家庭礼拝 2021年5月12 出エジプト記 6:2-13 モーセの使命
起
前回までの話では、モーセがファラオと交渉して、イスラエルの民をエジプトから去らせて、荒れ野で神様のための祭りをさせてくれ、とお願いしました。すると、ファラオはそれに怒って、こんなことを考えるのはイスラエルの人々が怠けているからだと言って、更に厳しい労働を課していったのです。そのためにイスラエルの人々は、モーセたちを恨んで、あなたたちのために、自分たちはファラオから嫌われて、こんなひどい目にあっていると訴えたのです。これにはモーセも、思っていた通りではないと思い、神様に、どうして、あなたはこの民に災いを下されるのですか、どうしてこの民を救い出してはくれないのですかと訴えたのです。すると神様は、あなたはもうすぐ、私が、ファラオにどんなことをするかを見るだろう。私の強い手で、ファラオはイスラエルの人々を去らせざるを得なくなるだろう、と言ったのです。
この様な約束を、神様がモーセとアロンに与えた後で、神様がモーセに言った話が今日の話になります。神様はイスラエルの人々に、神様の約束を伝えるために、自分が何という名前の神であり、自分とイスラエルの民との関係を歴史を紐解いて、自分はイスラエルの民と契約を交わした神であると言うことをモーセを通して語らせたのです。ところが、イスラエルの民は、モーセのせいで、自分たちはこんなにもひどい目にあっていると思っていたので、モーセの言うことを聞くどころか、お前たちのせいで、こんなひどい目にあっているのだとまで言われているので、モーセはすっかり自信を失ってしまったのです。それなのに、神様はモーセに、ファラオのもとに行って、イスラエルの人々を国から去らせるように言いなさいと命じるのです。自信を失っているモーセはイスラエル人でさえも、私の言うことを聞かないのに、どうしてファラオが私の言うことを聞くでしょうかというのです。それでも神様はモーセとアロンに、イスラエルの人々をエジプトから導き出せと命令をしたのです。これが今日の話となります。
承
神様は自分が何者であるかをこのように語ったのです。2節から4節です。
出
6:2 神はモーセに仰せになった。「わたしは主である。
出
6:3 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名を知らせなかった。
出
6:4 わたしはまた、彼らと契約を立て、彼らが寄留していた寄留地であるカナンの土地を与えると約束した。
神様はモーセに、私は主であると語りました。これだけだと、単に私は神であると言っただけのような気がしますが、これがとても重要であることがわかります。主というのは一般名詞ではなく、もともと使われているのはヤハウェという言葉であり、神様が言ったのは、自分はヤハウェという名の神であると言ったのです。実はこれはイスラエル人に対して初めて明かされた神様の名前なのです。ですから、神様は、わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名を知らせなかった、と言ったのです。いままでは全能の神として、現れたのであって、アブラハム、イサク、ヤコブでさえも神様の名前を知らなかったのです。その名前をモーセに、私はヤハウェであると初めて知らせたのです。神様の名を語ると言うのはとても畏れ多いことなのです。ですからイスラエル人もめったなことではこの名を語りません。
旧約聖書は、もともと一つのものではなく、三つの文書を寄せ集めて編集したものです。J文書という、神様をヤハウェ(主)と呼ぶものと、E文書という神様をエロヒームと呼ぶ文書があり、三つめはP文書という祭儀や祭司、系図や年代に関心を持ち、神の名前はアブラハムなどの父祖に対しては全能の神(エルシャッダイ)として表れており、モーセに至って初めてヤハウェ(主)として表れたのです。
すなわち、今日学んでいる聖書の個所は、このP文書なのです。P文書ではヤハウェ(主)という名はこのモーセの時が初めてですが、J文書ではアダムの孫の時代からヤハウェ(主)という言葉が使われているので、相当昔から使われていたのです。ですから旧約聖書を一つの文書として読むと矛盾が生じるのですが、ここでは初めて主という名前がモーセに知らされたものとして読んで行きましょう。
私の名は主である、と言った神様は更に、アブラハム、イサク、ヤコブの時代に彼らと契約を立て、彼らが寄留していた寄留地であるカナンの土地を与えると約束した、と語りました。そこには神様とイスラエルの民の間に契約があったことを教えたのです。
さらに神様は、モーセたちにこう言ったのです。5節から8節です。
出
6:5 わたしはまた、エジプト人の奴隷となっているイスラエルの人々のうめき声を聞き、わたしの契約を思い起こした。
出
6:6 それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。
出
6:7 そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であり、あなたたちをエジプトの重労働の下から導き出すことを知る。
出
6:8 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると手を上げて誓った土地にあなたたちを導き入れ、その地をあなたたちの所有として与える。わたしは主である。」
神様はイスラエル人にカナンの土地を与えると契約を結んだのですが、イスラエル人はそのカナンの土地を捨てて、エジプトに行ってしまったのです。それで神様はその約束のことを放っておいたのですが、そのイスラエル人がエジプトで初めのころは良かったのですが、人口がどんどん増え始めると奴隷として使われるようになり、そのイスラエル人のうめき声を聞いて、やはり、イスラエル人はカナンの土地に連れ戻すべきだと、その契約のことを思い起こしたというのです。
だから、神様はモーセにイスラエルの人々にこう言いなさいと言いました。それは、「わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う」、と宣言したのです。このように、イスラエル人を奴隷の身分から買い取って、私のものとするということを、このように語りました。わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であり、あなたたちをエジプトの重労働の下から導き出すことを知る、と言ったのです。そしてエジプトから自由になったあなたたちを、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると手を上げて誓った土地にあなたたちを導き入れ、その地をあなたたちの所有として与える、と約束しました。そしてもう一度、私は主であると言いました。これは私はあなたたちの契約の神であるヤハウェであるということです。
転
神様が、モーセにイスラエルの民に語るべき言葉を伝えて、そのように言いなさいと命じた後、モーセはそれをその通り行いましたがどうなったでしょうか。9節から11節です。
出
6:9 モーセは、そのとおりイスラエルの人々に語ったが、彼らは厳しい重労働のため意欲を失って、モーセの言うことを聞こうとはしなかった。
出
6:10 主はモーセに仰せになった。
出
6:11 「エジプトの王ファラオのもとに行って、イスラエルの人々を国から去らせるように説得しなさい。」
モーセは神様の語ったことを、イスラエルの人々に伝えたのですが、誰もモーセの言うことを聞こうとはしなかったのです。それは、イスラエルの人々が厳しい重労働のため意欲を失ったと書かれているのですが、それよりもむしろ、モーセたちのために自分たちが苦しめられているという反感があったのだと思います。モーセたちの指導力は低下してしまったのです。
すると神様はモーセにこう言いました。「エジプトの王ファラオのもとに行って、イスラエルの人々を国から去らせるように説得しなさい。」神様はイスラエルの人々に語るのではなく、直接エジプトの王に交渉して、イスラエルの人々を国から去らせるように説得しなさいというのです。これはもっと大変なことです。神様はこのように、人間の力ではできないようなことを、行いなさいと命じられる方なのです。それは人間の力ではできないが、神様の力でならできることを示そうとしているのです。私たち信仰者も、自分の力ではできなくても、神様の力によって行うことが出来ることを期待しても良いのです。
この命令を聞いて、モーセはどう答えたでしょうか。12節と13節です。
出
6:12 モーセは主に訴えた。「御覧のとおり、イスラエルの人々でさえわたしに聞こうとしないのに、どうしてファラオが唇に割礼のないわたしの言うことを聞くでしょうか。」
出
6:13 主はモーセとアロンに語って、イスラエルの人々とエジプトの王ファラオにかかわる命令を与えられた。それは、イスラエルの人々をエジプトの国から導き出せというものであった。
モーセは主の命令を聞いて、すっかり落胆し、自分にはとてもそんなことはできませんということを、このように語りました。「御覧のとおり、イスラエルの人々でさえわたしに聞こうとしないのに、どうしてファラオが唇に割礼のないわたしの言うことを聞くでしょうか。」と言ったのです。ここで変わった表現が出てきます。それは唇に割礼のない私の言うことを聞くでしょうか、という言葉です。唇に割礼がないとは初めて聞く言葉ですが、どういう意味でしょうか。割礼とはもともと神様との契約のしるしです。すなわち、神様に守られ神様の力が与えられている証です。唇に割礼がないとは、この神様の力が自分の唇には備わっていないということを言おうとしているのです。人間の考えで言えば、同朋のイスラエル人を説得できないのに、どうしてエジプトの王を説得できるだろうかということなのです。それはそれでモーセの思いをも理解することが出来るのです。ですが神様はモーセとアロンに対して、イスラエルの人々をエジプトの国から導き出せ、という命令を与えたのです。それは神の力によって、イスラエル人とエジプトの王を説き伏せよということなのです。果たしてこの使命はうまく果たせるのでしょうか。
結
この様に、モーセとアロンは神様から大きな使命を与えられました。それはモーセたちの力からするととてつもなく大きな使命となりました。たった二人で、当時の最大の帝国の王エジプトのファラオを説き伏せて、イスラエルの人々をエジプトから導き出せというのです。神様はこのように、恐ろしさのあまりにしり込みしてしまいそうな大きな使命を私たちにも与えることがあるのです。その時、私にはできませんではなく、神様とともに行うことが出来るなら、どうか用いてください、やり遂げることが出来ますと、答えなければならないのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、あなたは私たちの能力をはるかに超えた、大きな使命を与えられる方です。私にはできませんと言っても、私と共にあればできると語る方です。私たちは自分の力で、神様の力を推し量るのではなく、ただ神様にゆだねて、自分にはできないことも、神様は成し遂げてくださるという確信をもって歩んでいくことが出来ますように。あなたの栄光があらわされますように。この祈りを、主イエスキリストの御名によって、お祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(旧約聖書:◇出エジプト記)>>
◆モーセの使命
出
6:2 神はモーセに仰せになった。「わたしは主である。
出
6:3 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名を知らせなかった。
出
6:4 わたしはまた、彼らと契約を立て、彼らが寄留していた寄留地であるカナンの土地を与えると約束した。
出
6:5 わたしはまた、エジプト人の奴隷となっているイスラエルの人々のうめき声を聞き、わたしの契約を思い起こした。
出
6:6 それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。
出
6:7 そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であり、あなたたちをエジプトの重労働の下から導き出すことを知る。
出
6:8 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると手を上げて誓った土地にあなたたちを導き入れ、その地をあなたたちの所有として与える。わたしは主である。」
出
6:9 モーセは、そのとおりイスラエルの人々に語ったが、彼らは厳しい重労働のため意欲を失って、モーセの言うことを聞こうとはしなかった。
出
6:10 主はモーセに仰せになった。
出
6:11 「エジプトの王ファラオのもとに行って、イスラエルの人々を国から去らせるように説得しなさい。」
出
6:12 モーセは主に訴えた。「御覧のとおり、イスラエルの人々でさえわたしに聞こうとしないのに、どうしてファラオが唇に割礼のないわたしの言うことを聞くでしょうか。」
出
6:13 主はモーセとアロンに語って、イスラエルの人々とエジプトの王ファラオにかかわる命令を与えられた。それは、イスラエルの人々をエジプトの国から導き出せというものであった。