家庭礼拝 2021年11月3日 出エジプト記 23:1-13法廷において⑪-⑮
起
今日の聖書の個所には、裁判に関することや安息日に関することが書かれています。裁判に関しては、何よりも公正厳粛であることが言われています。これは権力のある者、財力のある者、大勢の人の味方するものなど、強いものに対して、裁判では弱いものの立場が実際よりもずっと悪くみられることがあるからです。ですから、公正な裁判をするためには、事実に基づいた、客観的な裁判をして、弱いものが不利な立場に陥らないようにすることが目的なのです。神様は弱いものに対しても強いものに対しても公平な神様であることを印象付ける掟です。
もう一つは安息日に関することです。これは神様が、天地創造を終えて、安息に入られたということからきていますが、この世的にはやはり弱いものを休ませ回復させることが狙いなのです。女や奴隷や家畜など、働きづめではかえってその力を落とし、長い目では大きな損失になるから、そのような者たちにも休みを与え回復させなさいということなのです。そのことが、一週間に一度の安息日だけでなく、7年に一度の安息年、さらには50年に一度のヨベルの年にも反映されているのです。7年に一度の安息年には、生き物だけでなく、土地をも休ませることが言われているのです。土地も収穫ばかりを続けていれば、だんだんとその土地は痩せてきて、収穫が少なくなってくるのです。ですから7年に一度は休耕年にし、土地の回復とともに、そこに自然に生えてくるブドウや作物を、貧しいものたちが得ることができるようにし、さらには野の動物たちもそれを食べることができるようにという自然界全体に対する優しい配慮なのです。ヨベルの年は50年に一度ですが、これは7年に一度の安息年が7回続いた49年目の次の年ですから、この休耕すなわち畑を休ませるのが、2年続くので実は大変なことなのです。よほどの信仰心がないとできません。ヨベルの年とは大恩赦の年で、すべてのものが回復する年なのです。この年には奴隷は解放され、借金もなくなり、売られてしまった土地も返されるのです。なぜこのような事なされるのでしょうか。これらはすべて、原状回復ということになるのです。人も奴隷も動物も土地もすべて神様のものだから、人間が勝手に使っていいのではなく、定期的に神様にお返しして、現状を回復し、また神様からお借りする、ということを信仰的に行っているのです。ヨベルの年のことは今回出てきませんが、このように定期的に、神様にお返しして、現状を回復させるというようなことをしているのは高度な倫理観を持ったユダヤ教以外にはありません。ここには作られたものはすべて神様のものであるという、深い信仰的な理解があるのです。ですから、安息日も、だんだんと形骸化して、悪名高い、自由を縛る不必要な掟ということになってきますが、もともとは、心と体の疲れをいやし、神様がもともと作られた健康な人間に帰るということで、とても大切なことなのです。ここには神様の愛が注がれているのであって、愛に基づいたそのような行いを、イエス様は強く求めたのです。
今日の聖書の個所は、裁判のことと安息日のことが書かれていますが、これは神様が愛の神様であり、公正な神様であることを語っているので、とても大切な箇所なのです。
承
まず、神様の公正さを語っているものに、(11)法廷において、と、(12)敵対する者とのかかわり(13)訴訟において、と続きます。最初は(11)法廷において、の1節から3節です。
◆(11)法廷において
出 23:1 あなたは根拠のないうわさを流してはならない。悪人に加担して、不法を引き起こす証人となってはならない。
出 23:2 あなたは多数者に追随して、悪を行ってはならない。法廷の争いにおいて多数者に追随して証言し、判決を曲げてはならない。
出 23:3 また、弱い人を訴訟において曲げてかばってはならない。
裁判では証人が大切ですが、この証人の証言が力のあるものによって、捻じ曲げられ、公正な裁判ではなくなってしまう場合があります。そうでなくても、根拠のないうわさ話で、事実を捻じ曲げてしまう場合もあります。このような事はあってはならないと言います。悪人に加担したり、事実無根のことを言って裁判を公正に行えないようにしてはならないと命じます。また反対に、弱い人だからとか、かわいそうだからと言って、そのような裁判の時に事実に反したことを言って、かばってもいけないと言い、あくまでも事実に基づいた公正な裁判をするように命じているのです。弱い人に対しても強い人に対しても、事実に基づいた公正な裁きがなされるように命じているのです。神様は正しい方であり全てに公正な方であるからです。
次は(12)敵対する者とのかかわり、です。これは必ずしも裁判と関わり合いはないかもしれませんが、裁判に発展する可能性もある敵に対する話です。そのような敵に対して、どのような態度をとるのが正しいのか公正な態度なのかを語っているのです。4節と5節です。
◆(12)敵対する者とのかかわり
出 23:4 あなたの敵の牛あるいはろばが迷っているのに出会ったならば、必ず彼のもとに連れ戻さなければならない。
出 23:5 もし、あなたを憎む者のろばが荷物の下に倒れ伏しているのを見た場合、それを見捨てておいてはならない。必ず彼と共に助け起こさねばならない。
ここでは例え敵の牛やロバであろうが、迷って困っていたならば、必ず相手のもとに連れ戻してやりなさいと言っています。これはもちろんこのような家畜だけでなく人間に対しても困っていたならば助けてやりなさいということです。敵を憎んでも人や家畜は憎まないといったことだと思います。同じように敵のロバが荷物の下に倒れていたら、敵と一緒にそれを助けてやりなさいと言います。いい気味だと言ってそれを見捨ててはいけないというのです。なぜならば、神様はそのようなものたちを助けてくださる神様なのだから、あなたたちも互いの利害を超えて助け合いなさいと言っているのです。これも人間の目線を超えて、神様の目線で、思いやりをもって公正に行いなさいということを命じているので、このような事が、律法として成立しているのがすごいことだと思います。今でいえば、憲法や法律に、互いに愛し合い、助け合いなさいということが書かれているようなものです。
次に、ここでもう一度訴訟の話が出てきます。(13)訴訟において、です。6節から9節です。
◆(13)訴訟において
出 23:6 あなたは訴訟において乏しい人の判決を曲げてはならない。
出 23:7 偽りの発言を避けねばならない。罪なき人、正しい人を殺してはならない。わたしは悪人を、正しいとすることはない。
出 23:8 あなたは賄賂を取ってはならない。賄賂は、目のあいている者の目を見えなくし、正しい人の言い分をゆがめるからである。
出 23:9 あなたは寄留者を虐げてはならない。あなたたちは寄留者の気持を知っている。あなたたちは、エジプトの国で寄留者であったからである。
この内容は、(11)法廷においてと、ほとんど同じことを言っていますが、ここでは正しい人に対して、曲がったことをしてはならないことを強調しています。その中でも乏しい人や寄留者であるなど弱い立場の人たちに、公正な訴訟が行えるようにしなさいと言っているのです。偽りの発言や賄賂などで、罪なき人や正しい人を殺したり、不利に陥れたりしてはならないと言っているのです。神様は悪人を正しいとすることはないと言い、あなたたちも寄留者であったのだから、寄留者を虐げてはいけないと言っています。弱い立場の人々に対しても公正であるからこそ、神様の裁きが尊ばれるのです。
転
次は、◆(14)安息年と、◆(15)安息日についてです。ヨエルの年については書かれていません。安息日よりも先に安息年のことが書かれているのが、不思議な気がします。それでは最初の安息年で、10節から11節です。
◆(14)安息年
出 23:10 あなたは六年の間、自分の土地に種を蒔き、産物を取り入れなさい。
出 23:11 しかし、七年目には、それを休ませて、休閑地としなければならない。あなたの民の乏しい者が食べ、残りを野の獣に食べさせるがよい。ぶどう畑、オリーブ畑の場合も同じようにしなければならない。
ここには、土地にも休ませてあげなさいという配慮があります。このように休ませてあげた方がその土地の収穫が長く期待できるからということがあります。それだけでなく、その時には貧しい人たちがそこでできたものを食べることが出来るようにし、そのまた残りを野の獣が食べることが出来るという慈善の配慮もあるのです。ブドウ畑、オリーブ畑も同じようにしなさいと言っていますが、まさか木を切り倒すわけでもないでしょうから、どのようにして休ませるのでしょうか。ここからとれる作物は貧しい人々にとっては大きなごちそうだったと思います。このような内容が、律法として定められ、みんなで守るべき掟としているのが不思議な気がします。
最後は、安息日です。ここには宗教的な意味よりも、回復させるための意味で行うことが書かれています。12節と13節です。
◆(15)安息日
出 23:12 あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめねばならない。それは、あなたの牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである。
出 23:13 わたしが命じたことをすべて、あなたたちは守らねばならない。他の神々の名を唱えてはならない。それを口にしてはならない。
安息日といえば、ユダヤ教が最も厳格に守るように伝え、それは神様が休んだ日だから、その日を聖なるものとして休みなさい。そして思いを神様に向けなさいと伝えられているはずですが、そのことには一言も触れていません。7年目に土地を休ませるように。牛やロバや女奴隷の子や寄留者が元気を回復するために休ませる、という目的が書かれています。ここでの安息日は、疲れを回復するための日であって、私たちの休日と同じであって、聖日の意味ではないのです。ただそのあとに、わたしが命じたことをすべて、あなたたちは守らねばならない。他の神々の名を唱えてはならない。それを口にしてはならない、と言って、イスラエルの神様に従うべきこと、他の神々を敬ってはならないことが言われています。
結
今日の契約の個所では、神様が弱いものに対しても強いものに対しても、公正な神様であることが言われ、神様が造られたものに対して、憐みをもって、いやす神様であることが言われています。人間の思いだけでやると、どうしても利己的になりますが、このような神様がいれば、いつも正しいものに守られているという安心感があったでしょう。自分だけよい思いをしようと思うものにも、神様はそのようなものを許さず裁かれる、という恐れを抱かせたでしょう。このような律法を与えられた民は、そのことを守ることによって、良い社会を作ることが出来たのではないかと思います。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、あなたは誰にでも正しく行われる方です。人は自分の都合で利己的になり、悪事に走りますが、あなたはいつでも公正な裁きをなさる方です。弱いもの、寄留者などを守り、一人一人に目を注いでくださいます。そしてあなたの作られた、この世のものを休ませ、またあなたのもとにあって、回復させてくださる神様です。このような神様がおられることを感謝いたします。私たちはあなたを信頼し、あなたの裁きとあなたの恵みとに委ねます。あなたの御心がこの世においてすべてなされますように。
この祈りを、主イエスキリストの御名によって、お祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(旧約聖書:◇出エジプト記)>>
◆(11)法廷において
出 23:1 あなたは根拠のないうわさを流してはならない。悪人に加担して、不法を引き起こす証人となってはならない。
出 23:2 あなたは多数者に追随して、悪を行ってはならない。法廷の争いにおいて多数者に追随して証言し、判決を曲げてはならない。
出 23:3 また、弱い人を訴訟において曲げてかばってはならない。
◆(12)敵対する者とのかかわり
出 23:4 あなたの敵の牛あるいはろばが迷っているのに出会ったならば、必ず彼のもとに連れ戻さなければならない。
出 23:5 もし、あなたを憎む者のろばが荷物の下に倒れ伏しているのを見た場合、それを見捨てておいてはならない。必ず彼と共に助け起こさねばならない。
◆(13)訴訟において
出 23:6 あなたは訴訟において乏しい人の判決を曲げてはならない。
出 23:7 偽りの発言を避けねばならない。罪なき人、正しい人を殺してはならない。わたしは悪人を、正しいとすることはない。
出 23:8 あなたは賄賂を取ってはならない。賄賂は、目のあいている者の目を見えなくし、正しい人の言い分をゆがめるからである。
出 23:9 あなたは寄留者を虐げてはならない。あなたたちは寄留者の気持を知っている。あなたたちは、エジプトの国で寄留者であったからである。
◆(14)安息年
出 23:10 あなたは六年の間、自分の土地に種を蒔き、産物を取り入れなさい。
出 23:11 しかし、七年目には、それを休ませて、休閑地としなければならない。あなたの民の乏しい者が食べ、残りを野の獣に食べさせるがよい。ぶどう畑、オリーブ畑の場合も同じようにしなければならない。
◆(15)安息日
出 23:12 あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめねばならない。それは、あなたの牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである。
出 23:13 わたしが命じたことをすべて、あなたたちは守らねばならない。他の神々の名を唱えてはならない。それを口にしてはならない。