家庭礼拝 2020年3月11日 創世記 22:1-24 アブラハム、イサクをささげる
起
今日の話は、アブラハム物語のクライマックスともいえる話です。アブラハムの信仰がどれほどのものであったかを物語るものです。それは100歳まで待ってやっと与えられた子供イサクを、生贄として捧げなさいという神様の命令がアブラハムに与えられたのです。これは大きな試練です。信頼していた神様から、たった一人の年を取ってからやっと与えられた子供を生贄にしなさいと言われたのです。この時アブラハムはその心の中で何を思ったのでしょうか。そのことは何も書かれてはいません。この神様の命令が与えられた時、アブラハムは決して、なぜですかとか、できませんとか、それはひどすぎますとか言う言葉は一言も発していないのです。ただ黙々と神様の御言葉に従おうと準備をするのです。でもアブラハムも人間です。きっとその心の中ではいろいろな思いがあったはずです。
アブラハムはこの試練をどのようにして乗り越えることができたのでしょうか。私たちはこのアブラハムの試練を私たちの試練として受け取り、そこから信仰のあるべき姿を、学んでいきたいと思うのです。今日の個所はちょっと長いので半分に切ろうと思ったのですが、一つのまとまった話なので切りようがないので、ちょっと長い話ですが思い切って、一回でこの学びを進めてみたいと思います。
承
イサクの話は、まずイサクの誕生の話があり、そのあとサラがイシュマエルを疎ましく思い、ハガルとイシュマエルをアブラハムの元から追放しました。そしてそのあと、べエル・シェバの井戸のことでゲラルの人々と争いが起こりましたが、アビメレクと契約を結び、アブラハムは安心してその井戸を使うことができるようになりました。アブラハムたちはこのべエル・シェバでイサクと共にしばらく平和に過ごしていたのです。そして今日の出来事が起こるのです。1節と2節です。
創
22:1 これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、
創
22:2 神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
ある日、神様がアブラハムに、「アブラハムよ」と呼びかけたのです。アブラハムは「はい」と答えました。神様から何度も声をかけられているので、アブラハムは恐れることも驚くこともなく、神様の呼びかけに答えたのです。すると神様は、なんと、「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」と命じたのです。この時アブラハムがどんな反応を示したのかは何も書かれていません。普通ならばなぜイサクなのですか、子羊ではないのですかとか、とても私にはできませんとか、神様のみ言葉に逆らうようなことを言うはずです。神様は、アブラハムが100歳になるまで待って、やっと与えられたイサクを、焼き尽くす捧げものとしてささげなさいと言ったのです。しかも神様はその子イサクがアブラハムが愛してやまない一人子であることを十分知っているのです。普通は羊や、牛や、ハトをささげ者としてささげ、その捧げものをすべて焼き尽くすまで、焼いて、神様にそのよい香りをささげるのです。それをそのような動物ではなく、たった一人の子供のイサクを捧げなさいというのです。それを人間的に考えれば、とてもむごいことをすることになるのですが、アブラハムがそのことを言わなかったのには、きっと神様はすべてをよくしてくださる方だという信頼があったのだと思います。それにしても大変な試練となりました。それをどこでしなさいと言っているかというと、モリヤの地にある、山の一つに登って、捧げなさいと言っているのです。ここは一体どこでしょうか。何とそこはエルサレムのある場所であり、イサクを捧げようとした場所というのは、後にエルサレムの神殿が建てられた場所だというのです。ユダヤ人の伝承では、ソロモン王が神殿を建てたエルサレムのシオン山がモリヤであるとされています。この時は何もない小さな山でした。何と不思議なめぐりあわせでしょうか。この時アブラハムは、べエル・シェバに住んでいました。このモリヤの山は、そこからずっと北にあるので、そこに行くには何日かの旅をしなければなりませんでした。
転
さて、アブラハムは神様のこの言葉を受けて、どうしたでしょうか。3節から5節です。
創
22:3 次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。
創
22:4 三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、
創
22:5 アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」
アブラハムとイサクは二人の若者を連れて、ロバに乗って、モリヤの山に向かいました。そこまでは3日もかかりました。ロバには、大きな薪の山が積まれていました。生贄を焼き尽くすためには相当な量の薪が必要なのです。その場所が遠くに見えるところまで来たときに、若者たちに「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」と言ったのです。ここでもアブラハムには、悩んでいる様子や、迷っている様子はありません。二人とも礼拝した後は戻ってくると考えているようです。でも神様は確かにイサクを生贄として捧げなさいと言っているのです。アブラハムはイサクを生贄として捧げても、また復活して戻ってくると考えているのかもしれません。それほどアブラハムの信仰は強かったのです。きっとアブラハムには、神様が以前に約束していた、あなたの子孫は海の砂のごとく、天の星のごとくに増えるであろうという約束の言葉を確かなものとして信じていたはずです。それが、100歳になってイサクが与えられて、実現するはずになっているので、そのあと神様がイサクを生贄として捧げなさいと言ったとしても、必ず神様はイサクの子孫を与えてくださると考えていたと思うのです。ですからイサクは必ず、生き続けると信じているのです。そうでなければ神様がアブラハムに約束した、大勢の子孫が出来るはずはないからです。
アブラハムとイサクはその場所に向かっていきました。そこに行くまでの間二人はこんな話をしていたのです。6節から8節です。
創
22:6 アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。
創
22:7 イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」
創
22:8 アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。
アブラハムとイサクは、ロバを若者たちのところに置いていったので、焼き尽す捧げものに用いる薪はイサクが背負い、アブラハムは火と刃物を持って、一緒に歩いて行ったのです。イサクはアブラハムの前を歩き、山のような薪を背負って歩いていました。その時、イサクは疑問を感じたのです。それは捧げものの子羊がいないことでした。それで、大きな荷物のため、後ろを振り向かずに、歩きながら「わたしのお父さん」と呼びかけました。するとアブラハムが、「ここにいる。わたしの子よ」と答えました。きっとイサクはこの時何かを感じていたのかもしれません。でもここでの親子の呼びかけと応答には、温かい信頼のきずなを感じます。アブラハムがイサクを愛していることを感じます。イサクは疑問に思ったことを聞いてみました。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」すると、アブラハムはこう答えたのです。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」そして、二人は一緒に歩いて行ったのです。アブラハムは、焼き尽す捧げものは、お前なのだとは言いませんでした。神様はイサクを焼き尽くす捧げものとしてささげなさいと言ったのだけれども、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神様が備えてくださると信じていたのだと思います。アブラハムの思いは理屈では割り切れないものであったと思います。イサクは焼き尽す生贄としてささげるけれども、イサクは多くの子孫を残す、父親となると信じていたし、自分が捧げるイサクは焼き尽す捧げものの子羊であると、思っているけれども、その子羊は神様が与えてくれるものであるとも信じていたのだと思うのです。それらは論理的に矛盾することではあるのですが、それでもそれが成り立つと信じていたのだと思います。神様は人の思いをはるかに超えて実現される方だと信じていたのだと思います。イサクもまた、愛する父の言葉を信じていたのです。
さて、その場所についたとき、アブラハムはどうしたでしょうか。9節から14節です。
創
22:9 神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。
創
22:10 そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
創
22:11 そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、
創
22:12 御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」
創
22:13 アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。
創
22:14 アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。
アブラハムとイサクは目的の場所に着きました。そしてその場所に祭壇を築いたのです。二人が持って行ったものは薪しかないので、祭壇は近くにある石を集めて、祭壇を作ったのではないでしょうか。その祭壇に薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せたのです。イサクは、もしかすると自分が生贄なのかもしれないと悟っていたかもしれません。ですからそのことを確認しようと思って、お父さん、献げ物にする小羊はどこにいるのですか、と尋ねたのかもしれません。アブラハムがイサクを縛って祭壇の薪の上に乗せるときも、少しも争った跡がありません。静かに神様の御前に礼拝するように行われていたのです。ですがイサクは、それでも父親を信じていたのです。ですから、イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた時も、イサクは暴れることもなく、父親のすることを受け入れて、従ったのです。ですから、ここではイサクの信仰もまたすごいのです。愛する父親のすることには間違いがないと信じているのです。
そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとしたのです。アブラハムは本当にイサクを屠ろうとしたのです。たとえイサクは生贄で死んでもまた生きると思っていたのです。
そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけました。彼が、「はい」と答えると、御使いは言いました。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」と言ったのです。神様がどうしてアブラハムの信仰をそこまでして試したのか、私たちにはわからないところがあります。神様にはこうなることはわかっていたはずです。これはもしかすると、アブラハムを試したのではなく、私たちのためにしてくれた神様の業かもしれません。とにかく、アブラハムの本気を神様は認めたのです。神様のためなら、たった一人の子さえ惜しまず捧げるということが分かったのです。ですからアブラハムが、イサクを生贄として殺すことをとどめさせたのです。アブラハムはそのあとすぐ周りを見渡しました。子羊の鳴き声か、生き物の気配を感じたのかもしれません。アブラハムは目を凝らして周りを見回しました。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていたのです。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげました。アブラハムが、イサクに尋ねられた時に、「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」と言った通りになったのです。これを最後まで信じていたので、本気で、イサクを生贄に捧げようとしていたのです。
アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた、と言います。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている、と言うのです。この「主の山に、備えあり」という言葉はよく使われる言葉です。何かをなそうとするのだけれども、準備が不足して心配しているとき、神様に信頼しようという思いで、「主の山に、備えあり」というのです。私たちの信仰生活にも山や谷がたくさんあります。その時に、「主の山に、備えあり」と言いつつ、それを乗り越えていきたいものです。
そのあとアブラハムはどうしたでしょうか。15節から19節です。
創
22:15 主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。
創
22:16 御使いは言った。「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、
創
22:17 あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。
創
22:18 地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
創
22:19 アブラハムは若者のいるところへ戻り、共にベエル・シェバへ向かった。アブラハムはベエル・シェバに住んだ。
ここに言われているように、天使が再びアブラハムに現れて神様の言葉を伝えました。それは、「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」この言葉は、今までも何度かアブラハムに約束された言葉です。アブラハムはその言葉を信じていたから、イサクを生贄としてささげても、きっとイサクは復活すると信じていたのだと思います。そしてここでも再び、神様はあなたの子孫を天の星のように、海辺の砂の様に増やそうと約束してくださいました。ユダヤ人の繁栄を約束する、神様のみ言葉が、アブラハムの信仰によって与えられたのです。しかもこの言葉は神様が神様に誓って言われたのです。このあとアブラハムとイサクは、ずっとべエル・シェバに住むようになるのです。
この話の後にナホルの子孫の話が付け足しのように続きます。ナホルというのはアブラハムの弟です。アブラハムの父テラは、11章のテラの系図にあるように、テラにはアブラハム、ナホル、ハランが生まれたとあります。その兄弟ナホルが、その妻ミルカとの間に8人の子供を産むのです。どうしてこの系図の話がここにわざわざ差し込まれているかというと、一番最後の子供のベトエルという人は、イサクの妻になるリベカの父親なのです。ですから、この辺からはそろそろイサクの時代に移りますよというその布石として、ナホルとその子ベトエルの話を出し、その娘リベカの話が後でわかりやすくするためにここに記されているのです。
結
アブラハムは、神様があなたの子孫は天の星のごとく、海の砂のごとく増えるであろうという約束を信じました。そして、たった一人の息子イサクを生贄として捧げなさいと言われた時でさえも、その約束を信じて、必ずイサクの子孫が与えられると信じていました。それでももしかすると、その信仰が揺らいだ時もあるのかもしれませんがアブラハムは最後まで、神様の言葉を忠実に行おうとしました。神様はそのことを善しとしたのです。アブラハムの心に、何の迷いも疑いもないのを見て、アブラハムを祝福し、その子孫の繁栄を約束しました。
私たちも神様の約束を取るか自分の考えを取るかで揺らぐことがあります。本当に神様はいるのだろうかと思えば、自分の考えで行おうとしてしまいます。ですがアブラハムはそのようなことはなかったのです。この信仰がユダヤ人たちには、信仰の父、ユダヤ人の父と慕われ、あがめられたのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。私たちにもアブラハムのような、確かな信仰が与えられますように。私たちはいつもこの世の誘惑にさらされ、そして揺らいでしまいます。ですがアブラハムは、決して揺らぐことはありませんでした。人間の思いでは不可能なことも必ず成し遂げ実現してくださると信じました。私たちは弱い信仰者ですが、あなたが私達の信仰を強めて下さる方であり、あなたに委ねることによって、迷いのない信仰生活ができるようになります。何よりもまず、あなたを第一とすることができますように導いてください。そして、あなたが必ずすべてを善きことに変えてくださる方であることを信じて歩ませてください。主の御名があがめられますように。この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(旧約聖書:◇創世記)>>
◆アブラハム、イサクをささげる
創 22:1 これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、
創 22:2 神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
創 22:3 次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。
創 22:4 三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、
創 22:5 アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」
創 22:6 アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。
創 22:7 イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」
創 22:8 アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。
創 22:9 神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。
創 22:10 そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
創 22:11 そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、
創 22:12 御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」
創 22:13 アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。
創 22:14 アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。
創 22:15 主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。
創 22:16 御使いは言った。「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、
創 22:17 あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。
創 22:18 地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
創 22:19 アブラハムは若者のいるところへ戻り、共にベエル・シェバへ向かった。アブラハムはベエル・シェバに住んだ。
◆ナホルの子孫
創 22:20 これらのことの後で、アブラハムに知らせが届いた。「ミルカもまた、あなたの兄弟ナホルとの間に子供を産みました。
創 22:21 長男はウツ、その弟はブズ、次はアラムの父ケムエル、
創 22:22 それからケセド、ハゾ、ピルダシュ、イドラフ、ベトエルです。」
創 22:23 ベトエルはリベカの父となった。ミルカは、アブラハムの兄弟ナホルとの間にこれら八人の子供を産んだ。
創 22:24 ナホルの側女で、レウマという女性もまた、テバ、ガハム、タハシュ、マアカを産んだ。