家庭礼拝 2025年9月3日 ヨブ記 30:1-31 ヨブの嘆き②

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起 

ヨブは前回の29章で、過去の、神様から祝福されて幸せだったことを語った後で、今日の30章では、だが今はと、その正反対の苦難と屈辱の日々を語ります。それは神様が、ヨブに対して、冷酷になり怒りを表しておられるからだと、神様の心が変わってしまったことを嘆いているのです。あれほど信頼し、愛し、従っていた神様がどうして私に対して冷酷になり呼んでも答えて下さらず、御前に立っているのに御覧にもなってくださらない。

だから私は、神様から見捨てられた罪人として、若いものからも、軽蔑していたものからも下げずまれ、嘲りの言葉を受ける身となっている。私は幸いを望んだのに、災いが来た。光を待っていたのに、闇が来たと言って嘆きます。ヨブの一番の悲しみ苦しみは、自分が何よりも信頼し、愛し、従ってきた神様に裏切られたような気持ちになっていることです。私は何も悪いことをしていないのに、神様はどうして心を変えられてしまったのかと思っていることです。その思いがますます自分をさいなみ苦しめているのです。

いや神様はそのような方ではない。一度神様が祝福した人を呪う方ではない。必ず、人間の思いを超えた神様の計画が現れるはずです。その時を忍耐強く待たなければならないのです。神様に恨みを抱くのは罪です。謙虚になってその時を待ちましょう。と言いたくなるのですが、そうすると、そのように言う自分も三人の友人と同じことを言ってしまうことになります。ヨブはもうその様なきれいごとにとどまっていることが出来ず、自分の生きている苦しみの実感の中から、神様に叫んでいるのです。自分の思いをごまかさずに訴えているのです。これがヨブの心からの叫びなのです。

今日の30章の構成は、前半が現在の自分のみじめさを嘆く場面と、後半は神様に訴えかけている場面の二つに分けられています。それでは聖書を読んでみましょう。

前回の29章の幸せだったときを思い返した後で、30章で、だが今はと、現在のみじめな状況を語りだします。1節から8節です。

ヨブ 30:1 だが今は、わたしより若い者らが/わたしを嘲笑う。彼らの父親を羊の番犬と並べることすら/わたしは忌まわしいと思っていたのだ。

ヨブ 30:2 その手の力もわたしの役には立たず/何の気力も残っていないような者らだった。

ヨブ 30:3 無一物で飢え、衰え/荒涼とした砂漠や沼地をさまよい

ヨブ 30:4 あかざの葉を摘み/れだまの根を食糧としていた。

ヨブ 30:5 彼らは世間から追われ/泥棒呼ばわりされ

ヨブ 30:6 身震いさせるような谷間や/土の穴、岩の裂け目に宿り

ヨブ 30:7 茨の間で野ろばのようにいななき/あざみの下に群がり合っていた。

ヨブ 30:8 愚か者、名もない輩/国からたたき出された者らだった。

 この様にヨブは、今は私が羊の番犬とも比べることがないほど忌まわしいと思っていた、その父の息子たちでさえも私をあざ笑うと言いました。この当時は番犬というのは忌まわしいもの汚いものというイメージがありましたから、その番犬よりももっと忌まわしい汚いその父親のさらにその息子からさえも嘲られていると言って、どんな卑しい者達からも私は嘲られてみじめな思いになっていると言っているのです。その者たちがどんなものであるかと言えば、その力も何の役に立たず、気力もなく、無一物で、飢え衰えてさ迷い歩く者達で、あかざの葉や、れだまの根ような人の食べないようなものを食料としていたと軽蔑するのです。さらに彼らは世間から追われ泥棒呼ばわりされ、土の穴や岩の裂け目に住んでおり、愚か者で名もないものであり、国中から毛嫌いされている者達だった。その者達からも私は嘲られていると言っているのです。ヨブのみじめさの極限を表わしているのです。

ですが、この個所には異論もあるようです。ヨブは確かに嘲られてはいますが、一方ヨブがこの様な人々をひどく軽蔑し、差別し、嘲った言葉を投げかけているのは、ヨブには相応しくないからです。ヨブは不幸な人、貧しい人に手を差し伸べて、助け励ましている人ではなかったのかという思いがあるからです。ですから、この個所はヨブのみじめさを強調するためにあとから付け足されたのではないかという解釈もあるのです。

というのも、30章が、だが今は、という言葉で29章と対照的なことを語ろうとしていますが、次の9節も、ところが今は、と29章から直接つながってもおかしくない書き出しで始まっているからです。最初の箇所が後から挿入されたのか実際のところはどうなのかは分かりません。この正しい思いのヨブにも、神様から捨てられたと言うみじめな思いの中で、人を軽蔑する思いも出たのかもしれません。人の思いもまたいろいろな状況の中で変わるからです。

それでは、もう一つの、ところが今は、と語るヨブの言葉を聞いてみましょう。どのような違いがあるでしょうか。9節から18節です。

ヨブ 30:9 ところが今は、わたしが彼らのはやし歌の種/嘲りの言葉を浴びる身になってしまった。

ヨブ 30:10 彼らはわたしを忌み嫌って近寄らず/平気で顔に唾を吐きかけてくる。

ヨブ 30:11 彼らは手綱を振り切り、わたしを辱め/くつわを捨てて勝手にふるまう。

ヨブ 30:12 彼らは生意気にもわたしの右に立ち/わたしを追い出し、災いの道を行かせ

ヨブ 30:13 逃げ道を断ち、滅びに追いやろうとする。それを止めてくれる者はない。

ヨブ 30:14 襲って来て甚だしく打ち破り/押し寄せて来て廃虚にする。

ヨブ 30:15 死の破滅がわたしを襲い/わたしの力は風に吹きさらわれ/わたしの救いは雲のように消え去った。

ヨブ 30:16 もはや、わたしは息も絶えんばかり/苦しみの日々がわたしを捕えた。

ヨブ 30:17 夜、わたしの骨は刺すように痛み/わたしをさいなむ病は休むことがない。

ヨブ 30:18 病は肌着のようにまつわりつき/その激しさにわたしの皮膚は/見る影もなく変わった。

ヨブ 30:19 わたしは泥の中に投げ込まれ/塵芥に等しくなってしまった。

 

こちらも同じように、人々から嘲られ、辱められ苦しめられていることを語っていますが、前節のようにその人たちを差別的な言葉で、侮辱するようなことは言っていないのです。前節ではその人たちが、番犬よりも劣り、役に立たず、無一物で、泥棒呼ばわりされ、愚か者であり、名もないやから、国からたたき出された者たち、と徹底的に差別し侮辱しているのですが、こちらの節ではそのような個人的な攻撃はしていないのです。ただその人たちから辱められ侮辱され苦しめられていることを語るのです。こちらの方がよほどヨブにふさわしい表現のような気がします。

ここではヨブは、ところが今は、と言ってそのみじめな状態をこう語るのです。

私は、彼らのはやし歌で嘲られ、忌み嫌われ、唾を吐きかけてくる。生意気にも私の右に立ち、私を追い出し、災いを与え滅ぼそうとしている。それを止める者はいない。と人々のヨブに対するひどい仕打ちを語っているのですが、その人たちに対する差別的、侮辱的言葉は語っていないのです。これではどんなにヨブが苦しんだのかを伝えきれていないと思った人たちが前節では、もう一つ同じことを激しい言葉で付け加えたのかもしれません。

ヨブの言葉は、人々からくわえられる嘲笑や侮辱から、自分自身のみじめな思いに移っていきます。私から力は風に吹きさらわれ、救いは雲のように消え去った。苦しみの日々が毎日襲い、その痛み苦しみは休むことがなかった。自分の体はぼろぼろにただれ、塵芥のようになってしまったと、自分のみじめさを嘆いているのです。

そして、ヨブの心は神様に向かいます。ヨブの悩み苦しみを解決してくださる方は神様しかいないとよく知っているからです。20節から23節です。

ヨブ 30:20 神よ/わたしはあなたに向かって叫んでいるのに/あなたはお答えにならない。御前に立っているのに/あなたは御覧にならない。

ヨブ 30:21 あなたは冷酷になり/御手の力をもってわたしに怒りを表される。

ヨブ 30:22 わたしを吹き上げ、風に乗せ/風のうなりの中でほんろうなさる。

ヨブ 30:23 わたしは知っている。あなたはわたしを死の国へ/すべて命あるものがやがて集められる家へ/連れ戻そうとなさっているのだ。

 この様に、ヨブは何度も神様に祈り助けを求めたのです。ですが神様はお答えにならないと言って嘆きます。それどころか、神様に敵意をもって、こう言います。あなたは冷酷になって、私に怒りを表わされる。私をほんろうし、私を死の国へ連れ戻そうとしているのだ。ヨブは神様が、かつての祝福を与えてくださった神様ではなく、冷酷になってヨブに怒りを下し、命を奪い取って死の国に落とそうとしている、とすっかり神様に対する信頼を失っているのです。あんなにも神様を愛し、信頼し、すべてをもって神様に従っていたのに、どうして神様は私に敵意を示され苦しめられるのかと、その嘆きは神様に対する敵意にまで進んでいったのです。

この様に、神様にいわれのない苦しみを与えられていると思っているヨブは、自分に罪のないことを正当化し、自分の期待が裏切られ、このようなみじめな状態になり、絶望的になって救いを求めてこう言っているのです。24節から31節です。

ヨブ 30:24 人は、嘆き求める者に手を差し伸べ/不幸な者を救おうとしないだろうか。

ヨブ 30:25 わたしは苦境にある人と共に/泣かなかったろうか。貧しい人のために心を痛めなかったろうか。

ヨブ 30:26 わたしは幸いを望んだのに、災いが来た。光を待っていたのに、闇が来た。

ヨブ 30:27 わたしの胸は沸き返り/静まろうとしない。苦しみの日々がわたしに襲いかかっている。

ヨブ 30:28 光を見ることなく、嘆きつつ歩き/人々の中に立ち、救いを求めて叫ぶ。

ヨブ 30:29 山犬の兄弟となり/駝鳥の仲間となったかのように

ヨブ 30:30 わたしの皮膚は黒くなって、はげ落ち/骨は熱に焼けただれている。

ヨブ 30:31 喪の調べをわたしの竪琴は奏で/悲しみの歌をわたしの笛は歌う。

この様にヨブは自分を正当化しようとします。24節で、人は、と一般的に語っていますが、これは私はというのを遠慮した言い方であると思います。ヨブは自分は、嘆き求める人に手を差し伸べ、不幸な人を救おうとし、苦境にある人と共に泣き、貧しい人のために心を痛めてきた。という事を主張しているのです。だから自分は神様から祝福され、きっと幸せな人生を送るに違いないと期待していたのです。それなのに、私は幸いを望んだのに、災いが来た。光を待っていたのに、闇が来たと言って、期待していたこととは全く反対のことが起こったので、それに驚き嘆いているのです。そして今は自分が平安を失い、苦しみの日々が襲い、光を失い、嘆きつつ救いを求めて叫んでいる。それは山犬のように吠え、ダチョウのように騒ぎ立てる、そんな状態になっている。期待していた事とは全く違うではないか。私の肉体はぼろぼろになり、私は死に行くものの歌を歌い、悲しみの歌を自分で歌っている。そのような状態なのだと言っているのです。

ヨブは自分のみじめさを語りました。自分が愛し信頼していたものから裏切られたような気がして、もうどこにその思いをぶつけたらよいのかわからなくなってきたのです。ヨブのような信仰者であっても、神様から苦しみを与え続けられていると思うと、神様が祝福を与える方ではなく冷酷な仕打ちをなさる方であるように思われてしまったのです。それでもヨブの心は、神様に向かってしまうのです。やりきれない思いなのです。この解決はどのようにして与えられるのでしょうか。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、ヨブの苦しみは、愛する者から見捨てられ、信頼する者から、裏切られたような気持ちになっていることです。神様は呼べど答えず、それでも神様を慕う気持ちは捨てきれず、ヨブはやり場のない気持ちになっています。私達がそのような状況になった時にはどうするでしょうか。幸いなことに、私達には神様にとりなしてくださるイエス様がいるのです。たとえ神様が冷酷に思えても、それを愛をもってとりなしてくださる、イエス様がおられるのです。そしてイエス様を通して祈り求めて、神様からの答えを受けることが出来るのです。ヨブが受けていた、神様の冷酷さ、怒りや仕打ちはイエス様が私たちの身代わりになって受けてくださったのです。この事を覚えて感謝いたします。私達はこの事によって、イエス様を通して、神様に願い求めることが出来るのです。この事を覚えて感謝いたします。

この祈りを主、イエスキリストの御名によって、お祈りいたします。アーメン

 

<<聖書の箇所(旧約聖書:◇ヨブ記:)>>  

◆ヨブの嘆き

ヨブ 30:1 だが今は、わたしより若い者らが/わたしを嘲笑う。彼らの父親を羊の番犬と並べることすら/わたしは忌まわしいと思っていたのだ。

ヨブ 30:2 その手の力もわたしの役には立たず/何の気力も残っていないような者らだった。

ヨブ 30:3 無一物で飢え、衰え/荒涼とした砂漠や沼地をさまよい

ヨブ 30:4 あかざの葉を摘み/れだまの根を食糧としていた。

ヨブ 30:5 彼らは世間から追われ/泥棒呼ばわりされ

ヨブ 30:6 身震いさせるような谷間や/土の穴、岩の裂け目に宿り

ヨブ 30:7 茨の間で野ろばのようにいななき/あざみの下に群がり合っていた。

ヨブ 30:8 愚か者、名もない輩/国からたたき出された者らだった。

ヨブ 30:9 ところが今は、わたしが彼らのはやし歌の種/嘲りの言葉を浴びる身になってしまった。

ヨブ 30:10 彼らはわたしを忌み嫌って近寄らず/平気で顔に唾を吐きかけてくる。

ヨブ 30:11 彼らは手綱を振り切り、わたしを辱め/くつわを捨てて勝手にふるまう。

ヨブ 30:12 彼らは生意気にもわたしの右に立ち/わたしを追い出し、災いの道を行かせ

ヨブ 30:13 逃げ道を断ち、滅びに追いやろうとする。それを止めてくれる者はない。

ヨブ 30:14 襲って来て甚だしく打ち破り/押し寄せて来て廃虚にする。

ヨブ 30:15 死の破滅がわたしを襲い/わたしの力は風に吹きさらわれ/わたしの救いは雲のように消え去った。

ヨブ 30:16 もはや、わたしは息も絶えんばかり/苦しみの日々がわたしを捕えた。

ヨブ 30:17 夜、わたしの骨は刺すように痛み/わたしをさいなむ病は休むことがない。

ヨブ 30:18 病は肌着のようにまつわりつき/その激しさにわたしの皮膚は/見る影もなく変わった。

ヨブ 30:19 わたしは泥の中に投げ込まれ/塵芥に等しくなってしまった。

ヨブ 30:20 神よ/わたしはあなたに向かって叫んでいるのに/あなたはお答えにならない。御前に立っているのに/あなたは御覧にならない。

ヨブ 30:21 あなたは冷酷になり/御手の力をもってわたしに怒りを表される。

ヨブ 30:22 わたしを吹き上げ、風に乗せ/風のうなりの中でほんろうなさる。

ヨブ 30:23 わたしは知っている。あなたはわたしを死の国へ/すべて命あるものがやがて集められる家へ/連れ戻そうとなさっているのだ。

ヨブ 30:24 人は、嘆き求める者に手を差し伸べ/不幸な者を救おうとしないだろうか。

ヨブ 30:25 わたしは苦境にある人と共に/泣かなかったろうか。貧しい人のために心を痛めなかったろうか。

ヨブ 30:26 わたしは幸いを望んだのに、災いが来た。光を待っていたのに、闇が来た。

ヨブ 30:27 わたしの胸は沸き返り/静まろうとしない。苦しみの日々がわたしに襲いかかっている。

ヨブ 30:28 光を見ることなく、嘆きつつ歩き/人々の中に立ち、救いを求めて叫ぶ。

ヨブ 30:29 山犬の兄弟となり/駝鳥の仲間となったかのように

ヨブ 30:30 わたしの皮膚は黒くなって、はげ落ち/骨は熱に焼けただれている。

ヨブ 30:31 喪の調べをわたしの竪琴は奏で/悲しみの歌をわたしの笛は歌う。