家庭礼拝 2022年1月19日 出エジプト記 32:1-16 金の子牛①

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起 

イスラエルの民がエジプトから脱出して、19章の所でシナイ山に着きました。そして今日の聖書の個所は、モーセがシナイ山に登って、神様から十戒を授かり、そのあと、もろもろの律法を授かり、幕屋に関する掟を受けた後、やっとシナイ山から降りてきたところなのです。そして降りてきた時には32章まで進んでいたのですから、神様から授かった掟の話がいかに長かったのかがよくわかります。ここからまた、イスラエル民族の出エジプトの物語が続き、約束の地カナンまでの旅路が続きます。

これまでの旅路の中でも、いろいろな試練に出会いました。迫害による試練、水不足の試練、食糧不足の試練などがありました。今日の話の中では偶像礼拝の試練が起こってきます。それは今まで、モーセの信仰によって示されてきたイスラエルの神様が、モーセがいなくなることによって神様を見失って不安になってしまったのです。モーセはこのシナイ山に40日40夜こもっていました。人々はモーセはもう帰ってこないのではないのか、自分たちはここに見捨てられたのではないのかと思い始めたのです。それで、モーセの神様に代わる、自分たちの神様を、エジプトの神様をまねて作り始めたのです。人間は本当の神様を見失うと、何でもいいからそれに代わるものを欲しいと思うようになるのです。そして神様が忌み嫌われる偶像の金の子牛を作ってそれを崇め、いけにえを捧げて礼拝しようとしていたのです。私達もまた、本当の神様を見失うとそれに代わるものを見出して、安心したがるのです。それはこのイスラエルの民と同じように、偶像や迷信を信じるようになるか、お金のようなものを信じるか、地位や権力を信じるか、知識や能力を信じるか、何かに頼っていないと不安でしょうがなくなるのです。ですから私たちもイスラエルの民と同じなのです。

考えてみればわずか40日です。何年もいなかったわけではありません。どうしてその間待つことが出来なかったのでしょうか。イスラエルの民にとって、この時はモーセがいないことは神様がいないことと同じだったのです。いつも虐げられ、試練にあってきた人々は自分たちを守ってくださる神様がいないということが、どれほど恐ろしいことであり、不安な事であるかを身にしみて感じてきたのです。新約聖書には、「神のみ旨を行って約束のものを受けるため、あなた方に必要なのは、忍耐である。」と語られています。この時のイスラエルの民には、約束のものを待つ、忍耐が足りなかったのです。私たちに必要なのは、苦難に耐える忍耐ではなくて、苦難の中にあって、神の約束を待つ忍耐が必要なのです。「艱難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す」という聖書の言葉のように、忍耐から希望を生み出して、喜んで、待つことが求められているのです。今日の聖書の個所はそれを教えているのかもしれません。

それでは聖書に入ります。モーセが山にこもっている間に、待っているイスラエルの民には大変なことが起こっていました。1節から6節です。

出 32:1 モーセが山からなかなか下りて来ないのを見て、民がアロンのもとに集まって来て、「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです」と言うと、

出 32:2 アロンは彼らに言った。「あなたたちの妻、息子、娘らが着けている金の耳輪をはずし、わたしのところに持って来なさい。」

出 32:3 民は全員、着けていた金の耳輪をはずし、アロンのところに持って来た。

出 32:4 彼はそれを受け取ると、のみで型を作り、若い雄牛の鋳像を造った。すると彼らは、「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ」と言った。

出 32:5 アロンはこれを見て、その前に祭壇を築き、「明日、主の祭りを行う」と宣言した。

出 32:6 彼らは次の朝早く起き、焼き尽くす献げ物をささげ、和解の献げ物を供えた。民は座って飲み食いし、立っては戯れた。

 イスラエルの人々は、モーセが山からなかなか帰ってこないので、もしかして死んでしまったのではないだろうか。どこかへ行ってしまったのではないだろうかと心配したのです。そしていくら心配しても、切りがないので、もうモーセのことは忘れよう、と思ってこう言ったのです。1節の言葉です。

出 32:1 モーセが山からなかなか下りて来ないのを見て、民がアロンのもとに集まって来て、「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです」

イスラエルの人々は、このシナイ山に着いてから、モーセが山に登って帰ってこないので、もう1か月以上もこの場所に足止めを食ってしまったのです。今まではモーセが、火の柱、雲の柱に導かれて、イスラエルの人々の進むべき道を示してきました。ですがそれがなくなったので、それに代わる神々を作って、これから進むべき道を示してくれるように願ったのです。そしてそのことをモーセの兄アロンに願ったのです。モーセは預言者ですが、アロンは祭司の役割です。これからはその祭司が、新しい神様によって、託宣を受けて進んでくださいと願ったのです。もうモーセは帰ってこないと思ったからです。アロンもまた、これほど待っても来ないなら、もうだめかもしれないと思っていたのです。探しに行こうにも、シナイ山は神様の山なので、モーセ以外には入ることが出来ず、入ったら死ぬと言われていたのです。

アロンもまた、モーセの片腕として働いてきましたが、この大勢のイスラエルの民を率いていくには力不足だったのです。つい民衆の強い要望に流されてこういったのです。2節から6節です。

出 32:2 アロンは彼らに言った。「あなたたちの妻、息子、娘らが着けている金の耳輪をはずし、わたしのところに持って来なさい。」

出 32:3 民は全員、着けていた金の耳輪をはずし、アロンのところに持って来た。

出 32:4 彼はそれを受け取ると、のみで型を作り、若い雄牛の鋳像を造った。すると彼らは、「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ」と言った。

出 32:5 アロンはこれを見て、その前に祭壇を築き、「明日、主の祭りを行う」と宣言した。

出 32:6 彼らは次の朝早く起き、焼き尽くす献げ物をささげ、和解の献げ物を供えた。民は座って飲み食いし、立っては戯れた。

アロンは、民衆の言うイスラエルの人々を導く神々を作ることにしたのです。それで、人々が付けている、金の耳輪を持ってくるように言うと、人々は全員そのようにして、金の耳輪を外してアロンの所に持ってきました。そしてそれを鋳型に流して、若い雄牛の像を作ったのです。これもきっとアロンの考えではなく、民衆が牛の像を作ってそれを神としようとアロンに迫ったものと思われます。そしてその金の牛の像が出来上がると、彼らは、「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ」と言ったのです。イスラエルよと呼びかけたのは、イスラエル民族全体に呼び掛けたことでもあり、それを代表する祭司のアロンに語った言葉でもあるのです。ここでは民衆が祭司より上になり、祭司に命じているのです。この牛こそエジプトの国から導き上った神々であるといったのです。だから、この像の前で礼拝し、いけにえを捧げて祭りを行おうと言っているのです。結局アロンはただ、人々の言うままにそのように行うしかなかったのです。モーセと共にエジプトの王ファラオと戦っていた時のアロンは勇ましかったのですが、モーセがいなくなったアロンは、ただ民衆に流される、弱弱しい指導者になってしまったのです。

アロンは民衆の声に流されて、その雄牛の前に祭壇を築き、「明日、主の祭りを行う」と宣言したのでした。そして、彼らは次の朝早く起き、焼き尽くす献げ物をささげ、和解の献げ物を供えました。人々は座って飲み食いし、立っては戯れたのです。モーセがシナイ山で、神様から十戒を与えられ、「あなたには、私をおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像を作ってはならない。」と命じられている最中であるのに、山のふもとでは、まさしくこれに反することをしていたのです。

さて、山のふもとでこのような事を行っているのを、神様は見ておられたのです。そしてモーセにこう言いました。7節から10節です。

出 32:7 主はモーセに仰せになった。「直ちに下山せよ。あなたがエジプトの国から導き上った民は堕落し、

出 32:8 早くもわたしが命じた道からそれて、若い雄牛の鋳像を造り、それにひれ伏し、いけにえをささげて、『イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ』と叫んでいる。」

出 32:9 主は更に、モーセに言われた。「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。

出 32:10 今は、わたしを引き止めるな。わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする。」

 神様は、イスラエルの民が、金の雄牛の像を作り、その前に祭壇をおいていけにえを捧げて、祭りを行い、騒いでいるのを見て怒りました。そして、モーセに、「直ちに下山せよ。あなたがエジプトの国から導き上った民は堕落し、早くもわたしが命じた道からそれて、若い雄牛の鋳像を造り、それにひれ伏し、いけにえをささげて、『イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ』と叫んでいる。」と言ったのです。このことは、イスラエルの民は、モーセと本当の神様を捨てたということなのです。そして代わりに人の作った偶像の神をまつっていることに神様は憤りを感じたのです。これほど神様が怒りを表したことはありませんでした。むしろまだ、モーセの方が冷静でした。

 神様はさらにモーセにこう言ったのです。「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。今は、わたしを引き止めるな。わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする。」

 神様は、私を止めるな、私の怒りは彼らに対して燃え上がっていると言いました。それはモーセを捨ててしまった、金の雄牛を祭る人々に対して怒りを発し、これを滅ぼしつくして、モーセに従うものだけを大いなる民とするといったのです。このように、イスラエルの民を滅ぼしつくすとさえ言われたのです。

このように、感情的に怒りを爆発させている神様に対して、むしろモーセは神様をなだめてこう言ったのです。11節から14節です。

出 32:11 モーセは主なる神をなだめて言った。「主よ、どうして御自分の民に向かって怒りを燃やされるのですか。あなたが大いなる御力と強い御手をもってエジプトの国から導き出された民ではありませんか。

出 32:12 どうしてエジプト人に、『あの神は、悪意をもって彼らを山で殺し、地上から滅ぼし尽くすために導き出した』と言わせてよいでしょうか。どうか、燃える怒りをやめ、御自分の民にくだす災いを思い直してください。

出 32:13 どうか、あなたの僕であるアブラハム、イサク、イスラエルを思い起こしてください。あなたは彼らに自ら誓って、『わたしはあなたたちの子孫を天の星のように増やし、わたしが与えると約束したこの土地をことごとくあなたたちの子孫に授け、永久にそれを継がせる』と言われたではありませんか。」

出 32:14 主は御自身の民にくだす、と告げられた災いを思い直された。

 モーセは、怒りに燃えた神様が、イスラエルの民を滅ぼしつくすとさえ言ったのに対して、必死になって神様の怒りをなだめようとします。モーセはまず、ご自分の民であり、エジプトの国から導き出された民なのに、どうしてそんなに怒られるのですかと言いました。あなたはイスラエルの民を愛し、導かれたのではないですかと言っているのです。次には、神様がイスラエルを滅ぼしたら、ほかの国々特にエジプト人たちは、『あの神は、悪意をもって彼らを山で殺し、地上から滅ぼし尽くすために導き出した』と言って、そんな神様なんか信じないで、自分たちの神様を信じた方がいいというだろうということなのです。要するに、イスラエルを導き出した神様は、その民を滅ぼすために導きだした邪悪な神様だと言われてしまうと言うのです。そのように言われないように、どうか自分の民に災いを下すことを思い直してくださいと説得しました。そして最後には、アブラハム、イサク、イスラエルに約束した、『わたしはあなたたちの子孫を天の星のように増やし、わたしが与えると約束したこの土地をことごとくあなたたちの子孫に授け、永久にそれを継がせる』と言った言葉を引き合いに出して、神様はその約束を破るのですかと言ったのです。このように、モーセは3つの視点から、神様を説得して、その怒りを収めさせ、神様は、下そうとしていた災いを思い直されたのです。

このように神様を説得しなだめて、思い直されたのを見て、モーセは急いで山を下りたのです。15節と16節です。

出 32:15 モーセが身を翻して山を下るとき、二枚の掟の板が彼の手にあり、板には文字が書かれていた。その両面に、表にも裏にも文字が書かれていた。

出 32:16 その板は神御自身が作られ、筆跡も神御自身のものであり、板に彫り刻まれていた。

モーセが山を下るときには、神様から与えられた、十戒の書かれた、2枚の掟の板がありました。その板は、モーセが作ったのではなく、神様自身が作られて、その筆跡も神様自身のものであると書かれています。十戒の戒めを大切に抱いて、山を下ったのです。さてどうなるでしょうか。その結果は次回になります。

イスラエルの民は、モーセが山から下りてこなかったので、死んだのかと思い、とても不安になりました。モーセがいないということは彼の神様が自分たちを導いてくれないのではないかと思ったのです。それでそれに代わるものを手に入れようとして、金で作った雄牛の像を、これこそ自分たちをエジプトから導き出した神であると言って、祭壇を築き、いけにえを捧げて祭りをしました。それで安心できると思ったのです。ですがそれは神様の怒りを買うことでした。神様はイスラエルの人々を滅ぼそうとしましたが、モーセのとりなしによって、やっと守られることが出来ました。私たちも、罪あるものとして、神様の憤りを買うものですが、イエス様のとりなしによって、やっとその命が守られているのです。私達もまた、本当の神様を見失い、神様に代わるものを神としてあがめているのです。それを神様が罪あるものとしているのです。そのような私たちをイエス・キリストは、十字架の購いによってとりなしてくださって、私たちを生きるものとさせて下さっているのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。私たちはイスラエルの民と同じように、罪あるものとしてあなたの怒りを受けていますが、モーセが神様にとりなしたように、イエス様の十字架の購いによって、とりなしを受け、生きることを許されました。このことを心から覚えて、悟らせてください。あなたはイエス様を世にお遣わしになって、私たちを購ってくださったのです。ここにあなたの愛のあることを覚えます。私達もまた、その愛にこたえて歩むものでありますように導いて下さい。

この祈りを、主イエス・キリストの御名によって、お祈りいたします。アーメン

 

 

<<聖書の箇所(旧約聖書:◇出エジプト記)>>  

 

◆金の子牛

出 32:1 モーセが山からなかなか下りて来ないのを見て、民がアロンのもとに集まって来て、「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです」と言うと、

出 32:2 アロンは彼らに言った。「あなたたちの妻、息子、娘らが着けている金の耳輪をはずし、わたしのところに持って来なさい。」

出 32:3 民は全員、着けていた金の耳輪をはずし、アロンのところに持って来た。

出 32:4 彼はそれを受け取ると、のみで型を作り、若い雄牛の鋳像を造った。すると彼らは、「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ」と言った。

出 32:5 アロンはこれを見て、その前に祭壇を築き、「明日、主の祭りを行う」と宣言した。

出 32:6 彼らは次の朝早く起き、焼き尽くす献げ物をささげ、和解の献げ物を供えた。民は座って飲み食いし、立っては戯れた。

出 32:7 主はモーセに仰せになった。「直ちに下山せよ。あなたがエジプトの国から導き上った民は堕落し、

出 32:8 早くもわたしが命じた道からそれて、若い雄牛の鋳像を造り、それにひれ伏し、いけにえをささげて、『イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ』と叫んでいる。」

出 32:9 主は更に、モーセに言われた。「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。

出 32:10 今は、わたしを引き止めるな。わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする。」

出 32:11 モーセは主なる神をなだめて言った。「主よ、どうして御自分の民に向かって怒りを燃やされるのですか。あなたが大いなる御力と強い御手をもってエジプトの国から導き出された民ではありませんか。

出 32:12 どうしてエジプト人に、『あの神は、悪意をもって彼らを山で殺し、地上から滅ぼし尽くすために導き出した』と言わせてよいでしょうか。どうか、燃える怒りをやめ、御自分の民にくだす災いを思い直してください。

出 32:13 どうか、あなたの僕であるアブラハム、イサク、イスラエルを思い起こしてください。あなたは彼らに自ら誓って、『わたしはあなたたちの子孫を天の星のように増やし、わたしが与えると約束したこの土地をことごとくあなたたちの子孫に授け、永久にそれを継がせる』と言われたではありませんか。」

出 32:14 主は御自身の民にくだす、と告げられた災いを思い直された。

出 32:15 モーセが身を翻して山を下るとき、二枚の掟の板が彼の手にあり、板には文字が書かれていた。その両面に、表にも裏にも文字が書かれていた。

出 32:16 その板は神御自身が作られ、筆跡も神御自身のものであり、板に彫り刻まれていた