家庭礼拝 2021年10月20日 出エジプト記 21:37-22:14契約の書⑥

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起 

今日の個所は小見出しに(6)盗みと財産の保管、とあるように盗みなどによる財産の損害の補償に関して書かれています。この全体の定めの中で、この6番目の盗みと財産の保管の所が一番詳しく書かれています。というのもこのような小さなもめごとが集団生活では一番多かったからだと思います。

ですがここで、盗みと財産の保管と書かれているのが、現代のように複雑な財産の持ち方と違って、ほとんどが牛に関するものです。財産の中で一番大きなものが牛だったのだと思います。その牛を、貸したり借りたり、預けたり、したときに起こる問題について、その解決のルールが定められているのです。どんな問題が起こるのかというと、盗まれる、死んでしまう、いなくなってしまう、などの問題です。これはだれの責任かによって、その補償の仕方が違ってくるのです。もちろん責任が問われない場合もあるし、何倍もの損失分を返さなくてはならない場合もあります。また、家畜が隣の家の畑を荒らした場合のことも書かれています。

牛や羊でない場合の事件としては、盗人が入ってきたのでそれを殺した場合、火が出て、隣の家に被害を及ぼした場合、品物を預けてそれがなくなった場合、なども書かれていますが、8割以上は牛に関したことが書かれています。ここに書かれたことを基準にして、いろいろな状況を判断していったことと思います。

まず最初は牛を盗んだ場合のことが書かれています。21章37節から22章3節です。

出 21:37 人が牛あるいは羊を盗んで、これを屠るか、売るかしたならば、牛一頭の代償として牛五頭、羊一匹の代償として羊四匹で償わねばならない。

出 22:2b 彼は必ず償わなければならない。もし、彼が何も持っていない場合は、その盗みの代償として身売りせねばならない。

出 22:3 もし、牛であれ、ろばであれ、羊であれ、盗まれたものが生きたままで彼の手もとに見つかった場合は、二倍にして償わねばならない。

 ここでは牛が盗まれた場合ですが、2通りのことが書いてあります。一つは牛や羊を盗んで、これを屠るか、売るかしたばあいです。屠るというのは、殺して肉にして、売る準備をしているということです。もう一方の売る場合というのは生きたままほかの人に売る場合もあるかと思います。このように、牛がもういなくなった場合は罪が重く、そのことが明らかになったならば、牛一頭の代償として牛五頭、羊一匹の代償として羊四匹で償わねばならない、とあります。ですから本人の罰は特になくて、お金で解決するようなものです。うまく見つからずに盗める人は何度でもやってしまいそうな感じです。

それがもし盗まれたものが生きたままで戻ってくる場合は、その2倍返せばいいということですから、罪としては軽いものです。見つかっても倍返せばいいのだろうと居直る人も出てきそうです。本人は何の罰も受けないのです。

ですがその4倍返し、2倍返しができない場合には大変なことになります。その盗みの代償として身売りせねばならない、と書かれているからです。これは奴隷となって、そのお金を工面するということになります。これから先どんな運命が待っているかわかりません。

 次は泥棒が入ってきて壁に穴をあけて盗もうとしているところに出会った場合です。22章の1節と2節です。

出 22:1 もし、盗人が壁に穴をあけて入るところを見つけられ、打たれて死んだ場合、殺した人に血を流した罪はない。

出 22:2a しかし、太陽が昇っているならば、殺した人に血を流した責任がある。

この場合も二つのケースがあって、夜泥棒が入ってきて、その泥棒を棒で打って殺した場合と昼間入ってきた時に、殺してしまった場合です。ここでは泥棒は即死ですから、神様の作った命を奪ったことになるので、その責任の取り方に違いが出てきます。夜、相手が誰だかわからないような暗闇の中で、殺した場合には、殺した人に罪はないとしています。殺さないと殺される場合もあるし、相手がどんな凶器を持っているかもわからないからです。ですが昼間はその様子がわかります。その相手をいきなり殺してしまうというのは、殺す方にも神様に対して責任があるという考え方なのです。ですから昼間の場合は罪に問われるのです。

次は直接牛の話ではなく、家畜によって、他人の畑を荒らした場合や、火が出て被害を隣の家まで及ぼした場合、金品を預けておいたものが盗まれた場合などです。2節から7節です。

出 22:4 人が畑あるいはぶどう畑で家畜に草を食べさせるとき、自分の家畜を放って、他人の畑で草を食べさせたならば、自分の畑とぶどう畑の最上の産物をもって償わねばならない。

出 22:5 火が出て、茨に燃え移り、麦束、立ち穂、あるいは畑のものを焼いた場合、火を出した者が必ず償わねばならない。

出 22:6 人が銀あるいは物品の保管を隣人に託し、それが隣人の家から盗まれた場合、もし、その盗人が見つかれば、盗人は二倍にして償わねばならない。

出 22:7 もし、盗人が見つからない場合は、その家の主人が神の御もとに進み出て、自分は決して隣人の持ち物に手をかけなかったことを誓わねばならない。

 ここでは具体的にその損害補償の方法が述べられています。自分の家畜が他人の畑を荒らした場合は自分の畑とブドウ畑の最上の産物を持って償わねばならないとあります。誠意をもって、その損害を謝罪するということだと思います。

次は自分の火の不始末で、隣の家のものに損害を及ぼした場合は、火を出したものが必ず償わねばならないとありますが、具体的なことは示されていません。少なくともその損害以上のもので償うことになるのでしょう。

その次は隣人に預けておいたお金や物品を、誰かに盗まれた場合です。その犯人が分かったならば、その犯人は二倍にして償わなけれなりません。もし犯人が見つからない場合は、その家の主人が神の御もとに進み出て、自分は決して隣人の持ち物に手をかけなかったことを誓わねばならない、とあります。これは神様にかけて誓ったことが嘘だった場合には相当に恐ろしい神様の罰が与えられるだろうということを前提にしています。ですから、たとえ泥棒をするような人でも、なかなか神様の前でシラを切ることはできなかったのかもしれません。相手の人も、神様の前で誓ったのだから信じてやろうということが出来たのではないでしょうか。イスラエル人らしい、信仰に基づいた解決方法なのです。これで、預かっていて盗まれた主人は無罪放免となるのです。

次の話も、信仰に基づいた解決方法です。8節です。

出 22:8 牛、ろば、羊、あるいは衣服、その他すべての紛失物について言い争いが生じ、一方が、「それは自分の物です」と言うとき、両者の言い分は神の御もとに出され、神が有罪とした者が、隣人に二倍の償いをせねばならない。

これもよくあった話だと思いますが、お互いにこれは自分のものだと言って引き下がらない場合です。家畜や品物のことで、よくこういうことがあったのだと思います。このような場合、両者の言い分は神の御もとに出され、神が有罪とした者が、隣人に二倍の償いをせねばならない、とあります。神の御許に出され、というのは、神殿や祭司たちの前で、その申し開きをして、最終的に信仰に基づいて、聖職者や権威ある信仰者が、その裁きを行うということです。その時有罪とされたものは、隣人に2倍の償いをしなければならないのです。ですから何時もみなが納得する裁きがされるとは限らなかったと思います。でも信仰によって受け入れていったのです。

次は家畜の世話を、隣人に頼んでいた時に起こった事故の補償についてです。9節から12節です。

出 22:9 人が隣人にろば、牛、羊、その他の家畜を預けたならば、それが死ぬか、傷つくか、奪われるかして、しかもそれを見た者がいない場合、

出 22:10 自分は決して隣人の持ち物に手をかけなかった、と両者の間で主に誓いがなされねばならない。そして、所有者はこれを受け入れ、預かった人は償う必要はない。

出 22:11 ただし、彼のところから確かに盗まれた場合は、所有者に償わねばならない。

出 22:12 もし、野獣にかみ殺された場合は、証拠を持って行く。かみ殺されたものに対しては、償う必要はない。

 以前に出た、6節の時には金品の保管を隣人に頼んで、それが盗まれた場合でしたが、それと似たようなことで、ここでは金品ではなく、家畜の世話を隣人に頼んで、それが死んだり、傷ついたり、奪われたりした場合です。このように家畜の世話を隣人に頼まなければならないようなことはしばしば発生したと思います。自分が旅に行ったり、買い付けに出かけたりしている間、代わりにその世話を見てもらうということは昔から行われていたに違いありません。でもその時に思わぬ損害が出たときにはだれが責任があるのか、その損害の補償をしなければならないのかということが重要でした。そのように預けた家畜が、死んだり、傷ついたり、奪われたりしたときに、誰もそれを見ておらず、どうしようにもできなかった場合には、自分の潔白を両者の間で、主に誓って言ったならば、所有者はこれを受け入れ、預かった人は償う必要はない、とされています。これはどうしてそんな事件が起こったのか、わからないのですから、所有者が隣人に預けなくても起こりうることだからです。一方、盗まれたことが明らかであった場合は、その保管義務を怠ったということで、所有者に償いをしなければならないとなっていますが、どれだけの償いをすればいいのかは書かれていませんので、相談して決めたのでしょう。また、野獣にかみ殺された場合は、それが明らかな証拠がある場合には、誰が保管していても同じようなことが起こるので、償う必要はないとされています。結局不可抗力に関しては責任がなく、注意義務を怠った場合には償わなければならないということです。

最後は家畜を借りていて、事件が起こった場合です。13節と14節です。

出 22:13 人が隣人から家畜を借りて、それが傷つくか、死んだならば、所有者が一緒にいなかったときには必ず償わねばならない。

出 22:14 もし、所有者が一緒にいたならば、償う必要はない。ただし、それが賃借りしたものであれば、借り賃は支払わねばならない。

 これは先ほどの隣人が家畜を預けたときと似ていますが、その場合その事件を見た人がいなかった場合には潔白を神様に誓って、償う必要がありませんでした。それは預けた側にも責任があるからです。ですが預けた場合ではなく借りた場合には、その所有者が一緒にいなかった場合以外は償わなければなりません。借りたものの責任となるから、償わなければならないのです。ですが、もし所有者がその時一緒にいたならば償う必要はありません。その所有者がその事件や事故を防ぐことができたからです。でもその間借りていた借り賃は支払わなければならないとしています。

このように、預けたり貸したりして財産の損害を受けた場合の具体的な償いの仕方が事細かに書かれています。また隣人との生活の中で起こりやすい問題についても、その損害の補償について、詳しく書かれているのです。これらは日常の生活で、必ず起こる問題だったでしょう。このような問題が起こるたびに争いが起こり殺し合いが起こり、民族の結束どころか、すっかりバラバラになってしまいかねないところがあったのです。それ等の問題を解決するために、モーセは神様から、このような掟をいただいて、イスラエルの人々に、この掟を守るように伝えたのです。これによって、どれだけ、人々も安心して、しかも平和に過ごせたかわかりません。

これらは、いわば法律ですが、神様がイスラエルの民に与えた法律ということで普通の法律とは違うので律法と呼んでいます。ほかの国々の法律は、その国の王様が決めた法律なので、ユダヤ人たちはその法律よりも律法を優先させることがあったのです。そのためにその国々でいろいろと問題を起こしました。エステル記に書いてある、エステル、モルデカイ、ハマンをめぐる物語はこのような律法の特異性から起こった問題だったのです。イスラエルの人々は何よりも律法を守ることを大切にしたのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。ユダヤ人たちはこのような生活に密着した取り決めを事細かに決めて、その社会生活を安心して歩むことができました。この法律は神様から与えられた律法です。ですからその守り方も必ずしも単に守るというよりも、神様に対して、誓って守っていくという、守り方です。裁くのは人間ではなく、神様であるという考えなのです。ですからすべての上に立つ法律という考えでいました。私たちも日々生活する中で、神様が与えてくださった教えを何よりも一番の教えとして、守っていくことができますように。それを守っていくことが私たちにとって、何よりも平安に過ごすことのできる定めであることを覚えることができますように。

この祈りを、主イエスキリストの御名によって、お祈りいたします。アーメン

 

 

<<聖書の箇所(旧約聖書:◇出エジプト記)>>  

 

■契約の書

◆(6)盗みと財産の保管

出 21:37 人が牛あるいは羊を盗んで、これを屠るか、売るかしたならば、牛一頭の代償として牛五頭、羊一匹の代償として羊四匹で償わねばならない。

出 22:2b 彼は必ず償わなければならない。もし、彼が何も持っていない場合は、その盗みの代償として身売りせねばならない。

出 22:3 もし、牛であれ、ろばであれ、羊であれ、盗まれたものが生きたままで彼の手もとに見つかった場合は、二倍にして償わねばならない。

出 22:1 もし、盗人が壁に穴をあけて入るところを見つけられ、打たれて死んだ場合、殺した人に血を流した罪はない。

出 22:2a しかし、太陽が昇っているならば、殺した人に血を流した責任がある。

出 22:4 人が畑あるいはぶどう畑で家畜に草を食べさせるとき、自分の家畜を放って、他人の畑で草を食べさせたならば、自分の畑とぶどう畑の最上の産物をもって償わねばならない。

出 22:5 火が出て、茨に燃え移り、麦束、立ち穂、あるいは畑のものを焼いた場合、火を出した者が必ず償わねばならない。

出 22:6 人が銀あるいは物品の保管を隣人に託し、それが隣人の家から盗まれた場合、もし、その盗人が見つかれば、盗人は二倍にして償わねばならない。

出 22:7 もし、盗人が見つからない場合は、その家の主人が神の御もとに進み出て、自分は決して隣人の持ち物に手をかけなかったことを誓わねばならない。

出 22:8 牛、ろば、羊、あるいは衣服、その他すべての紛失物について言い争いが生じ、一方が、「それは自分の物です」と言うとき、両者の言い分は神の御もとに出され、神が有罪とした者が、隣人に二倍の償いをせねばならない。

出 22:9 人が隣人にろば、牛、羊、その他の家畜を預けたならば、それが死ぬか、傷つくか、奪われるかして、しかもそれを見た者がいない場合、

出 22:10 自分は決して隣人の持ち物に手をかけなかった、と両者の間で主に誓いがなされねばならない。そして、所有者はこれを受け入れ、預かった人は償う必要はない。

出 22:11 ただし、彼のところから確かに盗まれた場合は、所有者に償わねばならない。

出 22:12 もし、野獣にかみ殺された場合は、証拠を持って行く。かみ殺されたものに対しては、償う必要はない。

出 22:13 人が隣人から家畜を借りて、それが傷つくか、死んだならば、所有者が一緒にいなかったときには必ず償わねばならない。

出 22:14 もし、所有者が一緒にいたならば、償う必要はない。ただし、それが賃借りしたものであれば、借り賃は支払わねばならない。