家庭礼拝 2019年4月3日 黙示録 4:1-11 天上の礼拝

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起 

 今日の第4章からは、天上の礼拝のことが書かれているので、これからいよいよ黙示の本題に入るのかなと言う気がします。今まではイエス様から地上の7つの教会にあてられた手紙のことが語られて、それが終わり次に天上の話になるからです。ですがここもまだ本題ではありません、序文なのです。

 では本題は何かといえば、先にそのことを簡単に触れると、本題は終末が訪れるときの大きな厄災、7つの封印が解かれるときのこと、7つのラッパがなる時のこと、7つの鉢が傾けられるときの、数々の厄災が訪れることが本題になっているのです。それは次の5章からそれが始まるので、それが主題であると前もって心得ておいた方が分かりやすいでしょう。

そして、今日の4章は天上の神様と、その神様の周りの人々やその様子が書かれていて、天上がいかなる様子をしているのかを語っています。ですがそれは天上の出来事がいかに人知を超えた神秘的で圧倒的ものであるのかを現そうとしているのであって、ここで語られた大切なことは、1節にある「こののち必ず起こることをあなたに示そう」と語った言葉です。そしてその必ず起こることと言うのが、本題である、7つの封印、7つのラッパ、7つの鉢の出来事なのです。それが黙示として語られるのです。

これから必ず起こることを示すという意味では予言も同じですが、黙示と予言は何が違うのでしょうか。それは、預言の場合は、主はこういわれると、主が預言者に語られた言葉を伝えるのが中心です。それに対して、黙示は、私が見ていると、なになにが起こった、と自分で見て、知ったことを伝えるのが黙示です。ですから預言よりも直接的で、神様から聞くだけでなく神様の為さることを見てそのことを伝えているのです。パトモス島のヨハネが、主から、こののち必ず起こることをあなたに示そうと言って見せた出来事、それが黙示の出来事の本題なのです。

それでは、ヨハネが見た天上の様子がどうであったのかを、聖書から聞いてみましょう。1節と2節です。

黙 4:1 その後、わたしが見ていると、見よ、開かれた門が天にあった。そして、ラッパが響くようにわたしに語りかけるのが聞こえた、あの最初の声が言った。「ここへ上って来い。この後必ず起こることをあなたに示そう。」

黙 4:2 わたしは、たちまち“霊”に満たされた。すると、見よ、天に玉座が設けられていて、その玉座の上に座っている方がおられた。

 今までは7つの教会にあてた手紙のことが、主から語られておりました。それが終わって、天を見上げていると、開かれた門が天にあったというのです。当時は天がどこにあったのかと言うと、この地上を覆う大空が、天空にドームのようにかぶされており、そのさらに上に天国があると考えられていました。ですから、ここに、見よ開かれて門が天にあった、と言うのはその大空の一角に、天国に通じる門が見え、その門が開かれて、天国に行けるようになっていたと言う事なのです。そして、天上の主が、ヨハネに語り掛けるのです。その声はラッパのように響く声で語られたのです。それは、「ここへ上って来い。この後必ず起こることをあなたに示そう。」と言ったのです。ヨハネに、その終末の黙示が与えられようとしていたのです。これから起こる出来事を見せようとしていたのです。すると、ヨハネはたちまち霊に満たされて、天上に上ったのです。するとその天上には、玉座が設けられており、その上に座っておられる方が見えたのです。

その時の様子がどうであったのかをヨハネは語ります。それは言葉にしようにも言葉にできないような事なのです。予言は告げられた言葉を忠実に語ればよいのですが、黙示は、言葉で語ることのできないことを何とか人間の言葉で表そうとするのですが、とてもそのことを正確には伝えられないのです。それで、いろいろな例えや象徴を用いて表すしかありません、3節から4節です。

黙 4:3 その方は、碧玉や赤めのうのようであり、玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた。

黙 4:4 また、玉座の周りに二十四の座があって、それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていた。

 その玉座に座っておられる方の姿かたちは、ヨハネには語ることができませんでした。その方は碧玉や赤めのうのようであったというのです。ここで碧玉や赤めのうがどのような宝石なのかを調べてもあまり意味のないことです。それはその玉座に座られている方が、赤く光り輝く宝石のようであったと言う事なのです。光に包まれているとしか見えなかったのです。そしてその玉座の周りにはエメラルドの様な虹が輝いていたと言います。これも玉座の周りにエメラルドがちりばめられていたのではなく、エメラルド色のグリーンの光が、虹のように後光のように包んでいたと言う事で、ヨハネが見たのは、ただ光の存在が見えただけなのです。

そして、その玉座の周りには24の座があったと言います。その玉座を取り囲むように、24の座があったのです。この24の座とは誰の座でしょうか。いろいろな説がありますが、旧約の12部族の代表の座と、新約の12弟子の座、すなわち新旧の信仰者たちが、イエス様を取り囲んで天にあったと言う事ではないでしょうか。その座の上には白い服を着て、頭に金の冠をかぶった24人の長老が座っていたと言います。この人たちは、信仰において純潔であり、栄誉の冠を与えられていたと言う事になります。

そして、この玉座の周辺では何が起こっていたかと言うと、4節と5節です。

黙 4:5 玉座からは、稲妻、さまざまな音、雷が起こった。また、玉座の前には、七つのともし火が燃えていた。これは神の七つの霊である。

黙 4:6 また、玉座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。

私たちの天国のイメージとは仏教などに語られているように、平安と静けさの中で、静かな音楽や鳥の声が聞こえてくるような天国です。それこそ極楽のイメージですが、ここに語られている天国はすさまじいエネルギーを感じさせる、まるで噴火口のマグマの様なイメージです。この玉座からは稲妻や様々な音や雷が起こったというのですから、静けさなどと言うものではありません。恐ろしくて身震いするような感じです。そしてその玉座の前には7つの灯火が燃えていたと言いますが、これは神様の聖霊がそこにあって燃えていたと言う事です。そして、その玉座の前は、輝く水晶のような、ガラスの海の様なものがあったと言います。ですから、そこには容易に近づくことのできない空間があったようです。そしてその玉座の中央とその周りに4つの生き物がいたと言います。その玉座を守るように。4つの生き物が取り囲んでいたのかもしれません。この生き物には、前にも後ろにも一面に目がついていて、この世界を見通していたのです。

このように天国は、玉座を中心として、権威と、力と神秘に満ち溢れた、とてもダイナミックな世界のようでした。

 この4つの生き物について、さらに詳しい記述があります。7節と8節です。

黙 4:7 第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。

黙 4:8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、/全能者である神、主、/かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」

 この4つの生き物は、獅子のようであり、若い雄牛のようであり、人間のようであり、わしのようであったと語られています。この4つの生き物が何を表すのかと言う事についてはいろいろなことが語られています。この様な表現はエゼキエル書にも出ていて、エゼキエル書の1章に、エゼキエルが幻を見た時にこの4つの生き物の幻を見たことが書かれています。4つの生き物は4つの翼をもち、4つとも、人間の顔の様なものを持ち、右に獅子の顔、左に牛の顔、後ろに鷲の顔を持っていたと書かれています。

 ですから、この黙示録のイメージもエゼキエル書のイメージを受けていると考えられます。そして、この4つは、最も尊いもの、最も強いもの、最も賢明なもの、最も早いものを象徴しているともいわれています。またそれぞれの生活圏の中で、獅子は野獣の王、牛は家畜の王、鷲は鳥類の王、人間は最も優れたものを表しているともいいます。そしてまた、この四つの生き物を4つの福音書になぞらえて語られることもあります。ヨハネ福音書は獅子、ルカ福音書は雄牛、マタイ福音書は人、マルコ福音書は鷲、と言う人もいるし、これにはほかにも4つほど違った見解があるようです。一番よく知られているのはアウグスチヌスの解釈で、マタイ福音書が獅子、マルコ福音書が人間、ルカ福音書が雄牛、ヨハネ福音書は鷲、と言うのが広く受け入れられている解釈です。

 ヨハネの見た4つの生き物は、エゼキエルの見た生き物とは違って、別々の生き物となっています。そしてそれぞれに6つの翼を持って、外側にも内側にも全面に目がついていたと言います。この目は世界をすべて見通す目です。そして、夜も昼も絶え間なく、神様を賛美し続けました。それは、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、/全能者である神、主、/かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」と褒め称えたのです。これは、人間を含めたすべての生き物が、神様を褒め称えたと言う事かもしれません。

 そしてその後、信仰者たちの賛美が始まるのです。9節から11節です。

黙 4:9 玉座に座っておられ、世々限りなく生きておられる方に、これらの生き物が、栄光と誉れをたたえて感謝をささげると、

黙 4:10 二十四人の長老は、玉座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝し、自分たちの冠を玉座の前に投げ出して言った。

黙 4:11 「主よ、わたしたちの神よ、/あなたこそ、/栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、/御心によって万物は存在し、/また創造されたからです。」

 この4つの生き物の神様への賛美が終わると、続いて、24人の長老たちが、自分たちの冠を玉座の前に投げ出して神様を賛美しだしました。自分たちの冠を前に投げ出すと言うのは、この当時敗北した王様が、勝利した王様の前に出るときにその冠をその前に投げ出して、礼拝したことを模しているのです。この24人の長老、すなわち信仰者たち、また、教会と言ってもいいでしょう、その者たちはイエス様の前に自分をゆだねて、賛美したのです。その賛美は、「主よ、わたしたちの神よ、/あなたこそ、/栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、/御心によって万物は存在し、/また創造されたからです。」と言って賛美したのです。天国では、すべてのものが神様を賛美し、祈り、感謝をささげているのです。神様は全てのものを造られた方、栄光と誉と力を受けるにふさわしい方と言ってあがめているのです。天国とは神様を、神様として受け入れあがめる人々が行くところなのです。その権威のもとにひれ伏す者たちの国です。

ヨハネの幻は、地上の世界から、天上の世界へと移ってい行きました。そしてそこには最高の権威者である神様が、4つの生き物と、24人の長老たちに囲まれて、その者たちの賛美に満たされていたのです。これまでのところが序論であると言う事は、これから起こることに対して、どのような方がそれをなさるのか、どのような権威のある方、力ある方がそれをなさるのかと言う事を説明するために、今までの章があったと言ってもいいのです。いよいよこれからこの方のもたらす終末の出来事が始まるのです。いったいどんな出来事が起こるのでしょうか、それは次回から始まります。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、私たちはあなたがどれほど大きな方であるか、力ある方であるか、賛美にふさわしい方であるかを、知ることができません。私たちの理解を超えた大きな方であるからです。それをヨハネはいろいろな象徴を用いてそのことを語りましたが、それでもやはりあなたの大きさを語ることは難しいことだったのです。ですが、私たちはその説明の中に、私たちには知ることのない神様の姿を思い起こすことができます。どうかわたしたちも24人の長老たちとともに、自分の王冠を御前に投げ出して、あなたを賛美するものでありますように。あなたにゆだねて従うものでありますように、導いてください。この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 


<<聖書の箇所(新約聖書:◇ヨハネの黙示録)>>

 

◆天上の礼拝

黙 4:1 その後、わたしが見ていると、見よ、開かれた門が天にあった。そして、ラッパが響くようにわたしに語りかけるのが聞こえた、あの最初の声が言った。「ここへ上って来い。この後必ず起こることをあなたに示そう。」

黙 4:2 わたしは、たちまち“霊”に満たされた。すると、見よ、天に玉座が設けられていて、その玉座の上に座っている方がおられた。

黙 4:3 その方は、碧玉や赤めのうのようであり、玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた。

黙 4:4 また、玉座の周りに二十四の座があって、それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていた。

黙 4:5 玉座からは、稲妻、さまざまな音、雷が起こった。また、玉座の前には、七つのともし火が燃えていた。これは神の七つの霊である。

黙 4:6 また、玉座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。

黙 4:7 第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。

黙 4:8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、/全能者である神、主、/かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」

黙 4:9 玉座に座っておられ、世々限りなく生きておられる方に、これらの生き物が、栄光と誉れをたたえて感謝をささげると、

黙 4:10 二十四人の長老は、玉座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝し、自分たちの冠を玉座の前に投げ出して言った。

黙 4:11 「主よ、わたしたちの神よ、/あなたこそ、/栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、/御心によって万物は存在し、/また創造されたからです。」