家庭礼拝 2019年4月24日 黙示録 7:1-17 白い衣を着た大群衆
起
以前4月3日に天上の礼拝と言うタイトルをお話ししたときに、この黙示録の本題がいよいよ始まること語りました。そしてその本題とは、終末が訪れるときに大きな厄災があって、7つの封印が解かれるときのこと、7つのラッパがなる時のこと、7つの鉢が傾けられるときの時のことなど、数々の厄災が訪れることが本題になっているのです、と語ったことがあります。今までは、最初の7つの封印が解かれるときの6つまでの封印が解かれた話をしてきました。次の七つ目の封印が解かれるのは、今日の個所ではなく、来週行われる予定の8章からです。では今日の個所は何かというと、これから語られることがあまりに恐ろしいことなので、すべての人間が滅ぼされてしまうのではないかと言う絶望に至らないように、あらかじめ、救われる人々がいると言う事を明らかにして、約束しているのです。それが7つの封印が解かれる前のここに挿入されているのです。
ある新興宗教では、ここに書かれている救われる人の中に入るためには、私たちの新しい信仰を持たなければ救われないと言った解釈をする人たちもいるような、ところです。それではいったい誰が救われるのか、救われた人はどうしているのかをこの7章から聞いてみましょう。
承
今まで、六つの封印が解かれて、4頭の馬に乗った人たちが、地上に多くの厄災を与えているのを聞き、陰府にいる人々の声を聞き、大地震と天変地異が起こるのを聞きました。そしてそれらの後に次のことが起こったのです。1節から3節です。
黙
7:1 この後、わたしは大地の四隅に四人の天使が立っているのを見た。彼らは、大地の四隅から吹く風をしっかり押さえて、大地にも海にも、どんな木にも吹きつけないようにしていた。
黙
7:2 わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、
黙
7:3 こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」
ここでは天使同士の会話が語られています。まず大地の4隅に立っている天使です。この時代は世界は丸いものではなく四角いものだと考えられていました。そして、東西南北から吹く風は穏やかな風で、世界の4隅から吹く風は、悪い風だと思われていました。その風とはどのようなものかと言うと、現在でもアフリカから吹き付ける熱風をシロッコと呼んでいますが、この時代もその熱風を恐れていました。この風が吹き続けると、草も木も枯れてしまうからです。この風はこの世界の4隅から吹き付けられると考えられていたのです。この世界の4隅に立つ天使たちは、その悪い風が吹き付けないように見張って抑えていたというのです。この4人の天使たちは、大地と海とを損なうことを許されている天使と語られています。とても大きな力を与えられて、地上の運命を握っているのです。この天使たちに語り掛けたもう一人の天使と言うのは、生ける神の刻印を持って、神様を信じる者たちの額に刻印を押すために、太陽が昇る方向から、やってきたのです。そして、「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」と、世界の四隅に立っている天使に、呼びかけていたのです。この天使が神の刻印を押すのは、イスラエルの羊飼いたちが、自分たちの羊を判別できるように焼印を押していたのですが、同じように、神様のものとなった人々に、刻印を押して、救われ守られるようにしていたのです。この刻印の作業が終わるまでは、世界を滅ぼすような風を送ってはいけない。大地も海も木も損なってはならない、と命じていたのです。この刻印はどこに押されたのかと言うと、額です。神様は私たちを正面から見つめて、その額のしるしを確認するのです。私たちも正面を向いて、神様に私はあなたのものですと、訴えるのです。私たちはこの世のものではありません。
この黙示録のヨハネは、既にその刻印を押された人がどれだけいるのかを天使に聞いたというのです。すると、その数は14万4千人だと言いさらに詳しく説明しました。4節から8節です。
黙
7:4 わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。
黙
7:5 ユダ族の中から一万二千人が刻印を押され、/ルベン族の中から一万二千人、/ガド族の中から一万二千人、
黙
7:6 アシェル族の中から一万二千人、/ナフタリ族の中から一万二千人、/マナセ族の中から一万二千人、
黙
7:7 シメオン族の中から一万二千人、/レビ族の中から一万二千人、/イサカル族の中から一万二千人、
黙
7:8 ゼブルン族の中から一万二千人、/ヨセフ族の中から一万二千人、/ベニヤミン族の中から一万二千人が/刻印を押された。
すでに刻印を押された人々は14万4千人だと言うのですが、これは多いでしょうか少ないでしょうか。私たちはその数の中に入っているのでしょうか、入っていないのでしょうか。民数記によると、イスラエルの兵役人口は第一回目も第二回目の人口調査でも総数60万人です。この数に対しては、14万4千人と言うのは24%になりますが、その家族を全部含めて10倍の人口があるとすれば2.4%です。非常に少ない数です。ですが、14万4千と言う数字は意味のある数字です。これは12×12が144になりますが、その千倍と言う事です。次の説明が12部族からそれぞれ12000人ずつ刻印を押されていることからもわかります。12と言うのは完全数なので、すべての人が対象になることを意味しているのです。しかもここで言われている12部族はイスラエルの12部族と言うよりも、世界中の教会と言う意味になります。なぜならば、イエス様も、アブラハムから生まれた子孫がすべて神の子なのではない、教会こそが真のイスラエルであることを言っているのですから、黙示録のヨハネが、イスラエルの部族にこだわるはずはないのです。刻印を持った天使は、まだその作業が完了せず、刻印を押し続けています。その間は世界を滅ぼす風は止められているのです。刻印を押されたものとは、神様のものになった人たちです。私たちが神様の刻印を押されているかどうかは、自分を自分のものとするのではなく神様のものとしているかどうかでわかります。自分を神様にゆだねたものが、苦しみや大きな災いの中にあっても、神様によって、耐えられるものとされ、新しい神の国に生きることを許されているのです。その刻印は額に押されています。目に見えない刻印です。
転
この刻印を押す天使との話が終わると、数えきれないほどの大群衆が、白い衣を着て玉座の前と子羊の前に集まるのが見えました。9節と10節です。
黙 7:9 この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、
黙 7:10 大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、/小羊とのものである。」
先ほどはユダヤの12部族の14万4千人が救われるという話を聞きましたが、ここではユダヤ部族だけではなく、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う人々が集まってきたのです。その数は、だれにも数えきれないほどだと言うのだから、果てしなくその人々が集まってきたのです。ところで、ユダヤ人たちは、異邦人たちと一緒には交わらないし、その救いがユダヤ人以外に与えられるというのは信じられなかったのですが、ここでは異邦人もユダヤ人もなく、種族、民族の違いもなく、皆、一つとされて集まってきたのです。その人々は白い衣を着て、手にナツメヤシの枝を持って、王座の前と、子羊の前に集まってきたのです。前にも語りましたが、白は純潔と勝利を意味しています。それだけでなく、14節ではその衣を子羊の血で洗って白くした、殉教者であると語られています。そして、ナツメヤシは、イエス様のエルサレム入場の時にナツメヤシの枝を持って、歓迎したことを表しています。そして、この人々は、「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、/小羊とのものである。」と語って、神様とイエス様とによって救われたことを証しているのです。
そして、玉座を中心にして、天使たちが外側を囲んでいたのですが、その状態がどのようであったかを次のように語っています。11節と12節です。
黙 7:11 また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、
黙 7:12 こう言った。「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、/誉れ、力、威力が、/世々限りなくわたしたちの神にありますように、/アーメン。」
これは仏教の曼陀羅の様な構図です。中心に玉座があり、一番外側に天使たちが輪のように囲んでおり、その内側に長老たちがおり、そのさらに内側に4つの生き物がいて、その前に、白い衣を着た人たちがいるのではないかと思います。子羊なるイエス様は玉座の右側にいるか、玉座に座っているのだと思います。その一番外側の天使たちは、その数は限りないほどいるのですが、ともに声を合わせて、「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、/誉れ、力、威力が、/世々限りなくわたしたちの神にありますように、/アーメン。」と神様を賛美しているのです。この場面を想像するだけで、荘厳な雰囲気になってきます。仏教の曼陀羅もそのような雰囲気を何とか伝えるためにあのような絵にして表したのではないかと思います。
すると、長老の一人がヨハネに問いかけたというのです。何を問いかけたのでしょうか。13節から17節です。
黙 7:13 すると、長老の一人がわたしに問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」
黙 7:14 そこで、わたしが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、長老はまた、わたしに言った。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。
黙 7:15 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、/昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、/この者たちの上に幕屋を張る。
黙 7:16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、/太陽も、どのような暑さも、/彼らを襲うことはない。
黙 7:17 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、/命の水の泉へ導き、/神が彼らの目から涙をことごとく/ぬぐわれるからである。」
その長老の問いかけは、「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」と言う問いかけでした。普通は純潔を守り通した勝利の信仰者と言う事になるのですが、ここではあえて、長老が問いかけることによって、その人々が何者なのかを説明しています。その長老の問いかけは質問ではなく、ヨハネを試したのです。知っているかどうかを試したわけです。ですから、ヨハネは、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えたのです。するとその長老は、自分からその答えを言います。それは、「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。」と言いました。大きな受難を通ってきたというのは、殉教者としてここにやってきたと言う事です。そして、そのことによって、その衣を子羊の血で洗って白くしたというのです。私たちの感覚では、血で衣を洗ったら、真っ赤になるのであって、真っ白になるとは思えないのですが、どうして真っ白にしたというのでしょうか。これは血と言う意味が私たちと違うのです。ユダヤ教では、血とは命のことを指すのです。衣を小羊の血で洗って白くしたというのは、罪に汚れた魂を、イエス様の命によって清められ、清いものになったと言う事です。だから、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜もその神殿で神様に仕えるのだ、とその長老は説明しました。そして、玉座に座っておられる方が、この者たちの上に幕屋を張る、と言いました。ちょっと分かりにくい表現ですが、これに似た表現が前にもありました。それは6章の9節に、証しのために殺された人々の魂を、私は祭壇の下に見た、と語っていた表現です。これらのことから思われるのは、神殿と言うものを考えるときに当然神様と言う事を思うのですが、そこには、その信仰のために命を投げ出して、神様に従おうとした多くの人々がいることを思い起こせと言う事ではないでしょうか。神殿の下、祭壇の下では亡くなった多くの信仰者が支えているのです。その人々はこの世にあっては多くの苦しみと悲しみを背負って生きてきたのです。多くの飢え渇きの中で生きてきたのです。ですがその苦しみからも解放されました。その長老はこう言ったのです。「彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、/太陽も、どのような暑さも、/彼らを襲うことはない。玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、/命の水の泉へ導き、/神が彼らの目から涙をことごとく/ぬぐわれるからである。」この黙示録の中で、この言葉が一番慰めを受けると言う人は多いのです。生きている時に大変な苦しみにあった人が、死によって解放されたときに、その人を見送る人々は、この黙示録の言葉によって慰めを受けたのです。もはや飢えることも渇くことも、悲しむことも苦しむこともない。イエス様が命の泉へと導いてくださり、彼らの目から涙をことごとく拭われると言うのです。自分たちの力では何もできないが、きっとイエス様が慰めを与えてくださり、平安を与えてくださっているのだという思いに満たされるのです。
結
今日は天国の様子を少し知ることが出来ました。玉座を中心にしてどのようになっているのかを教えられました。そして、苦しみながらも信仰を守り通した人々が白い衣を着て、玉座の前に集っていることを知りました。その人々の苦しみはイエス様が全部ぬぐい取ってくださっていたのです。私たちが、教会や神殿を思うとき、そこには多くの信仰者たちの苦しみや悲しみがあったことも思うのです。その人々が今やイエス様の下で、悲しみの涙をぬぐっていただき、平安の下で、神様に仕えていることを思います。これから黙示録は、終末の恐ろしい出来事を描こうとしていますが、ここに救われた人々の平安を見ることは幸いです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、神様の国がどのようなものであるかを私たちは知る事は出来ませんが、ヨハネの黙示によって示された、神の国を学ぶことが出来ました。このことに思いをはせて、このことの意味することをそれぞれに心静かに思うことが出来ますように。あなたの慰めの下で生きる幸いがいかほどのものであるかを思います。神様、どうかわたしたちが、ただ一人になったとしても、どうかあなたの慰めの中で生きることが出来ますように。信仰によって、歩み通すことが出来ますように。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ヨハネの黙示録)>>
◆刻印を押されたイスラエルの子ら
黙 7:1 この後、わたしは大地の四隅に四人の天使が立っているのを見た。彼らは、大地の四隅から吹く風をしっかり押さえて、大地にも海にも、どんな木にも吹きつけないようにしていた。
黙 7:2 わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、
黙 7:3 こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」
黙 7:4 わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。
黙 7:5 ユダ族の中から一万二千人が刻印を押され、/ルベン族の中から一万二千人、/ガド族の中から一万二千人、
黙 7:6 アシェル族の中から一万二千人、/ナフタリ族の中から一万二千人、/マナセ族の中から一万二千人、
黙 7:7 シメオン族の中から一万二千人、/レビ族の中から一万二千人、/イサカル族の中から一万二千人、
黙 7:8 ゼブルン族の中から一万二千人、/ヨセフ族の中から一万二千人、/ベニヤミン族の中から一万二千人が/刻印を押された。
◆白い衣を着た大群衆
黙 7:9 この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、
黙 7:10 大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、/小羊とのものである。」
黙 7:11 また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、
黙 7:12 こう言った。「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、/誉れ、力、威力が、/世々限りなくわたしたちの神にありますように、/アーメン。」
黙 7:13 すると、長老の一人がわたしに問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」
黙 7:14 そこで、わたしが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、長老はまた、わたしに言った。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。
黙 7:15 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、/昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、/この者たちの上に幕屋を張る。
黙 7:16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、/太陽も、どのような暑さも、/彼らを襲うことはない。
黙 7:17 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、/命の水の泉へ導き、/神が彼らの目から涙をことごとく/ぬぐわれるからである。」