を出たときから/やもめたちを導く者であった。

ヨブ 31:19 着る物もなく弱り果てている人や/からだを覆う物もない貧しい人を/わたしが見過ごしにしたことは、決してない。

ヨブ 31:20 彼らは常にわたしの羊の毛でからだを暖めて/感謝したのだ。

ヨブ 31:21 わたしが裁きの座で味方の多いのをいいことにして/みなしごに手を振り上げたことは、決してない。もしあるというなら

ヨブ 31:22 わたしの腕は肩から抜け落ちてもよい。肘が砕けてもよい。

ヨブ 31:23 神の下される災いをわたしは恐れる。その怒りには堪えられない。

この様に、この個所はヨブが罪を犯していないと主張する中で一番長く語っている箇所です。しかもほかの所と違って、単に罪を犯していないと言うだけでなく、いろいろな善行を行っていると主張しているのです。罪を犯さないだけなら、死んだ人でもできることです。ですが善を行うのは人が相手のことを思いやって積極的に良いことをやることなので、より正しいことなのです。

ヨブはこのように言いました。私が貧しい人々を失望させ、やもめを顧みず、みなしごを飢えさせたことは、決してない。私は若い時から、貧しい人やみなしごを父となって育ててきたし、生まれた時から、やもめたちを導いてきた。貧しい人々を私が見過ごしたことはなく、彼らはいつも私に感謝していた。と言うのです。

今まで語られてきたことは、してはいけない罪をしたことはないと語っていたのですが、ここでは、何もしないで見過ごした罪もないと言っているのです。やもめ、みなしご、貧しい人々などを顧みず、見過ごして、ほおっておいたことはなく、かえって積極的に手を差し伸べて援助してきたことを言っているのです。

七番目は、富に頼り安心し誇ったことはないと言います。24節と25節です。

ヨブ 31:24 わたしが黄金を頼みとし/純金があれば安心だと思い

ヨブ 31:25 財宝の多いことを喜び/自分の力を強大だと思ったことは、決してない。

この様に、大金持ちだったヨブではありましたが、その黄金を頼みとし安心だと思い、財宝の多いのを喜びその力を誇ったことはないと言っているのです。イエス様が言っているように、地上の朽ちる宝ではなく天上の朽ちない宝を大切にしていたのです。富に仕えるものは神に仕えることはできないと言われているように、ヨブは富に仕える罪を犯してはいないと言っているのです。

八番目は迷信や異教に惑わされたことはないと言っているのです。26節と27節です。

ヨブ 31:26 太陽の輝き、満ち欠ける月を仰いで

ヨブ 31:27 ひそかに心を迷わせ/口づけを投げたことは、決してない。もしあるというなら

 

ヨブ 31:28 これもまた、裁かれるべき罪である。天にいます神を否んだことになるのだから。

これは、古代オリエントで広く行われていた天体崇拝を意味しているのです。太陽を崇拝し、月を崇拝し、星を崇拝するようなことは律法では固く禁じられていたのです。ですがそのような教えがイスラエルでも行われるところもあり、ひそかに心を迷わせ、それに礼拝する者もいたのです。口づけを投げるとは礼拝のしぐさを言うのです。でも自分はそのようなことをしたことは決してないと言いきります。これもまた裁かれる罪であり、神様に背くことになるからだと言っています。

九番目は、憎むものの不幸を喜ぶ罪を犯したことはないと言います。29節と30節です。

ヨブ 31:29 わたしを憎む者の不幸を喜び/彼が災いに遭うのを見て/わたしがはやしたてたことは、決してない。

ヨブ 31:30 呪いをかけて人の命を求めることによって/自分の口が罪を犯すのを許したことは/決してない。

この時代は目には目を歯には歯をで、敵に対してはそれ双方の報復をすることが許されていたのです。ですがイエス様は、汝の敵を愛せと教えてくれました。ヨブの考えは当時としてはイエス様の教えに近かったのです。ヨブは憎むものの不幸を喜んだり、呪いをかけて人を殺すようなことを口にしたことは決してない。そのような罪を犯したことはないと言い切るのです。

ついに十番目ですが、これは旅人がやってきたとき、拒否したり、食事を十分与えなかったことはないと言っているのです。31節と32節です。

ヨブ 31:31 わたしの天幕に住んでいた人々が/「彼が腹いっぱい肉をくれればよいのに」と言ったことは決してない。

ヨブ 31:32 見知らぬ人さえ野宿させたことはない。わが家の扉はいつも旅人に開かれていた。

当時は、旅人がやってきたときに、親切にもてなしてやることが一般的だったのです。ですが見知らぬ人が来ると、強盗になるかもしれないので、家に入れないで野宿をさせることもあったのです。当時は野宿をすると言うのはとても危険で、いつ襲われるかわからなかったのです。ですからヨブはたとえ見知らぬ人がやってきても拒否したことはなく、いつも扉は旅人に対して開かれていた、と言います。たぶん、ヨブは金持ちだったのでそれなりの警護はできていたのだと思います。そして宿を借りた人たちが、腹いっぱい肉をくれればよいのにと、不平をのべることもなかった。いつも十分に食べさせもてなしたと言うことを言っているのです。この様に訪れる旅人に対しても罪を犯していないと言うのです。

十一番目は、罪を隠す罪です。33節から34節です。

ヨブ 31:33 わたしがアダムのように自分の罪を隠し/咎を胸の内に秘めていたことは、決してない。もしあるというなら

ヨブ 31:34 群衆の前に震え、一族の侮りにおののき/黙して門の内にこもっていただろう。

この様に、ここでは自分の罪を隠し、咎を胸の内に秘めていたことは決してないと言っているのですが、これは偽善を行いその罪を隠しているという事です。ですがそれが「アダムのように罪を隠し」となると、アダムのどの行為が罪を隠した行為なのだろう、禁断の木の実を食べて、隠れた事か、この女が私に食べさせたのですと言ったことなのかは分かりません。もっと一般的にアダムの子孫たち、すなわち人間一般のようにと解釈する人もいます。いずれにしてもヨブは、そのように罪を隠して、偽善を装ったことはないと言っているのです。そんなことをするくらいなら、黙して門の内にこもっているだろうと言うのです。

ついに最後の12番目の罪です。やはり旧約聖書は12番目まで来るようです。この12番目は途中の35節から37節の違った種類の言葉を飛ばして続けられます。12番目は畑と収穫に関することです。38節から40節です。

ヨブ 31:38 わたしの畑がわたしに対して叫び声をあげ/その畝が泣き

ヨブ 31:39 わたしが金を払わずに収穫を奪って食べ/持ち主を死に至らしめたことは、決してない。もしあるというなら

ヨブ 31:40 小麦の代わりに茨が生え/大麦の代わりに雑草が生えてもよい。ヨブは語り尽くした。

この様に、ヨブは大金持ちでしたから、畑をたくさん持っていました。その畑に対して、私は恥ずかしいことをしたことはないと言うのです。どのような事かというと、金を払わずに収穫を奪って、持ち主を死に至らしめたことはないと言うのです。畑はヨブのものですが、その小作人たちの収穫したものをお金を払って買い取っていたのです。それが正当なものでなく、小作人を死に至らせるようなものだったら、その畑はいばらや雑草が生えても良いと言いました。

ヨブはこのように、12例の罪を上げて、自分はどれにも該当しないと主張したのです。いったいどれが私の罪になるのですかと神様に訴えているのです。

さて、12番目の前に飛ばされた別の言葉とは次のようなものです。35節から37節です。

ヨブ 31:35 どうか、わたしの言うことを聞いてください。見よ、わたしはここに署名する。全能者よ、答えてください。わたしと争う者が書いた告訴状を

ヨブ 31:36 わたしはしかと肩に担い/冠のようにして頭に結び付けよう。

ヨブ 31:37 わたしの歩みの一歩一歩を彼に示し/君主のように彼と対決しよう。

この様に、ここに書かれたヨブの身の証は、実は裁判に語られる身の潔白を示す言葉だったのです。ヨブは裁判で訴えられているのです。それは全能者よ、答えてください。私と争うものが書いた告訴状を。と言っていますから、その告訴状を書いたものが、神様なのか人間なのかは分かりません。ですがヨブはその告訴状を受け止め、正々堂々とその裁判の争いを君主のような態度で、対決していくつもりであると言っているのです。そして、自分の潔白を証言する12の例を挙げて、最後の言葉を語り、ここに署名して、真実であることを宣言すると言うのです。たとえ神様に対してでも、人間に対してでも、ヨブはしっかりと身の潔白を語り、罪を犯していないことを主張する覚悟なのです。

ヨブは自分の身の潔白を語り尽くしました。たとえ相手が神様であっても人間であっても、あくまでも告訴状にある罪は否定するつもりでいるのです。これはすさまじいほどの気迫です。ヨブは自分が罪を犯したことはないとうぬぼれて言っているのではなく、罪を犯すことが死ぬことよりも恐ろしい事なのに、私が罪を犯すはずではないでないかといっているのです。ですから、私が罪を犯していると言う証拠を出してくれるなら、私はどうなっても構わないと言う覚悟で臨んでいるのです。これほどの覚悟を持つ者がいるのでしょうか。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、今日はヨブの弁明から、ヨブの罪に対するすさまじいほどの覚悟を知ることが出来ました。自分は罪を犯していないと言うよりも、絶対罪は犯さないと言う思いが伝わってきます。私達に、それほどの思いがあるでしょうか。どうか今一度、自分を思い返し、罪を犯さず、聖い者となるようにとの覚悟を与えてください。

この祈りを主、イエスキリストの御名によって、お祈りいたします。アーメン

 

<<聖書の箇所(旧約聖書:◇ヨブ記:)>>  

◆ヨブの嘆き

ヨブ 31:1 わたしは自分の目と契約を結んでいるのに/どうしておとめに目を注いだりしようか。

ヨブ 31:2 上から神がくださる分は何か/高きにいます全能者のお与えになるものは何か。

 

ヨブ 31:3 不正を行う者には災いを/悪を行う者には外敵をお与えになるではないか。

ヨブ 31:4 神はわたしの道を見張り/わたしの歩みをすべて数えておられるではないか。

ヨブ 31:5 わたしがむなしいものと共に歩き/この足が欺きの道を急いだことは、決してない。もしあるというなら

ヨブ 31:6 正義を秤として量ってもらいたい。神にわたしの潔白を知っていただきたい。

ヨブ 31:7 わたしの歩みが道を外れ/目の向くままに心が動いたことは、決してない。この手には、決して汚れはない。もしあるというなら

ヨブ 31:8 わたしの蒔いたものを他人が食べてもよい。わたしの子孫は根絶やしにされてもよい。

ヨブ 31:9 わたしが隣人の妻に心奪われたり/門で待ち伏せたりしたことは、決してない。もしあるというなら

ヨブ 31:10 わたしの妻が他人のために粉をひき/よその男に犯されてもよい。

ヨブ 31:11 それは恥ずべき行為であり/裁かれるべき罪なのだから

ヨブ 31:12 滅びの国までも焼き尽くす火が/わたしの収穫を根まで焼き尽くしてもよい。

 

ヨブ 31:13 わたしが奴隷たちの言い分を聞かず/はしための権利を拒んだことは、決してない。もしあるというなら

ヨブ 31:14 神が裁きに立たれるとき/わたしが何をなしえよう。神が調べられるとき何と答えられよう。

ヨブ 31:15 わたしを胎内に造ってくださった方が/彼らをもお造りになり/我々は同じ方によって/母の胎に置かれたのだから。

ヨブ 31:16 わたしが貧しい人々を失望させ/やもめが目を泣きつぶしても顧みず

ヨブ 31:17 食べ物を独り占めにし/みなしごを飢えさせたことは、決してない。

ヨブ 31:18 いや、わたしは若いころから/父となって彼らを育て/母の胎を出たときから/やもめたちを導く者であった。

ヨブ 31:19 着る物もなく弱り果てている人や/からだを覆う物もない貧しい人を/わたしが見過ごしにしたことは、決してない。

ヨブ 31:20 彼らは常にわたしの羊の毛でからだを暖めて/感謝したのだ。

ヨブ 31:21 わたしが裁きの座で味方の多いのをいいことにして/みなしごに手を振り上げたことは、決してない。もしあるというなら

ヨブ 31:22 わたしの腕は肩から抜け落ちてもよい。肘が砕けてもよい。

ヨブ 31:23 神の下される災いをわたしは恐れる。その怒りには堪えられない。

ヨブ 31:24 わたしが黄金を頼みとし/純金があれば安心だと思い

ヨブ 31:25 財宝の多いことを喜び/自分の力を強大だと思ったことは、決してない。

ヨブ 31:26 太陽の輝き、満ち欠ける月を仰いで

ヨブ 31:27 ひそかに心を迷わせ/口づけを投げたことは、決してない。もしあるというなら

 

ヨブ 31:28 これもまた、裁かれるべき罪である。天にいます神を否んだことになるのだから。

 

ヨブ 31:29 わたしを憎む者の不幸を喜び/彼が災いに遭うのを見て/わたしがはやしたてたことは、決してない。

ヨブ 31:30 呪いをかけて人の命を求めることによって/自分の口が罪を犯すのを許したことは/決してない。

ヨブ 31:31 わたしの天幕に住んでいた人々が/「彼が腹いっぱい肉をくれればよいのに」と言ったことは決してない。

ヨブ 31:32 見知らぬ人さえ野宿させたことはない。わが家の扉はいつも旅人に開かれていた。

 

ヨブ 31:33 わたしがアダムのように自分の罪を隠し/咎を胸の内に秘めていたことは、決してない。もしあるというなら

ヨブ 31:34 群衆の前に震え、一族の侮りにおののき/黙して門の内にこもっていただろう。

 

ヨブ 31:35 どうか、わたしの言うことを聞いてください。見よ、わたしはここに署名する。全能者よ、答えてください。わたしと争う者が書いた告訴状を

ヨブ 31:36 わたしはしかと肩に担い/冠のようにして頭に結び付けよう。

ヨブ 31:37 わたしの歩みの一歩一歩を彼に示し/君主のように彼と対決しよう。

ヨブ 31:38 わたしの畑がわたしに対して叫び声をあげ/その畝が泣き

ヨブ 31:39 わたしが金を払わずに収穫を奪って食べ/持ち主を死に至らしめたことは、決してない。もしあるというなら

ヨブ 31:40 小麦の代わりに茨が生え/大麦の代わりに雑草が生えてもよい。ヨブは語り尽くした。