家庭礼拝 2019年5月15日 黙示録 10:1-11 天使が小さな巻物を渡す

 賛美歌326地よ、声高く聖書朗読 祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り 賛美歌327すべての民よ、喜べ

 

起 

 今日の黙示録10章は、幕間(まくあい)だと言われています。幕間とは第一幕と第二幕の間の幕が閉じてある時間帯のことです。すなわち、今まで第六のラッパまで吹かれましたが、次は第七のラッパが吹かれるまでの間、幕間の出来事が語られるのです。これは以前の巻物が開かれるときも第六の巻物と第七の巻物の間に、幕間がありました。第七の出来事は完成の出来事なので、一度幕間を入れてためを作っているのです。第七のラッパが吹かれるとき、神様の計画は完成されます。第六のラッパが吹き鳴らされたとき、人間の三分の一は殺されてしまいました。でもまだ残された人間は悔い改めることをせず、偶像を礼拝していたのです。この後人間はどうなってしまうのでしょうか。

 この幕間では、今までただ見ているだけであったヨハネが、その天使たちの中に登場して、語り掛けられ、また、何事かをなすのです。そこに登場するのは小さな巻物です。今までは大きな巻物でしたが、ここでは小さな巻物で、しかも既に開かれているのです。ヨハネはその開かれた内容を知ることができたでしょう。ここではその巻物をヨハネが食べると言う事が行われます。それほどこの巻物は小さく口に入れることができるほどだったのです。ですがこの巻物にはいろいろな意味があります。そのことをこれから読み解いていきたいと思います。

それではまず、1節から4節です。

黙 10:1 わたしはまた、もう一人の力強い天使が、雲を身にまとい、天から降って来るのを見た。頭には虹をいただき、顔は太陽のようで、足は火の柱のようであり、

黙 10:2 手には開いた小さな巻物を持っていた。そして、右足で海を、左足で地を踏まえて、

黙 10:3 獅子がほえるような大声で叫んだ。天使が叫んだとき、七つの雷がそれぞれの声で語った。

黙 10:4 七つの雷が語ったとき、わたしは書き留めようとした。すると、天から声があって、「七つの雷が語ったことは秘めておけ。それを書き留めてはいけない」と言うのが聞こえた。

ここには、もう一人の力強い天使が現れます。この天使は大天使のガブリエルであると言う人もいれば、この天使こそイエス・キリストであると言う人もいます。そこに書き表されている姿が、ただの天使と言うよりも神様そのもののような書き方をしているからです。この天使が雲を身にまとい天から降ってきたと言います。雲を身にまとい、と言うのは雲を服のように着ていたのではなく、神様の戦車は、雲であるという表現がありますので、ここでは戦車である雲に乗ってきたと言う事になります。頭には虹を抱き、顔は太陽のようで、脚は火の柱のようだったと言います。この方は栄光の虹を頭に抱いていたのです。そして、顔は太陽のように輝いていたのです。それはモーセが神様に出会ったときに顔が輝いていたように、そしてイエス様が、山上の変容で、顔が光り輝いたように、いやそれ以上に顔が太陽のように輝いていて、闇が光によって、退けられていたのだと思います。ヨハネにはそれは日の出のように見えたのかもしれません。ですから、この方の姿は天使と言うよりも神様に近い表現なのです。

この方は、開いた小さな巻物を持っていました。今まで出て来た巻物は封印された巻物で、裏にまでびっしりと書き込まれた巻物でした。ですが、ここで現れる巻物はそのようなものとは全く違います。まるで、ヨハネのために用意された巻物のようです。それは小さく、既に開かれており、その天使の手に握られていたのです。

 この天使は右足で海を、左足で大地を踏んでいたというのですからとても大きな存在です。しかも海も山も踏んでいたというのは、海も山も支配していたという意味です。と言う事はこの当時としては、すべての世界を宇宙をも支配していたと言う事です。ですから神様なのです。この天使が、ライオンが吠えるような大声で叫ぶと、7つの雷が、それに応答して語り始めました。ヨハネはすぐに、その言葉を書き留めようとしました。とても大切な言葉だったので、みんなに伝えられるようにしようとしたのです。すると天から声がありました。それは、「七つの雷が語ったことは秘めておけ。それを書き留めてはいけない」と言う天からの声でした。ヨハネが書き留めようとした、7つの雷の言葉はこの後も二度と語られることはなかったのです。それはヨハネの胸の内に深く秘められたのです。何が語られたのかは、私たちはただ想像するだけですが、それは言葉では言い尽くせない言葉だったのだと思います。だから書き留めてはならないと言われたのだと思います。預言者たちは、神様から聞いた言葉を全部人々に伝えたのではなく、このように、伝えることを禁じられた言葉もあるのです。そのことを覚えて預言者の言葉を聞く必要があります。

 そしてこの天使は、大切なことを語りました。それは神様に誓って語った言葉でした。5節から7節です。

黙 10:5 すると、海と地の上に立つのをわたしが見たあの天使が、/右手を天に上げ、

黙 10:6 世々限りなく生きておられる方にかけて誓った。すなわち、天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを創造された方にかけてこう誓った。「もはや時がない。

黙 10:7 第七の天使がラッパを吹くとき、神の秘められた計画が成就する。それは、神が御自分の僕である預言者たちに良い知らせとして告げられたとおりである。」

 この天使は右手を天に挙げて、永遠に生きておられる方、すなわち神様にかけて誓ったと言います。神様にかけて誓う時には右手を天に挙げて誓うのです。ヨハネはその永遠に生きておられる方が、天と地と海との中にあるすべてのものを創造された方、と言って、神様であることを念を押しているのです。その天使が語った言葉とは、「もはや時がない。第七の天使がラッパを吹くとき、神の秘められた計画が成就する。それは、神が御自分の僕である預言者たちに良い知らせとして告げられたとおりである。」と言う言葉でした。もはや時はないのです。私たちは時はまだまだあると思って、つまらない時の過ごし方をしているのですが、もはや時はないのです。その時どのように生きるのかが問われます。そんなことをしてていいのかと問われるのです。なぜ時がないと言うのかと言うと、第七の天使がラッパを吹くとき、神様の秘められた計画が成就する、と言うのです。それはこの世がすべて滅んでしまうので、もう時はないというのです。救われるにも時がなくなってきたのです。額にしるしを与えられた者だけが救われるのですが、それにもかかわらず、生き延びた人たちはいまだに偶像を礼拝して、自分の生活を楽しもうとしているのです。この世は滅んでしまうと言う事は、今まで、信仰者たちを迫害してきた権力者たちが、皆滅んでなくなり、多くの苦しみや災いを与えてきた者たちもみな滅んでしまうと言う事なのです。そして、神様をあがめ信じる者達だけが永遠の命を与えられて、神様のもとに憩うことができると言う事です。そのことを予言者たちは人々に伝えてきました。それは良き知らせ、福音としてそのような時が来るのだと知らされていたのです。

 するとまた天から声が聞こえて、ヨハネに語り掛けたのです。8節から11節です。

黙 10:8 すると、天から聞こえたあの声が、再びわたしに語りかけて、こう言った。「さあ行って、海と地の上に立っている天使の手にある、開かれた巻物を受け取れ。」

黙 10:9 そこで、天使のところへ行き、「その小さな巻物をください」と言った。すると、天使はわたしに言った。「受け取って、食べてしまえ。それは、あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い。」

黙 10:10 わたしは、その小さな巻物を天使の手から受け取って、食べてしまった。それは、口には蜜のように甘かったが、食べると、わたしの腹は苦くなった。

黙 10:11 すると、わたしにこう語りかける声が聞こえた。「あなたは、多くの民族、国民、言葉の違う民、また、王たちについて、再び預言しなければならない。」

 天からの声はヨハネにこう言いました。「さあ行って、海と地の上に立っている天使の手にある、開かれた巻物を受け取れ。」天からの声とは神様の声のようです。そうすると、海と地の上に立っている天使とは、イエス様かもしれません。その方の手にある開かれた巻物を受け取れとの指示でした。開かれた巻物とは封印されていないので、だれでも見ることができます。ですから封印された黙示の巻物に対して、開かれた巻物とは、すべての人に開示されている、神様の言葉かもしれません。ヨハネはその天使のところへ行き、「その小さな巻物をください」と言いました。するとその天使は、その小さな巻物を「受け取って、食べてしまえ。それは、あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い。」と言いました。受け取って食べてしまえとは、そこに書かれた言葉を、言葉として受け取るのではなく、完全に受け入れ消化して、自分の体の一部にしなさいと言う事です。聖餐式のパンと葡萄酒のように、イエス様を自分の体に取り入れて、一体となると言う事です。又礼拝で聞く御言葉も、ただ言葉として聞くのではなく、その言葉を食べて、自分のものとすることが必要なのです。そしてその天使は言いました。その巻物はあなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い、と言いました。どうしてその巻物が口には蜜のように甘いのでしょうか。それはこの巻物を口にするという事は、神様の使者として、用いられて、宣教の働きが出来ると言う事が、蜜のように甘く、喜ばしいことだからです。一方、その巻物が腹には苦い、というのは、その宣教で語る言葉が、あまりにつらく苦しい内容なので、断腸の思いで語らなければならないからです。神様に用いられるのはうれしいが、その言葉を取り次いで語ることはとても苦しいことなのです。ヨハネはその巻物を天使の手から受け取って食べました。すると言われたように、それは口には甘く、腹は苦くなったのです。すると、ヨハネに語り掛ける声が聞こえました。その声は天使なのか、神様なのかわかりません。そしてこういったのです。「あなたは、多くの民族、国民、言葉の違う民、また、王たちについて、再び預言しなければならない。」このことが、小さな巻物を食べた者の使命なのです。その宣教はユダヤ人だけでなく異邦人にもまた王たちについても予言しなければならないと言う事です。その語る言葉をこの小さな巻物によって与えられたのです。

第七のラッパがなる前に、ヨハネは天からの使命を与えられました。それは小さな巻物を食べることによって与えられました。その使命は受けるのはとても喜ばしいことでしたが、それを語り伝えることは、それを聞く人々の、悲嘆を思うととても苦しく悲しいことでした。でも、それは、この天使が「もはや時がない。第七の天使がラッパを吹くとき、神の秘められた計画が成就する。」と言ったように、もう時のないことで差し迫った状況なのです。もうその時が来る、そのことを思いつつ、信仰者は何時も生きていなければならないのです。そして、その時になすべきことをなさなければならないのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、私たちにはもう時はないのかもしれません。でもそれに気が付かず、まだ十分に時があるように暮らしています。どうでもよいことにこだわって生きており、本当に大切なことを第一にしていないのかもしれません。私たちが、その時のことを思い、今なすべきことをしっかりとやり遂げることができますように。ヨハネが口には甘く腹には苦い使命を与えられて、その宣教を託されたように。私たち一人ひとりもまた、その働きを託されているのかもしれません。神様どうかあなたの御心によって、もちいられて、あなたの働きをすることができますように。この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


<<聖書の箇所(新約聖書:◇ヨハネの黙示録)>>

 

◆天使が小さな巻物を渡す

黙 10:1 わたしはまた、もう一人の力強い天使が、雲を身にまとい、天から降って来るのを見た。頭には虹をいただき、顔は太陽のようで、足は火の柱のようであり、

黙 10:2 手には開いた小さな巻物を持っていた。そして、右足で海を、左足で地を踏まえて、

黙 10:3 獅子がほえるような大声で叫んだ。天使が叫んだとき、七つの雷がそれぞれの声で語った。

黙 10:4 七つの雷が語ったとき、わたしは書き留めようとした。すると、天から声があって、「七つの雷が語ったことは秘めておけ。それを書き留めてはいけない」と言うのが聞こえた。

黙 10:5 すると、海と地の上に立つのをわたしが見たあの天使が、/右手を天に上げ、

黙 10:6 世々限りなく生きておられる方にかけて誓った。すなわち、天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを創造された方にかけてこう誓った。「もはや時がない。

黙 10:7 第七の天使がラッパを吹くとき、神の秘められた計画が成就する。それは、神が御自分の僕である預言者たちに良い知らせとして告げられたとおりである。」

黙 10:8 すると、天から聞こえたあの声が、再びわたしに語りかけて、こう言った。「さあ行って、海と地の上に立っている天使の手にある、開かれた巻物を受け取れ。」

黙 10:9 そこで、天使のところへ行き、「その小さな巻物をください」と言った。すると、天使はわたしに言った。「受け取って、食べてしまえ。それは、あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い。」

黙 10:10 わたしは、その小さな巻物を天使の手から受け取って、食べてしまった。それは、口には蜜のように甘かったが、食べると、わたしの腹は苦くなった。

黙 10:11 すると、わたしにこう語りかける声が聞こえた。「あなたは、多くの民族、国民、言葉の違う民、また、王たちについて、再び預言しなければならない。」