家庭礼拝 2025年2月19日 ヨブ記 4:1-21 ヨブと三人の友の議論1-1
賛美歌528あなたの道を聖書朗読 祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り 賛美歌529主よ、わが身を
起
ヨブの苦難を慰めるために、三人の友がきました。ですが、あまりにも変り果て、苦しみ悩み、自分の生まれてきたことを呪っている言葉を聞いて、友の一人が、何とか慰めようとします。最初の内はあまりにも悲惨なその状態に、ただ共にいることしかできなくて口もきけなかった友でありましたが、ヨブが、自分を呪っている言葉を聞いているうちに我慢ができなくなってきたのです。ここに私達も犯しやすい、大きな間違いが起こります。この友はヨブを慰めようとして、さらに傷つけ苦しめることになるのです。
我慢ができずに語り始めたのは、エリファズという友でした。このエリファズはとても知識のある人だったので、ヨブが苦しみを与えられたのは、知らずに犯した罪のためだと、因果応報の原則でヨブを説き伏せようとしたのです。そしてそのために自分の経験やいろいろなことを持ち出して、その正しさをヨブに認めさせ、その苦しみから解放されるようにと勧めるのです。ですが、人はこのような正論では慰められないのです。あなたの苦しみはあなたがどこかで間違いを犯したからですよと言われて、そうですかと言い、それが分かって安心しましたなどという人はいないのです。反って、どうしてそんなことを言うのだ、なぜ私を一層苦しめること言うのだと思うに違いないのです。ですが、自分が正しいと思っている人は黙っていられないのです。自分の正しさを主張することが相手の苦しみを取り除いてやる正しい方法だと思っているのです。
この様な間違いを私達は今でもいつもおかしてしまいます。大きな病気をして寝込んでいる人に、病は気からだから、気軽に考えていればいつか元気になりますよと、いくら言われてもその病人にとってはそれが慰めにも励ましにもならず、うんざりするような、他人事の言葉に聞こえるのです。
この様な苦しみ悲しみにある人にとって、どうすべきかというような、正論は意味がないのです。それを聞くたびにあなたはどうしてそうしないのですかと責められているような気になるからです。そのような苦しみ悲しみにある人にとって、自分のその苦しみ悲しみを知ってくれるだけで大きな慰めとなるのです。ですから人間が言葉で慰め励まそうとするよりも、犬などの動物が、何も言わずただ寄り添って、その悲しみを感じてくれる方がよほど慰めになるのです。
私達も犯しやすいこの慰めの言葉を、エリファズの言葉から学んでいきましょう。
承
今日の4章と次の5章はエリファズの説得が続きます。エリファズはヨブが、黙って苦しみに耐えていた時には同情して、声もかけられなかったのですが、7日たって、自分が生まれてきたことを呪って、いろいろなことを言い始めたのを聞いているうちに、腹が立ってきたのです。かつての信仰深いヨブのように思えなかったからです。1節から8節です。
ヨブ 4:1 テマン人エリファズは話し始めた。
ヨブ 4:2 あえてひとこと言ってみよう。あなたを疲れさせるだろうが/誰がものを言わずにいられようか。
ヨブ 4:3 あなたは多くの人を諭し/力を失った手を強めてきた。
ヨブ 4:4 あなたの言葉は倒れる人を起こし/くずおれる膝に力を与えたものだった。
ヨブ 4:5 だが、そのあなたの上に何事かふりかかると/あなたは弱ってしまう。それがあなたの身に及ぶと、おびえる。
ヨブ 4:6 神を畏れる生き方が/あなたの頼みではなかったのか。完全な道を歩むことが/あなたの希望ではなかったのか。
ヨブ 4:7 考えてみなさい。罪のない人が滅ぼされ/正しい人が絶たれたことがあるかどうか。
ヨブ 4:8 わたしの見てきたところでは/災いを耕し、労苦を蒔く者が/災いと労苦を収穫することになっている。
この様にエリファズは、あなたは病人であるので、私が口を開いて説教すれば、あなたを疲れさせるだろうが、あなたの言っていることは間違っている。これには我慢ができないと言ってあえて語り始めたのです。まず、ヨブが健康であったときには、不幸にある、多くの人を諭したり、励ましてきた。それなのに、自分に不幸が降りかかると、それを忘れてあなたは弱り怯えるのかと言ったのです。言っていることとしていることが違うではないかというのです。人には上手い事言えても、自分がその立場になるとだめではないかというのです。私達も、優位な立場にある時には偉そうなことを言っている人を見ると、その時は我慢して黙っていますが、その立場を失って、弱音を吐いている人を見ると、つい、言っていることとやっていることが違うじゃないかと言い返したくなります。その置かれた状況によって、人は言うことが違ってくることが多くあるからです。他人事には偉そうに言えても、自分のこととなると、駄目なのです。
エリファズはヨブを非難してこう言ったのです。神を畏れる生き方が/あなたの頼みではなかったのか。完全な道を歩むことが/あなたの希望ではなかったのか。落ち着いて自分を顧みてみなさい。罪のない人が滅ぼされ/正しい人が絶たれたことがあるかどうか。わたしの見てきたところでは/災いを耕し、労苦を蒔く者が/災いと労苦を収穫することになっている。エリファズはこう言って、ヨブが、生まれてきたことを呪い、苦しんで生きていることを呪っているが、それは、あなたに命を与えている神様を非難していることではないのかと言っているのです。それは神を畏れるあなたの生き方ではないだろう。そう言って、自分のしていることに気が付くように言うのです。そして、自分の経験から見ても、災いの種をまくものがそれを刈り取ると言う、因果応報は当然のことだ。だからあなたは自分の罪を認めるべきだ。その災いの種を自分で蒔いたのだ。神を恨んではならないと言っているのです。
この考え方は当時としては、今もそうかもしれませんがとても正統的な考え方で、何の誤りもないのですが、それはヨブの心を変えることも慰めることにもならなかったのです。苦しんでいる人に対して、あなたはこうすべきだああすべきだ、あなたの考えは間違えていると言っても、それは反発と苦しみを与えるだけで、何の励ましにも癒しにもならないのです。私達も良くこれと同じ間違いを犯してしまいます。それが正しいことだと思うために、かえって残酷なことを言ってしまうのです。何とか元に戻ってほしいと言う思いからなのです。
転
エリファズは、神様がどのような方であるかをヨブに悟らせようとして、正論を語ります。それは信仰深いヨブも知っていることでしょうが、それを思い出させようとしているのです。9節から17節です。
ヨブ 4:9 彼らは神の息によって滅び/怒りの息吹によって消えうせる。
ヨブ 4:10 獅子がほえ、うなっても/その子らの牙は折られてしまう。
ヨブ 4:11 雄が獲物がなくて滅びれば/雌の子らはちりぢりにされる。
ヨブ 4:12 忍び寄る言葉があり/わたしの耳はそれをかすかに聞いた。
ヨブ 4:13 夜の幻が人を惑わし/深い眠りが人を包むころ
ヨブ 4:14 恐れとおののきが臨み/わたしの骨はことごとく震えた。
ヨブ 4:15 風が顔をかすめてゆき/身の毛がよだった。
ヨブ 4:16 何ものか、立ち止まったが/その姿を見分けることはできなかった。ただ、目の前にひとつの形があり/沈黙があり、声が聞こえた。
ヨブ 4:17 「人が神より正しくありえようか。造り主より清くありえようか。
この様にいろいろな表現で、エリファズは神の力が偉大で、何物も抵抗できず、その御前にひれ伏すしかできないものであることを語ったのです。それはヨブが神様に抵抗しているように思われたからなのです。自分の立場も力もわからず、神様に逆らおうとしているように見えたのです。エリファズはこう言ったのです。神に逆らうものは、神が息を吹きかけられただけで滅び去る。獅子のような強い動物でも神様にほえれば、その牙はおられてしまう。主人が力なくなれば家のものはバラバラになる。そのような時にはサタンの誘惑の言葉が忍び寄る。惑わしの幻を見る。そのような時には恐れとおののきに心の底まで捉われる。そのような時に、エリファズは何者かが顔をかすめていく気配に身の毛がよだったと言うのです。そして立ち止まったがその姿を見分けることが出来なかったが、何かがいることが分かったと言うのです。そして声が聞こえ、「人が神より正しくありえようか。造り主より清くありえようか。」と言ったというのです。これは神様なのでしょうか、天使なのでしょうか。これは、人が自分は何の罪もないのにこの様な災いを与えられていると主張するとき、それは神様を非難することであり、人の方が神様よりも正しいと言っていることと同じだと言うのです。だから、この天使かもしれないものは「人が神より正しくありえようか。造り主より清くありえようか。」と言ったのです。
エリファズの主張はさらに続き、神の正しさがどれほどのものであるかを語ります。18節から21節です。
ヨブ 4:18 神はその僕たちをも信頼せず/御使いたちをさえ賞賛されない。
ヨブ 4:19 まして人は/塵の中に基を置く土の家に住む者。しみに食い荒らされるように、崩れ去る。
ヨブ 4:20 日の出から日の入りまでに打ち砕かれ/心に留める者もないままに、永久に滅び去る。
ヨブ 4:21 天幕の綱は引き抜かれ/施すすべも知らず、死んでゆく。」
この様に、神様の正しさ、聖さが超絶しているのは、人間に対してだけではなく、天使たちに対してもそうである。まして人間などはしみに食い荒らされ、崩れ去るものではないか。人間などは生きている間中、打ち砕かれて、誰も心にとめる者もないまま滅びてしまうだけではないか。なすすべもなく死んで行くだけであると、神様の正しさの前には、人間は何もなすすべがないではないかとヨブに言っているのです。人間は神様の前には全く無力なものだから、神様に訴えるようなことはするなと言っているのです。
結
エリファズは、ヨブに正気になってほしいと思って、自分の思っている正しいと思うことを語らずにはいられませんでした。それがヨブにとって本当に、励ましになるか、慰めになるか、正気に戻れるのかもわからず、語らざるを得なかったのです。自分が正しいと思うとき、私達は何とか相手を説き伏せようと一生懸命になります。ですがそのことが相手にとって本当に良い事かどうかはわからないのです。このときわたしたちは、心を神様に向けて、神様が働いてくださることを願うべきでしょう。そうすれば神様は私たちが正論と思っていることを超えた、解決を与えてくださるかもしれません。自分の主張をやめて、神様に祈り賛美する余裕を持ちたいものです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、私達は自分が正しいと思うと、正しさを主張しようとして、愛のない行いをしてしまいます。あなたは私たちの正しさよりも、互いに愛し合うことを求められています。私たちが自分の正しさを主張したいと思うとき、あなたが働いてくださって、私たちが愛のうちにいることが出来るようにさせてください。あなたの恵みと導きとがありますように。
この祈りを主、イエスキリストの御名によって、お祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(旧約聖書:◇ヨブ記:)>>
◆ヨブと三人の友の議論一
ヨブ 4:1 テマン人エリファズは話し始めた。
ヨブ 4:2 あえてひとこと言ってみよう。あなたを疲れさせるだろうが/誰がものを言わずにいられようか。
ヨブ 4:3 あなたは多くの人を諭し/力を失った手を強めてきた。
ヨブ 4:4 あなたの言葉は倒れる人を起こし/くずおれる膝に力を与えたものだった。
ヨブ 4:5 だが、そのあなたの上に何事かふりかかると/あなたは弱ってしまう。それがあなたの身に及ぶと、おびえる。
ヨブ 4:6 神を畏れる生き方が/あなたの頼みではなかったのか。完全な道を歩むことが/あなたの希望ではなかったのか。
ヨブ 4:7 考えてみなさい。罪のない人が滅ぼされ/正しい人が絶たれたことがあるかどうか。
ヨブ 4:8 わたしの見てきたところでは/災いを耕し、労苦を蒔く者が/災いと労苦を収穫することになっている。
ヨブ 4:9 彼らは神の息によって滅び/怒りの息吹によって消えうせる。
ヨブ 4:10 獅子がほえ、うなっても/その子らの牙は折られてしまう。
ヨブ 4:11 雄が獲物がなくて滅びれば/雌の子らはちりぢりにされる。
ヨブ 4:12 忍び寄る言葉があり/わたしの耳はそれをかすかに聞いた。
ヨブ 4:13 夜の幻が人を惑わし/深い眠りが人を包むころ
ヨブ 4:14 恐れとおののきが臨み/わたしの骨はことごとく震えた。
ヨブ 4:15 風が顔をかすめてゆき/身の毛がよだった。
ヨブ 4:16 何ものか、立ち止まったが/その姿を見分けることはできなかった。ただ、目の前にひとつの形があり/沈黙があり、声が聞こえた。
ヨブ 4:17 「人が神より正しくありえようか。造り主より清くありえようか。
ヨブ 4:18 神はその僕たちをも信頼せず/御使いたちをさえ賞賛されない。
ヨブ 4:19 まして人は/塵の中に基を置く土の家に住む者。しみに食い荒らされるように、崩れ去る。
ヨブ 4:20 日の出から日の入りまでに打ち砕かれ/心に留める者もないままに、永久に滅び去る。
ヨブ 4:21 天幕の綱は引き抜かれ/施すすべも知らず、死んでゆく。」