家庭礼拝 2019年9月4日 創世記 3:8-24 エデンの園の追放
起
今日の聖書の個所は、神様の戒めを破って、善悪を知る木の実を食べたアダムとエバがどうなったかが記されている個所です。善悪を知るとは、何がいけないのだろうか、どうして、神様は禁じたのだろうかと思います。今の私たちの教育なら、善悪を教えるのが当然の教育と考え、それが分からないものは人間の社会にはおれないことになります。犯罪を犯してしまうことになります。
ここで言われている善悪を知ると言うのは、今でいうと、道徳や、社会の法律に照らし合わせて、善か悪かと言う事を知る事とは違うようです。このときはそのような道徳も法律もなく、ただ一つあったのは神様が言った、善悪を知る木の実から食べてはならないと言う事だけだったのです。それを言ったのは必ず死ぬことになるからと言う、人間のためを思っての戒めだったのです。
それではここで言われている善悪を知ると言うのはどのようなことでしょうか。ここの善悪を知るようになった場面では、今までのアダムとエバにはなかった行動がいくつか出てきます。一つは、神様から隠れること、二つ目は、言い訳をして逃れようとすること、です。このことと善悪を知るとはどんな関係があるのでしょうか。この木の実を食べる前は、2人は神様の前に何も隠し立てはしませんでした。全てを神様に明け渡して、自分のことなど全く考えていなかったのです。ところが、この禁断の実を食べてからは、2人は、神様のことよりも、自分たちのことを考えるようになったのです。だから都合の悪いことは神様にも隠し、他の人にも隠すようになるのです。しかも自分を守るために、責任を他のものに転嫁して、逃げようとするのです。すなわち善悪を知るとは、道徳的に善悪を知ると言うよりも、自分にとって、何が良くて、何が悪いのかの損得を知るようになったと言う事です。自分基準であり、利己的で、自分中心になってきたと言う事です。そのことが善悪を知ることであり、そのことが罪なのです。神様が中心であったものが、自分を中心に生きるようになった、それが善悪を知るものになったと言う事です。それが人間が、今でも生まれた時から持っている罪、原罪なのです。
この禁断の実を食べた二人が、その後どのようになっていったのでしょうか。聖書から読み解いていきましょう。
承
では3章の8節から10節を読んでみましょう。神様との出会いが書かれています。
創
3:8 その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、
創
3:9 主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」
創
3:10 彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
ここでは、風の吹く頃、神様が園の中を歩く音が聞こえてきたと言います。パレスチナでは風の吹く頃と言うと、夕方です。夕方に神様が、2人の様子を見に来たのでしょうか。でもこの表現には何か不安げな様子を感じます。風の吹く頃と言うのは、聖霊のことを風で表すこともあるので、2人の心が騒ぎ始めたころと言うような気がします。しかも、神様が歩いているなどと言う表現は聞いたこともないので、きっと二人には自分たちの近くに神様が近づいてきていることを感じたのだと思います。その時に二人が示した反応は、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れたのです。これは今までになかった行動です。今までの二人は神様に隠すものは何もなかったはずなのに、隠れても見つかるはずなのに、神様に対して隠れようとしたのです。これが罪あるものの反応の第一歩なのです。神様はアダムに対して、「どこにいるのか」と言いました。神様がアダムがどこにいるか分らないはずはないので、このどこにいるのかと言うのは、そんなことをして何をしているのか、と言う意味に近い言葉になります。このあなたはどこにいるのか、と言う言葉は、私たちが、神様のことを忘れて、迷いや悩みや罪の内にいるときに、神様は私たちの目を覚まさせるめに、あなたはどこにいるのかと呼びかけるのです。それは、目を覚まして神様の方を見なさいと言う意味なのです。そして私たちははっと気が付いて正気に戻ることがあるのです。
神様がアダムに、どこにいるのかと呼びかけた時、アダムはこう答えました。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」このように、アダムは神様のことを恐ろしく思ったのです。それは自分が裸であることを知ったからです。それは自分の悪いところ、醜いところ、恥ずかしいところを見られると思ったからです。裸であることが悪いことであると知ったからです。そして悪いものは神様に裁かれると言う事を知ったからです。これが善悪を知ると言う事だったのです。善悪を知るものは、自分を罪あるものを考えて、神様を恐れるものとなったのです。人の魂は、このことによって、神様に対して死んでしまったのです。
アダムの言った言葉に対して、神様はこういわれました。11節から13節です。
創
3:11 神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
創
3:12 アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
創
3:13 主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
神様は全部知っているのですから、神様がとって食べるなと命じた木から食べたのか、と言ったときに、素直に食べましたと言えばいいのですが、なんとアダムは、あなたが与えてくださった女が、私に食べさせたのですと言ったのです。これは一見食べさせた女に罪をなすりつけているように見えますが、本当は、こんなことになったのは、神様が、いけないんだ、神様があの女を与えたから、と言って神様に罪をなすりつけているのです。
すると神様は、それ以上はアダムにものを言わないで、女に向かって、「何ということをしたのか。」と言うと、この女の方は、むしろ無邪気に、「蛇がだましたので、食べてしまいました。」と言いました。でも蛇はだましたのではなく、この女が思っていることを、言葉にしただけなのです。この女もまた、自分の罪を蛇になすりつけようとしました。すなわち、人間たちは、無責任になってしまったのです。自分の罪を、その責任を正面から負うものではなく、それから逃れようとするものとなったのです。これとは反対に、人類の罪を逃れることなく、自分一人でその責任を果たそうとし、その罪を負ってくださったのが、イエス様なのです。
転
神様は、罪を犯した二人と一匹に審判を下します。これは最後の審判ならぬ、最初の審判です。14節から19節です。
創
3:14 主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前は/あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で/呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。
創
3:15 お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」
創
3:16 神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め/彼はお前を支配する。」
創
3:17 神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。
創
3:18 お前に対して/土は茨とあざみを生えいでさせる/野の草を食べようとするお前に。
創
3:19 お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」
神様はまず最初に蛇から審判を下しました。まず一番最初は、蛇はあらゆる動物の中で一番呪われるものとなったと言う事です。そして、生涯這い回り塵を食べるものとなると言う事でした。もう一つは、蛇と女の子孫すなわち蛇と人間の間には敵意を置いて、互いに傷つけあう関係となるだろうと言う事でした。人間が蛇を嫌う理由がここにあったと言う事を語っています。
次に女に対して、審判を下します。ここではまだこの女のことをエバとは呼んでいません。まだ名前がなかったのです。そしてその女に審判を下しました。ですが、何が罪だったのかを明確には言っていません。そしてこう言ったのです、「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め/彼はお前を支配する。」と言う事でした。これは女が苦しんで出産するようになり、女は男に対して、従属するものとなる、と言う事です。女は男よりも先に出て、この禁断の実を食べたので、これからは男の後について従属するものになると言う事です。ですがそれは神様から与えられた審判であると言う事です。ユダヤ人の社会はこの様な関係になっているのです。
最後にアダムに向かってこう審判を下しました。「お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して/土は茨とあざみを生えいでさせる/野の草を食べようとするお前に。お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」
神様が罪を明確に宣告しているのはアダムに対してだけなのです。それは、お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた木から食べた、と言う罪なのです。責任は全面的にアダムにあるのです。そして蛇が呪われたように、アダムが呪われるのかと思うとそうではなくて、土が呪われるものとなったと言ったのです。すなわちアダムは土から作られたので、土全体が呪われるものとなったのです。そのために、アダムは生涯食べ物を得るために苦しむと言われました。今まではエデンの園で好きな木の実を食べて暮らしていたのが、顔に汗を流してパンを得なければならないと言い、塵に過ぎないお前は塵に帰るまでそうしなければならないと言ったのです。すなわち人間はその罪のために死ぬものとなったのです。
このようにして、人間と蛇に対する最初の審判が下され、人間は男も女も苦しむものとなり、最後は死ぬものとなったのです。ですが、この時はまだ、エデンの園からの追放は宣言されていませんでした。いつ追放されることになったのでしょうか。20節から24節です。
創
3:20 アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。
創
3:21 主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。
創
3:22 主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
創
3:23 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。
創
3:24 こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。
この事件の後で、アダムは初めて女に名前を付けて、エバ(命)と名付けたのです。どうしてかと言えば、神様からの審判で、神様から、お前は苦しんで子を産む、と言われたこともありますが、ここにあるように、彼女がすべて命あるものの母となったからだと言うのです。どうしてすべての人間の母となった、ではなく、すべて命あるものの母となったと言うのでしょうか。多分これは、人間のエバがすべて命あるものの母となったのではなく、動物をも含めて女と言うものが、すべて命あるものの母となったと言う事ではないかと思います。
神様はそれでも優しい方で、アダムとエバがイチジクの葉で裸を隠しているのをかわいそうに思って、皮の衣を造って着せてあげたのです。決して怒っていたわけではありませんでした。
ですが、神様はここで初めて、アダムとエバをエデンの園から追放することを考えました。どうしてでしょうか。悪いことをした罰として追放しようとしたのでしょうか。そうではないのです。神様はこう考えたのです。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」ここにはどのような意味があるのでしょうか。一つには人間は、蛇が言っていたように神様のように善悪を知るものになった、と言う事です。人間が神様のようになってはいけないのでしょうか。人間が神様のように、神様の基準で善悪を知るならそれは良いことなのです。ところが人間は、人間基準で、善悪を知るようになり、利己的になってしまったからいけないのです。この自分基準の善悪判断を持つと言う意味で神様と同じようになっていると言う事であり、その判断は自分を神様にしていると言う事なのです。ですからそれは神様に逆らうことになってしまうのです。それは神様から見れば罪なのです。その罪ある人間が、命の木からも取って食べて、永遠に生きるものとなったならば、本当に神様と同じようになり、神様に逆らう大きな力になってしまうのです。それで、人間が永遠に生きるものとならないように、命の木の実を食べることがない様に、エデンの園から追放したのです。人間がエデンの園から追放されたのは、禁断の実を食べた罰として追放されるのではなく、罪ある人間が命の木の実を食べて、永遠に生きることのない様にするために、追放されたのです。そして二度と入ってくることのない様に、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれたのです。
結
禁断の実を食べ、罪を犯した人間は善悪を知るものとなって、神様から隠れ、自分の罪を隠すようになってしまいました。そのような人間に、神様は最初の審判を与え、人間は苦しんで生きるものとなり、そして死ぬものとなりました。そして最後には、アダムとエバはエデンの園から追放されました。神様は人間が罪を犯したから憎くて罰を与えたのではないのです。人間が罪を犯したまま永遠に生きることが、人間の不幸になるから、エデンの園から追放したのです。
このようなエデンの園でしたが、また、この園に戻ってくるときが来ます。それが黙示録に書かれている新しきエルサレムであり、その都の中央を流れる川にはこの命の木がたくさん植えられているのです。そしてそこには永遠の命を持つ、イエスキリストを信じる者たちが神様とともに住むようになるのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。アダムとエバは、禁断の実を食べて、自分基準の善悪に生きるものとなってしまいました。その結果神様を離れ、神様から隠れて、罪ある生き方をするものとなってしまいました。私たちは、その自分基準の善悪の判断を捨てて、ただ神様にゆだねていきたいと思うものです。どうか自分の思いによってではなくあなたの思いのままに生かされますように導いてください。この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(旧約聖書:◇創世記)>>
創 3:8 その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、
創 3:9 主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」
創 3:10 彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
創 3:11 神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
創 3:12 アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
創 3:13 主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
創 3:14 主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前は/あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で/呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。
創 3:15 お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」
創 3:16 神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め/彼はお前を支配する。」
創 3:17 神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。
創 3:18 お前に対して/土は茨とあざみを生えいでさせる/野の草を食べようとするお前に。
創 3:19 お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」
創 3:20 アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。
創 3:21 主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。
創 3:22 主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
創 3:23 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。
創 3:24 こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。