家庭礼拝 2019年8月21日 創世記 2:1-25 アダムとイヴ

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起 

 今日の2章の話は、アダムとイブの話が中心ですが、1章の格調の高い創造物語と違って、もっと身近な物語風に書かれています。しかもアダムとイブの創造のところが1章と2章ではだいぶ違った風に書かれているので、何かダブっているような気がします。それもそのはずで、これはもともと違った資料を寄せ集めて書かれているのです。それが、今のような聖書の形にまとめられたのはBC5世紀ごろと考えられています。それまでは別々の伝承なのです。

 旧約聖書は、もともと4つの資料を基に編纂されたもので、この天地創造の話はそのうちの3つの資料を基に書かれています。これらはもとより一人で書いたものではなく、何十年も何百年も言い伝えられてきた中で、何人もの手によって作られてきたものなのです。そしていま学んでいる1章と2章からすれば、1章と2章の4節までは、P資料と呼ばれるものからなっていて、祭司資料とも呼ばれ、格式張っているのが特徴の資料です。ですからそのような格式張ったところがあり、その話は2章4節の「これが天地創造の由来である」と言う言葉で終わるのです。ですからここにはすでに、人間創造の由来も語られていて、男と女を同時に神にかたどって人を作られているのです。

 ところが2章になると、天地創造の話がまた始まるのですが、おもには地上の話で特に人間がどのように作られたかと言う事が物語風に語られるのです。こちらの資料は先ほどのP資料とは違って、J資料と呼ばれるもので、P資料よりももっと古い資料で、素朴な言い回しで、神様と人間の関係を言い表しているのです。ですから、この2章の話は、別の資料がまた始まったと思って読んでいったほうがいいのです。アダムとイブの話も2章では最初にアダムが作られ、「人が一人でいるのは良くない。彼に合う助けるものを作ろう」と言われて、イブを作るのです。神様が良くないと言ったのは、これが初めてです。それまでは作られたものを、良しとされたとか、極めて良かったとか言って、そのことを肯定していたのですが、はじめて、これは良くないと言ったのです。そして助けるものとなる動物をいろいろ作ったのですが、うまくいかず、人間の女を作って初めて良しとされたのです。しかもこの女はアダムのあばら骨から作られました。このことは頭からでもなく、脚からでもなく、手からでもなく、いつも対等にしかもそば近くにいるものとしてわき腹の骨から作られたのです。これは私たちの結婚がどのような関係にあるべきかを教えているのです。神様が最初の夫婦を作られたときから、その関係は、彼に合う助けるものとして作られたのであって、その様に尊重すべきものとして伴侶は作られたのです。

では聖書の話に移りましょう。先ほど話したように、2章の4節の最初の「これが天地創造の由来である」と言うところまでが、1章の続きとなっているP資料の話です。では、1節から4節です。

創 2:1 天地万物は完成された。

創 2:2 第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。

創 2:3 この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。

創 2:4 これが天地創造の由来である。

 第一章は天地創造の6日目までの話でしたが、今日は7日目の話になります。ここでも7日目とは言わず、第7の日と言っていますから、普通の一日ではなく、第7ステージの日と言う感じになります。この第七の日に、神様はご自分の仕事を離れ、安息なさったと書かれています。そしてこの日を神様は聖別し、祝福されたのです。このことに倣って、人間の世界では、神様でさえも7日目には安息の日を迎えたのだから、人間もこの日を聖別して安息日としなければならないと考えて、仕事をすることをやめたのです。ここから一週間が7日と言うサイクルが出てくるわけです。人間の場合には6日間の労働の疲れをいやす安息日でもあるのですが、神様も疲れを取るために安息日を設けたわけではありません。すべてが完成して、もう何もすることがなくなったから、安息なのです。それでは、今の時代は、神様の安息の時代なのでしょうか。それとも人間と同じように次の第8日が始まっているのでしょうか。多分神様は全てをよしとなさって安息に入られたのですから、今の時代も安息日なのだと思います。人間の目には悪とみられ、欠乏とみられることもすべて、神様は織り込み済みで、良しとされ安息に入られたのではないでしょうか。私たちの安息日は神様が作られた世界がそのような良しとされた世界であることを見つめなおすための聖別された日となっているのではないでしょうか。この安息日をもって天地創造は終わったのです。すべては完成されたのです。

もう一つの天地創造の話のJ資料による話では、地上の出来事から話が始まります。4節から6節です。

創 2:4 主なる神が地と天を造られたとき、

創 2:5 地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。

創 2:6 しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。

 神様がどのように天と地を作られたかと言う話は省いて、もうその天と地は出来ているところから始まります。これは日本書紀などの始まり方に似ているような気もします。そして、出来上がった地上にはまだ木も草も生えていない、砂漠のような荒れ地だったのです。これはパレスチナ地方のような荒れ地だったのです。それはまだ神様が雨を降らせなかったからであり、また土を耕す人もいませんでした。ですが、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤したとあります。これで草木が生えるようになるのですが、雨ではなくて、泉から水が湧き出て潤すと言うのが聖書的な気がします。

このJ資料による創世記ではP資料のように、第一の日、第二の日と言うような区切りはありません。物語はどんどん続いて起こります。ですが、その起こり方は1章で起こった順番とは全く違います。1章では人間は一番最後に造られましたが、2章では、最初の生き物として作られるのです。そして、もともとエデンの園があって、人間がそこに住むようになるのではなく、最初に人間があってそれからエデンの園を作り、人間をそこに住まわせるのです。7節から9節です。

創 2:7 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

創 2:8 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。

創 2:9 主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。

 神様はチリのような、どこにでもあるようなもので人間を形作り、そして、神の息によって生きるものとされました。それから、エデンの園を作って、人間をそこに置かれたのです。それからやっとそのエデンの園に、いろいろな食べるによいものをもたらす木を生えるようにしたのです。そして園の中央にはあの有名な、命の木と善悪の知識の木を生えさせたのです。このとき動物はまだいませんでした。生き物はこの人間と果樹だけだったのです。1章のように、整然と水と陸とが分かれ、草木が生え、太陽と月が現れ、水の中に生き物が現れ、地上に生き物が現れ、そして人間が現れると言った順番ではないのです。

このエデンの園には一つの川が流れていました。その川がそこで、4つの川に分かれていたと言いますから、このエデンの園は相当高いところにあったのかもしれません。10節から14節です。

創 2:10 エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。

創 2:11 第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。

創 2:12 その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。

創 2:13 第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。

創 2:14 第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった。

 この4つの川の内、第三の川チグリスと第四の川ユーフラテスは今でも現存する川ですから、このエデンはその上流にあったのかもしれません。第一の川と第二の川は、はっきりとはわからないようです。ある説によると、ガンジス川と、ナイル川だと言うのですが、上流が一致しないので何とも言えません。とにかく、エデンの園は水で潤っていたと言う事になります。

神様はその豊かなエデンの園に人を住まわせて、そこを耕すようにされました。15節から20節です。

創 2:15 主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。

創 2:16 主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。

創 2:17 ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」

創 2:18 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

創 2:19 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。

創 2:20 人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。

 エデンの園に住み、そこを耕し守るように命じられていたアダムに、神様はこう命じました。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」このエデンの園の中央には大切な木が植えられていました。一つは命の木であり、もう一つは善悪の知識の木でした。そのうちの善悪の知識の木からは決して食べてはならない、と言ったのです。食べると必ず死ぬと言ったのです。アダムは一人でいるときにはこの戒めを守っていたのですが、イブと一緒に住むようになると、このただ一つの戒めを破ってしまうのです。なぜ神様がこの善悪の知識の木から食べることを禁じたのかは、後で考えましょう。

神様は、すべてを良しとされたのですが、人が一人でいるのだけは良しとされませんでした。そしてこういったのです。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」そう言って作ったのは人間の女ではありませんでした。野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を造って、アダムの所へ持って行ったのです。アダムはそれぞれに名前を付けて、自分に合う助けるもの、すなわちパートナーを探したのですが、見つけることができませんでした。ですから、動物と言うのは、神様が人間のパートナーの候補として、作った生き物なのです。すなわち仲間であるはずなのです。ですが、アダムはそこに自分に合う助けるもの、すなわちパートナーを見つけることが出来なかったのです。このようにして動物たちは、エデンの園に生きるようになったのです。これで植物も動物も作られました。まだ作られていないのは、アダムのパートナーの人間の女だけです。

神様は人に合う、助けるもの、すなわちパートナーを造るために、もう一工夫しました。それはアダムの身体の一部からもう一人を造ることでした。21節から25節です。

創 2:21 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。

創 2:22 そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、

創 2:23 人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」

創 2:24 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。

創 2:25 人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。

 神様は人を深い眠りに落とされて、寝ている間に、あばら骨の一部を抜き取り、その骨で女を造ったのです。すなわち人間は最初男だけであったが、神様が男から女を産ませ、それからは女が男を生むようになったと言う事です。そしてそのわき腹から作られたと言う事は、その人の伴侶として、いつも助け合うのにふさわしいものとして作られたと言う事です。その女を人に見せると、人は喜び、「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」と言って喜んだのです。それが、自分の分身であることを喜んだのです。すなわち二人は別々のものではなく、もともと一体のものであると言う事です。そしてこれからは男が女と結ばれることは、一体となることであると、教えられるのです。二人は夫婦となり、裸で暮らしていましたが、何も恥ずかしがることはありませんでした。それは何も隠すものがなかったからです。恥ずかしがるのは、何か見られてはいけないものを隠そうとするので恥ずかしがるのです。このようにして、最初の夫婦アダムとイブは作られたのです。

 今日の2章での天地創造の話は、1章で聞いた天地創造の話とはずいぶん違います。それでもこの二つを並べて、これが神様が作られた天地創造の話だと言っているのが、不思議な気がします。そうであってもこの二つの天地創造が、それぞれが干渉することなく、成立していくのが不思議に思います。普通この物語を読んでいて、その矛盾が気になることはありません。そのどちらもが本当のような気がするのです。私たちは必要に応じて、この二つの話から、大切なことを聞き取って行けばいいだけなのかもしれません。論理的な矛盾ではなく、そこから何を聞き取るのかが大切なのだと思います。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。今日の新しい天地創造の話が与えられ、人間がいかに作られ、神様に愛され守られているかを知りました。今日の話では人間が生き物の中で最初に作られ、そして必要なものが神様によって次々に与えられていきました。私たちはそのような存在なのかもしれません。神様が必要なものはすべて与えてくださっているのです。ですがそのことになかなか気が付かず、不平不満を言い、神様を賛美する思いを忘れてしまうこともあるのです。神様どうかあなたが人をどのように愛してくださっているかを、心静かに思うことができますように。私たちがあなたによって作られたものであり、すべてが与えられたものであることを感謝するものでありますように。

この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 


<<聖書の箇所(旧約聖書:◇創世記)>>

 

 ◆天地の創造

創 2:1 天地万物は完成された。

創 2:2 第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。

創 2:3 この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。

創 2:4 これが天地創造の由来である。主なる神が地と天を造られたとき、

創 2:5 地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。

創 2:6 しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。

創 2:7 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

創 2:8 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。

創 2:9 主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。

創 2:10 エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。

創 2:11 第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。

創 2:12 その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。

創 2:13 第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。

創 2:14 第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった。

創 2:15 主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。

創 2:16 主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。

創 2:17 ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」

創 2:18 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

創 2:19 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。

創 2:20 人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。

創 2:21 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。

創 2:22 そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、

創 2:23 人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」

創 2:24 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。

創 2:25 人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。