家庭礼拝 2020年9月2日 創世記 31:43-32:1ヤコブとラバンの契約

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起 

今日の話はずるがしこいラバンと、そこで忍耐してきたヤコブとが平和的に契約して、無事に分かれるという話になります。物語というのはいつもどちらかの視点で書かれていて、主人公側はいつもよく描かれ、相手側はいつも悪く書かれるのが普通です。特に歴史的な書物などは、勝利したほうがすべてよく書かれ、負けたほうはぼろくそに書かれるのが普通です。そのように考えると果たしてラバンは本当にずるがしこい人だったのでしょうか。ずるがしこいと言えば、ヤコブもまたずる賢かったのです。兄のラバンをだまし、父親のイサクをもだまして、父親の祝福を盗んだのです。そしてそこにいられなくなってラバンのところに来たのですが、もしかするとラバンの息子たちが言っていたように、「ヤコブは我々の父のものを全部奪ってしまった。父のものをごまかして、あの富を築き上げたのだ」という言葉が、真実であった可能性もあるのです。それでもヤコブはやはり主に祝福されていたのです。そのようなヤコブもいろいろな経験の中で成長し、だんだんと神様の御心に近づいていくようになるのです。

ラバンが本当によこしまな人間であったなら、夢で現れたヤコブの神様の声になど従うはずがなかったし、ヤコブと平和的に契約をして、お互いに不可侵条約を結ぶようなこともしなかったはずです。ヤコブとラバンにはもともと考え方の違いがあったのですが、だからと言ってヤコブのほうが正しいとは言えないのです。ラバンの考え方には、たとえヤコブが自分の娘と結婚しても、娘たちも、孫たちも自分のものであり、その財産の家畜ももともと自分のものなのだから自分のものであると考えたことは当時のその地方の考え方では正しかったのかもしれません。それをヤコブ寄りで見ると、ラバンが強欲で、人をだましてばかりいる不誠実な人間だということになるのかもしれません。今日の聖書の個所には、どちらかというとラバンの人となりが比較的素直に書かれており、ラバンも悪い人ではなかったのではないかと思わされるのです。

今日の話は、ラバンが盗まれた守り神を探しても見つからず、ヤコブが反撃して、自分は誠実にあなたに仕えてきたのに、どうしてこんなことをするのかと言った話の後の続きです。ラバンがどういう思いでヤコブを追いかけてきたかがわかる話です。43節です。

創 31:43 ラバンは、ヤコブに答えた。「この娘たちはわたしの娘だ。この孫たちもわたしの孫だ。この家畜の群れもわたしの群れ、いや、お前の目の前にあるものはみなわたしのものだ。しかし、娘たちや娘たちが産んだ孫たちのために、もはや、手出しをしようとは思わない。

ラバンは自分の盗まれたものを取り返そうとして追いかけてきたのです。ラバンにとって、この娘たちも孫たちも自分のものであって、この家畜の群れも私のものだ。いや、お前の目の前にあるものは皆私のものだという、当然の権利を取り戻そうとしてやってきたのです。ですがラバンがヤコブに追いついて、守り神の像を探している間に、連れ戻しに来た父親を喜んでくれると思ったら、娘たちも孫たちもヤコブの側にいて、連れ戻すことが困難であることが分かったのです。ですから、本当は自分のものだけれども、娘たちと孫たちの事を思って、もはや取り返そうとは思わないと言ったのです。そう考えると、ラバンは自分のことだけ考える強欲な人ではなく、娘や孫たちの幸せを考えて、引き下がることのできる、やさしい人だったのです。

そして、その関係を明確にするために、きちんと契約を結んで、後腐れ無い様にしようと言ったのです。それはどんな契約でしょうか。44節から47節です。

創 31:44 さあ、これから、お前とわたしは契約を結ぼうではないか。そして、お前とわたしの間に何か証拠となるものを立てよう。」

創 31:45 ヤコブは一つの石を取り、それを記念碑として立て、

創 31:46 一族の者に、「石を集めてきてくれ」と言った。彼らは石を取ってきて石塚を築き、その石塚の傍らで食事を共にした。

創 31:47 ラバンはそれをエガル・サハドタと呼び、ヤコブはガルエドと呼んだ。

 ラバンはここで、ヤコブと契約を結んだという証拠となるものを立てようと提案しました。これが契約のハンコに相当するものです。契約のハンコはお互いに押さないと契約になりませんが、ヤコブは一つの石を取り、それを記念碑として立てました。きっと大きな石だったのだと思います。その石を見ればここでどんな契約がなされたかがわかるようにしたのです。そこには証人もいるからです。一方ラバンは石を集めて、石塚を作ったのです。どのように配置したのかはわかりませんが、どうも、記念碑を立てた話と石塚を作った話とはもともと別々の伝承のようです。そして石塚とはラバンのところとヤコブのところを分ける境界線を石塚で作ったという伝承があるのです。そして、彼らはその石垣の傍らで食事を共にしたと言います。契約成立のお祝いをしたのです。ラバンはその場所をエガル・サハドタと呼びヤコブはガルエドと呼ぶようになったと言います。

どうしてそのように呼ぶようになったのかは次の個所に書かれています。48節から50節です

創 31:48 ラバンはまた、「この石塚(ガル)は、今日からお前とわたしの間の証拠(エド)となる」とも言った。そこで、その名はガルエドと呼ばれるようになった。

創 31:49 そこはまた、ミツパ(見張り所)とも呼ばれた。「我々が互いに離れているときも、主がお前とわたしの間を見張ってくださるように。

創 31:50 もし、お前がわたしの娘たちを苦しめたり、わたしの娘たち以外にほかの女性をめとったりするなら、たとえ、ほかにだれもいなくても、神御自身がお前とわたしの証人であることを忘れるな」とラバンが言ったからである。

 ここでは、ヤコブが呼んだガルエドという名前の由来を語っています。それはラバンが「この石塚(ガル)は、今日からお前とわたしの間の証拠(エド)となる」と言ったことからガルエドと呼ばれるようになったと書かれています。このガルエドという地名もエガル・サハドタという地名も調べても出てきません。ギレアドにはそんな地名はないのです。その代わりミツパという地名は旧約聖書には6つほど出てきます。見張り所という意味なのであちこちにあったのかもしれません。ですがギレアドの山中にはそのような場所はありませんでした。ですからこの契約の場所がどこなのかは正確にはわかりません。この契約の話に二つの伝承がありそれが旧約聖書では一つにされたので少しわかりにくくなっています。一つはヤコブとラバンが結んだ契約はここに書かれているように、「お前がわたしの娘たちを苦しめたり、わたしの娘たち以外にほかの女性をめとったりしないように」という契約であり、そのための記念碑なのです。これからするとラバンはとても子供や孫を愛した良い父親のようです。もう一つの契約の伝承が、石塚で線を引いてヤコブにはこちらに来てはいけないと言い、自分はこれから向こうにはいかないという不可侵条約のような平和条約のような契約なのです。この二つがこの話の中では一つのこととして語られているのです。

そのことは51節と52節にも語られています。

創 31:51 ラバンは更に、ヤコブに言った。「ここに石塚がある。またここに、わたしがお前との間に立てた記念碑がある。

創 31:52 この石塚は証拠であり、記念碑は証人だ。敵意をもって、わたしがこの石塚を越えてお前の方に侵入したり、お前がこの石塚とこの記念碑を越えてわたしの方に侵入したりすることがないようにしよう。

 このように、石塚は国境のような感じで、石の壁を作ったようです。お互いにこの石塚を越えて侵入しないようにという契約なのです。そして記念碑は、ヤコブが娘たち以外の女性をめとったりしないという約束の記念碑なのです。どれもこれもラバンが娘と孫たちを思って行った契約なのです。このように考えるとラバンはとてもいい父親であり、祖父でであり、よい人間だったのではないでしょうか。

 そして、これらの話がまとまると、二人はそれぞれの神に祈り誓うのでした。53節から32章1節までです。

創 31:53 どうか、アブラハムの神とナホルの神、彼らの先祖の神が我々の間を正しく裁いてくださいますように。」ヤコブも、父イサクの畏れ敬う方にかけて誓った。

創 31:54 ヤコブは山の上でいけにえをささげ、一族を招いて食事を共にした。食事の後、彼らは山で一夜を過ごした。

創 32:1 次の朝早く、ラバンは孫や娘たちに口づけして祝福を与え、そこを去って自分の家へ帰って行った。

 ラバンはこれらのことを語った後で、「どうか、アブラハムの神とナホルの神、彼らの先祖の神が我々の間を正しく裁いてくださいますように。」と祈りました。これらのことを神様にゆだねたのです。アブラハムの神とナホルの神とは違うのでしょうか。ナホルというのはアブラハムの兄弟です。そしてそのナホルの子孫がラバンなのです。アブラハムの神はイサク、ヤコブとその祝福を受け継いできました。そしてナホルの神様もラバンへと受け継がれてきたのです。もともとは同じ神様であったかもしれませんが、受け継がれるうちにその神様が違ってきたのです。ラバンはその両方の神様を立てて、アブラハムの神とナホルの神が我々の間を正しく裁いて下さいますようにと祈り、ヤコブもまた、アブラハム、イサクの神様に祈って誓ったのです。そしてその誓いを見張ってくださるのか神様であって、見張るという意味のミツパという地名が与えられたのです。そのあと、ヤコブは更に山の上でいけにえを捧げ、一族を招いて食事を共にしたと言います。まったく平和的にこの契約が成立したのです。

 そして次の日の朝早くに、ラバンは孫や娘たちに口づけして祝福を与え、自分の家に帰って行きました。ヤコブの神様とラバンの神様は少し違うのかもしれませんが、その信仰心というところでは神様に委ねて従うものとしての生き方は同じです。ですから、イサクもリベカも、兄のラバンのところからヤコブの嫁を貰うことを勧めたのです。きっと信仰的な価値観が同じだったのでしょう。このことはついに実現し、そして独り立ちして、ヤコブは帰ることになったのです。

ヤコブは、20年の歳月を経て、やっとラバンのくびきから解放されました。それは平和的な解決でした。二人は契約を結び、もうお互いに干渉しないことを誓ったのです。そこにはもともと同じ神様を信じている者同士の信頼があったのかもしれません。ヤコブは、イサクから与えられた祝福をもって、神様と共に歩み、来た時には無一物でしたが、帰るときには妻を二人と多くの子供たち、そして多くの家畜や財産をもって、故郷に帰ることができたのです。神様はヤコブを祝福し、多くの恵みを与え、ラバンとも争うことなく平和に契約を結ぶことができたのです

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。イサクとラバンは平和的に契約を結び、お互いの侵入が無いように、そして、娘や孫たちを大切にするようにという契約をして、別れることができました。そこには信仰に根差した信頼関係があったのだと思います。イサクがヤコブを祝福したその祝福はいつまでもヤコブに恵みを与え続けました。ヤコブはその信仰によって、大きな恵みを与えられました。私たちもまた、神様によって祝福されたものであることを思います。どのようなことになっても、最後まで神様の祝福を忘れず、その恵みの豊かさを信じて歩むことができますように。この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。


<<聖書の箇所(旧約聖書:◇創世記)>>  

◆ヤコブとラバンの契約

創 31:43 ラバンは、ヤコブに答えた。「この娘たちはわたしの娘だ。この孫たちもわたしの孫だ。この家畜の群れもわたしの群れ、いや、お前の目の前にあるものはみなわたしのものだ。しかし、娘たちや娘たちが産んだ孫たちのために、もはや、手出しをしようとは思わない。

創 31:44 さあ、これから、お前とわたしは契約を結ぼうではないか。そして、お前とわたしの間に何か証拠となるものを立てよう。」

創 31:45 ヤコブは一つの石を取り、それを記念碑として立て、

創 31:46 一族の者に、「石を集めてきてくれ」と言った。彼らは石を取ってきて石塚を築き、その石塚の傍らで食事を共にした。

創 31:47 ラバンはそれをエガル・サハドタと呼び、ヤコブはガルエドと呼んだ。

創 31:48 ラバンはまた、「この石塚(ガル)は、今日からお前とわたしの間の証拠(エド)となる」とも言った。そこで、その名はガルエドと呼ばれるようになった。

創 31:49 そこはまた、ミツパ(見張り所)とも呼ばれた。「我々が互いに離れているときも、主がお前とわたしの間を見張ってくださるように。

創 31:50 もし、お前がわたしの娘たちを苦しめたり、わたしの娘たち以外にほかの女性をめとったりするなら、たとえ、ほかにだれもいなくても、神御自身がお前とわたしの証人であることを忘れるな」とラバンが言ったからである。

創 31:51 ラバンは更に、ヤコブに言った。「ここに石塚がある。またここに、わたしがお前との間に立てた記念碑がある。

創 31:52 この石塚は証拠であり、記念碑は証人だ。敵意をもって、わたしがこの石塚を越えてお前の方に侵入したり、お前がこの石塚とこの記念碑を越えてわたしの方に侵入したりすることがないようにしよう。

創 31:53 どうか、アブラハムの神とナホルの神、彼らの先祖の神が我々の間を正しく裁いてくださいますように。」ヤコブも、父イサクの畏れ敬う方にかけて誓った。

創 31:54 ヤコブは山の上でいけにえをささげ、一族を招いて食事を共にした。食事の後、彼らは山で一夜を過ごした。

創 32:1 次の朝早く、ラバンは孫や娘たちに口づけして祝福を与え、そこを去って自分の家へ帰って行った。