家庭礼拝 2019年8月7日 黙示録 22:1-21 キリストの再臨

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起 

 今日で黙示録の最終回です。そして、2010年3月から始めたこの水曜会が、2019年8月で新約聖書の学びを完了することになるのです。約10年近くの間、いろいろなことがありましたが、特別なことがない限り、きちんと水曜日にこの会を続けてこられたことが不思議でなりません。何度も、何十回も、今回は間に合いそうもない、とあきらめかけたり、今回の事情では出来そうもないと思ったり、疲れていてとても準備できないと思ったりした時がありましたが、そんな時でも、私は自分を責めたり、周りの状況を責めたりすることはありませんでした。そのたびに、ただ神様に祈り、「神様あなたにゆだねます。御心でしたら続けさせてください。」と祈ると、不思議にストレスや疲れがなくなって、語るべき御言葉が与えられて、準備が出来たのです。神様が責任を取ってくれたのです。これは本当に不思議でした。この会が続けられたのは、本当に神様がともにいてくださったからだと信じています。いま私が神様の存在を証しできるのは、神様が、この水曜会を最後まで導いてくださったとはっきりと言う事が出来る事です。

 さて今日のこの最後の個所には印象的な言葉が二つ繰り返し出てきます。一つは命と言う言葉です。この命と言う言葉は命の水、と表されたり、命の木と表わされたりします。この命の木と言うのは創世記の初めにエデンの園の中央に、善悪の知識の木とともに生えていた木です。アダムとエバが、神様が食べてはいけないと言われた善悪を知る木の実を食べてエデンの園を追放されてしまいましたが、そこに一緒にあった命の木が、最後には新しいエルサレムの中央に流れる命の水の川の両側にたくさん植えられています。人々はその命の水を飲み、その命の木の実を食べ、命の木の葉によって癒しを与えられているのです。この命につながることが、人々にとっていかに大切かを語っています。

 もう一つの印象深い言葉は、「私はすぐ来る」、と言うイエス様の言葉です。そしてそれに呼応するように、霊と花嫁が「来てください」と願い求め、又イエス様が「然り、わたしはすぐに来る。」と約束すると「アーメン、主イエスよ、来てください。」と祈るのです。これでこの黙示録は完了するのです。ですからこの、主イエスよ、来てくださいという言葉と、「私はすぐ来る」と言う言葉がいかに大きな意味を持っているかを思わされるのです。

 この最後の章は、この二つの言葉を中心に語られているので、そのことに注意しながら、読み進めていきたいと思います。

前の章では新しいエルサレムの外側から眺めての話が多かったのですが、この章では新しいエルサレムの内側がどうなっているかを語っています。1節と2節です。

黙 22:1 天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。

黙 22:2 川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。

 ヨハネは天使に連れられて、新しい都の内側に入ります。するとそこには神と子羊の玉座から流れ出た、水晶のように輝く命の水の川があるところを見せられました。その川は、都の大通の中央を流れ、その両岸には命の木があって、年12回実を結んだのです。そしてその木の葉は、病をいやす薬となったのです。イスラエル地方のような砂漠地帯では、水が文字通り命の水となるのですが、命の木も出てくるとなると、この場合の命とは何を意味しているのでしょうか。そして水とは何を意味することになるのでしょうか。命の水は神様のもとから流れ出ているのですから、これは神様によって生かされている命と言う事になると思います。命の水を飲むとは、神様によって生かされていることを受け入れ、それによって生きると言う事になります。この水とは、聖霊のことだと言う人もいます。神様から流れてくる聖霊を受けて、神様の命を生きるのだと言うのですが、必ずしも聖霊と考えなくても、神様から与えられる命の賜物を素直に命の水と考えてもよいようにも思います。

そしてその命の川の両岸には命の木があって、年12回実を結ぶというのです。命の木は創世記のエデンの園の中央の木も命の木でしたが、この両岸に生えている命の木はそれとは違って、この命の水によって、成長した人が、実を結ぶ木のような気がします。その人たちは、命の水によって、毎月のように、良い実を結んでいくのです。そしてその木は、実を結ぶだけではなく、その葉でさえも、人々に癒しを与えるそのような良き働きをするのです。命の水に生かされる人とはそのような人だと言っているようです。

この新しいエルサレムの都では、神様と人々がどのように暮らしているかを、次のように語っています。3節から5節です。

黙 22:3 もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、

黙 22:4 御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。

黙 22:5 もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。

 この新しい都にはもはや呪われるような邪悪なものは何一つなくなったと語っています。そして神様に仕える者たちは、神様を礼拝し、神様を直接仰ぎ見ることができると言います。それまでは、神様を直接見たものは、死んでしまうと言われていたのですが、ここでは直接仰ぎ見て、礼拝するのです。そのような人々の額には、神の名が記されていると言います。これは実際にその名前が額に書かれていると言う事よりも、その人々は完全に神様のものとなっているので、その顔を見れば、神様のものとなった人であることが分かるという意味だと思います。そのような、神様のものとなった人たちが、神様を直接仰ぎ見ることができるようになったのです。

そしてその都ではもう夜はないのです。すなわちもう闇はなくなったのです。邪悪なものがすべて取り除かれたので、ともし火も太陽の光もいらなくなったのです。照らすのは神様が照らしてくださるので、そのような他の光は必要なくなったのです。新しい都とはこのような都だったのです。

そしていよいよこの黙示録最後の場面に入ります。それはイエス様の約束の言葉です。それはこの黙示録を総括するような言葉です。6節から9節です。

黙 22:6 そして、天使はわたしにこう言った。「これらの言葉は、信頼でき、また真実である。預言者たちの霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを、御自分の僕たちに示されたのである。

黙 22:7 見よ、わたしはすぐに来る。この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである。」

黙 22:8 わたしは、これらのことを聞き、また見たヨハネである。聞き、また見たとき、わたしは、このことを示してくれた天使の足もとにひれ伏して、拝もうとした。

黙 22:9 すると、天使はわたしに言った。「やめよ。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書物の言葉を守っている人たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。」

まず最初に、天使がヨハネにこういいました。「これらの言葉は、信頼でき、又真実である」と。これは今までヨハネが、黙示を通して、これから起こる出来事や言葉を見聞きしてきたのですが、それらのことは、信頼でき真実であると言うのです。決して夢のようなことではなくて、実際に起こるのだと言うのです。そして天使はさらにこういうのです。「預言者たちの霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを、御自分の僕たちに示されたのである。」すなわち、これらのことは、神様が示されたことであり、すぐにでも起こるようなことであって、遠い世界のことではないから、それを信じて待ち望めと言っているのです。

するとイエス様が言いました。「 見よ、わたしはすぐに来る。この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである。」イエス様は、私はすぐ来る、と約束したのです。これらの出来事が起こって、その後イエス様が再臨すると言うのです。ですから、この黙示の言葉を信じて守るものは幸いであると言いました。たとえ死んでも、その黙示に示されたように、神の国で永遠の命にあずかるからです。

このイエス様の言葉に感激したヨハネは、このことが、誰から聞いた話でもなく、私ヨハネが、直接、イエス様と天子様から聞いたのだと宣言しました。そしてこのことをヨハネに示してくれた天使に感謝して、天使の足もとにひれ伏して、拝もうとしたのです。すると前にも同じことがありましたが、天使は、「やめよ。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書物の言葉を守っている人たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。」天使は私もあなたたちと同じように神様に使えるものであるから、私を拝むのではなく、神様を礼拝しなさいと言ったのです。これは当時行われていた天使礼拝を禁じる言葉だったのです。

そして、イエス様が黙示を通して語る最後の言葉が与えられました。それは約束の言葉でもあり、私たちに命じる言葉でもあります。その言葉とは何でしょうか。10節から17節です。

黙 22:10 また、わたしにこう言った。「この書物の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。時が迫っているからである。

黙 22:11 不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。

黙 22:12 見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。

黙 22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。

黙 22:14 命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。

黙 22:15 犬のような者、魔術を使う者、みだらなことをする者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は都の外にいる。

黙 22:16 わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした。わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。」

黙 22:17 “霊”と花嫁とが言う。「来てください。」これを聞く者も言うがよい、「来てください」と。渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。

イエス様がヨハネに命じた言葉はまず、「この書物の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。時が迫っているからである。」と言う言葉でした。黙示録と言うのは、それまでは、神様から啓示として与えられ見聞きしたことを書き留め、それを一般の人には見られないように封印ししばらくの間世に出ないようにしているものなのです。それは秘密の出来事であり、封印された出来事なのです。ところがこの黙示録では、このことを秘密にしておいてはいけない、と言います。なぜならばもうそのことが実現するので、時が迫っているからだと言うのです。早くそのような大切なことを人々に知らせないと、救われるべき人も救われなくなるからです。

そのようなことを人々に知らせても、悔い改めないものもいるし、すぐに従うものも出てきます。そのようなとき、もうそれぞれのことにはこだわらず、「不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。」と言ったのです。神様はそのことを強制はせず、それぞれの判断に任せると言ったのです。ただその時、イエス様が再臨なさった時には、「わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。」と言ったのです。そしてその時はすぐ来ると言ったのです。

 そしてイエス様は、御自分の権威をもう一度示しました。それは、「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。」と言う事です。イエス様がおらなければ何事も起こらず、何事も終わらないと言う事です。すべてはイエス様によって成り立っていると言う事です。イエス様の前には何もなく、イエス様の後にも何もないと言う事です。そのような方が約束する事であるから、信じてそれに聞き従えと言う事なのです。

そして悔い改めて、イエス様に従うものに祝福を与えました。それは、このような言葉でした。「命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。」これは、神の国に入るために、自分の罪を悔い改め、自分の罪の衣を、イエス様の十字架の血によって洗い清めるものは幸いであるという言葉なのです。それに対して悔い改めないものには呪いの言葉でした。それは、「犬のような者、魔術を使う者、みだらなことをする者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は都の外にいる。」これは、イエス様に出会っても悔い改めず、邪悪なことを行うものは、都の中に入ることはできないと言う事です。そしてその者たちは最後には滅んでしまうのです。

そしてイエス様は最後にこのように言い残したのです。「わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした。わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。」イエス様はご自分を、メシアであると宣言したのです。私はダビデのひこばえ、その一族、輝く駆けの明星であると言ったのです。その方が、諸教会に使いを遣わして、これらのことを証したのである、と宣言して締めくくりました。

このイエス様の言葉を聞いた霊と花嫁、すなわちキリスト教会とその人々は喜びに満ちて「来てください。」と切に願いました。そしてこの黙示の言葉を聞いていた人々に対しても「来てください」と言うが良いと、主の再臨を臨む言葉を薦めました。その様に、主の再臨を強く望み、渇いている者は来るがよい。主の命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい、と主に求めることを励ましているのです。

そして最後はは、ヨハネの締めくくりの言葉です。この書物がいかなるものであるかを語ります。このような最後の文章と言うのは当時はよく使われる定型文だったのです。17節から21節です。

黙 22:18 この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。

黙 22:19 また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。

黙 22:20 以上すべてを証しする方が、言われる。「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。

黙 22:21 主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。

当時は印刷技術はありませんでしたから、このような本や書物は書き写されて伝えられていきました。でもその時に、その書き写す人が、自分で解釈して、文章を書き直したり、付け加えたりする人がいたのです。ですからヨハネは、これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる、と言って、書き換えをしないように禁止しているのです。同じように、取り去ることに関しても、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる、と警告しているのですが、これらは旧約の預言書などによくあらわれる文章なのです。

そして最後にもう一度大切な言葉を語ります。それは「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください、と言う言葉です。主イエス様の再臨の時は近いと教えるのが、この黙示録の大きな目的なのです。

 これで、黙示録も完了しました。約、10年かかった、この新約聖書の学びを一通り、やり通すことができました。聖書の最後の言葉は、イエス様の、私はすぐ来るという約束の言葉でした。それに対する人々の応答は、主よ来たりませ、と言う言葉でした。私たちの信仰はこのイエス様の再臨を信じることによって、その骨格がなされているのです。この再臨の信仰がなければ、本当にキリスト教とはなりません。十字架と復活と再臨、これがあってはじめて救い主の教えであり、働きです。私たちの信仰もこの信仰に支えられて、しっかりと歩むことができるようにと願っています。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。この10年間の学びの時を最後まで導いてくださって感謝いたします。新約聖書の学びは一区切りつきましたが、また新しい学びに、導かれるようにと願っております。神様、どうかこれからも、自分で、頑張るのではなく、ただあなたに委ねて、あなたの御心のままに学びと信仰と、良き行いを続けて行くことができますように導いてください。あなたによって与えられた、信仰の喜びをもって、最後まであなたに従い歩んでいくことができますように。

この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 


<<聖書の箇所(新約聖書:◇ヨハネの黙示録)>>

 

黙 22:1 天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。

黙 22:2 川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。

黙 22:3 もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、

黙 22:4 御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。

黙 22:5 もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。

◆キリストの再臨

黙 22:6 そして、天使はわたしにこう言った。「これらの言葉は、信頼でき、また真実である。預言者たちの霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを、御自分の僕たちに示されたのである。

黙 22:7 見よ、わたしはすぐに来る。この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである。」

黙 22:8 わたしは、これらのことを聞き、また見たヨハネである。聞き、また見たとき、わたしは、このことを示してくれた天使の足もとにひれ伏して、拝もうとした。

黙 22:9 すると、天使はわたしに言った。「やめよ。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書物の言葉を守っている人たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。」

黙 22:10 また、わたしにこう言った。「この書物の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。時が迫っているからである。

黙 22:11 不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。

黙 22:12 見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。

黙 22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。

黙 22:14 命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。

黙 22:15 犬のような者、魔術を使う者、みだらなことをする者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は都の外にいる。

黙 22:16 わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした。わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。」

黙 22:17 “霊”と花嫁とが言う。「来てください。」これを聞く者も言うがよい、「来てください」と。渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。

黙 22:18 この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。

黙 22:19 また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。

黙 22:20 以上すべてを証しする方が、言われる。「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。

黙 22:21 主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。