家庭礼拝 2022年2月16日 出エジプト記 33:1-23 民の嘆き

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起 

今日の33章には4つの小見出しがあります。◆民の嘆き◆臨在の幕屋◆民と共に行かれる主◆主の栄光、の4つの小見出しですが、これはモーセがシナイ山にのぼり、十戒を与えられ、その文字が書かれた、二枚の石の板をもって降りて来た時、イスラエルの民が金の雄牛を祭って踊っているのを見て、激しく怒ってからの話です。今日の話の一連に関係するのは怒られた神が、イスラエルと共に歩んでくれるかどうかということなのです。そのことの起承転結が今日の33章の中で語られているのです。神から見放されそうになったイスラエルの民の嘆きから始まって、最後はモーセが願った主の栄光がどのような形で示されるかというところの物語の展開が語られているのです。

もう少し前回のことを思い起こしてみます。モーセが十戒の石の板をもって、シナイ山から降りてきた時、イスラエルの民が偶像で異教の神である、金の雄牛を拝んで祭りをしていたのに激怒した、モーセはまず、アロンを叱り、そして、誰でも主につくものは私のもとに集まれと言い、主に従わないものを、自分の兄弟とも、隣人であっても殺せと言って、その日だけで3000人ほどを殺したのです。ですがモーセはそのあと神様の元に戻って、どうか彼らの罪を許してくださいと願い、それがかなわなければ、どうかこの私をあなたが書き記された所の中から消し去ってくださいとさえ言って、イスラエルの民のとりなしをしたのです。その結果、裁きの日まで、その罰を免れることが出来ました。そのあとの話が今日の13章の話になるのです。

まず最初の小見出しの、民の嘆きがどのようなものであったのか、どうして嘆いているのかを見てみましょう。1節から3節です。

出 33:1 主はモーセに仰せになった。「さあ、あなたも、あなたがエジプトの国から導き上った民も、ここをたって、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って、『あなたの子孫にそれを与える』と言った土地に上りなさい。

出 33:2 わたしは、使いをあなたに先立って遣わし、カナン人、アモリ人、ヘト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い出す。

出 33:3 あなたは乳と蜜の流れる土地に上りなさい。しかし、わたしはあなたの間にあって上ることはしない。途中であなたを滅ぼしてしまうことがないためである。あなたはかたくなな民である。」

 神様は、最初、イスラエルの民を許したかのようにモーセにこう言ったのです。「さあ、あなたも、あなたがエジプトの国から導き上った民も、ここをたって、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って、『あなたの子孫にそれを与える』と言った土地に上りなさい。わたしは、使いをあなたに先立って遣わし、カナン人、アモリ人、ヘト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い出す。あなたは乳と蜜の流れる土地に上りなさい。」このように言ったのです。それは約束の地に行くことそしてその導き手には、神のみ使いを先立って遣わして、カナン人たちをそこから追い出して、あなたたちを乳と蜜の流れる土地にあなたたちを導き出そうといったのです。これは祖先に約束された、神様の約束が成就されるのですからイスラエルにとってはとても喜ばしい話のはずです。それが、どうして、嘆きの話に代わってしまったのでしょうか。それはそのあと、神様がこう言ったからです。「しかし、わたしはあなたの間にあって上ることはしない。途中であなたを滅ぼしてしまうことがないためである。あなたはかたくなな民である。」即ち、神様はみ使いを遣わすが、神様自身はあなたたちと共にはいないというのです。なぜならば、かたくなですぐ罪を犯してしまうイスラエルの民を、また怒って、途中でイスラエルの民を滅ぼしてしまわないようにするためだというのです。それは、あなたたちを許すが、もう二度と私の目の前に現れるな、二度と私を怒らすなと言っているようなものです。

この話を聞いてイスラエルの民はどうしたでしょうか。4節から6節です。

出 33:4 民はこの悪い知らせを聞いて嘆き悲しみ、一人も飾りを身に着けなかった。

出 33:5 主がモーセに、「イスラエルの人々に告げなさい。『あなたたちはかたくなな民である。わたしがひとときでも、あなたの間にあって上るならば、あなたを滅ぼしてしまうかもしれない。直ちに、身に着けている飾りを取り去りなさい。そうすれば、わたしはあなたをどのようにするか考えよう』」と言われたので、

出 33:6 イスラエルの人々は、ホレブ山をたって後、飾りをはずした。

 イスラエルの民は神様がイスラエルと共に居て下さらないという悪い知らせを聞いて、嘆き悲しみました。それで、金の雄牛を作る材料となったそのような飾りをだれも身に着けなかったのです。そうするとそれを見た神様はモーセにまたこういったのです。「イスラエルの人々に告げなさい。『あなたたちはかたくなな民である。わたしがひとときでも、あなたの間にあって上るならば、あなたを滅ぼしてしまうかもしれない。直ちに、身に着けている飾りを取り去りなさい。そうすれば、わたしはあなたをどのようにするか考えよう』」と言われたのです。神様は、その身に着けている飾りを取り去って、もう二度と金の雄牛を作るようなことをしないと決心するならば、どのようにするかまた考えようと譲歩してくださったのです。それでイスラエルの人々はホレブ山すなわちシナイ山を発ってからは、そのような飾りは身に着けなくなったのです。そうすれば神様が共に歩んでくださるかもしれないと期待したのです。とにかくこのようにしてまた、カナンへの道を歩み始めたのです。

 ですがまだ、神様はイスラエルと共に歩んでくれると約束したわけではありません。それで、モーセはシナイ山で、神様が命じられたように、宿営の外に天幕を張って、臨在の幕屋を作ったのです。そこには神様が降りてこられるので、神様にお伺いを立てることが出来るようにするためなのです。7節から11節です。

出 33:7 モーセは一つの天幕を取って、宿営の外の、宿営から遠く離れた所に張り、それを臨在の幕屋と名付けた。主に伺いを立てる者はだれでも、宿営の外にある臨在の幕屋に行くのであった。

出 33:8 モーセが幕屋に出て行くときには、民は全員起立し、自分の天幕の入り口に立って、モーセが幕屋に入ってしまうまで見送った。

出 33:9 モーセが幕屋に入ると、雲の柱が降りて来て幕屋の入り口に立ち、主はモーセと語られた。

出 33:10 雲の柱が幕屋の入り口に立つのを見ると、民は全員起立し、おのおの自分の天幕の入り口で礼拝した。

出 33:11 主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。モーセは宿営に戻ったが、彼の従者である若者、ヌンの子ヨシュアは幕屋から離れなかった。

 幕屋の建設と運営に関しては25章から31章にかけてとても詳しく書かれていました。モーセはそのような幕屋を神様が指示されたように作って、そこに神様が降りて来られる様にしたのです。そしてその幕屋にモーセが行くときにはイスラエルの民は全員起立して、自分の天幕の入り口に立って、モーセが幕屋に入ってしまうまで見送った、というのですから、その厳粛な気分が伝わってきます。そしてモーセが幕屋に入ると、雲の柱が降りてきて、幕屋の入口に立ち、神様がモーセと語られたのです。雲の柱や、火の柱が立つというのはそこに神様がおられるという印なのです。その雲の柱が立つと、イスラエルの人々は、全員起立し、各々自分の天幕の入口で礼拝したのです。どんなに神様を敬っていたのかがわかります。神様は幕屋に現れると、その友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られたというのです。ほかの人は神様を見ると死ぬと言われていたので恐れていたすが、モーセは友達のように顔と顔を合わせて話をすることが出来たのです。このようにしてモーセが神様と、話をして、また宿営に戻ったのですが、ヌンの子ヨシュアは幕屋から離れなかったのです。この、ヌンの子ヨシュアというのはただ一人、モーセについて、シナイ山に登ることが出来た人で、モーセからとても信頼された人でした。そのヨシュアが幕屋から離れることなく、幕屋を守っていたのです。そしてこの人こそ、モーセの後継者として、モーセが死んだ後イスラエルの民をカナンに導き入れたと、ヨシュア記に書かれている人物その人なのです。モーセの後継者はアロンではなく、ヨシュアだったのです。

この幕屋の中で、モーセは神様とどんな話をしていたのでしょうか。それはこのような話だったのです。12節と13節です。

出 33:12 モーセは主に言った。「あなたはわたしに、『この民を率いて上れ』と言われました。しかし、わたしと共に遣わされる者をお示しになりません。あなたは、また、『わたしはあなたを名指しで選んだ。わたしはあなたに好意を示す』と言われました。

出 33:13 お願いです。もしあなたがわたしに御好意を示してくださるのでしたら、どうか今、あなたの道をお示しください。そうすれば、わたしはどのようにして、あなたがわたしに御好意を示してくださるか知りうるでしょう。どうか、この国民があなたの民であることも目にお留めください。」

 モーセは神様に、今まで約束されて来たことを挙げて、神様にその約束を果たすように求めていたのです。モーセもなかなか強いのです。それはまず、「あなたはわたしに、『この民を率いて上れ』と言われました。しかし、わたしと共に遣わされる者をお示しになりません。」ということでした。まだ、先に立って導いて下さるみ使いを示されてはいなかったのかもしれません。もう一つ、「あなたは、また、『わたしはあなたを名指しで選んだ。わたしはあなたに好意を示す』と言われました。 お願いです。もしあなたがわたしに御好意を示してくださるのでしたら、どうか今、あなたの道をお示しください。そうすれば、わたしはどのようにして、あなたがわたしに御好意を示してくださるか知りうるでしょう。どうか、この国民があなたの民であることも目にお留めください。」と言ったのです。神様がモーセに好意を示すといったのに、なにもしめしてくださらなければ、どうして私に好意を示すといったのかがわかりません、と神様を責め立てているのです。モーセは神様に約束したことは果たしてくださいと強く迫っているのです。そしてさらに、「どうか、この国民があなたの民であることも目にお留めください。」と言ったのです。ご自分の民であるのに、見捨てるのですかと責めているのです。このようにモーセは、神様が語った言葉を盾にして、神様に自分の願いを聞いてくれるように、攻め立てているのです。私たちも神様の言葉を盾に、神様に願い求めることが出来るのかもしれません。だから神様の約束の言葉をしっかりと覚えていることが必要なのです。

モーセは、神様に神様の栄光をお示しくださいということを強く願いました。神様の栄光とは何でしょうか。それは神様が今ここに実在するということの印です。モーセはそのことを知っていますが、イスラエルの人々はそのことがよくわからないのです。だから偶像を礼拝したりして、目に見えるものに頼ろうとするのです。だから、モーセはイスラエルの人々に神様が今ここにおられるということがわかるように、栄光をお示しくださいと願うのです。18節から23節です。

出 33:18 モーセが、「どうか、あなたの栄光をお示しください」と言うと、

出 33:19 主は言われた。「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」

出 33:20 また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」

出 33:21 更に、主は言われた。「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。あなたはその岩のそばに立ちなさい。

出 33:22 わが栄光が通り過ぎるとき、わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、わたしの手であなたを覆う。

出 33:23 わたしが手を離すとき、あなたはわたしの後ろを見るが、わたしの顔は見えない。」

 モーセがこのように、神様に「どうか、あなたの栄光をお示しください」と言うと神様の答えは期待しているものとちょっと違うものでした。それは、「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」と言ったのです。モーセは神様の栄光を示してくださいといったのに答えは、あなたの前にはすべてよいものが与えられている。それは主から与えられたものだ。という意味のことを言ったのです。すなわち神の栄光は、主からあなたに与えられているすべての良いものだということです。何か特別なものではないのです。私たちも、神様から与えられているすべての良いものを、神様の栄光としてとらえることが大切なのかもしれません。そして神様は、「わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」と言いました。神様が恵みを与えられるのはその人が何か良いことをしたからとか、資格があるからとか、特別な何かがあるからではなく、ただ神様の恵みでしかないということなのです。だから神様の恵みを努力して勝ち取ることはできないのです。ただ感謝して受け取るだけなのです。

21節から23節までは不思議な言葉が語られています。神様の栄光が通り過ぎること、岩の裂け目に入れられること、神様の後ろを見ることしかできないことなどです。このことからわかることは、神様の栄光は、すぐ近くを通っていくのですが、それは通り過ぎた後にしかわからないということです。神様の栄光が近づいてくるときや、今栄光に輝いているときを見ることは絶対にできないということです。それは岩の裂け目に入れられて神様の手で覆われて、身動きできないような状態でしかなく、そして通り過ぎたときにだけ神様の後ろを、その栄光の姿を見ることが出来るのです。神様の栄光を、与えられた恵みの数々を数えながら、その栄光の姿を覚えていくことになるのです。すなわち、私達には神の栄光が与えられていない、私達には神の栄光に満たされていないと思うとき、実はその只中にあってもそのことに気が付かず、そのことが終わって振り返った時に神の栄光に包まれていることに気が付かされるのです。

モーセの必死のとりなしにより、またイスラエルの民の悔い改めにより、神様の心は少しずつ、和らいできました。ですがまだ、神様はイスラエルの民の中に居て下さるとは言いませんでした。モーセはどうか神様の栄光を示してください、そうすればイスラエルの民はあなたを裏切るようなことは無くなりますと訴えたのですが、神様は私の栄光がそば近くを通ってもあなた方は見ることはできない、通り過ぎた後の栄光を見るだけであるといったのです。それでも、それは神様はイスラエルのそば近くに居て下さることを思わされる言葉だったのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、モーセはイスラエルの民のためにとりなし、神様が共に行って導いて下さるのでなければ、自分たちはここから動きませんとさえ言いました。神様と共に歩もうとする人はこれほどの決心が必要なのです。私たちはそれほどの決意で、神様と共に歩むことを求めているでしょうか。どうか心を新たにし、自分を変えていただき、あなたと共に歩むものとさせてください。

この祈りを、主イエス・キリストの御名によって、お祈りいたします。アーメン

 

 

<<聖書の箇所(旧約聖書:◇出エジプト記)>>  

 

◆民の嘆き

出 33:1 主はモーセに仰せになった。「さあ、あなたも、あなたがエジプトの国から導き上った民も、ここをたって、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って、『あなたの子孫にそれを与える』と言った土地に上りなさい。

出 33:2 わたしは、使いをあなたに先立って遣わし、カナン人、アモリ人、ヘト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い出す。

出 33:3 あなたは乳と蜜の流れる土地に上りなさい。しかし、わたしはあなたの間にあって上ることはしない。途中であなたを滅ぼしてしまうことがないためである。あなたはかたくなな民である。」

出 33:4 民はこの悪い知らせを聞いて嘆き悲しみ、一人も飾りを身に着けなかった。

出 33:5 主がモーセに、「イスラエルの人々に告げなさい。『あなたたちはかたくなな民である。わたしがひとときでも、あなたの間にあって上るならば、あなたを滅ぼしてしまうかもしれない。直ちに、身に着けている飾りを取り去りなさい。そうすれば、わたしはあなたをどのようにするか考えよう』」と言われたので、

出 33:6 イスラエルの人々は、ホレブ山をたって後、飾りをはずした。

◆臨在の幕屋

出 33:7 モーセは一つの天幕を取って、宿営の外の、宿営から遠く離れた所に張り、それを臨在の幕屋と名付けた。主に伺いを立てる者はだれでも、宿営の外にある臨在の幕屋に行くのであった。

出 33:8 モーセが幕屋に出て行くときには、民は全員起立し、自分の天幕の入り口に立って、モーセが幕屋に入ってしまうまで見送った。

出 33:9 モーセが幕屋に入ると、雲の柱が降りて来て幕屋の入り口に立ち、主はモーセと語られた。

出 33:10 雲の柱が幕屋の入り口に立つのを見ると、民は全員起立し、おのおの自分の天幕の入り口で礼拝した。

出 33:11 主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。モーセは宿営に戻ったが、彼の従者である若者、ヌンの子ヨシュアは幕屋から離れなかった。

◆民と共に行かれる主

出 33:12 モーセは主に言った。「あなたはわたしに、『この民を率いて上れ』と言われました。しかし、わたしと共に遣わされる者をお示しになりません。あなたは、また、『わたしはあなたを名指しで選んだ。わたしはあなたに好意を示す』と言われました。

出 33:13 お願いです。もしあなたがわたしに御好意を示してくださるのでしたら、どうか今、あなたの道をお示しください。そうすれば、わたしはどのようにして、あなたがわたしに御好意を示してくださるか知りうるでしょう。どうか、この国民があなたの民であることも目にお留めください。」

出 33:14 主が、「わたしが自ら同行し、あなたに安息を与えよう」と言われると、

出 33:15 モーセは主に言った。「もし、あなた御自身が行ってくださらないのなら、わたしたちをここから上らせないでください。

出 33:16 一体何によって、わたしとあなたの民に御好意を示してくださることが分かるでしょうか。あなたがわたしたちと共に行ってくださることによってではありませんか。そうすれば、わたしとあなたの民は、地上のすべての民と異なる特別なものとなるでしょう。」

出 33:17 主はモーセに言われた。「わたしは、あなたのこの願いもかなえよう。わたしはあなたに好意を示し、あなたを名指しで選んだからである。」

◆主の栄光

出 33:18 モーセが、「どうか、あなたの栄光をお示しください」と言うと、

出 33:19 主は言われた。「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」

出 33:20 また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」

出 33:21 更に、主は言われた。「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。あなたはその岩のそばに立ちなさい。

出 33:22 わが栄光が通り過ぎるとき、わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、わたしの手であなたを覆う。

出 33:23 わたしが手を離すとき、あなたはわたしの後ろを見るが、わたしの顔は見えない。」