家庭礼拝 2020年1月2日 創世記 16:1-16ハガルの逃亡と出産

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起 

 明けましておめでとうございます。今日の話は、去年の12月25日にする予定でした。ですがその前に、妻がインフルエンザになり、私もインフルエンザにかかってしまい、去年のうちには行うことができませんでした。そしてやっと元気になりました。今日は二日ですが、話の内容がクリスマスにかかっているので、そのままの原稿の内容でお伝えします。

では、アブラハムの系図は、アブラハム、イサク、ヤコブと続くのですが、これはアブラハムの妻サラが産んだ子の系図になります。ところがこのサラは年をとっても子供に恵まれなかったので、サラは召使のハガルに子供を産ませるようにアブラハムに頼むのです。当時は、そこで生まれた子供は、サラの子供として、育てることができるという風習があったからです。そこでそのハガルから生まれる子供が、イシュマエルという子供です。ユダヤ人の系図が、アブラハム、イサク、ヤコブと続くのに対して、別のアブラハム、イシュマエルと続く系図もあるのです。この子孫も神様に祝福されました。この子孫は実はアラブ人だと言われています。ですからイスラム教徒は、このイシュマエルを大切にしていて、ユダヤ教徒がイシュマエルを蔑視しているのと違って、イスラム教徒では、イサク、ヤコブと同じような地位を占めているのです。

 今日の話は召使ハガルの話ですが、ちょっとかわいそうな話ですが、とても大切な話です。かわいそうだというのは、ハガルはサラの召使奴隷でしたが、何事もなければ平和にその一生をサラの召使として平穏に過ごすことができたのです。ところが、サラは自分に子供ができないので、このハガルにアブラハムの子供をはらませようとしたのです。そして、自分の意志でもなくアブラハムの子を身ごもると、サラは嫉妬してしまい、ハガルが私を見下していると言って、怒り出すのです。聖書では、ハガルがサラを軽んじるようになったので、サラはつらく当たったと書いてありますが、私はサラが嫉妬して、勝手に軽んじられているように感じたのだと思います。そして、ハガルは耐えられなくなり、故郷のエジプトに帰ろうとして逃げ出すのです。逃げる途中の荒れ野の泉で、ハガルは主のみ使いに会い、女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい、を言われるのです。普通ならばそんなことを言われても、こんなに嫌われている身で、その女主人のところに帰れるはずはないのですが、ハガルに、光が差し込んだのです。それは神様が私を見守ってくださっているということが、その時分かったのです。今まで自分一人で悩み耐えていた時には、まったく耐えられなかったことが、そのことを神様がそば近くで見守ってくださっていると知ったことにより、そのことはつらいことではなくなったのです。これが神様を知ったものの生活なのです。そしてこれが大切なことなのです。

 今日は偶然にもクリスマスです。クリスマスとは、この世の闇に光が差し込んだことを喜ぶ日です。それは救い主イエスキリストが生まれたということです。そしてまたハガルの心の闇にも光が差し込んだのです。それは神様がともにおられるということを知って、光を見出したのです。

 このイシュマエルについても、このみ使いは、マリアに受胎告知をした時のように、このハガルにも、あなたは男の子を生む、その子をイシュマエルと名付けなさい、と伝えるのです。これはまるでクリスマスの物語です。この出来事が、イエス様のずっと昔のアブラハムの時代にもこのハガルの身の上に起こっていたのです。

それでは聖書を学んでみましょう。1節から3節です。

創 16:1 アブラムの妻サライには、子供が生まれなかった。彼女には、ハガルというエジプト人の女奴隷がいた。

創 16:2 サライはアブラムに言った。「主はわたしに子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」アブラムは、サライの願いを聞き入れた。

創 16:3 アブラムの妻サライは、エジプト人の女奴隷ハガルを連れて来て、夫アブラムの側女とした。アブラムがカナン地方に住んでから、十年後のことであった。

これはいつ頃の話かというと、アブラムがカナン地方に住んでから10年後だと言います。子供のイシュマエルが生まれるのはアブラムが86歳の時と言いますから、もう本当に年を取って、子供を授かる希望が無くなってきたときのことなのです。そのことは妻サライの方にもっと敏感に表れて、アブラムにこう相談したのです。それは、「主はわたしに子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」すると、アブラムは、サライの願いを聞き入れたのです。妻サライはすっかり、神様の約束に失望していたようです。主は私に子供を授けてくださいませんと、愚痴を言うのです。アブラムも妻がその様に思うのもやむを得ないと思って受け入れるのです。この女奴隷というのがハガルという人のことで、この時にはサライもハガルのことを気に入っていたはずなのです。そうでなければアブラムの側女とはしなかったはずです。このハガルという女奴隷はエジプト人なのです。ですからその宗教もアブラムの宗教と違っていただろうけれども、エジプトという当時の先進国の洗練されたものを持っていたのかもしれません。

そして、アブラムはハガイのところに入るのです。どうなったでしょうか。4節から6節です。

創 16:4 アブラムはハガルのところに入り、彼女は身ごもった。ところが、自分が身ごもったのを知ると、彼女は女主人を軽んじた。

創 16:5 サライはアブラムに言った。「わたしが不当な目に遭ったのは、あなたのせいです。女奴隷をあなたのふところに与えたのはわたしなのに、彼女は自分が身ごもったのを知ると、わたしを軽んじるようになりました。主がわたしとあなたとの間を裁かれますように。」

創 16:6 アブラムはサライに答えた。「あなたの女奴隷はあなたのものだ。好きなようにするがいい。」サライは彼女につらく当たったので、彼女はサライのもとから逃げた。

サライの願い通り、アブラムはハガイのところに入り、ハガイは簡単に身ごもったのです。するとサライの言うことには、ハガイは身ごもってから、サライを軽んじるようになったというのです。するとサライはアブラムにこう言いました。「わたしが不当な目に遭ったのは、あなたのせいです。女奴隷をあなたのふところに与えたのはわたしなのに、彼女は自分が身ごもったのを知ると、わたしを軽んじるようになりました。主がわたしとあなたとの間を裁かれますように。」サライは自分がこんなひどい目に合うのは、あなたのせいだと言って、アブラムを非難するのです。周りの人たちはすべてサライの言うとおりにしただけなのに、アブラムにはあなたのせいだと言い、ハガイは私を軽んじるようになったと言って非難するのです。そして、挙句の果てには主が私とあなたとの間を裁かれますようにと言って、さも自分だけが正しいというようなことを言うのです。サライの精神状態はだいぶ悪くなっているようです。もともとは、自分が子供を授からないのは神様のせいだと言い、次にハガイが身ごもると、アブラハムのせいだと言い、自分は女奴隷に軽んじられているというのです。これは今まで持っていた、サライのイメージとだいぶ異なります。サライはエジプトに行った時にはその美貌のために、王様から求婚されて、王室に入るほどだったのですから、内面も外面もすべて美しかったのだと思います。ですが、年を取って、子供を授かれないと知ると、このようにいじけた感じになってきたのです。それに対して、アブラムは大人の対応をします。「あなたの女奴隷はあなたのものだ。好きなようにするがいい。」と言ったのです。誰が正しいかなどとは言いませんでした。アブラムはサライの言っていることが少しおかしいということは知っていたはずです。ですが、正面からぶつからないで、あなたの好きなようにしなさいと言ったのです。それでサライはどうしたでしょうか。サライはハガルにつらく当たったのです。サライはハガルに嫉妬したのです。簡単に子供をはらんだハガルに嫉妬したのです。それに比べて、自分はもう年老いて、身ごもることはできないと失望したのです。たぶんサライとハガルは、親と孫くらいの年の差があったでしょうが、サライには冷静な判断ができなくなっていました。子供が欲しくて、ハガルに子を産ませ、自分の子にしようとしていたのに、ハガルもその子も憎くなってしまったのです。子を産めない女の醜い姿が出てきたのです。ついにハガルは耐えきれずに、サライの元を逃げ出しました。サライはエジプト出身なので、故郷のエジプトに向かって逃げ出したのです。

その逃亡する途中で奇跡が起こりました。主のみ使いが現れたのです。7節から12節です。

創 16:7 主の御使いが荒れ野の泉のほとり、シュル街道に沿う泉のほとりで彼女と出会って、

創 16:8 言った。「サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。」「女主人サライのもとから逃げているところです」と答えると、

創 16:9 主の御使いは言った。「女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい。」

創 16:10 主の御使いは更に言った。「わたしは、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす。」

創 16:11 主の御使いはまた言った。「今、あなたは身ごもっている。やがてあなたは男の子を産む。その子をイシュマエルと名付けなさい/主があなたの悩みをお聞きになられたから。

創 16:12 彼は野生のろばのような人になる。彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので/人々は皆、彼にこぶしを振るう。彼は兄弟すべてに敵対して暮らす。」

 ハガルが、エジプトに向かう途中の荒れ野の泉のほとりにきて、嘆いていた時、主のみ使いがハガルの前に現れたのです。異教徒であろうハガルに主のみ使いが現れたのは、アブラハムの子を宿しているからに違いありません。主のみ使いが、「サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。」と、呼びかけたのです。するとハガイは、「女主人サライのもとから逃げているところです」と答えました。すると主のみ使いはこういったのです。「女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい。」「わたしは、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす。」「今、あなたは身ごもっている。やがてあなたは男の子を産む。その子をイシュマエルと名付けなさい/主があなたの悩みをお聞きになられたから。彼は野生のろばのような人になる。彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので/人々は皆、彼にこぶしを振るう。彼は兄弟すべてに敵対して暮らす。」

主のみ使いはハガルになんと、女主人のサライの元に帰るようにというのです。そして従順に仕えなさいというのです。とても耐えきれなくて逃げ出してきたのに、そんなことできるのでしょうか。できるとしたら何が起こったのでしょうか。それだけでなく主のみ使いはアブラムに言ったのと同じように、「わたしは、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす。」と言って最大限の祝福をするのです。この当時は子孫繁栄ほど大きな祝福はなかったのです。しかも乙女マリアに言われたように、「今、あなたは身ごもっている。やがてあなたは男の子を産む。その子をイシュマエルと名付けなさい/主があなたの悩みをお聞きになられたから。彼は野生のろばのような人になる。彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので/人々は皆、彼にこぶしを振るう。彼は兄弟すべてに敵対して暮らす。」と言って祝福したのです。乙女マリアに言った天使の言葉をルカ福音書で見てみるとこうなります。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたはみごもって男の子を生むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を収め、その支配は終わることがない。」と言ったのです。なんとマリアの受胎告知と似ているでしょうか。これはハガルの受胎告知です。ですがイエス様が愛によって支配するのに対し、イシュマエルは力によって支配する人となるのです。

絶望の中にあって、この神様のみ使いの言葉を聞いたハガルはどうしたでしょうか。きっと、主があなたの悩みをお聞きになられた、という言葉を聞いてとても励まされたと思います。そして、13節から16節です。

創 16:13 ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで、「あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神)です」と言った。それは、彼女が、「神がわたしを顧みられた後もなお、わたしはここで見続けていたではないか」と言ったからである。

創 16:14 そこで、その井戸は、ベエル・ラハイ・ロイと呼ばれるようになった。それはカデシュとベレドの間にある。

創 16:15 ハガルはアブラムとの間に男の子を産んだ。アブラムは、ハガルが産んだ男の子をイシュマエルと名付けた。

創 16:16 ハガルがイシュマエルを産んだとき、アブラムは八十六歳であった。

ハガルは、その語り掛けた方が神様であることに初めて気が付いたのです。そして自分には誰も助けてくれる者はいない、たった一人で、このおなかの子と一緒にここで死んでしまうかもしれないと思っていた時に、神様がハガルと共にいて語り掛けてくださったことに驚きました。そして、主の御名を呼んで、「あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神)です」と言ったのです。この神様がともにおられることを知ったハガルはとても勇気づけられたのです。そして神様がともにいてくだされば、なんでも耐えられる、何でもできる、何も怖くはない、とそう思ったのです。苦難の中に会って、自分一人ではとても耐えられないことでも、神様と共にあって苦しむならば、耐えられるだけでなく喜びにさえなるのです。その場所は、記念として覚えられるようになり、その井戸はベエル・ラハイ・ロイと呼ばれるようになったのです。そしてハガルはアブラムとサライのところに戻り、男の子を産んだのです。アブラムは、ハラルが産んだ男の子をイシュマエルと名付けたとあります。きっとハガルが神の使いとその出来事のことをアブラムに語って、イシュマエルという名前にしてくれと頼んだのだと思います。この時アブラムは86歳だったのです。

 ハガルには、まだまだいろいろ苦労があったのでしょうが、神様がともにおられるということを知って、耐えることができました。そして、もう何も怖くはありませんでした。ハガルはいろいろつらいことがありましたが、そのことをアブラムのせいにもサラのせいにも神様のせいにもしませんでした。そして神の使いが現れた時に、その方が、エル・ロイ(わたしを顧みられる神)であることに気が付いたのです。一方サライは子供ができないのを、神様のせいにし、そしてアブラムのせいにし、ハガルのせいにしたのです。ですから、アラブ人たちはサライよりもハガルの方を尊び、その子イシュマエルを尊ぶようになったのです。ハガルは暗闇の絶望の中で光を見ました。その光は闇を打ち破り、希望を与えたのです。これはまさにクリスマスの出来事と同じなのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、ハガルは絶望の闇の中で、光を見出しました。自分にいつも顧みてくださる神様がおられるということを知って、力と希望を与えられ、またアブラムのところに戻る勇気を与えられました。神様がともにおられることを信じることはなんと素晴らしいことでしょうか。どんな苦難も喜びに代わってしまうのです。私たちも祈ります。どのような闇の中にあっても、あなたの光を見出し、あなたがともにいてくださる神様であることを信じ受け入れていくことができますように。そしてそのみ言葉に従って歩んでいくことができますように。今日のクリスマスの恵みに感謝いたします。

この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 


<<聖書の箇所(旧約聖書:◇創世記)>>

 

◆ハガルの逃亡と出産

創 16:1 アブラムの妻サライには、子供が生まれなかった。彼女には、ハガルというエジプト人の女奴隷がいた。

創 16:2 サライはアブラムに言った。「主はわたしに子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」アブラムは、サライの願いを聞き入れた。

創 16:3 アブラムの妻サライは、エジプト人の女奴隷ハガルを連れて来て、夫アブラムの側女とした。アブラムがカナン地方に住んでから、十年後のことであった。

創 16:4 アブラムはハガルのところに入り、彼女は身ごもった。ところが、自分が身ごもったのを知ると、彼女は女主人を軽んじた。

創 16:5 サライはアブラムに言った。「わたしが不当な目に遭ったのは、あなたのせいです。女奴隷をあなたのふところに与えたのはわたしなのに、彼女は自分が身ごもったのを知ると、わたしを軽んじるようになりました。主がわたしとあなたとの間を裁かれますように。」

創 16:6 アブラムはサライに答えた。「あなたの女奴隷はあなたのものだ。好きなようにするがいい。」サライは彼女につらく当たったので、彼女はサライのもとから逃げた。

創 16:7 主の御使いが荒れ野の泉のほとり、シュル街道に沿う泉のほとりで彼女と出会って、

創 16:8 言った。「サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。」「女主人サライのもとから逃げているところです」と答えると、

創 16:9 主の御使いは言った。「女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい。」

創 16:10 主の御使いは更に言った。「わたしは、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす。」

創 16:11 主の御使いはまた言った。「今、あなたは身ごもっている。やがてあなたは男の子を産む。その子をイシュマエルと名付けなさい/主があなたの悩みをお聞きになられたから。

創 16:12 彼は野生のろばのような人になる。彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので/人々は皆、彼にこぶしを振るう。彼は兄弟すべてに敵対して暮らす。」

創 16:13 ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで、「あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神)です」と言った。それは、彼女が、「神がわたしを顧みられた後もなお、わたしはここで見続けていたではないか」と言ったからである。

創 16:14 そこで、その井戸は、ベエル・ラハイ・ロイと呼ばれるようになった。それはカデシュとベレドの間にある。

創 16:15 ハガルはアブラムとの間に男の子を産んだ。アブラムは、ハガルが産んだ男の子をイシュマエルと名付けた。

創 16:16 ハガルがイシュマエルを産んだとき、アブラムは八十六歳であった。