家庭礼拝 2020年11月25日 創世記 39:1-23 ヨセフとポティファルの妻
起
この章から、いよいよヨセフのエジプトでの物語が本格的に始まります。このヨセフ物語では、不思議に神様が現れてきません。アブラハム、イサク、ヤコブの時は、神様が、現実に現れたり、夢の中で現れたりするのですが、ヨセフ物語ではそれがないのです。この物語での神様の現れ方は、この章でも何度も出てくる言葉ですが、「主がヨセフと共におられた、」という言葉なのです。
今日の章の話では、ヨセフが奴隷として買い取られたところの主人に見込まれて、すべての財産の管理を任されると言う大変な、待遇を与えられたのですが、それも主がヨセフと共におられた、という言葉で、支えられているのです。そしてまたその妻に、意地の悪い罪をかぶせられ、牢屋に入れられた時も、主が共におられたので、看守長の目にかなうようになったことや、獄中の囚人を取り仕切るように任せられた時も、主が共におられたのでうまくいったことなど、神様がヨセフに現れたと言うよりも、いつも神様はヨセフと共におられたので、どんなときにも素晴らしい恵みと導きとが与えられたと言うことが強調されているのです。すなわちインマヌエルなのです。インマヌエルとは「神は、われらと共におられる」という意味です。インマヌが、我らとともにいる、という意味で、エルは神です。それで、インマヌエルが、神は我らと共におられる、ということなのですが、このヨセフ物語のテーマはここにあるのです。ヨセフには神様がいつも共におられたので、どのような苦難災難にあっても、少しも騒がず、ただ神様にゆだねて、神様の解決を待っていると、素晴らしい出来事が現れることを表しているのです。
私たちも、この言葉、主が共におられる、インマヌエル、と言って、この世の事には動じないで、信仰をもって歩んでいきたいと思います。このインマヌエルという言葉はイエス様を指し示すこともあります。それはイザヤ書7章にインマルエルの預言というのがあります。それは14節に、「それゆえ、私の主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、乙女が身ごもって、男の子を生み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」クリスマスの時によく語られる言葉ですが、このインマヌエルがイエス様のことを予言するものであり、イエス様が、神様が共におられる方である、ということなのです。このヨセフにもイエス様に通じるものがあるのです。
承
さて、エジプトに売られたヨセフはその後どうなったのでしょうか。1節と2節です。
創
39:1 ヨセフはエジプトに連れて来られた。ヨセフをエジプトへ連れて来たイシュマエル人の手から彼を買い取ったのは、ファラオの宮廷の役人で、侍従長のエジプト人ポティファルであった。
創
39:2 主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。彼はエジプト人の主人の家にいた。
このように、ヨセフを買い取ったのは、ファラオすなわちエジプトの王様の宮廷の役人で、侍従長のエジプト人ポティファルでした。彼が、穴に落とされていたヨセフを買い取ったイシュマエル人から、更に買い取ったのです。奴隷は普通は力仕事の労働をする仕事を割り当てられ、ごくわずかの人が、家の中で家事や、執事や、教育者のような仕事を割り当てられました。ヨセフは姿も顔も良かったので、宮廷につかえる侍従長に気に入られたのです。そして、主がヨセフと共におられたので、ヨセフは何事においてもうまくやることができたので、この侍従長の家にいることができたのです。ここで最初の「主がヨセフと共におられた」と言う言葉が出てきます。
そしてそのあと、ヨセフはこの侍従長の家で何をしていたでしょうか。3節から6節です。
創
39:3 主が共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計らわれるのを見た主人は、
創
39:4 ヨセフに目をかけて身近に仕えさせ、家の管理をゆだね、財産をすべて彼の手に任せた。
創
39:5 主人が家の管理やすべての財産をヨセフに任せてから、主はヨセフのゆえにそのエジプト人の家を祝福された。主の祝福は、家の中にも農地にも、すべての財産に及んだ。
創
39:6 主人は全財産をヨセフの手にゆだねてしまい、自分が食べるもの以外は全く気を遣わなかった。ヨセフは顔も美しく、体つきも優れていた。
ヨセフは、この侍従長の家で、何をするにしてもうまくすることが出来たので、ヨセフに目をかけて身近に仕えさせ、家の管理をゆだね、財産をすべて彼の手に任せたとあります。大変な信頼が与えられたものです。ここでも、3節に主が共におられ、とあります。ヨセフがすべてうまくできたのは主が共におられたからなのです。ここの主人はそのことをも悟ったのかもしれません。このヨセフには大変な神様が付いているのではないだろうかと思ったのかもしれません。
この様にしてヨセフが主人の家の管理をするようになると、主がその主人の家を祝福されたとあります。そしてその主の祝福は、家の中にも農地にも、すべての財産にも及んだのです。すなわち、家の中の出来事はことごとくうまくいき、農地の収穫は増え、すべての財産も増えて豊かになったのです。ですからその主人はヨセフのことをすっかり信頼して、全財産をヨセフにゆだねて、自分は食べるもの以外は全く気を使わなかったと言います。どんなことが起こっても、すべてヨセフに決めさせたのです。そのヨセフは顔も美しく、体つきも優れていた、とあります。ところがそのことが災いのもとになります。
さて、その災いとはどんなことでしょうか。7節から9節です。
創
39:7 これらのことの後で、主人の妻はヨセフに目を注ぎながら言った。「わたしの床に入りなさい。」
創
39:8 しかし、ヨセフは拒んで、主人の妻に言った。「ご存じのように、御主人はわたしを側に置き、家の中のことには一切気をお遣いになりません。財産もすべてわたしの手にゆだねてくださいました。
創
39:9 この家では、わたしの上に立つ者はいませんから、わたしの意のままにならないものもありません。ただ、あなたは別です。あなたは御主人の妻ですから。わたしは、どうしてそのように大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう。」
その災いとは、ヨセフの体つきが良く顔の美しいのに誘惑されて、主人の妻はヨセフと関係を持とうとして、「私の床に入りなさい。」と誘うようになったのです。でもヨセフはそれは姦淫の罪を犯すことになるので、断りました。そして、「ご存じのように、御主人はわたしを側に置き、家の中のことには一切気をお遣いになりません。財産もすべてわたしの手にゆだねてくださいました。この家では、わたしの上に立つ者はいませんから、わたしの意のままにならないものもありません。ただ、あなたは別です。あなたは御主人の妻ですから。わたしは、どうしてそのように大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう。」と言ったのです。ヨセフはここの主人に大変な恩があるのに、どうして、それを裏切って、姦淫の罪を犯すことが出来るでしょうか。それは大きな悪を働いて、神に罪を犯すことにもなるのですと言って、その誘いを断ったのです。これであきらめてくれればよかったのですが、主人の妻の思いはますます大きくなって何度も誘うようになるのです。大変なことになってしまいました。
さて、ヨセフはどうなってしまうのでしょうか。10節から、15節です。
創
39:10 彼女は毎日ヨセフに言い寄ったが、ヨセフは耳を貸さず、彼女の傍らに寝ることも、共にいることもしなかった。
創
39:11 こうして、ある日、ヨセフが仕事をしようと家に入ると、家の者が一人も家の中にいなかったので、
創
39:12 彼女はヨセフの着物をつかんで言った。「わたしの床に入りなさい。」ヨセフは着物を彼女の手に残し、逃げて外へ出た。
創
39:13 着物を彼女の手に残したまま、ヨセフが外へ逃げたのを見ると、
創
39:14 彼女は家の者たちを呼び寄せて言った。「見てごらん。ヘブライ人などをわたしたちの所に連れて来たから、わたしたちはいたずらをされる。彼がわたしの所に来て、わたしと寝ようとしたから、大声で叫びました。
創
39:15 わたしが大声をあげて叫んだのを聞いて、わたしの傍らに着物を残したまま外へ逃げて行きました。」
主人の妻は、ヨセフに断られてもあきらめることなく、毎日ヨセフに言い寄ったのです。それでもヨセフはそれに耳を貸さず、彼女と一緒にいることはしなかったのです。ところがある日の事、仕事のために家に入ると、家のものが一人も家の中にいなかったのです。きっとこの主人の妻が、計画的に家のものを皆外に出して、誰もいないようにしたのだと思います。すると、いるのはこの主人の妻とヨセフだけになったので、彼女はヨセフの着物をつかんで、「私の床にはいりなさい」とせがんだのです。ヨセフは捕まえられた着物を、彼女の手に残して、外に逃げました。すると主人の妻は逆上して、今度は家の者たちを呼び寄せて、「見てごらん。ヘブライ人などをわたしたちの所に連れて来たから、わたしたちはいたずらをされる。彼がわたしの所に来て、わたしと寝ようとしたから、大声で叫びました。わたしが大声をあげて叫んだのを聞いて、わたしの傍らに着物を残したまま外へ逃げて行きました。」と言ったのです。この主人の妻は自分の願いが聞き届けられなかったので、恋しさ余って、憎さ百倍になり、ヨセフに妻を強姦しようとした罪を、その濡れ衣を着せようとしたのです。そしてその証拠として、ヨセフの着物を見せたのです。ヨセフが兄弟から憎まれて、穴に落とされた時、兄たちはヨセフの服に山羊の血を塗って、獣に食い殺されたとヤコブに証拠として見せたように、この妻もまた、ヨセフが憎くなった時、その濡れ衣の証拠として、ヨセフの服を差し出したのです。そしてまず、家の者たちにそのことを大声で語り、信じさせたのです。
転
全く憎たらしくなるような、自分勝手な女主人ですが、その復讐心はまだ収まらないのです。そしてそのことを主人に告げました。16節から20節です。
創 39:16 彼女は、主人が家に帰って来るまで、その着物を傍らに置いていた。
創 39:17 そして、主人に同じことを語った。「あなたがわたしたちの所に連れて来た、あのヘブライ人の奴隷はわたしの所に来て、いたずらをしようとしたのです。
創 39:18 わたしが大声をあげて叫んだものですから、着物をわたしの傍らに残したまま、外へ逃げて行きました。」
創 39:19 「あなたの奴隷がわたしにこんなことをしたのです」と訴える妻の言葉を聞いて、主人は怒り、
創 39:20 ヨセフを捕らえて、王の囚人をつなぐ監獄に入れた。ヨセフはこうして、監獄にいた。
主人の妻は、主人が家に帰ってくるまで、その着物を傍らに置いておきました。これこそが自分の主張を裏付ける動かぬ証拠となるからです。そして、主人が帰ってくると同じことを言いました。そして、「あなたがわたしたちの所に連れて来た、あのヘブライ人の奴隷はわたしの所に来て、いたずらをしようとしたのです。わたしが大声をあげて叫んだものですから、着物をわたしの傍らに残したまま、外へ逃げて行きました。」と言ったのです。この言い方は単にあのヘブライ人の奴隷が悪いことをしようとした、と訴えたと言うよりも、あなたがあんな人を連れてきたから、こうなったのですよと主人をも非難しているのです。もともとの原因は自分にあるのに、その原因を主人のせいにしているところがあるのです。この言い方はどこかで聞いたことがあるセリフです。それはアダムが禁断の実を食べた時、神様から、取って食べるなと命じた木から食べたのかと、叱られたとき、アダムが言った言葉にそっくりなのです。それは、「あなたが私とともにいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」と言って、自分が食べたのは、あなたが与えたあの女のせいではないかと神様を逆に非難している言い方です。これは自分の罪を認めず、相手にその責任を転嫁する方法です。この主人の妻も、あなたがあんな人を連れてきたから、こうなったのですと、暗に主人を非難しているのです。ですから主人は自分が非難されていることを感じて、ますます激高しヨセフの言い分を聞かずに、ヨセフをとらえて、監獄に入れてしまったのです。
しかしヨセフはそれでも慌てふためいたり、恨んだり、嘆いたりすることはなかったのです。なぜでしょうか。21節から23節です。
創 39:21 しかし、主がヨセフと共におられ、恵みを施し、監守長の目にかなうように導かれたので、
創 39:22 監守長は監獄にいる囚人を皆、ヨセフの手にゆだね、獄中の人のすることはすべてヨセフが取りしきるようになった。
創 39:23 監守長は、ヨセフの手にゆだねたことには、一切目を配らなくてもよかった。主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれたからである。
ヨセフは、このようなとんでもない状況になっても、決して慌てることなく嘆くこともなく、その状況を受け入れていったのです。それは、ヨセフには主が共におられると言う、確信があったからです。主が共におられるならば、どこにいても良いことが起こると信じていたのです。穴の中から引き出されてエジプトに売られても、牢屋の中に入れられても目先の悲劇に目を奪われるのではなく、そこで共におられる主がどうしてくださるのかをいつも信じて待っていたのです。監獄に入れられたヨセフは主によって恵みを与えられ、看守長の目にかなうように導かれました。そして、そこで看守長の信頼を得て、看守長は監獄にいる囚人を皆、ヨセフの手にゆだね、獄中の人のすることはすべてヨセフが取り仕切るようになったのです。これはエジプトに連れてこられて、侍従長に買われていったときに、その主人に目をかけられて信頼され、すべてを管理することを任せられたのとそっくりです。そして、「監守長は、ヨセフの手にゆだねたことには、一切目を配らなくてもよかった。主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれたからである。」とあります。ヨセフにはいつも主が共におられて、すべてを主がうまく計らってくださっていたのです。
結
ヨセフにはいつも主がともにいてくださいました。ですから不思議な夢を見たのもそうだろし、エジプトに奴隷として売られていったときにも、侍従長のもとで信頼されて、大変な仕事を任されたのもそうでした。主人の妻の、言いがかりで、牢に入れられても、そこで今度は看守長の信頼を得て、監獄での管理を任せられたのも、主が共におられたからです。ヨセフはいつも神様が共におられることを知っているので、どんな逆境にあっても、嘆くことも悲しむことがありませんでした。主が必ず良くしてくださると信じていたからです。
これがヨセフ物語の主題なのです。インマヌエルです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。いよいよ、ヨセフのエジプトでの生活が始まりましたが、そこに現れるのはどんな境遇にあっても、取り乱さず、その境遇を受け入れて、ただ神様を見て歩むヨセフの姿です。ヨセフには主がともにいてくださるので、焦ることがありません。心配することもありません。主が良くしてくださることをただ、待ち望んで、淡々と歩む姿です。信仰者としてこの様な姿にあこがれ、主の恵みを待ち望むものです。どうか私たちも、このヨセフの信仰のように主がともにいてくださることを信じて歩ませてください。この世の何事にもとらわれず、ただ主の栄光を待ち望み賛美するものとさせてください。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(旧約聖書:◇創世記)>>
◆ヨセフとポティファルの妻
創 39:1 ヨセフはエジプトに連れて来られた。ヨセフをエジプトへ連れて来たイシュマエル人の手から彼を買い取ったのは、ファラオの宮廷の役人で、侍従長のエジプト人ポティファルであった。
創 39:2 主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。彼はエジプト人の主人の家にいた。
創 39:3 主が共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計らわれるのを見た主人は、
創 39:4 ヨセフに目をかけて身近に仕えさせ、家の管理をゆだね、財産をすべて彼の手に任せた。
創 39:5 主人が家の管理やすべての財産をヨセフに任せてから、主はヨセフのゆえにそのエジプト人の家を祝福された。主の祝福は、家の中にも農地にも、すべての財産に及んだ。
創 39:6 主人は全財産をヨセフの手にゆだねてしまい、自分が食べるもの以外は全く気を遣わなかった。ヨセフは顔も美しく、体つきも優れていた。
創 39:7 これらのことの後で、主人の妻はヨセフに目を注ぎながら言った。「わたしの床に入りなさい。」
創 39:8 しかし、ヨセフは拒んで、主人の妻に言った。「ご存じのように、御主人はわたしを側に置き、家の中のことには一切気をお遣いになりません。財産もすべてわたしの手にゆだねてくださいました。
創 39:9 この家では、わたしの上に立つ者はいませんから、わたしの意のままにならないものもありません。ただ、あなたは別です。あなたは御主人の妻ですから。わたしは、どうしてそのように大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう。」
創 39:10 彼女は毎日ヨセフに言い寄ったが、ヨセフは耳を貸さず、彼女の傍らに寝ることも、共にいることもしなかった。
創 39:11 こうして、ある日、ヨセフが仕事をしようと家に入ると、家の者が一人も家の中にいなかったので、
創 39:12 彼女はヨセフの着物をつかんで言った。「わたしの床に入りなさい。」ヨセフは着物を彼女の手に残し、逃げて外へ出た。
創 39:13 着物を彼女の手に残したまま、ヨセフが外へ逃げたのを見ると、
創 39:14 彼女は家の者たちを呼び寄せて言った。「見てごらん。ヘブライ人などをわたしたちの所に連れて来たから、わたしたちはいたずらをされる。彼がわたしの所に来て、わたしと寝ようとしたから、大声で叫びました。
創 39:15 わたしが大声をあげて叫んだのを聞いて、わたしの傍らに着物を残したまま外へ逃げて行きました。」
創 39:16 彼女は、主人が家に帰って来るまで、その着物を傍らに置いていた。
創 39:17 そして、主人に同じことを語った。「あなたがわたしたちの所に連れて来た、あのヘブライ人の奴隷はわたしの所に来て、いたずらをしようとしたのです。
創 39:18 わたしが大声をあげて叫んだものですから、着物をわたしの傍らに残したまま、外へ逃げて行きました。」
創 39:19 「あなたの奴隷がわたしにこんなことをしたのです」と訴える妻の言葉を聞いて、主人は怒り、
創 39:20 ヨセフを捕らえて、王の囚人をつなぐ監獄に入れた。ヨセフはこうして、監獄にいた。
創 39:21 しかし、主がヨセフと共におられ、恵みを施し、監守長の目にかなうように導かれたので、
創 39:22 監守長は監獄にいる囚人を皆、ヨセフの手にゆだね、獄中の人のすることはすべてヨセフが取りしきるようになった。
創 39:23 監守長は、ヨセフの手にゆだねたことには、一切目を配らなくてもよかった。主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれたからである。