家庭礼拝 2019年8月14日 創世記 1:1-31 天地の創造
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起
今日から旧約聖書を始めますが、これが終わる時には私の寿命も尽きているのではないかと思います。とても長い聖書の個所ですので、何十年かかるか分りません。ですが、そんなことはお構いなく、どこで終わってもいいように、淡々と聖書の学びを続けていきたいと思います。いずれにしても、信仰に完成などと言うものはなく、人生にも完成などと言うものもないのです。ただ無限にあるものに向かって進んでいくだけで、いつしか私も無限になるのだと思います。
初めに取り上げる箇所は、最初は軽いものから取り上げようかと思いもしましたが、やはり旧約聖書は、創世記から始めなければ、何か拍子抜けをしてしまいます。創世記と言えば天地創造の物語から始まるのですが、私の尊敬する仏教学者の鈴木大拙は、アメリカのそうそうたる学者を前で講義をして、神が天と地を作ったと言うが、いったい誰が見ていたのか、と質問しました。それにはさすがに誰も答えられなかったのですが、わしならこういうがなあと言う言葉が書かれていましたが、うろ覚えで忘れてしまいました。ですがさすが大拙先生と言った感じでした。
日本にフランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えた時、それを聞いた日本人がとても驚いたのは天地を作った神様がいると言う事だったようです。それまでの神道にも仏教にもそのような天地を作る神様の話など聞いたこともないし、神様がたくさんいるのではなくただ一人の神様がいるのだと言う事にも驚いたそうです。日本神話では神様がたくさん出てくるし、日本を作ったのは天橋立から、イザナギとイザナミの命が海を槍でかき混ぜて作ったという話はありますが、天地創造のようにすべてのもの、すなわち天のものも地のものもすべての生き物をも一人の神様が作られたと言う事にはとても衝撃を受けたようです。
信仰の父と呼ばれるアブラハムの出身地はメソポタミヤ地方のウルの地ですが、そこでは一神教ではなく、多神教が信じられていたのです。そのアブラハムに一神教の神様が、私が示す地に行きなさいと言う言葉を語られて、アブラハムは旅に出るのですが、それにはこの一神教と多神教の葛藤があったのだと思います。
この天地創造に似た話はメソポタミヤ文明の中にも神話としてあるようですが、この一神教の神様と結びついた話は、この旧約聖書のユダヤ教だけかもしれません。それだけにこの天地創造の話と言うのは非常に独特の世界観を表した話となっているのです。
この創世記の話は、簡単な物語のようでいて、とても奥が深くて、いつ読んでも新しい発見のできる聖書です。この旧約聖書の話では、新約聖書でやっていたような逐語的な解釈ではなく、全体から受ける印象や感想を中心に話を進めてみたいと思います。そこから、どんな神様の言葉を聞き取ることができるかが大切なのではないかと思い、あまり細かい解釈には陥らないように注意したいと思います。
承
それでは、天地創造の話を学んでみましょう。よく知られているように、神様が7日で、天と地とを作られたと言う事で、まず第一日目の話です。1節から5節です。
創
1:1 初めに、神は天地を創造された。
創
1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
創
1:3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
創
1:4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
創
1:5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
いきなり天地を作られたのは神様であると言う宣言があります。すべての初めは神様であると言う事の原則があるわけです。その初めの状態は地は混とんであって、闇が深淵の表にあったと言います。すなわち、地上はどろどろの状態で、真っ暗闇で、何が何だかわからない状態です。でもその水の上では神の霊が何かをなそうと動いていたのです。神様の最初の言葉は光あれ、と言う言葉です。すると光があったのです。神様の言葉と人間の言葉の働きの大きな違いがあります。人間は言葉で、家を建てようと言ってから、色々材料を集め、加工し、組立て、家を建てます。すなわち言葉が実現するためにいろいろな作業が必要なのです。ところが神様の言葉はその作業が必要ないのです。言葉が作業なのです。すなわち、光あれ、と言えばもう光があるのです。
神様は光が出来たことを良しとされて、光と闇とを分けたと言います。そして光を昼と呼び、闇を夜と呼びましたが、まだ太陽は出来ていないのです。太陽も月も星も火も何もないところでも光はあるのです。私たちは太陽の出ている時を昼と呼びますが、神様は太陽が無くても、光を昼と呼んだのです。
そして夕べがあり朝があった、第一の日である、と書かれています。ユダヤの一日は夕方日没から始まり、朝があって次の日没までが一日です。ですから、その一日を表すのに、夕べがあり朝があったと言います。そして私たちはこのことを神様が一日で行ったと思っていますが、どこにも一日とは書いていないのです。と言うのもまだ太陽がないので一日と言う考えは生まれていないのです。ですから、これは一日ではなく第一の日なのです。それは神様が行った作業の、第一段階と言う意味です。神様の一日は千年のようであり、千年は一日のようであると言い現わされていますが、この第一の日とは千年くらいかかっているのかもしれませんが、まだ太陽もないので、そのような数え方もできないのです。それでも夕があり朝が来るのです。
光を作るのに一日かかりましたが、その後は地球を作ります。これはとても素早く行われます。6節から13節までです。
創
1:6 神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
創
1:7 神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。
創
1:8 神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。
創
1:9 神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。
創
1:10 神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。
創
1:11 神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。
創
1:12 地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。
創
1:13 夕べがあり、朝があった。第三の日である。
私は今まで、この個所を漫然と読んでいて、神様が水と大空に分けられただけだと思っていました。ところがよく読んでみると、水の中に大空あれ、と言ったのです。水が二つに分けられて、地上の水と天上の水に分けられて、その間に大空が出来たのです。ですから大空には大きな海のようなものがあるのです。この天の水から雨が降ってきたり、ノアの洪水のような大水が出てきたりするのです。この大空は天と呼ばれたと言いますから、天上の水はもっと上に押し上げられたのだと思います。これが第二の日に起こりました。そして第三の日には地と海とが分けられ、地には草木が芽生え始めたのです。ですがまだ海には何もありませんでした。空にはまだ太陽も月もなかったのです。まず地上の草木が最初だったのです。この辺が私たちの科学的知識と異なるところで、興味のある所です。
そして第4日目に天体が作られるのです。14節から23節です。
創
1:14 神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。
創
1:15 天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。
創
1:16 神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。
創
1:17 神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、
創
1:18 昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。
創
1:19 夕べがあり、朝があった。第四の日である。
創
1:20 神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」
創
1:21 神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。
創
1:22 神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
創
1:23 夕べがあり、朝があった。第五の日である。
神様は大空に、太陽と、月と、星とを作られました。これらの太陽や月や星は昼と夜を分け、季節や日や年のしるしとなったのです。このときから今のような一日が生まれるのです。ですから今までの第一の日とは一日とは違うのです。太陽の役割は昼と夜とを分ける事でした。もう一つ注意しなければならないのは光は光と闇とを分けたことです。これらの言葉は違うのです。
そしてこれらの太陽や月や星が出来た後で、はじめて、海の生き物それも大きな怪物うごめく生き物を作られたのです。そして翼ある鳥をも作られたのです。これらの作られた順番と言うものも興味深いところです。そして、神様の最初の祝福の言葉が語られます。神様の祝福とは「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」と言う事です。すなわち、神様の祝福とはすべての生き物が増えてこの地に満ちる事なのです。私たちが、神様が何を願っているかを考えるときに大切なことです。
転
神様は第6日目に地上の動物を作りました。そして、最後に人間を作られ祝福されたのです。24節から31節です。
創
1:24 神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。
創
1:25 神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。
創
1:26 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
創
1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
創
1:28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
創
1:29 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。
創
1:30 地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。
創
1:31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。
神様は第六の日に地の獣や家畜、土を這うものなどを作られ、これを見て良しとされました。神様が作られた生き物たちで、何一つ、不要な物無駄なもの邪魔なものはなかったのです。
そして神様はいよいよ、人間を作ろうとしました。そしてこう言いました。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」ここで不思議なのはなぜ神様は我々にかたどり、と自分のことを複数形で言っているのかと言う事です。これにはいろいろな説があるのですが、一つには周りにいる天使たちも含めて我々と言っている説や、三位一体の神だから我々と言っているという説や、「熟慮の複数」という、
一個人が自分の行った決定を表現するときに用いる複数で、慣用的に使われる表現のようです。ほかにもこのような慣用的に使われる複数があるそうなのですが、あまり強い意味はないようです。
我々にかたどり、我々に似せて人を作ったとすると、神様は人間そっくりなのだろうかと思ったりするのですが、それは全く違うのです。神様は霊なのですから、その形があるはずもないのです。ではどこが似ているのかと言うと、人間と神様はお互いに向き合うことができ、感じあうことができると言う事です。それが他の動物とは違うと言う事なのです。最近の研究で、人間と犬の関係がどうしてこんなに親密になれるかと言う報告がありました。そこには人間と犬の感情をつかさどる脳の働きが非常に似ていて、お互いが見つめあうだけで、両方にある種のホルモンが出てきて、親密になるのだそうです。それは人間の親が赤ん坊を見つめる時と同じなのだそうです。そのような関係が人間と神様の間にもあると言う事が似せて作られたと言う事ではないかと思います。少なくとも姿かたちが似ていると言う事ではないのです。そして作られた人間とは、男と女と両方いっしょなのです。アダムとエバの話のように、男が作られ、後から女が作られた話とは違うのです。そして神様は人間を祝福します。そこでの祝福の言葉も、産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ、と言う言葉です。増えることが祝福なのです。神様は人間にすべての生き物を支配する権限を与えました。そして人間に食べ物として与えたのは、動物の肉ではなく植物でした。そして、他の動物たちも、肉食動物はおらず、草食動物だったのです。そしてこの状態を神様は見て、極めて良かったと感じたのです。もしかすると現在のように肉食をする人間や動物たちがいることを、神様は良しとしていないのかもしれません。このようにして天地は創造され、人間も創造されたのです。これで天地創造は完成したのですから、天地創造は6日で行われたと言う事になりますが、これは今の日数の数え方ではなく、第六ステージで完成したという風にとらえた方が良いと思います。又は神様の一日は千年のようであるという表現を用いれば、6千年かけて天地創造が行われたと思ってもよいかもしれません。少なくとも今の一日とは違うと思った方が良いでしょう。第七日目は神様の安息の日となるのですが、これは人間のように6日働いて疲れたから7日目は休んだというのとは違います。第六日ですべてが完成したので、第七日はもう何もしなくなったと言う事なのです。このことは次の2章で学びましょう。
結
いよいよ、旧約聖書の学びが始まり創世記を学んでいくことになりました。ここではいきなり神様が登場し、天と地とを作られます。何事も神様から始められていることがはっきりとしています。神様以外は皆神様によって作られたものであり、神様なしにはあり得ない者達ばかりです。私たちはまず、この神様なしにはあり得ないものであることを、思い起こしていきたいと思います。私たちの罪は自分の力で生きることができると思う事です。神様なんかいなくても大丈夫だ、神様がいるとかえって窮屈だと思う事です。私たちが、私たちを作ってくださった神様を思い起こし、神様との良い関係にある時、本当の幸せが与えられるのだと思います。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。新しい旧約聖書の学びを始めましたが、どうか最後まであなたの導きによって、この学びを続けていくことができますように。私たちに必要なのは知識ではなくて信仰です。私たちが何者であり、神様とどのような関係にあるのかをしっかりと見定めて、歩んでいくことができますように。あなたが私たちのような小さいものをも愛して導いてくださいますことに感謝致します。この世の人々が、皆あなたを崇め、賛美することができますように。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(旧約聖書:◇創世記)>>
◆天地の創造
創 1:1 初めに、神は天地を創造された。
創 1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
創 1:3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
創 1:4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
創 1:5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
創 1:6 神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
創 1:7 神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。
創 1:8 神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。
創 1:9 神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。
創 1:10 神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。
創 1:11 神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。
創 1:12 地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。
創 1:13 夕べがあり、朝があった。第三の日である。
創 1:14 神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。
創 1:15 天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。
創 1:16 神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。
創 1:17 神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、
創 1:18 昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。
創 1:19 夕べがあり、朝があった。第四の日である。
創 1:20 神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」
創 1:21 神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。
創 1:22 神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
創 1:23 夕べがあり、朝があった。第五の日である。
創 1:24 神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。
創 1:25 神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。
創 1:26 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
創 1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
創 1:28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
創 1:29 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。
創 1:30 地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。
創 1:31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。
創 2:1 天地万物は完成された。
創 2:2 第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。
創 2:3 この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別され