家庭礼拝 2021年8月18日 出エジプト記 16:1-22 マナ(前半)

 賛美歌10今こそ人みな聖書朗読 祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り 賛美歌12とうときわが神よ

 

起 

モーセ達イスラエルの民の荒れ地での旅に、一番必要なのは水でした。その水のことで、前回は、マラの苦い水の所で、人々がモーセに向かって、何を飲んだらよいのかと言って不平を言い、モーセが主に向かって叫んで、主が指示した木を水の中に投げ込むと甘くなるという話がありました。人間は水がなくなると途端に、命の危険にとらわれて、動揺するのです。

次に必要なのは食糧です。今日の話はその食料の話になります。荒れ地の中で何も食べるものも買うものもなくなると、ここでみんな餓死してしまうのではないかと恐れたのです。カナンからエジプトへの旅は今までも多くの人たちが行き来していました。有名なのはヤコブの子供たちが、ヨセフのいるエジプトに、食料を買いに行った話です。2度も買いに行って往復したのです。ですからこの旅は注意していけば比較的安全に行くことのできる旅のはずだったのです。モーセ自身も、エジプトから逃れて、シナイ半島を超えてミディアンの地まで行って生活していたし、またそこから戻ってきてエジプトのイスラエルの民をカナンまで連れて行こうとしていたのですから、このシナイ半島を超える旅の仕方は知っていたと思うのです。ですが、今回の出エジプトでは、人数が多いせいなのか荷物が多いせいなのか、すぐにいろいろな問題に突き当たってしまうのです。飲む水がなくなったり、食べる食料がなくなったり、まだそんなに時間がたっていなくてもいろいろ問題が起こったのです。

今日の16章のマナの話は36説もある長い話なので、22節までの前半と、36節までの後半の二つに分けて学んでいきたいと思います。

イスラエルの人々がモーセに引き連れられて、荒れ野を旅していたとき、イスラエルの人々はモーセに不平を言いました。1節から3節です。

出 16:1 イスラエルの人々の共同体全体はエリムを出発し、エリムとシナイとの間にあるシンの荒れ野に向かった。それはエジプトの国を出た年の第二の月の十五日であった。

出 16:2 荒れ野に入ると、イスラエルの人々の共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。

出 16:3 イスラエルの人々は彼らに言った。「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」

 イスラエルの人々は、葦の海で、神様の奇跡によって、エジプト軍から逃れることができ、そこから3日後にマラに着き、水が飲めないと言って不平を言っても、神様がその水を飲めるようにしてくださり、そのあとエリムに行って、シンの荒れ野に向かいました。ここはまだエジプトのすぐ近くのシナイ半島の入口の所の荒れ地です。この荒れ地に向かったのが、エジプトの国を出た年の第二の月の15日だというのです。エジプトを出発したのはいつでしょうか。それは除酵祭の始まる日が、エジプト出発の日ですから、正月の14日なのです。ですから第二の月の15日というのはちょうど一か月過ぎて、2か月目に入った日ということです。モーセの率いるイスラエルの民は、まだエジプトの近くをうろうろしているのです。どうしてすぐにカナンに向かわないのでしょうか。きっと人数が多くて動きが悪かったのだと思います。成人男子だけで60万人で、女子供、僕なども入れて300万人くらいがいて、しかも家畜などを引き連れて移動しているのですから大変です。うろうろしているだけで、水はなくなり、食料はなくなってくるのです。

そこでイスラエルの人々はモーセに不平を言いました。これで不平を言うのは3回目です。一回目は葦の海でエジプト軍に追い詰められた時、2回目はマラで水が苦くて、飲む水がないといった時。そして今日で3回目で食べるものがないと不平を言っています。このイスラエルの民の人々の不平を見ると、イスラエルの民の思いは一つではないことが分かります。みんながエジプトで奴隷になって苦しんで早く脱出したいと思っていたのかと思うとそうではなくて、エジプトにいた方がよかったと思う人々がたくさんいたのです。そしてそのような人々が真っ先にモーセに不平を言って、どうして私たちをエジプトから連れ出したのだと文句を言うのです。そして、こう言ったのです。「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」このように、たとえ奴隷であっても、エジプトにいた方がよかった。そこでは腹いっぱい食べられたのに、今はこの荒れ野で飢え死にしそうだ、どうして連れ出したのだ、と文句を言っているのです。同じ思いの人だけでも大変な旅なのですが、このように、何かあるとすぐ文句を言いだす人々を連れて、300万人もの人をまとめて行く旅はとても大変な旅だったと思います。

神様は、人々がモーセに食料のことで文句を言っているのを聞いて、驚くべき解決方法を示されました。それはイスラエルの民が、葦の海で、引くことも進むこともできず、パニックになっていた時に、神様が示された海の中の道と同じくらい、奇跡に満ちた話なのです。4節から8節です。

出 16:4 主はモーセに言われた。「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す。

出 16:5 ただし、六日目に家に持ち帰ったものを整えれば、毎日集める分の二倍になっている。」

出 16:6 モーセとアロンはすべてのイスラエルの人々に向かって言った。「夕暮れに、あなたたちは、主があなたたちをエジプトの国から導き出されたことを知り、

出 16:7 朝に、主の栄光を見る。あなたたちが主に向かって不平を述べるのを主が聞かれたからだ。我々が何者なので、我々に向かって不平を述べるのか。」

出 16:8 モーセは更に言った。「主は夕暮れに、あなたたちに肉を与えて食べさせ、朝にパンを与えて満腹にさせられる。主は、あなたたちが主に向かって述べた不平を、聞かれたからだ。一体、我々は何者なのか。あなたたちは我々に向かってではなく、実は、主に向かって不平を述べているのだ。」

 イスラエルの民が、荒れ野で食べるものがなく、飢え死にしそうだとモーセに不平を言った時、神様が与えてくれた解決策は、天からパンを降らせる、ということでした。そして、それを毎日必要な分だけ集めることができるというのです。6日目には、整えることによって、いつもの倍の食べ物を用意することができると言います。なぜなら次の日は安息日なので働くことも、パンを取りに行くこともできないからです。その分をも神様は用意してくださるというのです。何も食べるもののない荒れ野に、天からパンが降ってくるなどということがあるのでしょうか。実際にイスラエルの人々はこのパンで命をつなぐことができたのです。モーセは、神様がこのように天からパンを降らしてくださることをイスラエルの人々に語った後、神様がこのようにしてくださるのはあなたたちが主に向かって不平を述べるのを主が聞かれたからだ。我々が何者なので、我々に向かって不平を述べるのか、とイスラエルの民をモーセ達は𠮟責しました。モーセ達に不平や不満を訴えること、それは神様に対して、不平や不満を語ることなのです。そのように言いたくなったら、むしろ直接神様に願い求めて委ねることこそ正しい姿なのです。

次の9節から15節はその前の4節から8節の繰り返しのような気がします。きっと出典が違うものを並べて書いたのだと思います。でもこちらの9節からの方がより具体的で詳しく書かれているので、天からの食べ物がどんなものであったのかがよくわかります。では、9節から15節です。

出 16:9 モーセがアロンに、「あなたはイスラエルの人々の共同体全体に向かって、主があなたたちの不平を聞かれたから、主の前に集まれと命じなさい」と言うと、

出 16:10 アロンはイスラエルの人々の共同体全体にそのことを命じた。彼らが荒れ野の方を見ると、見よ、主の栄光が雲の中に現れた。

出 16:11 主はモーセに仰せになった。

出 16:12 「わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」

出 16:13 夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。

出 16:14 この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。

出 16:15 イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。

 ここでは、イスラエルの人々の前に主が栄光の雲とともに現れたことが書かれています。モーセがアロンに命じて、イスラエルの人々を集めると彼らの先にある荒れ野の方に主の栄光が雲の中に現れたのです。そして、神様がモーセにこう語ったことを知るのです。それはイスラエルの民は夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹するという約束でした。そしてそのことによって、この業が神様によって起こされたものであることを知るようになるというのです。そのことは具体的にどのように現れたかというと、夕方には鶉が飛んできて宿営を覆ったので、人々はそれを捕まえて、肉を食べたのです。そして朝には宿営の周りに露が下りて、その露が蒸発すると、薄くて、壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていたというのです。人々はそれを見て、これは何だろうと口々に言いました。このこれは何だろうといった言葉、マナ、がそのままその食べ物の名前になるのです。モーセは彼らに、「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。」と言いました。イスラエルの人々はそれを集めてパンのように食べることができたのです。イスラエルの人々は、これから何十年も、このマナを食べて命をつないでいくのです。

神様はこの天から降りてくる食べ物について、こう語られました。16節から18節です。

出 16:16 主が命じられたことは次のことである。『あなたたちはそれぞれ必要な分、つまり一人当たり一オメルを集めよ。それぞれ自分の天幕にいる家族の数に応じて取るがよい。』」

出 16:17 イスラエルの人々はそのとおりにした。ある者は多く集め、ある者は少なく集めた。

出 16:18 しかし、オメル升で量ってみると、多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれが必要な分を集めた。

 神様はその天からの食べ物を一人1オメル集めなさいと命じました。これはそれぞれに必要な分であるというのです。オメルというのは重さではなく、約2.3ℓの容量です。多分麦わら帽子に一杯分くらいです。これはその食べ物がかさばっており、薄皮せんべいのように、壊れやすいので、それだけ食べても一人分ということなのです。ちなみに一升瓶は1.8ℓですからそれよりも多いということです。そしてそれぞれ自分の天幕にいる家族の分を集めたのです。不思議なことに多く集めたものも、少なく集めたものもオメル升で測ってみると、ちょうど必要な分だけであったというから、神様がそのようにしてくださったのでしょう。みんなに十分に行き渡ったのです。

この食べ物は、普通のパンのように保存がききませんでした。次の日になると腐ってしまうのです。ですからモーセはこう言ったのです。19節から22節です。

出 16:19 モーセは彼らに、「だれもそれを、翌朝まで残しておいてはならない」と言ったが、

出 16:20 彼らはモーセに聞き従わず、何人かはその一部を翌朝まで残しておいた。虫が付いて臭くなったので、モーセは彼らに向かって怒った。

出 16:21 そこで、彼らは朝ごとにそれぞれ必要な分を集めた。日が高くなると、それは溶けてしまった。

出 16:22 六日目になると、彼らは二倍の量、一人当たり二オメルのパンを集めた。共同体の代表者は皆でモーセのもとに来て、そのことを報告した。

 モーセはイスラエルの民に、天からの食べ物を翌朝まで残しておいてはならないと言いました。ですが、ある人々はせっかく集めた食べ物を少しでも大切に使おうと思って翌日まで残しておいたのです。ですが、それは虫がついて臭くなったと言います。このマナという食べ物はこの荒れ地に生えている草を食べる虫が、体から分泌物として出したものだと言われています。それがおいしくて食べられたので食べるようになったと言います。ですがそれは腐りやすかったのです。イスラエルの人々は、このマナというパンを朝毎に必要な分を集めました。日が高くなるとそれは溶けてなくなってしまうのです。6日目だけはいつもの倍の量のパンを集めました。それは翌日の安息日のためのものでした。これは大丈夫だったようです。このようにして、イスラエルの人々はこの朝毎のパンを食べて、この荒れ野を旅していたのです。神様のこの恵みの天からのパンがなければ、決して行きつくことのできなかった旅のパンなのです。

神様は、また不平を言っているイスラエルの人々に夕暮れには肉を与え、朝にはパンを与えると約束しました。そしてその通り天から食事が運ばれてきたのです。朝のパンは必要な分しか与えられませんでした。多くとっても腐って無くなりました。少なくとったと思ってもそれは必要量ありました。このようにして、必要なものを神様が備えてくださって、イスラエルの民はこの荒れ野を旅することができたのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、あなたは私たちの不平をも聞いて下さり、必要なものは与えてくださる方です。ですから、私たちは不平を言うのではなく、必要なものを与えてくださる神様に、謙遜に願い求めればよいのです。そうすれば神様がすべてを備えてくださるのです。何も心配することなく、何も恐れることなく、ただ神様に委ねればよいのです。どうなるかわからない旅でも、必ず導いて下さるのが神様なのです。このことを心に確信させて歩ませてください。

この祈りを、主イエスキリストの御名によって、お祈りいたします。アーメン

 

<<聖書の箇所(旧約聖書:◇出エジプト記)>>  

 

◆マナ

出 16:1 イスラエルの人々の共同体全体はエリムを出発し、エリムとシナイとの間にあるシンの荒れ野に向かった。それはエジプトの国を出た年の第二の月の十五日であった。

出 16:2 荒れ野に入ると、イスラエルの人々の共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。

出 16:3 イスラエルの人々は彼らに言った。「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」

出 16:4 主はモーセに言われた。「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す。

出 16:5 ただし、六日目に家に持ち帰ったものを整えれば、毎日集める分の二倍になっている。」

出 16:6 モーセとアロンはすべてのイスラエルの人々に向かって言った。「夕暮れに、あなたたちは、主があなたたちをエジプトの国から導き出されたことを知り、

出 16:7 朝に、主の栄光を見る。あなたたちが主に向かって不平を述べるのを主が聞かれたからだ。我々が何者なので、我々に向かって不平を述べるのか。」

出 16:8 モーセは更に言った。「主は夕暮れに、あなたたちに肉を与えて食べさせ、朝にパンを与えて満腹にさせられる。主は、あなたたちが主に向かって述べた不平を、聞かれたからだ。一体、我々は何者なのか。あなたたちは我々に向かってではなく、実は、主に向かって不平を述べているのだ。」

出 16:9 モーセがアロンに、「あなたはイスラエルの人々の共同体全体に向かって、主があなたたちの不平を聞かれたから、主の前に集まれと命じなさい」と言うと、

出 16:10 アロンはイスラエルの人々の共同体全体にそのことを命じた。彼らが荒れ野の方を見ると、見よ、主の栄光が雲の中に現れた。

出 16:11 主はモーセに仰せになった。

出 16:12 「わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」

出 16:13 夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。

出 16:14 この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。

出 16:15 イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。

出 16:16 主が命じられたことは次のことである。『あなたたちはそれぞれ必要な分、つまり一人当たり一オメルを集めよ。それぞれ自分の天幕にいる家族の数に応じて取るがよい。』」

出 16:17 イスラエルの人々はそのとおりにした。ある者は多く集め、ある者は少なく集めた。

出 16:18 しかし、オメル升で量ってみると、多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれが必要な分を集めた。

出 16:19 モーセは彼らに、「だれもそれを、翌朝まで残しておいてはならない」と言ったが、

出 16:20 彼らはモーセに聞き従わず、何人かはその一部を翌朝まで残しておいた。虫が付いて臭くなったので、モーセは彼らに向かって怒った。

出 16:21 そこで、彼らは朝ごとにそれぞれ必要な分を集めた。日が高くなると、それは溶けてしまった。

出 16:22 六日目になると、彼らは二倍の量、一人当たり二オメルのパンを集めた。共同体の代表者は皆でモーセのもとに来て、そのことを報告した。