家庭礼拝 2021年8月11日 出エジプト記 15:1-27 海の歌
起
今日の聖書の個所は、際立って対照的な事柄が、2つ並べて書かれている個所です。一つは、海の歌の小見出しで書かれている、神様を賛美する個所です。これはエジプト軍に追いかけられて、もう死ぬのではないかと思われたときに、神様が働いて下さって、海を二つに分けて道を作り、イスラエルの人々を逃れさせてくださり、さらにその海を閉じて、追いかけてきたエジプト軍を全滅させた、神様の偉大な御業を覚えて、神様を賛美するのです。書き出しの所では、モーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌を歌ったとありますが、実際にこの賛美を主導したのは20節にあるように、アロンの姉である女預言者ミリアムが、小太鼓を取って踊りながら歌ったのです。するとそれに従って、他の女たちも小太鼓を手に持って彼女の後に続いたのです。それを見て、モーセやイスラエルの民がミリアムの歌う歌を共に歌って、神様を賛美したのです。これは、イスラエル最古の讃美歌ともいえる感謝の歌なのです。
もう一つの小見出しの個所は、マラの苦い水と書かれた箇所で、これは先ほどの、神様に救われた喜びを感謝と賛美とで表した、三日後のことです。まだ直後の話なのです。イスラエルの民は荒れ野を3日の間進んだのですが水がなかったのです。そのためにイスラエルの民は不平を言って、モーセに文句を言うのです。このことは何を表そうとしているのかというと、あれほどの大きな奇跡、めぐみ、救いを見ても3日もすると、その神様のことを忘れて、目の前の水のないことで文句を言い始めるのです。海をも分ける奇跡を行う神様がついていると信じているなら、その水がなくなっても必ず、神様がその水を与えてくださるという、信仰に立つことができないのです。これは私たちにもよく言える話です。神様が奇跡を起こしてくれた。神様が恵みを与えてくれたといった舌が乾かないうちに、何かがうまくいかないことに不平を言い、人に文句を言い、自分の力で何とかしようと思うのです。その大きな奇跡を起こしてくださった神様に頼もうとしないのです。神様なら必ず良い方向へと導いて下さるとの、一貫した信仰に立てなくて、目の前のことにいつも振り回され、不平の中に陥ってしまうのです。私たちにもこのようなことがいつも起こっているのだという目で、今日の聖書の個所を学んでいきたいと思います。そして、不平が起こったら、神様の力により頼み、自分の不平を神様に委ねたいと思います。
承
最初は、この葦の海の奇跡で救われた、賛美の歌です。これはイスラエルの民全体で、喜び祝い感謝をした賛美の歌なのです。聖書の歴史の中で初めて出てくる、賛美歌なのです。1節から5節です。
出
15:1 モーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌をうたった。主に向かってわたしは歌おう。主は大いなる威光を現し/馬と乗り手を海に投げ込まれた。
出
15:2 主はわたしの力、わたしの歌/主はわたしの救いとなってくださった。この方こそわたしの神。わたしは彼をたたえる。わたしの父の神、わたしは彼をあがめる。
出
15:3 主こそいくさびと、その名は主。
出
15:4 主はファラオの戦車と軍勢を海に投げ込み/えり抜きの戦士は葦の海に沈んだ。
出
15:5 深淵が彼らを覆い/彼らは深い底に石のように沈んだ。
ここでモーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌を歌ったとありますが、この歌は誰かが作ってあったものではないと思います。モーセもイスラエルの民も、神様を賛美せざるを得ない喜びに満たされて、それぞれに好きな賛美をささげたものを後から誰かがそれを編集したものと思われます。ですから、この歌は、モーセがこの歌を歌って、神様を賛美しようと言って始まったものではないのです。では何がきっかけでこの賛美が始まったかというと、20節と21節にこう書いてあります。
出
15:20 アロンの姉である女預言者ミリアムが小太鼓を手に取ると、他の女たちも小太鼓を手に持ち、踊りながら彼女の後に続いた。
出
15:21 ミリアムは彼らの音頭を取って歌った。主に向かって歌え。主は大いなる威光を現し/馬と乗り手を海に投げ込まれた。
賛美を始める前に、アロンの姉である女預言者のミリアムが、小太鼓を手にとってたたき始めたのです。それにつられてほかの女たちも小太鼓を手に持って踊りながら彼女の後に続いたのです。ミリアムとはアロンの姉ですが、モーセの姉でもあります。ここではモーセの姉とは言わないで、アロンの姉と言います。どうしてその姉のミリアムが小太鼓を叩いて踊り始めたのでしょうか。アロンはもともと祭司の家系なのです。ミリアムもまたその祭司の家の女預言者なのです。モーセは子供のころにエジプト王女の養子となったので祭司ではないのです。だからミリアムは祭司として、その小太鼓を取ってたたき踊り始め、そして歌い始めたのです。それは主を賛美する力強い歌でした。それに導かれるように、多くの人が主を賛美する歌を歌い始めて、イスラエルの民全体がその賛美の歌を歌うということが起こったのだと思います。こんなすごい光景が、この葦の海の奇跡の後に起こったのです。これもまた奇跡に近い話です。
この歌は力強く、神様がどのようにして救ってくださったのかを語ります。ですからこのようなことが本当に起こったとしか思えません。この体験が強烈な民族的体験としてずっと残っているのです。6節から13節です。
出
15:6 主よ、あなたの右の手は力によって輝く。主よ、あなたの右の手は敵を打ち砕く。
出
15:7 あなたは大いなる威光をもって敵を滅ぼし/怒りを放って、彼らをわらのように焼き尽くす。
出
15:8 憤りの風によって、水はせき止められ/流れはあたかも壁のように立ち上がり/大水は海の中で固まった。
出
15:9 敵は言った。「彼らの後を追い/捕らえて分捕り品を分けよう。剣を抜いて、ほしいままに奪い取ろう。」
出
15:10 あなたが息を吹きかけると/海は彼らを覆い/彼らは恐るべき水の中に鉛のように沈んだ。
出
15:11 主よ、神々の中に/あなたのような方が誰かあるでしょうか。誰か、あなたのように聖において輝き/ほむべき御業によって畏れられ/くすしき御業を行う方があるでしょうか。
出
15:12 あなたが右の手を伸べられると/大地は彼らを呑み込んだ。
出
15:13 あなたは慈しみをもって贖われた民を導き/御力をもって聖なる住まいに伴われた。
ここでは、敵が追いかけてきて、とらえて分捕り品を分けようと言っていることが書かれています。イスラエルの人を皆殺しにしようとしているのではないのです。元の奴隷として働かせようとしているのです。ですが、罰として持っている財産はみな分捕り品として取り上げようと言っているのです。ですがそのエジプト軍に対して、神様がせき止めた水を解き放つと、海が彼らの上に襲いかかり、水の中に鉛のように沈んだとあります。まさに思ってもいなかった結果なのです。
この歌は、この奇跡を聞いた周辺諸国の民の驚きをも描いています。ですからこの歌はのちの時代に書き加えられ、整えられてできた歌なのです。最初はミリアムが同じ言葉で、主をたたえる言葉を繰り返すだけの賛美だったのだろうと思います。ですから、イスラエルの人々もそれと同じ言葉を繰り返し叫び賛美をささげたのだと思います。後のことかもしれませんが、周辺諸国の人々はこの話をどのように受け止めたでしょうか。14節から19節です。
出
15:14 諸国の民はこれを聞いて震え/苦しみがペリシテの住民をとらえた。
出
15:15 そのときエドムの首長はおののき/モアブの力ある者たちはわななきにとらえられ/カナンの住民はすべて気を失った。
出
15:16 恐怖とおののきが彼らを襲い/御腕の力の前に石のように黙した/主よ、あなたの民が通り過ぎ/あなたの買い取られた民が通り過ぎるまで。
出
15:17 あなたは彼らを導き/嗣業の山に植えられる。主よ、それはあなたの住まいとして/自ら造られた所/主よ、御手によって建てられた聖所です。
出
15:18 主は代々限りなく統べ治められる。
出
15:19 ファラオの馬が、戦車、騎兵もろとも海に入ったとき、主は海の水を彼らの上に返された。しかし、イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んだ。
諸国の民はこれを聞いて震えたとあります。長年の敵となる地中海側のペリシテ人はそれを聞いて苦しみ、エドムも、モアブもカナンもその話を聞いておののきわなないたのです。エジプトでさえも全滅させたイスラエルの神に、勝つことはできないと思ったのです。海の中に道さえも作るイスラエルの神は最強の神だと思ったのです。
イスラエルの民は、この日、救われた喜びを表すためにミリアムの小太鼓を先頭に、ミリアムが語る賛美の歌をイスラエル全体でともに歌って、その喜びを表しました。この歌にはその喜びが満ち溢れ、神の業の絶大なることに畏れをもって、感謝し、賛美しているのです。
転
この大きな喜びから三日もたたないうちに、イスラエルには不満が生じました。22節から24節です。
出
15:22 モーセはイスラエルを、葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒れ野に向かって、荒れ野を三日の間進んだが、水を得なかった。
出
15:23 マラに着いたが、そこの水は苦くて飲むことができなかった。こういうわけで、そこの名はマラ(苦い)と呼ばれた。
出
15:24 民はモーセに向かって、「何を飲んだらよいのか」と不平を言った。
イスラエルの民は葦の海から旅立って、シェルの荒れ野に向かって進みました。シェルの荒れ野というのはエジプトとシナイ半島の間にある荒れ野です。今でいうと、スエズ運河の東側に相当します。ですから、まだエジプトからそれほど離れてはいないのです。その荒れ野を3日ほど進んだけれども水がなかったのです。そしてマラという水場に着いたのですが、そこの水は苦くて飲むことができなかったと言います。イスラエルの民は、三日前の感謝と賛美を忘れて、モーセに「何を飲んだらよいのか」と不平を言ったのです。私たちはどんなに神様がよくしてくださっても、その恵みをすぐ忘れて、罪を犯し、不平を言い、神様を忘れてしまうのです。この繰り返しが人間の歴史なのです。このような苦難にあった時、不平を言うのではなく、神様が次は何をして下さるだろうかと期待するのが信仰なのです。その期待が、大きな奇跡を生み出すのです。
イスラエルの人々が、モーセに不平を言ってきたとき、モーセはどうしたでしょうか。25節から27節です。
出
15:25 モーセが主に向かって叫ぶと、主は彼に一本の木を示された。その木を水に投げ込むと、水は甘くなった。その所で主は彼に掟と法とを与えられ、またその所で彼を試みて、
出
15:26 言われた。「もしあなたが、あなたの神、主の声に必ず聞き従い、彼の目にかなう正しいことを行い、彼の命令に耳を傾け、すべての掟を守るならば、わたしがエジプト人に下した病をあなたには下さない。わたしはあなたをいやす主である。」
出
15:27 彼らがエリムに着くと、そこには十二の泉があり、七十本のなつめやしが茂っていた。その泉のほとりに彼らは宿営した。
モーセはやはり信仰者です。人々がモーセに文句を言ってもモーセはそれを人々に言い返すことはしません。モーセは必ず神様に向かうのです。そしてどうしたらよいかを尋ねるのです。これが信仰者なのです。モーセが主に向かって叫ぶと、主は彼に一本の木を示された。その木を水に投げ込むと、水は甘くなった、書かれています。神様はその解決の方法を与えられたのです。海をも開いて救い出してくださる神様が、一本の木で水を飲めるようにすることくらい、簡単なことなのです。そのことに心を留めない者が不信仰な者なのです。ですが神様はモーセを試みてこう言われたのです。「もしあなたが、あなたの神、主の声に必ず聞き従い、彼の目にかなう正しいことを行い、彼の命令に耳を傾け、すべての掟を守るならば、わたしがエジプト人に下した病をあなたには下さない。わたしはあなたをいやす主である。」なぜ神様はモーセにこんなことを言ったのでしょうか。モーセは神様に従ったのではないのでしょうか。ですが、モーセにも同じような不平が心の中で起こったのだと思います。ですが、モーセは神様に向かいました。ですが心の中を見られる神様が、モーセに、神に必ず聞き従い、正しいことを行い、すべての掟を守ることを約束させたのには、そうではないことがモーセにもあったのだと思います。きっとモーセでさえも、3日もすれば神様の恵みを忘れてしまうところがあったのです。
結
イスラエルの民は、ミリアムの小太鼓で音頭を取り、その歌に合わせて、イスラエル中で神様を賛美しました。それは救いの歓喜の頂点でした。ですがその喜びも、三日もすれば忘れてしまうのが人間です。飲む水がないと言ってすぐに騒ぎ出すのです。モーセも心の中で不平を叫んでいたのだと思います。今日の聖書の話は、私達がいかに恩知らずなものであるかを思わされます。どんなに大きな恵みを与えられ、また感謝をささげたとしても、ちょっと眼先につらいことああるとすぐに不平を言うものです。私たちはこのことを乗り越えて、どんなことがあっても神様の救いの御業を信じるものとして生きていきたいと思うものです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。私たちの恩知らずの罪をお許しください。あなたがどんなに多くの恵みを与えてくださったか、どんなに多くの救いを与えてくださっているかを忘れて、小さな不足に、つぶやき、不平を言い、神様に逆らおうとさえするものです。神様が多くの恵みを与えてくださったのだから、次もきっと与えてくださるに違いないとの信仰の上に立てないのです。神様どうか私たちの信仰を確かなものにし、どんなに不足があっても困難があってもいつもあなたに期待し、信じて歩んでいくことができるように導いて下さい。この祈りを、主イエスキリストの御名によって、お祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(旧約聖書:◇出エジプト記)>>
◆海の歌
出
15:1 モーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌をうたった。主に向かってわたしは歌おう。主は大いなる威光を現し/馬と乗り手を海に投げ込まれた。
出
15:2 主はわたしの力、わたしの歌/主はわたしの救いとなってくださった。この方こそわたしの神。わたしは彼をたたえる。わたしの父の神、わたしは彼をあがめる。
出
15:3 主こそいくさびと、その名は主。
出
15:4 主はファラオの戦車と軍勢を海に投げ込み/えり抜きの戦士は葦の海に沈んだ。
出
15:5 深淵が彼らを覆い/彼らは深い底に石のように沈んだ。
出
15:6 主よ、あなたの右の手は力によって輝く。主よ、あなたの右の手は敵を打ち砕く。
出
15:7 あなたは大いなる威光をもって敵を滅ぼし/怒りを放って、彼らをわらのように焼き尽くす。
出
15:8 憤りの風によって、水はせき止められ/流れはあたかも壁のように立ち上がり/大水は海の中で固まった。
出
15:9 敵は言った。「彼らの後を追い/捕らえて分捕り品を分けよう。剣を抜いて、ほしいままに奪い取ろう。」
出
15:10 あなたが息を吹きかけると/海は彼らを覆い/彼らは恐るべき水の中に鉛のように沈んだ。
出
15:11 主よ、神々の中に/あなたのような方が誰かあるでしょうか。誰か、あなたのように聖において輝き/ほむべき御業によって畏れられ/くすしき御業を行う方があるでしょうか。
出
15:12 あなたが右の手を伸べられると/大地は彼らを呑み込んだ。
出
15:13 あなたは慈しみをもって贖われた民を導き/御力をもって聖なる住まいに伴われた。
出
15:14 諸国の民はこれを聞いて震え/苦しみがペリシテの住民をとらえた。
出
15:15 そのときエドムの首長はおののき/モアブの力ある者たちはわななきにとらえられ/カナンの住民はすべて気を失った。
出
15:16 恐怖とおののきが彼らを襲い/御腕の力の前に石のように黙した/主よ、あなたの民が通り過ぎ/あなたの買い取られた民が通り過ぎるまで。
出
15:17 あなたは彼らを導き/嗣業の山に植えられる。主よ、それはあなたの住まいとして/自ら造られた所/主よ、御手によって建てられた聖所です。
出
15:18 主は代々限りなく統べ治められる。
出
15:19 ファラオの馬が、戦車、騎兵もろとも海に入ったとき、主は海の水を彼らの上に返された。しかし、イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んだ。
出
15:20 アロンの姉である女預言者ミリアムが小太鼓を手に取ると、他の女たちも小太鼓を手に持ち、踊りながら彼女の後に続いた。
出
15:21 ミリアムは彼らの音頭を取って歌った。主に向かって歌え。主は大いなる威光を現し/馬と乗り手を海に投げ込まれた。
◆マラの苦い水
出
15:22 モーセはイスラエルを、葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒れ野に向かって、荒れ野を三日の間進んだが、水を得なかった。
出
15:23 マラに着いたが、そこの水は苦くて飲むことができなかった。こういうわけで、そこの名はマラ(苦い)と呼ばれた。
出
15:24 民はモーセに向かって、「何を飲んだらよいのか」と不平を言った。
出
15:25 モーセが主に向かって叫ぶと、主は彼に一本の木を示された。その木を水に投げ込むと、水は甘くなった。その所で主は彼に掟と法とを与えられ、またその所で彼を試みて、
出
15:26 言われた。「もしあなたが、あなたの神、主の声に必ず聞き従い、彼の目にかなう正しいことを行い、彼の命令に耳を傾け、すべての掟を守るならば、わたしがエジプト人に下した病をあなたには下さない。わたしはあなたをいやす主である。」
出
15:27 彼らがエリムに着くと、そこには十二の泉があり、七十本のなつめやしが茂っていた。その泉のほとりに彼らは宿営した。