家庭礼拝 2022年5月25日 ヨシュア記 5:1-15 契約の印
起
イスラエルの人々がヨルダン川を渡り、いよいよエリコに近づいて行った時のことである。イスラエルの人々が、ヨルダン川の水を堰き止めてそこを渡ってきたという噂を聞くだけで、ヨルダン川沿岸の人々は戦意を失い、強い神様のついているイスラエルの人たちに対して、もうこの人たちには勝つことが出来ないと、尻込みをして立ち向かおうとする者がいなくなってしまったのです。
それでもヨシュアはすぐに攻め込もうとはしませんでした。その前に三つの出来事があったのです。そのことを記しているのが今日の聖書の個所です。
最初の出来事はイスラエルの民に割礼を施したのです。モーセは生まれて8日経った子には割礼を施せと命じていましたが、荒れ野を40年さまよっていた間は、そのモーセですら、子供に割礼を施すことが出来なかったのです。エジプトを出たときにはみんな割礼を受けていたのですが、ヨルダン川を渡るときには、割礼を受けた人々はほとんど死んでしまって、その子供たちの代になっていたのです。ですからヨシュアは神様に導かれて、エリコを攻める前に、神様の御心にかなって選ばれた民であることの証しの割礼を施すことにしたのです。
二つ目の出来事はヨルダン川を渡って、最初の過ぎ越しの祭りをしたのです。この過ぎ越しの祭りはモーセがエジプトを脱出するときの象徴的な出来事です。その過ぎ越しの祭りをヨシュアは、これからエリコを征服して新しいカナンの地での生活を始める、象徴的な祭りにしたのです。
三つめは主の軍の将軍がヨシュアに現れたことです。このことのくわしいことはここにはかかれていないのですが、主の将軍がわざわざ来てくれたということは、ヨシュアの側に神様の軍勢がついてくれて、戦ってくれるということだと思います。ここでこの将軍は「あなたの足から履物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」と命じます。これはモーセがシナイ山の山で、言われた言葉とそっくりなのです。
ヨルダン川の水がせき止められたことや、割礼や、過ぎ越しの祭りや、将軍が履き物を脱げと言ったことなど、ほとんどが、モーセを意識して語られた言葉のようです。要するに、ここで新しい時代が始まるときに、新しいモーセ即ち、ヨシュアが指導者となって働いていくということを表しているのです。
このような事が起こってから、やっとヨシュアはエリコに攻め込むことになるのです。これは次回に話をすることになります。
承
さて、イスラエルの民がヨルダン川を渡った後はどうなったでしょうか。一節です。
ヨシュ 5:1 ヨルダン川の西側にいるアモリ人の王たちと、沿岸地方にいるカナン人の王たちは皆、主がイスラエルの人々のためにヨルダン川の水を涸らして、彼らを渡らせたと聞いて、心が挫け、もはやイスラエルの人々に立ち向かおうとする者はいなかった。
このように、ヨルダン川の西側、ヨシュア達が攻め込もうとしているところにはアモリ人の王たちやカナン人の王たちがいましたが、イスラエルの神様が、ヨルダン川の水をからしてイスラエル人を渡らせたと聞いただけで、その力の大きさに恐れをなして、もうイスラエルの人々に立ち向かおうとする者はいなかったというのです。それほどイスラエルとイスラエルの神様は脅威だったのです。
さて、これからエリコに攻め込もうとするときに、ヨシュアは意外なことをしたのです。それはイスラエルの人々に割礼を施したのです。2節から9節です。
ヨシュ 5:2 そのとき、主はヨシュアに、火打ち石の刃物を作り、もう一度イスラエルの人々に割礼を施せ、とお命じになった。
ヨシュ 5:3 ヨシュアは、自ら火打ち石の刃物を作り、ギブアト・アラロトでイスラエルの人々に割礼を施した。
ヨシュ 5:4 ヨシュアが割礼を施した理由はこうである。すなわちエジプトを出て来たすべての民、戦士である成人男子は皆、エジプトを出た後、途中の荒れ野で死んだ。
ヨシュ 5:5 出て来た民は皆、割礼を受けていたが、エジプトを出た後、途中の荒れ野で生まれた者は一人も割礼を受けていなかったからである。
ヨシュ 5:6 イスラエルの人々は荒れ野を四十年さまよい歩き、その間にエジプトを出て来た民、戦士たちはすべて死に絶えた。彼らが主の御声に聞き従わなかったため、我々に与えると先祖たちにお誓いになった土地、すなわち乳と蜜の流れる土地を、彼らには見せない、と主は誓われたのである。
ヨシュ 5:7 ヨシュアが割礼を施したのは、神がその代わりにお立てになった彼らの息子たちであって、途中で割礼を受ける折がなく、無割礼だったからである。
ヨシュ 5:8 民は全員割礼を受けた後、その傷がいえるまで、宿営内の自分の場所にとどまった。
ヨシュ 5:9 主はヨシュアに言われた。「今日、わたしはあなたたちから、エジプトでの恥辱を取り除いた(ガラ)。」そのために、その場所の名はギルガルと呼ばれ、今日に至っている。
この割礼はヨシュアの考えでしたのではなくて、神様がヨシュアに、火打ち石の刃物を作り、もう一度イスラエルの人々に割礼を施せ、とお命じになったのです。割礼を施すための刃物は火打石の刃物だというのです。火打石は白く透過性のある石で清潔そうな感じがします。これを割ると鋭いエッジが出てくることがあります。これを刃物にしたのでしょうが、これで肉体を切るにはとても痛くて、切られるのは大変です。ですからのちの割礼では金属の刃物を使うようになりました。
ここでどうしてヨシュアが割礼を施したのかの理由が説明されています。それはエジプトを出たときには、みな割礼を受けていたのですが、その人たちは40年間荒れ野をさまよっている間に皆死にました。その後に生まれた子供たちは荒れ野で割礼を受けていなかったのです。だから割礼を施したと書いてはありますが、なぜこの時に割礼を受けさせたかは、神様の御心です。ヨシュアの考えではありません。荒れ野にいたときに割礼を受けさせなかったのも神様の御心です。神様が約束の地に導きいれるとき、そこに入るものは割礼を受けたもの、すなわち、神様に選ばれたものでなければならなかったのです。この割礼の傷がいえるまでは、戦いなどはできないので宿営内にとどまっていたのです。その宿営のある場所はギルガルと呼ばれました。それは取り除くという意味のガラから来ていて、神様が、ヨシュアに言った「今日、わたしはあなたたちから、エジプトでの恥辱を取り除いた(ガラ)。」という言葉から来ているというのです。ちなみに3節に書かれているギブアト・アラロトという地名は、割礼を施した土地という意味を持っており、直訳では包皮の丘という意味なのです。この割礼を施した包皮の皮をここに集めて埋めた場所という意味なのです。
次はヨシュアが過ぎ越し祭を祝ったことが書かれています。10節から12節です。
ヨシュ 5:10 イスラエルの人々はギルガルに宿営していたが、その月の十四日の夕刻、エリコの平野で過越祭を祝った。
ヨシュ 5:11 過越祭の翌日、その日のうちに彼らは土地の産物を、酵母を入れないパンや炒り麦にして食べた。
ヨシュ 5:12 彼らが土地の産物を食べ始めたその日以来、マナは絶え、イスラエルの人々に、もはやマナはなくなった。彼らは、その年にカナンの土地で取れた収穫物を食べた。
イスラエルの人々が宿営していたギルガルはエリコからもう数キロメートルしか離れていないところで、きっとエリコの城壁からはこのイスラエルの人々のいるところが見えたと思います。そして、いつ攻められるかと恐れていたと思います。そして、過ぎ越しの祭りを行ったエリコの平野というのもエリコの町からすぐそばにあったと思われます。そこでヨルダン川を渡ってから最初の過ぎ越しの祭りを行ったのです。その時は酵母を入れないパンや煎り麦を食べたというのですから、急いで、エジプトを脱出しようとしていた時の食事を、今、目の前の敵と戦うときに同じような食事をしたということになります。この時、その土地のカナンの産物も食べたので、その日以来、マナは絶えたということです。その土地の産物を食べられるようになったことにより、マナの役割は終わったのです。イスラエルの民が、その土地の産物を食べたということは、イスラエルの民はエリコの周辺の畑などを占領して、その収穫物を食べたということです。周りは全部イスラエル人に戦わずして奪われ、残るはエリコの城壁の中だけだったのだと思います。
転
三つ目の出来事は、主の軍の将軍がヨシュアに現れたことです。13節から15節です。
ヨシュ
5:13 ヨシュアがエリコのそばにいたときのことである。彼が目を上げて、見ると、前方に抜き身の剣を手にした一人の男がこちらに向かって立っていた。ヨシュアが歩み寄って、「あなたは味方か、それとも敵か」と問いかけると、
ヨシュ
5:14 彼は答えた。「いや。わたしは主の軍の将軍である。今、着いたところだ。」ヨシュアは地にひれ伏して拝し、彼に、「わが主は、この僕に何をお言いつけになるのですか」と言うと、
ヨシュ
5:15 主の軍の将軍はヨシュアに言った。「あなたの足から履物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」ヨシュアはそのとおりにした。
その将軍は、抜身の剣を手にして、ヨシュアに向かって立っていました。ヨシュアはその人が誰であるかわからず、歩み寄り、あなたは味方か、それとも敵かと問いかけました。するとその人は私は主の軍の将軍であるといい、今着いたところだといいます。これからヨシュアたちがエリコを攻めるのに、援軍として、神様の軍の将軍が来てくれたのです。ヨシュアは地にひれ伏しました。そして畏れながら、きっと神様が自分に何か命じるためにやってきたのだと思い、「わが主は、この僕に何をお言いつけになるのですか」と言うと、「あなたの足から履物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」といったのです。これはシナイ山で神様がモーセに語られた言葉と同じです。ヨシュアはこの将軍が現れるまで、その場所が聖なる場所であるとは思わなかったはずです。聖なる場所は、どこか特別なところにあるわけではなく、私たちがいつもいるところでも、そこに神様が現れると、そこは聖なるところになるのです。そこでは足から履物を脱ぎ、身を清め心を整えて神様に向かう所なのです。この聖なるところは私たちの机の前かもしれません。私たちが神様と対面するところ、そこが聖なるところです。
結
神様は、イスラエルの民がエリコに攻め入る前に三つの出来事を示しました。イスラエルの民が割礼をすること、過ぎ越しの祭りをすること、主の軍の将軍に出会うこと。このことが意味するのは、みな神様の前に割礼をして選ばれたものとなり、過ぎ越しの食事をして、出発の準備をし、主の将軍に出会って、神様の軍勢が自分たちについてくださることを知って励まされたのです。ヨシュアは、エリコを攻める前に、これだけの準備が与えられたのです。私たちも何事をなすにしても、神様の準備が必要なのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、私たちが何か大きなことを成し遂げようとするとき、神様は様々な準備をさせてくださいます。そのことに従って、前に進んでいくことにより、神様の業を行うものとなります。どうかあなたの導きの手を見失うことなく、あなたに従わせてください。そして自分の力では不可能なことにも恐れずに立ち向かっていくことができますように。あなたの御業があらわされますように。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によって、お祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(旧約聖書:◇ヨシュア記)>>
◆契約のしるし
ヨシュ 5:1 ヨルダン川の西側にいるアモリ人の王たちと、沿岸地方にいるカナン人の王たちは皆、主がイスラエルの人々のためにヨルダン川の水を涸らして、彼らを渡らせたと聞いて、心が挫け、もはやイスラエルの人々に立ち向かおうとする者はいなかった。
ヨシュ 5:2 そのとき、主はヨシュアに、火打ち石の刃物を作り、もう一度イスラエルの人々に割礼を施せ、とお命じになった。
ヨシュ 5:3 ヨシュアは、自ら火打ち石の刃物を作り、ギブアト・アラロトでイスラエルの人々に割礼を施した。
ヨシュ 5:4 ヨシュアが割礼を施した理由はこうである。すなわちエジプトを出て来たすべての民、戦士である成人男子は皆、エジプトを出た後、途中の荒れ野で死んだ。
ヨシュ 5:5 出て来た民は皆、割礼を受けていたが、エジプトを出た後、途中の荒れ野で生まれた者は一人も割礼を受けていなかったからである。
ヨシュ 5:6 イスラエルの人々は荒れ野を四十年さまよい歩き、その間にエジプトを出て来た民、戦士たちはすべて死に絶えた。彼らが主の御声に聞き従わなかったため、我々に与えると先祖たちにお誓いになった土地、すなわち乳と蜜の流れる土地を、彼らには見せない、と主は誓われたのである。
ヨシュ 5:7 ヨシュアが割礼を施したのは、神がその代わりにお立てになった彼らの息子たちであって、途中で割礼を受ける折がなく、無割礼だったからである。
ヨシュ 5:8 民は全員割礼を受けた後、その傷がいえるまで、宿営内の自分の場所にとどまった。
ヨシュ 5:9 主はヨシュアに言われた。「今日、わたしはあなたたちから、エジプトでの恥辱を取り除いた(ガラ)。」そのために、その場所の名はギルガルと呼ばれ、今日に至っている。
ヨシュ 5:10 イスラエルの人々はギルガルに宿営していたが、その月の十四日の夕刻、エリコの平野で過越祭を祝った。
ヨシュ 5:11 過越祭の翌日、その日のうちに彼らは土地の産物を、酵母を入れないパンや炒り麦にして食べた。
ヨシュ 5:12 彼らが土地の産物を食べ始めたその日以来、マナは絶え、イスラエルの人々に、もはやマナはなくなった。彼らは、その年にカナンの土地で取れた収穫物を食べた。
ヨシュ 5:14 彼は答えた。「いや。わたしは主の軍の将軍である。今、着いたところだ。」ヨシュアは地にひれ伏して拝し、彼に、「わが主は、この僕に何をお言いつけになるのですか」と言うと、
ヨシュ 5:15 主の軍の将軍はヨシュアに言った。「あなたの足から履物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」ヨシュアはそのとおりにした。