家庭礼拝 2021年9月22日 出エジプト記 20:1-21 十戒
起
今日はいよいよ十戒に入ります。この十戒は今までも何度も学んできたし、何度も唱えてきた戒めですが、この出エジプトの流れの中で学ぶことはあまり多くはありません。ですから、今日はその十戒が与えられた状況や背景を考慮しながら学んでいきたいと思います。
エジプトを出てからどのような出来事の後に、この十戒の話があったかを振り返ってみましょう。エジプトを出て、葦の海で、エジプト軍に追い詰められた時、海が二つに分かれてイスラエルの民はそこを通り、エジプト軍はそこでおぼれてしまいました。そのあと荒れ野を旅し、マラという所に着いたのですが、水が苦くて飲めませんでした。イスラエルの民はモーセに文句を言いましたが、モーセが神様に示された木を水の中に投げ込むと飲めるようになりました。その後は食べるものがないと言って文句を言った時には天からのマナが与えられました。それからさらに荒れ野を旅しているとまた水がないと言って騒ぎました。モーセは神様が示された岩を杖でたたいて、水が出て飲むことができました。さらに進むと今度はアマレク人たちが、イスラエルに戦いを挑むので、モーセは丘の上で手を挙げて、アマレクを打ち破りました。そのあとにモーセの舅のエトロがモーセの所に妻と子供を連れてきて、モーセと語り合い神様を賛美しました。エトロはモーセが一人で何もかもやっているので、民の長を選んで任せることを勧めました。このようなことがあった後エジプトを出て46日目にシナイの荒れ野に着いて、そこに宿営し、モーセは神様のいるシナイ山に登って、神様のみ言葉を聞いたのです。そして、三日目に民全員が見ている前で神様がシナイ山に下られると言われたのです。三日目の朝に雷鳴と稲妻と厚い雲がシナイ山を包みました。イスラエルの民は恐ろしさに震えていましたが、モーセはそれを宿営から連れだして、神の前に立たせたのです。その時神様はモーセを山の頂に呼び寄せたのでモーセは山に登り、神様から契約の言葉を与えられたのです。それが今日の十戒です。
この十戒の一つ一つの戒めはそれぞれが説教題になるほどのものなので、詳しくやっていると進まなくなるので、今回は全体を把握することだけに努めたいと思います。
承
十戒は最初の4つは神様に関すること、真ん中の5つ目に父母に関すること、後半の6つ目から10番目までは人間の社会生活をする上での倫理的な戒めです。十戒は何々してはならないという否定的な表現を用いていることで知られています。これは一種の憲法のようなものですから、そうならざるを得ないところがあるのですが、これに対して、新約聖書のイエス様の教えは山上の説教で知られる9つの祝福では、何々である人は、幸いであるという、肯定的な表現になっています。これが旧約と新約の大きな違いになっています。ですが十戒の中にも二つだけ肯定的表現があります。それは第四戒の、安息日を心に留め、これを聖別せよ、という戒めと、第五戒の、あなたの父母を敬えという戒律です。この第5戒の父母を敬えという戒律は、前半の神を敬えという戒めと後半の人間社会に対する戒律のちょうど中間に位置する戒律で、これはこの世にあっては、父母を神様の代理として、敬いなさいと言っているような感じです。このような構造の十戒ですが、順番に学んでいきたいと思います。まず1節から3節です。
出 20:1 神はこれらすべての言葉を告げられた。
出 20:2 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
①出 20:3 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
ここでの出だしは、これから述べることは神様が、このように述べられたことであると、前置きして語っているのです。そして神様が語った最初の言葉は、まず神様の自己紹介です。それは、わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である、と、どんな神様であるかを語ったのです。それは、あなたの神であり、エジプトの国、奴隷の家から導き出した神であると語ったのです。
そしてそのうえで最初の戒めを語ります。それは、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」という戒めでした。エジプトにはいろいろな神がいて、いろいろな偶像があったのです。最初の戒めはそのような諸々の神を捨てて、私だけを神としなさいという戒めなのです。それはほかの神々を信じることは、また不自由な奴隷の状態に戻ることなのだからという意味なのです。
そして、どのように神様を敬えばよいのかを具体的に語っていくのが、第二、第三、第四の戒めなのです。それは、4節から11節です。
②出 20:4 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
出 20:5 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、
出 20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
③出 20:7 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
④出 20:8 安息日を心に留め、これを聖別せよ。
出 20:9 六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
出 20:10 七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。
出 20:11 六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
この戒律の中で特に詳しく語っているのが、第二の戒律の、あなたはいかなる像も造ってはならない、という戒めです。これを説明するのに、4節から6節までを用いているのです。本当の神様はそんな人が作った像のように小さなものではない、上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にあると言います。ですから、人間が考えているような像のようなものではないというのです。だから、そのような像に向かって、ひれ伏したり、仕えたりしてはならない。それは本物ではないと言います。神様は熱情を持っている神様だから、本当の神様を否定しほかの神を拝む者にはその罪を子孫の3代、4代までも問われることになると言いました。反対に、神様を愛し、その戒めを守るものには幾千代にも及ぶ慈しみを与えると約束しているのです。これはイスラエルの民の中にもエジプトに感化されて、その偶像をいつまでも持ち続け、ひそかにそれにひれ伏しているものがいたからなのです。それほど異教の神の影響は大きかったのです。
三つ目の戒めは主の名をみだりに唱えてはならない、と言いました。みだりに唱えるならばそのものを罰するとも言っているのです。みだりに唱えるというのは、神様の名にふさわしくない目的のために祈ってはならないということです。利己的な目的や、相手を呪うために祈るようなことはみだりに唱えているのです。すなわち神様の御心に従うのではなく、自分の思いに神様を従わせようとしているのです。そのようなものを神様は罰するというのです。
そして四つ目が、安息日を心にとめ、これを聖別せよという戒めです。これもそのあとに9節から11節まで詳しい説明がついています。安息日は神様が天地創造を終えて休まれた日です。その日を神様が休まれた特別な日として、神様に捧げる日としなさいと言っているのです。神様に捧げた日ですから、自分のために使ってはいけないのです。ですから安息日に働いてはいけないとか、遠くまで行ってはいけないと言われるのです。ただ神様を賛美し感謝する日としなさいということなのです。これら4つの戒めは、神様を神様としてあがめ、大切にしなさいということを言っています。だからほかの神様を拝んだり、自分のために神様を使おうとしたり、神様のことを無視して自分のことをしてはならないということなのです。これをイエス様は、一言で、あなたの神を愛せよ、といったのです。本当に神様を愛するならば、神様を神様として大切にするではないかということを言っているのです。
転
神様を大切にしなさいということを、4つの戒めで語った後は、人間に関する戒めを6つ語ります。その最初は父母を敬えということで、これが人間を大切にすることの最初の戒めであり、神様に関する戒めと、人間に関する戒めのちょうど真ん中来る戒めなのです。そして人間に関する戒めに関しては、特に詳しい説明はなくて、単純率直に命じているのです。12節から17節です。
⑤出 20:12 あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。
⑥出 20:13 殺してはならない。
⑦出 20:14 姦淫してはならない。
⑧出 20:15 盗んではならない。
⑨出 20:16 隣人に関して偽証してはならない。
⑩出 20:17 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」
これらの6つの戒めの中で、父母を敬えという戒めだけには少し、説明が加えられています。それは父母を敬うならば、あなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる、という約束です。父母を敬うものは、主の土地で長生きすることができるのです。何かをすることでよいことが与えられるのは、この父母を敬うものと、神を愛する者だけです。6節には、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。と書かれているのです。
そして残りの戒めは人間として、してはならないこと、禁止事項のリストです。これらは仏教でも5戒と言われる戒めにもあるものとほとんど同じものです。人間としてはならないことが挙げられているのです。
殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、隣人の家を欲するな、と続きますが、これはどれも、人々がたがいに、相手の命、結婚生活、財産、正義、隣人との平和を尊重し、社会生活を安心して、行えるようにするための基本的で普遍的な行動規範なのです。今の私達には、こんな事当たり前ではないかと思うのだけれども、当時の人にとっては殺してなぜいけない、盗んでなぜいけないという世界に住んでいたのです。自分が生きるためにはしょうがないではないかという考えなのです。ですが、これらのことが神様から禁じられたとすれば、そのことを守らなくてはなりません。長い歴史の中で私たちもそのことに慣れてしまい、当たり前に思っているのですが、このようなことは人間の力を超えた大きな力で、命じられなければなかなか守れないことなのです。
この十戒をモーセがイスラエルの民に伝えていた時、そこにまるで神様がいるかのように雷鳴がとどろき、稲妻が光ったのです。18節から21節です。
出 20:18 民全員は、雷鳴がとどろき、稲妻が光り、角笛の音が鳴り響いて、山が煙に包まれる有様を見た。民は見て恐れ、遠く離れて立ち、
出 20:19 モーセに言った。「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞きます。神がわたしたちにお語りにならないようにしてください。そうでないと、わたしたちは死んでしまいます。」
出 20:20 モーセは民に答えた。「恐れることはない。神が来られたのは、あなたたちを試すためであり、また、あなたたちの前に神を畏れる畏れをおいて、罪を犯させないようにするためである。」
出 20:21 民は遠く離れて立ち、モーセだけが神のおられる密雲に近づいて行った。
イスラエルの民が、十戒を聞き恐れを感じていた時、シナイ山には雷鳴がとどろき、稲妻が光り、角笛の音が鳴り響いて、山が煙に包まれる有様を見たのです。民はそれを見て神様がそこにおられるのではないかと恐れ、遠く離れて立ってシナイ山を見上げました。まるでその山から、神様がイスラエルの民に、語り掛けてくるような雰囲気だったのです。それでイスラエルの民はモーセにこう言いました。「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞きます。神がわたしたちにお語りにならないようにしてください。そうでないと、わたしたちは死んでしまいます。」神様の声を直接聞くものは死ぬと言われていたのです。直接見るものもまた死ぬのです。ですから、神様がここに現れて直接語られるのではないかと恐れて、モーセに、私たちは従いますから、あなたが私たちに語ってください。神様が直接語らないようにしてくださいと頼んだのです。
するとモーセは、イスラエルの民が恐れているのを知って、「恐れることはない。神が来られたのは、あなたたちを試すためであり、また、あなたたちの前に神を畏れる畏れをおいて、罪を犯させないようにするためである。」と言いました。神様は確かにそこまで来られているのですが、それは直接語るためではなく、モーセの言葉を本当に信じるかどうか確かめるため、その気持ちを試すために、現れたのだと言いました。それは、イスラエルの民が罪を犯さないようにするためだというのです。そう言い残して、モーセはまた、神様のおられる、シナイ山の雲の中に入っていったのです。このように、モーセは神様と直接会って話のできる特別の人でした。ですから、何百万人もいる、イスラエルの民を導いて、エジプトから導き出すことができたのです。これこそカリスマなのです。
結
イスラエルの民は、十戒を与えられました。これは神様が与えたものであり、何人もこれに従わなければなりません。それはイエス様が教えてくださったように、神を愛し、隣人を愛しなさいという言葉に集約される教えでした。この教えがなければ、人々は偶像を愛し、異教の神を愛し、人はたがいに殺したり盗んだり、うそをついたり、だましたり、しながら自分だけよいと思う生き方をしていたのです。ですがこの十戒によって、神様に従うことによって、一番良い生き方を見出し与えられたのです。イスラエルの民にはこの十戒によって規律が与えられ、より強いきずなで集団生活をしていくことができるようになったのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。私たちは利己的で、自分たちの思いで生きていきたいと思うものです。そのために人々の権利や財産を平気で冒してでも、生きていくのが正しいというのが当時の生き方でした。それに対して、神様の御心に従って生きていく生き方の中に、本当に平和で、調和のとれた生活を見出しました。すべてのものが、神様の御心に従って生きていく。その具体的な教えが、十戒でした。この短い教えに従うだけで、イスラエルは、今までにない、統率のとれた、平和な生活ができるようになったのだと思います。それを人々に執り成したのはモーセであり、神と人とをつなぐ人だったのです。私達もまた、人知を超えた神様の教えに従って、本当に人間に必要な生活をしていくことができますようにと祈ります。神を愛し、隣人を愛して、あなたの御心を表していくことができますように。この祈りを、主イエスキリストの御名によって、お祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(旧約聖書:◇出エジプト記)>>
◆十戒
出 20:1 神はこれらすべての言葉を告げられた。
出 20:2 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
①出 20:3 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
②出 20:4 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
出 20:5 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、
出 20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
③出 20:7 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
④出 20:8 安息日を心に留め、これを聖別せよ。
出 20:9 六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
出 20:10 七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。
出 20:11 六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
⑤出
20:12 あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。
⑥出
20:13 殺してはならない。
⑦出
20:14 姦淫してはならない。
⑧出
20:15 盗んではならない。
⑨出
20:16 隣人に関して偽証してはならない。
⑩出
20:17 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」
出 20:18 民全員は、雷鳴がとどろき、稲妻が光り、角笛の音が鳴り響いて、山が煙に包まれる有様を見た。民は見て恐れ、遠く離れて立ち、
出 20:19 モーセに言った。「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞きます。神がわたしたちにお語りにならないようにしてください。そうでないと、わたしたちは死んでしまいます。」
出 20:20 モーセは民に答えた。「恐れることはない。神が来られたのは、あなたたちを試すためであり、また、あなたたちの前に神を畏れる畏れをおいて、罪を犯させないようにするためである。」
出 20:21 民は遠く離れて立ち、モーセだけが神のおられる密雲に近づいて行った。