家庭礼拝 2025年2月26日 ヨブ記 5:1-27 ヨブと三人の友の議論1-2
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起
今回も、友人の一人エリファズは語り続けます。ヨブが、神様のもとに立ち返り、正気になってほしいと願うからだと思います。そして自分の知恵を振り絞って雄弁にヨブの間違いを指摘し、神に委ねるようにと説き伏せようとするのです。
エリファズの考え方は因果応報です。災いのあるところには罪があるからだと言うのです。たとえ自分が罪を犯していないと思っていても、知らない間に罪を犯してしまい、その報いとして災いがあるのだ。だから悔い改めて神に委ねなさい。そうすれば神様は道を開いてくださるはずだと、どんどん雄弁になっていくのです。そしてなんとかヨブを説き伏せ、自分の罪を認めさせ、神様のもとに立ち返らせようとするのです。
ところがエリファズがムキになって、ヨブを説き伏せようとすればするほど、その言葉が愛のない上滑りの人ごとの言葉のように思えてしまうのです。本当にヨブのことを考えているのだろうか、自分の主張の正しさを説こうとしているだけではないのかと思ってしまうのです。
エリファズの語り口調はどんどん上から目線になっていきます。あなたは、という言葉を用いて、ヨブに対して、あなたはこの様である。あなたはこのようになる、あなたはこうなるだろうと言って説得しようとします。そして私ならこの様にすると言って、ヨブのしていることを否定しているのです。その語ることは正論です。エリファズは自分が体験してきたことから話しているのではありません、いろいろな言葉を学び、その極めてきたことを、ヨブに教えようとしているのです。エリファズの言葉には、ヨブと同じ立場に立つ者の言葉がないのです。その苦しみを思い、ヨブと同じ気持ちで悩む姿がないのです。結局他人ごとになってしまうのです。これが私たちが、苦悩する人たちを前にして、してしまう姿なのです。エリファズは結局、私たちなのです。
承
それでは聖書を読んでみましょう。1節から5節です。
ヨブ 5:1 呼んでみよ/あなたに答える者がいるかどうか。聖なるものをおいて、誰に頼ろうというのか。
ヨブ 5:2 愚か者は怒って自ら滅び/無知な者はねたんで死に至る。
ヨブ 5:3 愚か者が根を張るのを見て/わたしは直ちにその家を呪った。
ヨブ 5:4 「その子らは安全な境遇から遠ざけられ/助ける者もなく町の門で打ち砕かれるがよい。
ヨブ 5:5 彼らの収穫は、飢えた人が食い尽くし/その富は、渇いた人が飲み尽くし/その財産は、やせ衰えた人が奪うがよい。」
この様に、エリファズはヨブに対してかなり手厳しく言い始めました。エリファズはヨブに、あなたの訴えを聞くものがあるかどうか呼んでみよと言いました。聖なる天使たちに頼らず、誰に頼ろうとしているのか。誰もヨブの訴えを聞くものなどはいないと言っているのです。何故エリファズはこんなに厳しくヨブを戒めたのでしょうか。それは、ヨブが自分は何も罪を犯していないのに、このような災難に会うのはどうしてなのかと嘆いているのに対して、エリファズの考えは、罪を犯していないものがどうしてどうして災難に会うのか、罪を犯しているから災難に会うのではないか。その罪を認めないものは不遜であると言っているのです。
エリファズはさらに言いました。愚か者は怒って自ら滅び、無知なものは妬んで死に至ると。こう言ったのです。この愚か者というのは罪あるもので、暗にヨブのことを指しています。そしてこの愚か者は、自分の罪を認めず、怒り妬んで滅んでいくと言うことを言っているのです。
エリファズはさらにおごり高ぶったように、この罪あるものが繁栄するのを見て、私は直ちにその家を呪ったと言うのです。エリファズはむしろヨブの繁栄をねたんでいたのかもしれません。そしてこう言ったのです。その罪ある者の子供たちは、守られることなく、助ける者もなく、町の門のところで、打ち砕かれる方が良い。とその子供たちの滅びることを願ったのです。はっきりとヨブを名指ししているわけではありませんがずいぶんひどいことを言うものです。さらにこう言いました。彼らの収穫は飢えた人が食い尽くし、その富は渇いた人が飲み尽くし、その財産はやせ衰えた人が奪うがよいと言いました。つまりその罪びとの財産はみな貧しい者たちに奪われてしまうがよいと言っているのです。これは子供たちが皆死に、財産もみな奪われたヨブのことを見て、自分はその事を最初から呪って、願っていたと言っているようなものなのです。
そして結論としてこう言ったのです。6節と7節です。
ヨブ 5:6 塵からは、災いは出てこない。土からは、苦しみは生じない。
ヨブ 5:7 それなのに、人間は生まれれば必ず苦しむ。火花が必ず上に向かって飛ぶように。
この様に、命のない塵や土からは禍も苦しみも生じない。だが人間は、生まれれば必ず苦しむと言い、そのことは罪ある人間には当然であり自然なのだと言っているのです。だからヨブが災難にあったとしても苦しんだとしても当然の事であり自然なことだと言っているのですが、これが慰めになるのでしょうか。
転
さらにエリファズは自分の知恵を語り、高ぶったようにこう言うのです。8節から14節です。
ヨブ 5:8 わたしなら、神に訴え/神にわたしの問題を任せるだろう。
ヨブ 5:9 計り難く大きな業を/数知れぬ不思議な業を成し遂げられる方に。
ヨブ 5:10 神は地の面に雨を降らせ/野に水を送ってくださる。
ヨブ 5:11 卑しめられている者を高く上げ/嘆く者を安全な境遇に引き上げてくださる。
ヨブ 5:12 こざかしい者の企てを砕いて/彼らの手の業が成功することを許されない。
ヨブ 5:13 知恵ある者はさかしさの罠にかかり/よこしまな者はたくらんでも熟さない。
ヨブ 5:14 真昼にも、暗黒に出会い/昼も、夜であるかのように手探りする。
この様にエリファズは、私ならこうすると、自分の持論を語り始めたのです。それはヨブが罪の中にあってそれを認めず、苦しみの中にあってもがいているが、私ならこうすると言ったのです。それは、私なら、神に訴え、神に私の問題を任せるだろう。と言ってその問題を神に任せ委ねることを勧めたのです。それはこの5章の1節で、呼んでみよ、あなたに答えるものがいるかどうか。と言った言葉に矛盾するような気もするのですが、これは聖なるもの以外に呼び掛けてもだれも答えてくれはしないだろうと言うことだと思います。だから、私なら、神に訴え、神様に任せると言ったのです。ヨブのような信仰深い人ならこの様なことは当然知っているのですが、その知識だけでは割り切れないものをヨブは感じていたのです。ですがエリファズはその知識をヨブに語り聞かせるのです。私は神に任せる。その方は測りがたく不思議な業を成し遂げられる。神様は雨を降らせ、水を与え、卑しめられているものを高め、嘆くものを守って安全にしてくださる。だから神様に任せるのが良い。一方でこざかしいものはくじかれ、よこしまなものは成就しない、昼でもどうしたらよいか手探りで歩くようになる、と言って、暗にヨブを批判しているのです。ヨブはきっと心の中で、聞いてきたような話をするなと思っていたかもしれません。
エリファズは、ヨブのとどめを刺すように、これでもかこれでもかとさらに説得します。あなたは、あなたはと言ってヨブの悔い改めを迫るのです。15節から27節です。
ヨブ 5:15 神は貧しい人を剣の刃から/権力者の手から救い出してくださる。
ヨブ 5:16 だからこそ、弱い人にも希望がある。不正はその口を閉ざすであろう。
ヨブ 5:17 見よ、幸いなのは/神の懲らしめを受ける人。全能者の戒めを拒んではならない。
ヨブ 5:18 彼は傷つけても、包み/打っても、その御手で癒してくださる。
ヨブ 5:19 六度苦難が襲っても、あなたを救い/七度襲っても/災いがあなたに触れないようにしてくださる。
ヨブ 5:20 飢饉の時には死から/戦いの時には剣から助け出してくださる。
ヨブ 5:21 あなたは、陥れる舌からも守られている。略奪する者が襲っても/恐怖を抱くことはない。
ヨブ 5:22 略奪や飢饉を笑っていられる。地の獣に恐怖を抱くこともない。
ヨブ 5:23 野の石とは契約を結び/野の獣とは和解する。
ヨブ 5:24 あなたは知るだろう/あなたの天幕は安全で/牧場の群れを数えて欠けるもののないことを。
ヨブ 5:25 あなたは知るだろう/あなたの子孫は増え/一族は野の草のように茂ることを。
ヨブ 5:26 麦が実って収穫されるように/あなたは天寿を全うして墓に入ることだろう。
ヨブ 5:27 見よ、これが我らの究めたところ。これこそ確かだ。よく聞いて、悟るがよい。
この様に、エリファズは神様の偉大さを語り、災いにある人にどのようにしてくださるのかを語るのです。エリファズはまずこう言いました。神様は貧しい人を権力者の手から救い出してくださる。だから弱い人にも希望があると。だから、神の懲らしめを戒めを災いを拒んではならない。と言って、ヨブがその災いの内にあって、自分の命を呪っていることを非難しているのです。神様はそのような災いで傷つけてもまた癒してくださる。何度苦難があってもそこから救い出してくださる。だからそのような苦難を笑っていられる、恐れることもない。そして、神様に委ねればあなたば、その事を知るだろうと言って、何度も神様がどうしてくださるのかを語るのです。それはまるで大人が子供を諭すように教えているのです。あなたは知るだろう、あなたの家は安全で、牧場の家畜たちも守られていることを。あなたは知るだろう。子孫が増え数えきれないほどになることを。そしてあなたは天寿を全うするだろうことを。この様に語って、エリファズはヨブにこの様に言いました。見よ、これが我らの究めたところ。これこそ確かだ。よく聞いて、悟るがよい。この様に行って、自分達が極め悟っていることを語り、それを聞いてヨブも同じように悟が良いと高飛車に言い含めているのです。
ヨブが災いに会ってすべてを失ってしまったのはその罪のせいだから、自分達のように、神にすべてを委ねて、守ってもらうがよい。そうすれは、家も家畜もあなたの寿命も全うするのだと言って、これを悟れと言うのです。自分たちはヨブよりもずっと優位な立場にあると勘違いしているのです。
結
今日の話はエリファズの一方的な話でした。エリファズは、ヨブに災いが降ったのはその罪の結果であったのだから、悔い改めて、神に立ち返れ、そうすればまた祝福が与えられるから、と言っているので、決して間違った教えではないのですが、なぜかこの言葉が他人事とのように思われるのです。そこにはエリファズが、ヨブに対して勝ち誇っているような思いを感じるからです。ヨブには禍が降った、だからヨブは私達よりも神様に認められていない。受け入れられていない。自分たちの方が正しいのだ。だから教えてあげようと言った気持ちが伝わってくるのです。ですが本当はどうなのでしょうか。それは私達にもわかりません。神様にしかわからないのです。このエリファズの説得に対して次回は、ヨブがそれに応えて言いますが、さて何を言うのか関心が募ります。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、私達は自分たちが相手より恵まれていると思うと、自分の方が正しいと思って、相手を責めたり、自分のようになるように説得したりします。ですが、本当のところは分かりません。神様の計画がどこにあるのかはわからないのです。私達はどのような状況にあったとしても、それが神様が良しとされる御業であることを信じて受け入れていきたいと思います。恵まれていることが必ずしも善ではなく、災いのあることが必ずしも悪では無い事を受け入れさせてください。この祈りを主、イエスキリストの御名によって、お祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(旧約聖書:◇ヨブ記:)>>
ヨブ 5:1 呼んでみよ/あなたに答える者がいるかどうか。聖なるものをおいて、誰に頼ろうというのか。
ヨブ 5:2 愚か者は怒って自ら滅び/無知な者はねたんで死に至る。
ヨブ 5:3 愚か者が根を張るのを見て/わたしは直ちにその家を呪った。
ヨブ 5:4 「その子らは安全な境遇から遠ざけられ/助ける者もなく町の門で打ち砕かれるがよい。
ヨブ 5:5 彼らの収穫は、飢えた人が食い尽くし/その富は、渇いた人が飲み尽くし/その財産は、やせ衰えた人が奪うがよい。」
ヨブ 5:6 塵からは、災いは出てこない。土からは、苦しみは生じない。
ヨブ 5:7 それなのに、人間は生まれれば必ず苦しむ。火花が必ず上に向かって飛ぶように。
ヨブ 5:8 わたしなら、神に訴え/神にわたしの問題を任せるだろう。
ヨブ 5:9 計り難く大きな業を/数知れぬ不思議な業を成し遂げられる方に。
ヨブ 5:10 神は地の面に雨を降らせ/野に水を送ってくださる。
ヨブ 5:11 卑しめられている者を高く上げ/嘆く者を安全な境遇に引き上げてくださる。
ヨブ 5:12 こざかしい者の企てを砕いて/彼らの手の業が成功することを許されない。
ヨブ 5:13 知恵ある者はさかしさの罠にかかり/よこしまな者はたくらんでも熟さない。
ヨブ 5:14 真昼にも、暗黒に出会い/昼も、夜であるかのように手探りする。
ヨブ 5:15 神は貧しい人を剣の刃から/権力者の手から救い出してくださる。
ヨブ 5:16 だからこそ、弱い人にも希望がある。不正はその口を閉ざすであろう。
ヨブ 5:17 見よ、幸いなのは/神の懲らしめを受ける人。全能者の戒めを拒んではならない。
ヨブ 5:18 彼は傷つけても、包み/打っても、その御手で癒してくださる。
ヨブ 5:19 六度苦難が襲っても、あなたを救い/七度襲っても/災いがあなたに触れないようにしてくださる。
ヨブ 5:20 飢饉の時には死から/戦いの時には剣から助け出してくださる。
ヨブ 5:21 あなたは、陥れる舌からも守られている。略奪する者が襲っても/恐怖を抱くことはない。
ヨブ 5:22 略奪や飢饉を笑っていられる。地の獣に恐怖を抱くこともない。
ヨブ 5:23 野の石とは契約を結び/野の獣とは和解する。
ヨブ 5:24 あなたは知るだろう/あなたの天幕は安全で/牧場の群れを数えて欠けるもののないことを。
ヨブ 5:25 あなたは知るだろう/あなたの子孫は増え/一族は野の草のように茂ることを。
ヨブ 5:26 麦が実って収穫されるように/あなたは天寿を全うして墓に入ることだろう。
ヨブ 5:27 見よ、これが我らの究めたところ。これこそ確かだ。よく聞いて、悟るがよい。