家庭礼拝 2021年3月3 創世記 50:15-26赦しの再確認ヤコブの死
起
今回で創世記が終了します。2019年8月14日から始まった創世記が73回の水曜会を経て、2021年3月3日に終了いたします。約一年半の長い学びでしたが、それほど長いとは思いませんでした。この水曜会が2010年3月14日に使徒言行録の学びから始めて、ちょうど11年になりますが、その中でも特に長い個所でした。でも、内容が物語的なので、飽きずに、続けてくることが出来ました。いまここでそれが終わるのが名残惜しい気さえしてきます。でもまた、次の出エジプト記の長い物語が始まるので、それに期待したいと思います。むしろこの11年の間、特別の事情のない限り、この水曜会を休むことも、おろそかにすることもなく続けてこられたことに感謝するものです。今回は無理かなと思うことは何度もありましたが、不思議な御手の導きによって、続けてこられたのは奇跡と思えるほどなのです。神様がともにいてくださいますとの思いをもって、今回の最後の創世記の学びをしたいと思います。
この創世記の最後はヤコブ物語と、ヨセフ物語が並行して語られているようなところです。先週のヤコブの葬儀によってヤコブ物語が完結したように、ヨセフ物語は、今日のヨセフの死の個所をもって完結するのです。このヨセフの死と、ヤコブの死には、似たような記述が並行して書かれていて、ヨセフもまたヤコブと同じようにして死んだと言うことが強調されているような気がします。そしてヨセフの死の前には、兄弟たちと赦しの再確認をして、兄弟たちを安心させると言う設定もなされています。これでもう何も思い残すことはないのです。ヤコブとエサウが赦しあいを確認できたように、ヨセフと兄弟たちもまた赦しあいを確認したのです。そしてこの創世記は終わるのです。これは、人類最初の兄弟のカインとアベルの兄弟が、憎しみをもって弟を殺してしまうような関係から始まったものが、最後はヨセフと兄弟たちが信仰に助けられて、許しをもって、完結すると言う関係に至ったと言うことなのです。
承
先週は、兄弟そろってカナンに行き、父ヤコブを埋葬してくる話でしたが、今までは父がいたから、兄弟たちは安心して暮らすことが出来ました。ところが父がいなくなるとヨセフの兄弟たちは急に不安になったのです。それは強大な力を持つヨセフを抑えられるのは父ヤコブしかいなかったのに、その父がいなくなったら、もしかすると、ヨセフは自分たちを恨んで、仕返しをするのではないかと思ったのです。15節から17節です。
創
50:15 ヨセフの兄弟たちは、父が死んでしまったので、ヨセフがことによると自分たちをまだ恨み、昔ヨセフにしたすべての悪に仕返しをするのではないかと思った。
創
50:16 そこで、人を介してヨセフに言った。「お父さんは亡くなる前に、こう言っていました。
創
50:17 『お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎と罪を赦してやってほしい。』お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください。」これを聞いて、ヨセフは涙を流した。
若い時にヨセフをエジプトに売って苦労させた兄弟たちは、そのことを悪いことをしたと思って心に痛みを感じていたので、父がいなくなってヨセフは自分たちに仕返しをするのではないかと心配し始めたのです。それでとても不安になって、人に頼んでヨセフにこう言う話をお父さんのヤコブが言っていたよと言うことを言ってもらうことにしたのです。きっと兄弟たちは父親のヤコブにもその心配を相談したのだと思います。その時ヤコブが言った話をヨセフに伝えてもらったのです。それは、『お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎と罪を赦してやってほしい。』と言うことでした。父ヤコブが、兄たちの罪を許してほしいと言うことを、兄たちが自分でヤコブに言うようにと言うことだったのです。その様に言えばきっとヨセフは許してくれるだろうと言うことを知っていたのです。兄たちは、そのことを自分で言うのではなくて、怖くて人に頼んで言ってもらったのですが、その人は更にヨセフにこう言いました。「お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください。」その人はヤコブが赦してほしいと言ったことを伝えただけでなく、自分でも兄たちが後悔しているから許してほしいとヨセフに頼んだのです。それを聞いたヨセフは涙を流したと言います。ヨセフは何度か涙を流すのですが、それは兄たちが自分の罪を悔いて悩んでいるときなのです。ヨセフはこの時も、兄たちが昔のその出来事のことをまだ悔いており、恐れており、更には苦しんでいて、自分に赦しを願っていることを知って、涙を流したのです。この仲介者が誰かはわかりませんが、ヨセフと兄たちの間を取り持ってとても大切な働きをしたのです。
兄たちは人に頼んで言っただけでなく自分たちでもやってきて、ヨセフにお願いしました。きっと仲介者の話を聞いてきっと大丈夫だろうと思って安心して行ったのだと思います。18節から21節です。
創
50:18 やがて、兄たち自身もやって来て、ヨセフの前にひれ伏して、「このとおり、私どもはあなたの僕です」と言うと、
創
50:19 ヨセフは兄たちに言った。「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。
創
50:20 あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。
創
50:21 どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。」ヨセフはこのように、兄たちを慰め、優しく語りかけた。
兄たちはヨセフのもとに来て、直接自分たちの口で、その赦しのことを話し始めました。そして、ヨセフの前にひれ伏して、「このとおり、私どもはあなたの僕です」と言ったのです。ヨセフが夢で見た、兄たちの刈り入れの束が、ヨセフの刈り入れの束の周りに集まってひれ伏した、と言うことがここでも事実になっているのです。兄たちはもう兄としてよりも、私どもはあなたの僕ですと、はっきりとその立場の違いを語ったのです。このように言ったのは、ヨセフはエジプトの宰相であり、人を裁く権限も持っていたからです。ですがヨセフは謙遜にこう言ったのです。「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。」こう言ったのです。裁くのは神様であるから、自分が神様に代わることはできないと言い、自分が奴隷としてエジプトに売られてきたのは神様がそれを用いて、多くの民の命を救うために、自分を先に遣わしてくださったのですと、すべては神様の御計画であったことを語ったのです。そして安心させるために、私があなたたちの生活を保証し守りますと言ったのです。このようにして、ヨセフと兄たちの間に、赦しが成立したのです。ヨセフは最後まで、人を恨んだり、運命を恨んだりすることはありませんでした。そこにいつも神様の御計画を見ていたからです。
転
このようにして兄たちとのわだかまりを解消して、ヨセフはヤコブと同じように大往生をするのです。その記述はヤコブのそれと同じように書かれているような気さえします。22節から26節です。
創 50:22 ヨセフは父の家族と共にエジプトに住み、百十歳まで生き、
創 50:23 エフライムの三代の子孫を見ることができた。マナセの息子マキルの子供たちも生まれると、ヨセフの膝に抱かれた。
創 50:24 ヨセフは兄弟たちに言った。「わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。」
創 50:25 それから、ヨセフはイスラエルの息子たちにこう言って誓わせた。「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。」
創 50:26 ヨセフはこうして、百十歳で死んだ。人々はエジプトで彼のなきがらに薬を塗り、防腐処置をして、ひつぎに納めた。
ヤコブとヨセフの記述がどのように似通っているのかを比較してみてみましょう。まずその生涯ですが、ヤコブの生涯は147年であるのに対し、ヨセフは110歳まで生きたとありますから、だいぶ短くなります。これからはもうそんなに長生きする人はいなくなるのです。
まず、ヨセフが孫たちを抱く話が出てきます。エフライムの曽孫とマナセの曽孫もヨセフの膝に抱かれました。ヤコブの場合はヨセフの子供の孫である、マナセとエフライムを抱きしめて、祝福を与える話が出てきます。
次に、ヨセフは兄弟たちにもうすぐ自分が死ぬことをつげ、神様がエジプトから、カナンの約束の地に導いて下さることをこう語ります。「わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。」と言いました。一方ヤコブの場合はヨセフにこう言うのです。「間もなく私は死ぬ、だが、神がお前たちとともにいてくださり、きっとお前たちを先祖の国に導きかえらせてくださる。」このように同じように残された人々に言うのです。
三つめは、ヨセフがイスラエルの息子たちにこう言って誓わせたことです。「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。」一方、ヤコブの場合には、ヨセフにこう誓わせたのです。「私をこのエジプトには葬らないでくれ、私が先祖たちと共に眠りについたなら、私をエジプトから運び出して、先祖たちの墓に葬ってほしい。」ヨセフが「必ずおっしゃる通りにいたしますと答えると、「では誓ってくれ」と言ってヨセフに誓わせたのです。
このように、ヤコブの最後とヨセフの最後に語ったことはとても似ているのです。まるで二人で一つのような感じです。共通のことをもう一度振り返ると、二人ともとても長生きして、晩年は孫や曽孫を抱いて、喜び、自分が死ぬことが近いことを語った時には、神様が必ず、イスラエルの民をエジプトから、カナンへ導いて下さることを語り、そして自分が死んだ後にはその遺体や遺骨をエジプトから運び出して、カナンの地に葬ってほしいと言うことを言ったことです。やはり、ヤコブにとってもヨセフにとってもカナンの地はイスラエル民族にとってはとても大切な約束の地だったのです。
ヨセフはこのようにして、百十歳で死にました。人々はエジプトで彼のなきがらに薬を塗り、防腐処置をして、ひつぎに納めた、と書かれています。ヤコブもまた防腐処理をされていたことも同じです。ヨセフの遺骨がカナンの地に運ばれていくのには、モーセによる出エジプトを待つことになるのです。
結
この様にして、ヤコブとヨセフの一生は終わりました。二人とも最後は孫に囲まれ、祝福された人生を終えることになるのです。ですが気になるのは、神様に約束されたカナンの地です。ヤコブもヨセフも死んだ後にはカナンに埋葬してほしいと言うことを願い、イスラエルの民が、何時か神様によって導き出されて、戻る日の来ることを予言していたのです。イスラエルの民の長い旅はまだまだこれからも続きます。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、この長い創世記を最後まで学ぶことが出来て感謝いたします。ヤコブの最後とヨセフの最後がこのように似た状態で終わっているのに気づかされました。これが祝福されたものの人生の最後かもしれません。そして祝福されたものは神様の知恵によって、後世に進むべき道を指し示してその命を全うしていったのです。まことに感慨深い人生であります。私たちもまた、アブラハムイサク、ヤコブヨセフの人生に倣って、この人生を歩み通すことが出来ますように。この世に倣うのではなく、イエス・キリストの道に倣うものでありますように。
この祈りを、主イエスキリストの御名によって、お祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(旧約聖書:◇創世記)>>
◆赦しの再確認
創
50:15 ヨセフの兄弟たちは、父が死んでしまったので、ヨセフがことによると自分たちをまだ恨み、昔ヨセフにしたすべての悪に仕返しをするのではないかと思った。
創
50:16 そこで、人を介してヨセフに言った。「お父さんは亡くなる前に、こう言っていました。
創
50:17 『お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎と罪を赦してやってほしい。』お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください。」これを聞いて、ヨセフは涙を流した。
創
50:18 やがて、兄たち自身もやって来て、ヨセフの前にひれ伏して、「このとおり、私どもはあなたの僕です」と言うと、
創
50:19 ヨセフは兄たちに言った。「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。
創
50:20 あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。
創
50:21 どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。」ヨセフはこのように、兄たちを慰め、優しく語りかけた。
◆ヨセフの死
創
50:22 ヨセフは父の家族と共にエジプトに住み、百十歳まで生き、
創
50:23 エフライムの三代の子孫を見ることができた。マナセの息子マキルの子供たちも生まれると、ヨセフの膝に抱かれた。
創
50:24 ヨセフは兄弟たちに言った。「わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。」
創
50:25 それから、ヨセフはイスラエルの息子たちにこう言って誓わせた。「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。」
創
50:26 ヨセフはこうして、百十歳で死んだ。人々はエジプトで彼のなきがらに薬を塗り、防腐処置をして、ひつぎに納めた。