家庭礼拝 2020年4月22日 創世記 25:19-34 エサウとヤコブの誕生
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起
アブラハム物語が終わり、イサク物語が始まるのかと思うと、話の重点はヤコブ物語に移っていきます。そのヤコブ物語が始まる前に、イサクの系図の話があります。系図の話と言っても系図のことを語っているというよりも、エサウとヤコブがどのようにして生まれてきたかを語っているので、やはり重心はヤコブ物語に移っているのです。それではイサクに申し訳ないのではないかと言う感じで、26章にイサク物語が語られるのですが、これはどうもアブラハム物語をもじった感じで、二番煎じの気がします。と言うことで、やはりこの流れは、ヤコブ物語に移っているのです。
ヤコブ物語が特徴的なのは、ヤコブとエサウと言う双子の兄弟の関係です。しかも長男はエサウで、長子の特権で父親の財産と祝福を譲り受けることができるのです。そうすると、ヤコブには何も残りません。ところがこの兄弟は生まれてくるときから、兄弟で争って出てくるのです。エサウが、先に生まれ出た時、ヤコブはエサウの踵をつかんで、先に出ようとして遅れまいと出てきたのです。ヤコブと言う名前はこのかかとを意味するアケブという言葉に由来します。この時からエサウとヤコブの争いが始まっていたということなのです。この物語の争いは、エサウが神様の祝福の元となる、長子の特権を目先の空腹のために、ヤコブに食事と交換に譲り渡してしまうのが発端です。どうしてこんなことになったかというと、エサウは狩りの得意な狩猟民族を代表する荒々しい男に成長し、ヤコブは農耕牧畜を代表する、地道に働きを積み重ねる農耕牧畜民族を代表する利口な男に成長するのです。アブラハムもイサクも農耕牧畜民族ですから、ヤコブはその遺産を引き継いで発展したかったのです。ところがエサウは狩人ですから、そんな牧畜など手間暇のかかることには興味がなかったのです。ですから、エサウは神様の祝福である、長子の特権を軽々しく扱い、ヤコブに譲ってしまうのです。でもその後でそのことの重大さに気が付いて、ヤコブを恨むのです。エサウはヤコブに騙されたと思い、兄弟の対立が起こり、ヤコブは殺されるのではないかと思って逃げ出します。この物語はヤコブがこの兄弟の対立を神様の導きによって和解へと導かれる過程を語っています。そして、ヤコブが神様の祝福を大切にしたためにどれほどの恵みを与えられたかを語っています。すなわち、アブラハムの信仰が、イサクの信仰を通して、いかにヤコブの信仰へと継承されていったのかが語られているのが、このヤコブ物語です。今日はそのヤコブの誕生の様子を見ることになります。
承
エサウとヤコブの誕生の話は、イサクの系図から始まります。19節から21節です。
創
25:19 アブラハムの息子イサクの系図は次のとおりである。アブラハムにはイサクが生まれた。
創
25:20 イサクは、リベカと結婚したとき四十歳であった。リベカは、パダン・アラムのアラム人ベトエルの娘で、アラム人ラバンの妹であった。
創
25:21 イサクは、妻に子供ができなかったので、妻のために主に祈った。その祈りは主に聞き入れられ、妻リベカは身ごもった。
ここでの系図の話ではほとんどすでに24章で詳しく書かれている話なので、新しい話と言えばイサクがリベカと結婚したとき40歳であったということと、イサクはアブラハムと同じように、妻に子供ができない期間があり、妻のために主に祈ったということが語られています。イサクが結婚したとき40歳であったということは実は今までの話からも計算はできるのです。それはサラが亡くなった年が127才であり、アブラハムは10歳上ですからこの時アブラハムは137歳になっているのです。そしてイサクはアブラハムが100歳の時に生まれた子供ですから、サラがなくなった時には37歳であったということです。サラが亡くなってからアブラハムはイサクのために嫁探しをしたのですから、大体イサクは40歳くらいで結婚しただろうということは推測で来るのです。そしてそのすぐ後にアブラハムはケトラという妻をめとって、6人の子供を産ませるのです。そしてその子供たちは成長して孫まで出来るのですが。イサクとリベカには子供ができません。アブラハムはこのケトラの子供たちをイサクの近くに置いておくと財産を取られることを心配して、イサクから遠ざけたのだと思います。財産はすでにイサクの物にはなっているのですが、子供がいなければこのケトラの子供たちの物になるかもしれません。この状況はアブラハムとサラの間に子供がやっと出来ても、ハガイの子イシュマエルに財産を取られるのではないかと心配したサラと同じような状況にあるのです。そして同じように、イシュマエルはイサクから遠ざけられたのです。ケトラの子供たちも遠ざけられたのです。
この聖書の個所を読むと、イサクは子供ができなかったので妻のために祈ったら、聞き入れられて、妻リベカが身ごもった、と簡単に書かれていますが、そうなのでしょうか。実はここの26節に書いてありますが、リベカが二人を産んだとき、イサクは六十歳であった、ということなのです。すなわちイサクは祈ってすぐに子供が与えられたのではなく、20年間祈り続け、待ち続けてやっと与えられた子供なのです。この時イサクはすでに60歳になっていたのです。すなわちこの20年間の間に、アブラハムはケトラとの間に6人の子供ができそして孫までできたのですから、イサクとリベカにはかなりのプレッシャーがかかったものと考えられます。リベカもサラと同じように苦しい思いをしたのだと思います。
アブラハムが妻サライと結婚したのは何歳のときかわかりませんが、父テラと一緒にカルデアのウルの地を出発したときにはすでに妻となっていたので、30歳くらいかもしれません。ウルの地を出発し、ハランまで来てしばらく定住し、テラはハランで死んだのですが、そのハランをアブラハムが出発したときには75歳でしたから、ハランには30年くらいいたのかもしれません。
すなわち、アブラハムは30歳くらいで結婚して、アブラハムも子供を待ち続けましたがアブラハムは100歳になってやっとその祈りが聞き届けられました。70年も待ち続けたことになるのです。このアブラハムの家系は子供が与えられるのにひどく苦労をしているのです。このアブラハムの待ち続けた時間に比べればイサクの20年はまだましのような気もするし、まだイサクも60歳ですからまだまだです。
さて、身ごもった子供たちは無事生まれたのでしょうか。22節から26節です。
創
25:22 ところが、胎内で子供たちが押し合うので、リベカは、「これでは、わたしはどうなるのでしょう」と言って、主の御心を尋ねるために出かけた。
創
25:23 主は彼女に言われた。「二つの国民があなたの胎内に宿っており/二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり/兄が弟に仕えるようになる。」
創
25:24 月が満ちて出産の時が来ると、胎内にはまさしく双子がいた。
創
25:25 先に出てきた子は赤くて、全身が毛皮の衣のようであったので、エサウと名付けた。
創
25:26 その後で弟が出てきたが、その手がエサウのかかと(アケブ)をつかんでいたので、ヤコブと名付けた。リベカが二人を産んだとき、イサクは六十歳であった。
リベカは双子を身ごもったのですが、体内でその子供たちが押し合って争っていたというのです。これがこの双子の兄弟の運命なのです。生まれる前から胎内でさえもすでに争っていたのです。母親のリベカは、「これでは、わたしはどうなるのでしょう」と言って、主の御心を尋ねるために出かけた、と言います。私たち信仰者は、どうしたらよいかわからないときには主に尋ねるのが一番いいのです。そうすると一番良い答えが与えられるのです。自分勝手に思い煩ってはいけないのです。リベカは主に御心を尋ねたのです。すると主はリベカにこう言いました。「二つの国民があなたの胎内に宿っており/二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり/兄が弟に仕えるようになる。」主が言われるには、この双子は二つの国民になる先祖だと言います。そして、その国民はすでにあなたの腹の中で、別れて争っているというのです。そして一つの民が強くなって、兄の方が弟に仕えるようになるという予言が与えられたのです。
そしてその予言通り、月が満ちて出産すると、双子が生まれたのです。最初に出てきた子は赤くて、全身が毛皮の衣のようであったので、エサウと名付けた、とあります。これは赤いという言葉がエドム人を表し、毛皮という言葉が、その子孫が住むようになったセイルという言葉にかけているのです。すなわちエサウは成人して、エドム人の祖先となり、セイル地方に住むようになったということを表しているのです。
そして、エサウの後から弟のヤコブが出てくるのですが、ヤコブはエサウの踵をつかんで出てきたというのです。それで、踵を意味するアケブをつかんで生まれてきた子だから、ヤコブという発音の似た名前を付けたのです。そしてこの子供たちが生まれた時は、イサクは60歳であったと明確に書いてあるのです。ヤコブにもやっと後継ぎができたわけですが、これがまた問題を起こすのです。
ちなみに、日本では、かつて後から生まれた方を兄または姉、先に生まれた方を弟または妹として扱う慣習があったのですが、戸籍法上は生まれた順に記載する事となっているそうです。双子だからと言って同時に生まれるわけではなく場合によっては日をまたいで生まれる場合もあるのだそうです。ですから誕生日が違ってくる場合もあるのです。ヤコブたちの場合も先に生まれた方が兄となったのです。
転
さて、二人の子供は成長しそれぞれの性格が出てくるようになりました。27節と28節です。
創 25:27 二人の子供は成長して、エサウは巧みな狩人で野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常とした。
創 25:28 イサクはエサウを愛した。狩りの獲物が好物だったからである。しかし、リベカはヤコブを愛した。
イサクとリベカにはこの双子の子たちしかいなかったようです。アブラハムとサラにも一人しか子供が与えられなかったように、神様はイサクとリベカ達にはエサウとヤコブしか与えなかったのです。しかも何十年も待った後にやっと与えられた子供でした。兄のエサウは巧みな狩人に成長しました。活発に野原を歩き回り、獲物を探しては狩りをする人になったのです。一方のヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常としたといいます。すなわち羊や牛を飼い、地道な牧畜生活をしていたのです。ですから、イサクの財産を守っていたのはヤコブなのです。それだけにこの羊や牛の財産の大切さを思っていたのです。一方エサウは家のことには興味がなく家を飛び出して獲物を追う生活にだけ興味を持っていたのです。ですが父親のイサクはエサウを愛しました。なぜかというとエサウの取ってくる狩りの獲物が大好きだったからです。一方母親のリベカはヤコブを愛しました。いつも母親と一緒にいて、物静かで、しっかりと物事を考えて仕事をするヤコブの方が荒々しいエサウよりも好きだったのです。この偏った愛情が、こののち大きな運命の分かれ道を作ってしまいます。
二人の兄弟に、ある大事件が起こります。それは兄のエサウが狩りから帰ってきたときでした。29節から34節です。
創 25:29 ある日のこと、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れきって野原から帰って来た。
創 25:30 エサウはヤコブに言った。「お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ。」彼が名をエドムとも呼ばれたのはこのためである。
創 25:31 ヤコブは言った。「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」
創 25:32 「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」とエサウが答えると、
創 25:33 ヤコブは言った。「では、今すぐ誓ってください。」エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。
創 25:34 ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく立ち、去って行った。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。
ある日のことです。いつもの様にヤコブは家にいて、食事のレンズマメの煮物を作っていました。そこに狩りに行って野原を走り回り、疲れ切って帰ってきたエサウが、その食事の煮物を見つけました。そしてヤコブにこう言ったのです。「お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ。」ここでも使われている赤いという言葉はヘブライ語でアドムと言います。このエサウには赤いという言葉が付きまといます。生まれた時にも、「先に出てきた子は赤くて、全身が毛皮の衣のようであったので、エサウと名付けた。」という風に、赤い体をした子供であった子であることが語られています。このアドムというのは地名のエドムに通じます。このエサウはエドムとも呼ばれていて、その子孫はエドム地方に住むようになったのです。それで、エサウとエドムすなわちアドムの赤いという言葉と密接な関係があるのです。
エサウにその赤いものを食べさせてくれと頼まれたヤコブはここで取引をしたのです。相手の足元を見たずるいやり方です。それは「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」と言ったのです。ヤコブはいつも父親と母親のそばにいて、しかも財産である家畜の世話をしていて、この家を継ぎたいと思っていたのです。その長子としてこの家を継いでいくことの価値を十分に知っていたのです。一方エサウは家のことは放っておいていつも野原を駆け巡っていたので、そんなものはどうでもよいと思っていました。ですからエサウは、「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」と答えたのです。するとヤコブは「では、今すぐ誓ってください。」というと、エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまったのです。エサウには長子の権利というものがよくわからず、それは神様から与えられた大切なものであるということを考えることなく、ヤコブに譲ってしまったのです。
取引が成立して、ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えました。エサウは飲み食いしたあげく立ち、去って行ってしまいました。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじたと書かれています。でもこのことは二人の間だけの取引なので、長子の権利を授けるイサクはそのことを知りません。ヤコブはさらにこの父親のイサクまで偽って、その祝福を盗み取るということをしてしまうのです。それで、エサウは父親の祝福が自分には何も残されていないのを知って、ヤコブに騙されたことを知り、激しく怒るのです。生まれてきたときから争って来た兄弟の分裂がここで、はっきりと表れるのです。ここからまだまだこの二人の話は続き、最後は和解へと至るのです。
結
ヤコブは、兄や父をだましてでもその長子の権利と父親の祝福を得たいと考えました。それは両親のそばにいて育ち、その大切さを十分に知っていたからでした。その祝福とは神様の力を与えられるということでした。自分の力に頼っているエサウにはその価値が分からずその価値を軽んじたのです。エサウはエドム地方での有力な先祖とはなりますが、アブラハムから続く祝福の正当な担い手にはなれなかったのです。その神様の祝福はヤコブの上に現れて、大いに繁栄するのです。神様の祝福はこのような形ででも受け継がれていくことを教えられます。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。ヤコブのやり方はあまり関心はしませんが、ヤコブが何よりも神様を第一にしたことを思います。そのことの大切さを知っていたからこそ、手段を択ばず、その長子の権利と祝福とを得ようとしたのです。私たちはヤコブなのでしょうかエサウなのでしょうか。エサウのように神様の長子の権利を軽んずるものとなってはいないでしょうか。そのことを思って祈ります。神様どうかあなたの大切さを心から知るものでありますように。何をしてでもあなたの祝福を得るものとして進んでいくことができますように導いてください。この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(旧約聖書:◇創世記)>>
◆エサウとヤコブの誕生
創
25:19 アブラハムの息子イサクの系図は次のとおりである。アブラハムにはイサクが生まれた。
創
25:20 イサクは、リベカと結婚したとき四十歳であった。リベカは、パダン・アラムのアラム人ベトエルの娘で、アラム人ラバンの妹であった。
創
25:21 イサクは、妻に子供ができなかったので、妻のために主に祈った。その祈りは主に聞き入れられ、妻リベカは身ごもった。
創
25:22 ところが、胎内で子供たちが押し合うので、リベカは、「これでは、わたしはどうなるのでしょう」と言って、主の御心を尋ねるために出かけた。
創
25:23 主は彼女に言われた。「二つの国民があなたの胎内に宿っており/二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり/兄が弟に仕えるようになる。」
創
25:24 月が満ちて出産の時が来ると、胎内にはまさしく双子がいた。
創
25:25 先に出てきた子は赤くて、全身が毛皮の衣のようであったので、エサウと名付けた。
創
25:26 その後で弟が出てきたが、その手がエサウのかかと(アケブ)をつかんでいたので、ヤコブと名付けた。リベカが二人を産んだとき、イサクは六十歳であった。
◆長子の特権
創
25:27 二人の子供は成長して、エサウは巧みな狩人で野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常とした。
創
25:28 イサクはエサウを愛した。狩りの獲物が好物だったからである。しかし、リベカはヤコブを愛した。
創
25:29 ある日のこと、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れきって野原から帰って来た。
創
25:30 エサウはヤコブに言った。「お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ。」彼が名をエドムとも呼ばれたのはこのためである。
創
25:31 ヤコブは言った。「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」
創
25:32 「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」とエサウが答えると、
創
25:33 ヤコブは言った。「では、今すぐ誓ってください。」エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。
創
25:34 ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく立ち、去って行った。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。