家庭礼拝 2025年7月23日 ヨブ記 25:1-6 ビルダドは答えた

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起 

今日はヨブ記の中で最も短い章です。たったの6節しかありません。しかもそれはヨブに答えていると言うよりも、神様を見上げ賛美し、自分につぶやくように人間の小ささを、蛆虫のようだと卑下しているのです。

今日のビルダドの語ろうとしていることは、

ヨブ 25:4 どうして、人が神の前に正しくありえよう。どうして、女から生まれた者が清くありえよう。

という事です。

これは今まで語ってきた、因果応報とはちょっと考えが変わってきています。今まではヨブが神の前に正しくないから、このような災いを与えられ、罰せられていると言っていたのですが。今日の箇所では、ヨブだけでなく人が皆、神の前にどうして正しくあり得ようか、と言っているのです。すなわち、ヨブだけでなく、自分達も神の前に正しくない者であり。同じように罰せられるべきものではないかと言っているのです。

これは一体どういうことなのでしょうか。しかもビルダドの言葉はこれで終わり、三人の友人の議論はこれで終わるのです。すなわち三人目の友人、ツォファルの言葉はもうないのです。ビルダドの、どうして、人が神の前に正しくあり得よう、と言ったことが最後の結論のような感じもします。

それに比べて、それにこたえるヨブの言葉は26章から31章まで5章にもわたって続くと言う大変長い応答です。ここでヨブはいったい何を答えるのでしょうか。でもこれで終わりという事ではなく、そのあと第四の人エリフの言葉が続くのです。それは三人の友がヨブが自分を正しいと確信していることに対して、もう返す言葉が無くなったので、この若いエリフが代わって自分が語りだすという事なのです。いずれにしても三人の友の議論は今日のビルダドの言葉で終わりです。そしてヨブがそれに答えて、ヨブ記の第二幕は終わりとなるのです。ヨブ記の第一幕はヨブが幸せに暮らしていた時に、突然災いが降ってきた時です。第二幕は三人の友がヨブを慰めるためにやってきて、ヨブと議論をするところです。第三幕はエリフとの議論です。第四幕が神様の出現です。ヨブ記はこのような構成になっているのです。

それでは今日のビルダドの言葉を聖書から見てみましょう。

ヨブ 25:1 シュア人ビルダドは答えた。

ヨブ 25:2 恐るべき支配の力を神は御もとにそなえ/天の最も高いところに平和を打ち立てられる。

ヨブ 25:3 まことにその軍勢は数限りなく/その光はすべての人の上に昇る。

ヨブ 25:4 どうして、人が神の前に正しくありえよう。どうして、女から生まれた者が清くありえよう。

ヨブ 25:5 月すらも神の前では輝かず/星も神の目には清らかではない。

ヨブ 25:6 まして人間は蛆虫/人の子は虫けらにすぎない。

 この言葉は、ヨブに答えていると言うよりも、自分に言い聞かせているような言葉です。神様は恐るべき力をもって支配し、その天には平和を造られている。どうして人が神の前に正しくあり得よう。どうして女から生まれたものが清くあり得よう。そう言って、ヨブが自分を正しいと言い張ることに対しても、友人たちが自分たちを正しいとしてヨブを攻め立てるのも、どちらも神の前に正しくあり得ようか。人間に自分は正しいと言う権利はないのだと言っているのです。さらに、人間は蛆虫、人の子は虫けらに過ぎないと自分たちを卑下してこう言うのです。蛆虫の正義が何になるのか、虫けらの正しさが何になるのかと、自分達のこだわっていることが神の前には何の意味もなく力もないことを嘆いてこう言っているのです。

何故三人の友人の議論がこの様な形で終わってしまうのかが不思議です。もう言い返す言葉が無くなったのかもしれません。第四の友人エリフの言葉は、後世の人が付け加えたのではないかと言われています。それまで3人しかいなかったのに、突然4人になったのだから不思議です。この三人の議論に物足りなさを感じた後世の人が、第4の友人を立てて、自分達の意見を代弁させたのかもしれません。

いずれにしても、この三人の友人との議論は、自分達人間は神様の前には、誰も自分が正しいなどということが出来ない、という事でした。それは人間が蛆虫の様に虫けらのように、汚らしいものであり穢れたものであり、正しいなどという権利のないものだからというのです。

この様にして、三人の友人との議論は終わります。その後はヨブの独壇場になるわけです。この三人の友人との議論は、お互いに相手を説得することはできなかったのです。お互いに自分たちは正しいとして、反論を繰り返していたのですが、最後のビルダドの言葉は、あきらめにも似た、人間が、神の前に正しいなどと言えるはずもないと、自分たちの主張することも正しいなどとは言えないと語るのです。

今まで、この三人の議論は因果応報論を根拠に、ヨブは罪人だ、だから罰を与えられている。自分達には罰がない、だからヨブに悔い改めるように、言う権利があると言う様な考えで行われてきました。ですがこの最後のビルダドの言葉は、そのような人間の知恵を根拠にではなく、神様を見上げて、神の前に、どうして、人が神の前に正しくありえよう。どうして、女から生まれた者が清くありえよう。と言っているのです。神様を見上げることによって、やっと視点が変わったのです。 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。この三人の友人の議論は、ビルダドの、どうして、人が神の前に正しくありえよう。という言葉で終わりました。色々な論拠を持ってヨブを説得し納得させようとしたのですがそれはかないませんでした。それどころか、神様を見上げて、自分達を振り返ると、その論拠さえも不確かなもので、どうして、人が神の前に正しくありえよう、と自分の立場を振り返ることが出来たのです。私達が行き詰ったら、自分の考えにこだわらず、神様の前に立って、そのことを振り返ってみると、視点が代わって、別の思いが与えられるのかもしれません。私達もまた、思い悩んだ時、あなたの御前に立って振り返り、自分の立場を思い、神様の御心を思い起こすことが出来ますように。あなたが解決の道を開いてくださることを信じて歩むことが出来ますように。

この祈りを主、イエスキリストの御名によって、お祈りいたします。アーメン

 

 

<<聖書の箇所(旧約聖書:◇ヨブ記:)>>  

◆ヨブと三人の友の議論三

ヨブ 25:1 シュア人ビルダドは答えた。

ヨブ 25:2 恐るべき支配の力を神は御もとにそなえ/天の最も高いところに平和を打ち立てられる。

ヨブ 25:3 まことにその軍勢は数限りなく/その光はすべての人の上に昇る。

ヨブ 25:4 どうして、人が神の前に正しくありえよう。どうして、女から生まれた者が清くありえよう。

ヨブ 25:5 月すらも神の前では輝かず/星も神の目には清らかではない。

ヨブ 25:6 まして人間は蛆虫/人の子は虫けらにすぎない。