家庭礼拝 2019年7月31日 黙示録 21:1-27 新しい天と地
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起
今日の話は、邪悪な者たちとの戦いがすべて済んだ、その後の話になります。平和が訪れました。そして結婚式が行われたのです。それは人間同士の結婚式ではなく、イエス様と新しいエルサレム、すなわち教会との結婚式です。どうしてこの結びつきを結婚と言う形で表すかと言うと、結婚する前は、神様は別のところにいて、神様に会うためには、神様を呼び求めなくてはいけなかったのです。その呼び求める人たちを祭司と言いました。ですが今は結婚したのです。何が違うかと言うと、結婚したものは一体となるのです。すなわちイエス様は結婚した花嫁といつも共にいて、もう離れることがないのです。呼び求める必要もなくいつもそば近くにいてくれる存在なのです。それがイエス様と新しいエルサレムの結婚なのです。
ユダヤの人々は、神様とのこのような関係をずっと夢見ていました。いつも神様と共にいられるならば、どんなに素晴らしいだろうと思っていたのです。そのことがこの黙示録の中で、実現されているのです。そして、この新しいエルサレムが、いかに大きく、いかに美しいかを、いろいろな宝石を用いて表しています。この宝石のことを一つ一つ説明しても、あまり、感心しないので、いかに素晴らしかったかだけを説明したいと思います。そして、この黙示録の中で、初めて神様が直接言葉を語ってくださいました。その言葉は何だったでしょうか。それが今日の21章に書かれているのです。
承
では、聖書に戻ります。まず、1節から4節です。
黙
21:1 わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。
黙
21:2 更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。
黙
21:3 そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、
黙
21:4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
ヨハネは、最初の天と最初の地が滅び去り、新しい天と新しい地を見ました。そこにはもはや海もなくなったと言っています。なぜ海のことをわざわざ付け加えているのでしょうか。今の時代なら、海は憩いの場所でありリゾート地です。残しておいてもよかったのではないでしょうか。ところがこの時代はそうではなかったのです。海は恐ろしいところで、海の底からは邪悪な海獣がやってきたり、サタンの手下たちがやってきたり、敵が攻めてきたり、海で死んで身体が見つからなければ呪われたり、海ほど恐ろしいところはなかったのです。その海がなくなったと言う事は、もう邪悪なものに攻められることがないという、安心感があるのです。とにかく、天と地とは新しくされて、すべてのものは良きものすばらしいものに変えられたのです。
次にヨハネが見たのは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た、と言うのです。前に地が滅びた時に以前のエルサレムも滅びました。ですが、この時代は、地にあるものは天にもその理想の形のものがあると信じられていました。ですから地上のエルサレムが滅んでも天上には理想のエルサレムがあったのです。そのエルサレムが着飾った花嫁の姿で、神様の元を離れて天から降ってきたというのです。これは花嫁のエルサレムだけが降りて来たのでしょうか。ユダヤの結婚式では、花婿が花嫁のところに来て、花嫁を連れていくのが結婚式です。ですから花嫁のエルサレムはイエス様に連れられて、地上に降りて来たのです。
そのときヨハネは、玉座から大きな声を聴きました。これは神様の声かと思うのですが、そうではありません、これは神様のそばにいた天使の声なのです。その声はこういいました。
「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
これがイエス様と結婚したエルサレムの姿なのです。すなわち教会の姿なのです。それまでは神の幕屋すなわち神殿は人の住む場所と別の場所にありました。ですがこのときから、神の幕屋は、人の住んでいるところにあると言うのです。神様が人とともに住んで、人は神の民となり、神は人と共にいるというのです。神様はもう特別なところではなく、私たちとともに住んでくださって、いつもともにいてくださると言うのです。私たちが神様に、いつもともにいてくださいと言う祈りが、この時に実現しているのです。共にいてくださる神様は、人々の目の涙をことごとくぬぐい取ってくださり、もはや、死も悲しみも嘆きも労苦もなくなったというのです。神様とともにいるというのはそういうことなのです。たとえ死があっても、苦しみがあっても、そのようなことは神様とともにいることの喜びに比べれば、無いに等しいと言う事なのです。神様が、私たちの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださると言うのは、どんなにか慰めに満ちた約束だったでしょうか。このときはまだローマによる迫害に苦しんでいる時代だったのですから。
すると今度は、玉座に座っておられる方が語ったのです。先ほどは、「わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。」となっており、これは玉座の近くの天使でしたが、今度は玉座に座っておられる方、と言うのですから今度は神様しかないのです。これは初めての神様の言葉です。何と言われたでしょうか。5節から8節です。
黙
21:5 すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。
黙
21:6 また、わたしに言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。
黙
21:7 勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる。
黙
21:8 しかし、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である。」
神様が語られた言葉は、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言う事でした。神様は全てを新しくされる方なのです。私たちをも、この世をも、もうこれではだめだと思っていても、神様はそれを新しくして良きものにするのです。それが神様の力なのです。神様のこの言葉の後、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われたのは、神様ではなくそば近くにいた天使の言葉です。この言葉は大切だからそして真実だから書き記しておけとヨハネに命じたのです。ヨハネはそこで起こったことをいつも書き記そうとして、準備していたのです。その準備していたヨハネに、今度は神様が直接語りかけました。それはこういう言葉でした。
「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる。しかし、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である。」
神様は、すべてが新しくされたのを見て、事は成就したと言いました。これが、本来の姿であると言ったのです。そして自分のことをわたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである、と言いました。神様がすべての最初であり終わりであると言うのです。神様のない、世界はないと言う事です。そしてこのような約束を与えたのです。それは、「渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる。」と言う約束でした。神様を求め信じ最後までその信仰を貫くものを、私の子、神の子にしようと約束してくださったのです。その一方で、神様を信じない、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者達は、第二の死が与えられると言ったのです。もうすべてのものは第一の死を経験して、まだ生きているのですが、それでも神様を信じないものには第二の死、火と硫黄の燃える池、あの邪悪なサタンや、獣たちや、不信仰者たちが投げこまれ、永劫の苦しみを味あわされているあの第二の死を与えると言っているのです。これ新しい世界になった時に神様が宣言した言葉であり、約束の言葉なのです。
転
さて、花嫁となった新しいエルサレムとはどんなところなのかを、ヨハネは事細かに書き記しています。それがどんなに素晴らしいところなのかを、今生きて苦しんでいる人たちに、夢を与え希望を持ち続けることができるように語っているのです。まず天使がヨハネに語り掛けます。9節と10節です。
黙
21:9 さて、最後の七つの災いの満ちた七つの鉢を持つ七人の天使がいたが、その中の一人が来て、わたしに語りかけてこう言った。「ここへ来なさい。小羊の妻である花嫁を見せてあげよう。」
黙
21:10 この天使が、“霊”に満たされたわたしを大きな高い山に連れて行き、聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下って来るのを見せた。
ここでまた、七つの鉢を持つ天使の一人が語り掛けてくるのです。この天使が現れたのは大淫婦バビロンの滅びの時です。その時何と言ったかと言うと、17章1節で、「さあ、来なさい。多くの水の上に座って居る大淫婦に対する裁きを見せよう。」と言ったのです。これは滅びの宣言でした。ところが今度は「ここへ来なさい。小羊の妻である花嫁を見せてあげよう。」と言ったのです。これは祝福の言葉です。この天使は滅びと祝福との両方の言葉を語ったのです。そして、この花嫁、すなわち新しいエルサレムがどのような姿をしていたかを見せるのです。霊に満たされたヨハネは、天使に連れられて、高い山に行き、聖なる都エルサレムが、神様のもとから降ってくるのを見ました。その姿はどのようだったでしょうか。
ヨハネは、まず、この都の外見について語ります。次の章では内部も語るのですが、この章では、延々とその外見のすばらしさを語るのです。11節から14節です。
黙
21:11 都は神の栄光に輝いていた。その輝きは、最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。
黙
21:12 都には、高い大きな城壁と十二の門があり、それらの門には十二人の天使がいて、名が刻みつけてあった。イスラエルの子らの十二部族の名であった。
黙
21:13 東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。
黙
21:14 都の城壁には十二の土台があって、それには小羊の十二使徒の十二の名が刻みつけてあった。
この都は最高の宝石のごとく語られています。それほど光り輝いていたのです。都には城壁と12の門があり、イスラエルの12部族の名前が記されていました。そして、その城壁の土台も12あって、そこにはイエスキリストの12使徒の名前が記されていたのです。この都は新約旧約が両立しており、むしろ土台が、新約であったと言う事です。
ヨハネに語り掛けた天使はその都の大きさを示そうとして、測りで測り始めました。15節から21節です。
黙
21:15 わたしに語りかけた天使は、都とその門と城壁とを測るために、金の物差しを持っていた。
黙
21:16 この都は四角い形で、長さと幅が同じであった。天使が物差しで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。
黙
21:17 また、城壁を測ると、百四十四ペキスであった。これは人間の物差しによって測ったもので、天使が用いたものもこれである。
黙
21:18 都の城壁は碧玉で築かれ、都は透き通ったガラスのような純金であった。
黙
21:19 都の城壁の土台石は、あらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、
黙
21:20 第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。
黙
21:21 また、十二の門は十二の真珠であって、どの門もそれぞれ一個の真珠でできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。
この都はとても大きな都でした。しかもその形は、長さと幅が同じであり、高さも同じであったというのですから、立方体の都です。このような四角な都はバビロンも、ニネベも同じで、正四角形は完全の象徴だったのです。さらにこの場合は立方体ですから、その完全さは完璧なのです。その一辺の長さは1400㎞です。仙台から広島あたりまでの距離ですが、とても大きなエルサレムです。その高さも同じと言うのはどのような状態なのかはわかりません。それに比べて、城壁は80mくらいで低いのです。もう敵もいなくなったので城壁は必要なくなったのですが、街の区切りとして必要だったのです。
その城壁も碧玉と言う宝石でできていて、都は透き通ったガラスの様な純金であったと言います。城壁の土台も宝石でできていて、12の門は12の真珠であったと言います。この当時の真珠と言うのは、宝石よりも高価なもので、その門が巨大な一個の真珠で作られていたというのです。ですから何から何まで宝石で埋め尽くされ、それが、とても人間の目では確認できないほどの大きさなのです。これほど大きなエルサレムであるのには、そこにはすべての人を収容できる広さがあると言う事で、その門が東西南北に12か所あると言う事は、この都にはそれにふさわしいものならばどこからでもはいることができると言う事の象徴なのです。一つの門からしか入れないのではなく、この新しいエルサレム、すなわち教会には、いろいろ違った考え方があっても、神様の御心に適うならば、世界中から、いろいろな人々を招き入れることができると言う事です。
そして、ヨハネは次に、この町の外見ではなく、この街の様子を語り始めました。22節から27節です。
黙
21:22 わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。
黙
21:23 この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。
黙
21:24 諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。
黙
21:25 都の門は、一日中決して閉ざされない。そこには夜がないからである。
黙
21:26 人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。
黙
21:27 しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入れない。小羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。
ヨハネはこの新しいエルサレムには神殿を見なかったと言います。見つけられなかったのではなく、神殿がなかったというのです。エルサレムに神殿がないと言う事は不思議な事です、いったいどうしてでしょうか。それは、全能者である神、主と子羊とが都の神殿だからである、と語っています。ソロモンの神殿の至聖所が正四角形であるように、この立方体のエルサレム自体が神殿と同じなのです。この都自体が主の神殿なのです。
この都には、それを照らす太陽の月も必要ではないと言います。すなわち闇はなくなったのです。神の栄光が都を照らしていたのです。都の門も閉ざされなくなりました。都の門は夜に敵の襲撃から守るために閉ざされたのですが、もう夜もなくなったので閉ざされなくなりました。ですから人々は、その光の中を歩み、地上の王たちも自分たちの栄光を携えて都にくることができました。人々も、諸国の民の栄光と誉とを携えて都に来ました。ですが、神様に逆らう穢れたもの忌まわしい者たちは誰一人都には入れませんでした。子羊の命の書に名が書いてあるものだけが入れるのです。
結
このように新しいエルサレムは現れました。神様との結婚を通して、神様と一体になったエルサレムです。この新しいエルサレムとは教会のことです。教会には神殿がありません。教会自体が神殿だからです。そこで私たちは神様に出会うことができるのです。そのエルサレムは世界中の教会を収容できる広さと美しさを持ったエルサレムです。その中に入れるものは子羊の命の書に名が書いてあるものだけです。イエスキリストを主と告白したものだけです。多くの迫害の中にあって、最後まで、その信仰を守り通し、命の書に名を残すように励ましているのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、新しいエルサレムが現れました。人々が待ち望み希望していた新しいエルサレムです。そこには悪の影はなくいつも神様の光で満たされている場所でした。信仰をもつものはこの新しいエルサレムに望みを置いて最後までその信仰を守り通しました。この信仰を私たちも大切にすることができますように。神様が、最後には必ず、良いことをしてくださることを信じて歩ませてください。この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ヨハネの黙示録)>>
◆新しい天と新しい地
黙 21:1 わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。
黙 21:2 更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。
黙 21:3 そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、
黙 21:4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
黙 21:5 すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。
黙 21:6 また、わたしに言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。
黙 21:7 勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる。
黙 21:8 しかし、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である。」
◆新しいエルサレム
黙 21:9 さて、最後の七つの災いの満ちた七つの鉢を持つ七人の天使がいたが、その中の一人が来て、わたしに語りかけてこう言った。「ここへ来なさい。小羊の妻である花嫁を見せてあげよう。」
黙 21:10 この天使が、“霊”に満たされたわたしを大きな高い山に連れて行き、聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下って来るのを見せた。
黙 21:11 都は神の栄光に輝いていた。その輝きは、最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。
黙 21:12 都には、高い大きな城壁と十二の門があり、それらの門には十二人の天使がいて、名が刻みつけてあった。イスラエルの子らの十二部族の名であった。
黙 21:13 東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。
黙 21:14 都の城壁には十二の土台があって、それには小羊の十二使徒の十二の名が刻みつけてあった。
黙 21:15 わたしに語りかけた天使は、都とその門と城壁とを測るために、金の物差しを持っていた。
黙 21:16 この都は四角い形で、長さと幅が同じであった。天使が物差しで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。
黙 21:17 また、城壁を測ると、百四十四ペキスであった。これは人間の物差しによって測ったもので、天使が用いたものもこれである。
黙 21:18 都の城壁は碧玉で築かれ、都は透き通ったガラスのような純金であった。
黙 21:19 都の城壁の土台石は、あらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、
黙 21:20 第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。
黙 21:21 また、十二の門は十二の真珠であって、どの門もそれぞれ一個の真珠でできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。
黙 21:22 わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。
黙 21:23 この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。
黙 21:24 諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。
黙 21:25 都の門は、一日中決して閉ざされない。そこには夜がないからである。
黙 21:26 人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。
黙 21:27 しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入れない。小羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。