家庭礼拝 2020年9月16日 創世記 32:23-33 ベヌエルでの格闘
起
今日の個所は短い個所です。でもとても印象的な箇所であり、イスラエルという名前が生まれたいきさつが語られている箇所です。イスラエルという名前は、ヤコブの名前が、ヤコブからイスラエルに変わり、そして国の名前もイスラエルとなった名前です。そのイスラエルは今でもイスラエル国家として存在するのです。その意味は神は争うという意味ですが、ここでは神と戦うという意味で使われています。
ヤコブは神様と戦ったのです。なぜ戦ったのでしょうか、それは神様の本当の祝福が欲しかったのです。ヤコブはすでに祝福されたもので多くの恵みが与えられました。でもその祝福は兄エサウをだまし、父イサクをだまして盗み取った祝福なのです。ヤコブはこのことに罪悪感を感じていたのかもしれません。ヤコブという名前は、押しのけるという意味です。それはだますという意味にもとられます。ヤコブは兄を押しのけ、叔父のラバンを押しのけ、そしてここまで大きくなってきたのですが、それが本当に神様の祝福なのか疑問に思ったのかもしれません。それで神様から直接本当の祝福を与えられたかったのです。
兄エサウと再会することになった時、ヤコブはとても恐れました。自分たちは殺されるのではないかと思ったのです。それで自分のものを二つに分けて、兄に送る贈り物と、自分たちのものとを分けていよいよ川のヤボクの渡しを渡っていこうとしているのです。先に家族を渡らせて、ヤコブは一人その川岸にとどまったのです。きっとヤコブはその川を渡って、兄に近づくのが怖かったのです。もしかすると一人で逃げようとしたのかもしれません。
ヤコブは一人その場所にいると、何者かがやってきて、その夜一晩中ヤコブと格闘したのです。普通は夜に何者かがやってきたというときは、強盗に決まっているのです。ところがここでは何か試合でもしているような様子で描かれており、夜明けまでその戦いをして、夜明けになったからもう帰らせてくれとその何者かが言うのです。夜明けを嫌うのは悪魔か強盗なのです。神様とは思えないのですが、ヤコブはその者を、神様と信じて祝福してくれなくては、離さないと言います。そして本当にその者から祝福を得るのです。祝福するのは神様です。ですからヤコブはこの神様と争って勝って、祝福を得たのです。もしかするとこの格闘というのは実際にレスリングのような格闘をしたのではなく、イエス様がゲッセマネで神様に祈り求めた時のような祈りの格闘なのかもしれません。いずれにしてもヤコブは神様と争って、だましてではなくて、正面から戦って、その祝福を得たのです。そしてイスラエルとなったのです。エサウと会うことがどんなに恐ろしく、そしてこの恐怖を乗り越えることがどんなに大変だったのかを教えられる箇所なのです。
承
それでは聖書の言葉を、学んでみましょう。23節から25節です。
創
32:23 その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。
創
32:24 皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、
創
32:25 ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。
ヤコブは、先に贈り物の群れを行かせ、そのあと自分の群れを行かせて、しばらくこの川の側で、休んでいたようです。そして夜になって起き上がり、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った、とあります。この川を渡った場所をヤボクの渡しと言います。もう引き返すことのできない川を渡ったという感じがします。この川を渡らせ、持ち物も全部渡らせて、先に家族を行かせたのです。どうして夜に行かせたのかと言えば、やはり襲われるのが恐ろしかったので、夜のうちに行動したのだと思います。そして皆を先に行かせて、自分だけはそこに残ったのです。兄たちが夜に自分を襲ってくるのかどうかを様子を見ていたのかもしれません。そうすると何者かがやってきて、ヤコブと戦ったのです。格闘したというのですから、レスリングのような戦いをしたのです。ふつう夜にやってきて戦うようなものは強盗のようなものですから、ヤコブは最初は兄の仲間が襲ってきたと思ったことだと思います。でも相手は一人で、ヤコブと夜明けまで格闘したというのです。ですが決着がつきませんでした。26節と27節です。
創
32:26 ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。
創
32:27 「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」
ヤコブと戦った何者かと言われた人は、ここではその人と表現が変えられています。ヤコブの意識の中にその何者かが、神様ではないのかという思いに変わったのです。その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節が外れたと言います。腿の関節と言いますから、きっと股関節なのだと思います。それでもヤコブは戦いをあきらめなかったのです。もう夜明けになるので、「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったのですが、ヤコブはこう答えました。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」と言ったのです。夜明けには帰らなくてはいけないとはまるで、強盗か悪魔なのです。でもヤコブはその人を神様と信じたのです。ヤコブは、祝福してくださるまで離しませんと言って、戦いをやめなかったのです。この戦いというのが、肉体を使った戦いではなく、神様との祈りの戦いであったとすれば、あまりに長い間膝まづいていたために股関節が外れてしまったとも考えられます。でもヤコブはあきらめずに、その祝福を求めたのです。ヤコブは祝福を心から求めた人でした。兄のエサウをだまして、父イサクから祝福をだまし取ったのも、神様の祝福がどんなに大切なものであるかを知っていたからなのです。その祝福さえあれば、何も恐れることはなくなると信じていたのです。それで、その祝福をくださるまで離しませんと言って、戦い続けたのです。
転
そして戦いの決着はついに、ついたのです。ヤコブが勝ったのです。28節から30節です。
創 32:28 「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、
創 32:29 その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」
創 32:30 「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。
その人は、どうしても帰らせてくれないヤコブに根負けして、あきらめました。そして、「お前の名は何というのか」と聞きました。神様なら、ヤコブの名前を知らないはずはありません。これはヤコブという意味の名をわざと言わせたのです。その意味は押しのけるとか騙すと言ったもので、良い意味の名前ではありませんでした。そういった意味では、ヤコブは兄や叔父のラバンを押しのけだまして財産を得てきたのかもしれません。そのひとは、「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」と言いました。イスラエルというのは、神と戦ったものという意味なのです。もうだましたり押しのけたりして祝福を得たのではなく、神様と正々堂々と戦って祝福を得るものになったということを意味しているのです。これからはその名前を名乗りなさいと言われました。これが新しいヤコブの祝福となったのです。ヤコブの祝福は、イスラエルとして本物になったのです。ヤコブは、相手を神様だと思っていたのですが、まだ確信が持てませんでした。神を見たものは死ぬと言われていたからです。それで、どうかあなたのお名前を教えてくださいと、ヤコブが尋ねると、どうして私の名を尋ねるのかと言いました。それはあなたはもう知っているはずだろうという意味です。そして名乗る代わりに、神様が行う祝福をその場でヤコブに与えたのです。
神様が去ったあと一人残されたヤコブは、不思議に思いました。自分はまだ生きていると思ったのです。31節から33節です。
創 32:31 ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。
創 32:32 ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。
創 32:33 こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである。
ヤコブは自分が神様の顔を見て、格闘したのに、まだ生きていると思って不思議に思いました。そのころは神を見たものは死ぬと言われていたからです。神様を見ても死ななかったヤコブは、自分は死なないかもしれないと思ったかもしれません。それまでは兄のエサウに殺されるのではないかとおびえていたのですが、神様を見ても死ななかったことで、自信を持ったようです。そしてその場所をペヌエル(神の顔)と名付けたのです。ヤコブはそのペヌエルを過ぎて、家族の後を追っていったころには太陽が昇っていました。ヤコブは神様と戦った時に、腿の関節を外されて、足を引きずって歩いていました。この話を伝え聞いたイスラエルの人々は、今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べないのだそうです。それは神様がその腰の筋のところを打った神聖な場所なので、それを思い起こして、食べないようにしているのです。きっとヤコブはこの出来事の後、どうしてビッコになってしまったのかと聞かれたときにこの神様と格闘した話をして、その時にこの筋を神様が打たれたのだと話したのだと思います。そしてこのようにしてイスラエルの名前はその伝説と共に伝えられたのです。
結
ヤコブはエサウと会うことの恐ろしさのためにいろいろと準備をしました。それでもその恐ろしさは消えませんでした。家族を夜の間に、川を渡らせ先に行かせて一人残っても、まだ不安でたまりませんでした。きっと一人残ってそこで激しい祈りを捧げていたのではないでしょうか。それはイエス様のゲッセマネの祈りのような激しい祈りではなかったでしょうか。この時のことを、ヤコブは、神様と一晩中格闘をしたと語りました。その中で神様はヤコブの股関節を打って、関節を外したのですが、それでもヤコブはあきらめなかったのです。それで神様のほうが根負けして、ヤコブに祝福を与えることにしたのです。神様はこのように、あきらめずに祈り求めるものには、その祈りをかなえてあげるのです。神様はヤコブにその名前は捨ててイスラエルという名前を名乗るように言いました。神様に勝ったのだから新しい生き方をしなさいと教えたのです。この時の出来事はその後の伝説となり、イスラエルの名前が永遠に続きイスラエルの人々はこの時のことを語り草にしたのです。
(一分間黙想)(お祈り)
神様、ヤコブは一人川のほとりに残って、神様との格闘をしました。その格闘はどんなものかわわかりませんが、ヤコブは最後まであきらめずに戦い祝福を得ました。私たちに必要なのも、どんなときにも最後まであきらめずにあなたに願い求める信仰の力です。自分の力ではできなくても神様ならできると信じる力です。その信仰によってヤコブはヤコブからイスラエルに脱皮しました。私たちもあなたの信仰によって新しく生まれ変わるものとなりますように。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
<<聖書の箇所(旧約聖書:◇創世記)>>
◆ペヌエルでの格闘
創
32:23 その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。
創
32:24 皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、
創
32:25 ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。
創
32:26 ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。
創
32:27 「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」
創
32:28 「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、
創
32:29 その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」
創
32:30 「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。
創
32:31 ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。
創
32:32 ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。
創
32:33 こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである。