家庭礼拝 2019年8月28日 創世記 3:1-7 蛇の誘惑

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起 

 今日の聖書の個所は、よく知られたところであり、分かりやすい話なので、この3章を一度にやってしまおうと思いましたが、思いのほか語るべきことが多くあったので、二回に分けてお話しすることにしました。今日は、1節から7節までの短いところですが、そこには多くのことが語られているので、見逃すことなく、慎重に、聞いていきたいと思います。

今日の聖書の個所は、小見出しは蛇の誘惑となっていますが、有名なエデンの園の追放の話です。なぜこのような追放が起こったのかが記されている個所ですが、何度読んでも、いろいろなことを教えられる個所です。一見単純そうでとても深いところのある個所だと思います。ここの個所だけでも、人生や信仰に必要ないろいろな教えを学ぶことができるような気がします。

 ここの個所を、人間が、幼児の時の無垢な思いでいるときから、自我に目覚め、性に目覚めて、物事の善悪を知り、損得を知って利己的になり、だんだん純粋でなくなる過程を示しているものと考える人もいます。ですから、これは人間の成長の過程であり、エデンの園とは、子供の時の守られて生きている揺り籠のようなところから、自立して自分たちで生きていかなければならないために、エデンの園を卒業しなければならないようなものだと考える人もいます。そのことはむしろ2章の24節で、「こういうわけで、男は父母を離れ女と結ばれ、2人は一体となる。」と言う言葉の中にすでに表されていることなのです。父母を離れることがエデンの園を離れる事ではないでしょうか。

 今日の個所の小見出しは、蛇の誘惑となっています。蛇の誘惑が発端となって、神様の言葉を疑わせ、神様の戒めに反することを行ったので、エデンの園を追放されたというのが、表向きの話です。蛇と言うのは、あとではサタンと同じ意味に扱われてきますが、人間を誘惑し、神様に逆らわせようとさせる誘惑の力です。このサタンの誘惑の力が人間に襲い掛かって来て、人間は神様から離れていくのです。その誘惑の仕方は狡猾で、中々誘惑とは気が付かず、親切な言葉としか思えないような言葉で誘惑するのです。それは、私はあなたの味方ですよと言う甘い姿を取って、誘惑するのです。これにまずエバが誘惑され、次にアダムが誘惑されるのです。

 この話を単純に受け取る人は、だから女は危ないのだ。女が最初に罪を犯しなおかつ、男に罪を犯させたではないかと言ったりします。そして女には気をつけろ、女は男を誘惑して、罪に陥れるからと思い込む人もいます。ですが、もともと誘惑したのは蛇ではないでしょうか。でも蛇は人間ではないから、最初の悪い人間は女だと思う人もいるでしょう。今はあまり流行らなくなった、フロイト心理学の夢判断では、蛇と言うのは男性性器を意味します。それは今でもそのような解釈になっていると思います。ですから、それに基づけば、性的に目覚めたエヴァを誘惑したのは、性的に成長した男だったと言う事になります。その性的な誘惑が、サタンの誘惑となって、女性をそそのかしたと考えられはしないでしょうか。ですから、最初の誘惑の発端は男性かもしれません。

 ですから、このエデンの園の物語は、思春期となった男女が、どのような思いを抱くようになり、神様よりも自分たちの思いを優先させるようになったかと言う事を、見事に言い表しているような気がするのです。

それでは聖書の物語を読んでみましょう。まず最初は蛇と女の会話からです。1節から3節です。

創 3:1 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」

創 3:2 女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。

創 3:3 でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」

 蛇が女に話しかけるのですが、神様が作られた野の生き物のうちで最も賢いのは蛇であったとはどういうことでしょうか。この賢いという意味は、思慮深くこざかしいという意味だそうですが、静かに、相手のすきを狙う姿がそのように見えたのでしょうか。この蛇が女の心の隙間に、話しかけるのです。それは最初から、神様に不満を抱かせるように誘導する言い方をするのです。それはこう言ったのです。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」神様が、人間に対しとても意地悪な戒めを与えたような、言い方をしています。これはこの女が、園の中央の木の実を食べてはいけないと言われたことを、不満に思い、それを食べてみたいと思っているその心のすきをついてきたのです。そういった意味ではこの蛇は、女を陥れるのにとても賢い感覚を持っていたのです。これに対して、女は正直に「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」と答えました。ですが、そこには少し嘘が混じっているのです。一つは、触れてもいけないとは神様は言っていないのです。もう一つはわかりにくいのですが、死んではいけないから、と神様が言ったのではなく、食べると必ず死んでしまうと言ったのです。死んではいけないからと言う表現には、死なないかもしれないのに、食べるなと言っていると言う意味がありますが、神様は必ず死ぬ、と言っているのです。ここにこの女が神様の言葉を勝手に解釈してしまっているところがあるのです。触れてもいけないと付け足したのもそうです。神様の言葉を勝手に付け足したり、解釈したりしてはいけないのです。もう一つは、神様は善悪の知識の木からは、決して食べてはならないと言ったのであり、園の中央に生えているもう一つの木の、命の木からも食べてはならないとは言っていないのです。これは、蛇が言った、「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」と言う言葉に引きずられているのかもしれません。でもこの戒めは、神様がアダムに直接に与えた戒めであり、エヴァはその後に生まれてきたのですから、アダムに間違って教えられた可能性もあるのです。神様の言葉が、伝承の過程で、自分たちに都合よく変えられていく危険性をも意味しているのかもしれません。

女の言った言葉に対し、蛇はさらに、神様の言葉に逆らうようなことを言うのです。そして女は誘惑されます。4節から7節です。

創 3:4 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。

創 3:5 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」

創 3:6 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように(そそのか)していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。

創 3:7 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。

 蛇は女に決定的なことを言います。それは、「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」と言ったのです。この後、人間の二人はその木の実を食べるのですが、すぐに死ぬことはありませんでした。神様が必ず死ぬと言ったことは嘘だったのでしょうか、蛇の言ったことが正しかったのでしょうか。きっとエヴァは蛇の方が正しい思ったのだと思います。このアダムとエバはエデンの園にいる限り死なないものだったのです。ですから永遠に生きる命の木から食べてもよかったのです。ところがこの禁断の実を食べたことによって、いずれ死ぬものとなったと言う事なのです。すぐには死ななかったのですが、人間は必ず死ぬものとなったのです。しかも神様の戒めを破った、罪あるものとして、死ぬことになるのです。

女はその木の実を見ると、いかにもおいしそうで、目をひきつけたと言います。しかも賢くなるように(そそのか)していたと言うのです。女が誘惑を受けたのは、神のように善悪を知るものとなることではなくて、いかにもおいしそうだと言う肉体的な欲望であり、賢くなれそうだと言う、単純な希望なのです。女はその実をとって食べ、一緒にいた男にも渡して、彼も食べたのです。この女は、その実をとって食べた時、男に対して、「この実はとってもおいしいよ、食べても死なないよ、蛇もそう言っていたよ、神様の言うことと違うよ」と言って男もに食べさせたと思うのです。この時点で、男も神様の言葉を疑うものとなって、女の誘惑に陥っていたのです。

この実を食べると、神様のように善悪を知るものとなると言われていたのですが、この二人はどうなったでしょうか。確かにそのような変化が現れたのです。それは、まず「二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。」とあります。善悪を知るとはどういうことでしょうか。この実を食べる前は、2人は子供の様に天真爛漫で、すべてが良いもので満たされていたのです。悪いものなど何もなかったので何も隠したり逃げたりする必要はなかったのです。ところが善悪を知る実を食べた時に、まず、自分たちが裸であることを知ったのです。裸であることはもともと知っていたはずなのですが、何が違ったのでしょうか。それは、裸であることが悪いこと、恥ずかしいことであると知るようになったと言う事です。善悪を知るとはそういう事なのです。本来はそのことが決して良いとか悪いとかいうことではなくても、これは良いこと、これは悪いことと区別するようになってしまったと言う事です。そのことによって、人間の自由は制限されていくのです。そして悪いと思われるものは良く見せるために隠すようになるのです。そして、「二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。」のです。

 エデンの園にいた二人は、最初の内は子供の様に無邪気に裸で何不自由なく暮らしていました。ところが蛇の誘惑にあって、女の心の中にあった、神様に対する不満が、不信となって、禁断の実を食べてしまいました。そして善悪を知るものとなってしまったのです。それは一面では決して悪いものではありません。人間の成長を表しているからです。禁断の実は、自我に目覚め、性に目覚めて、大人としての生き方をしていくものとなったからです。ですがそれは、決して自由な生き方ではなかったのです。あれは良い、これは悪いと区別し、いつも比較して生きていく不自由な生き方になったのです。神様に対しても、自分たちは悪いものと思うようになってしまったのです。すなわち罪あるものとなったのです。そしてますます神様から離れていくものとなってしまうのです。

 人間はこの善悪を知る木の実を食べることによって、神様の戒めを破り、罪あるものとなってしまったのです。これが原罪と言われるものです。人間はそれからずっと、この原罪を負い続けているのです。善悪を知る木の実を食べたものの子孫として、いつも善いとか悪いとか言いながら生きているのです。そしてその罪のために、人間は死ななければならないものとなったのです。

 この原罪から救うものとして、イエス様が現れるのです。その罪を清めてくださる方として登場してくるのです。一人の人によって入り込んだ罪が、一人の人の十字架と血の贖いによって、清められるのです。キリスト教は、この壮大な救いの計画によって、働いているのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、今日はエデンの園の追放の話を学びました。ここから私たちは、罪がどこから入り込んできたかを学びました。私たちは是非善悪を知るものとなって、いつもこれが良い、これが悪いとえり好みし、不自由な生活をしています。本当は神様が与えてくださったものは全て良いものです。悪いものはないのです。神様は天地を創造されて、すべて良しとされたのです。私たちが救われるのはこの世界が神様がすべて良しとされた世界であって、善悪に区別する世界ではありません。神様どうかわたしたちがあなたに信頼し、ただあなたが与えてくださいますこのすばらしい世界を感謝して受け取ることができますように。そして御名を崇め、御名を賛美して生きる者でありますように。

この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 

<<聖書の箇所(旧約聖書:◇創世記)>>

 

◆蛇の誘惑

創 3:1 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」

創 3:2 女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。

創 3:3 でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」

創 3:4 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。

創 3:5 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」

創 3:6 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。

創 3:7 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。