家庭礼拝 2019年3月20日 黙示録 3:1-13 サルディスとフィラデルフィアの教会への手紙

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起 

 今日も、7つの教会にイエス様が書き送った手紙のうちの二つ、第五の手紙と第六の手紙を学びます。その教会とはサルディスの教会とフィラデルフィアの教会です。7つの教会の中でも一番ひどく叱られた教会と一番褒められた教会です。叱られた教会はサルディスの教会で、あなたたちは生きているとは名ばかりで、実は死んでいる、と言われた教会です。一方、フィラデルフィアは、私はあなたの前に門を開いておいたと言って、神の国に至る門が開かれているというとても素晴らしい言葉を与えられたのです。サルディスの町は、昔はとても栄えていたのです。この手紙の書かれる700年ほど前は、世界でも名だたる都市だったのです。ですが歴史の荒波に流されて、今では頽廃した堕落した町になってしまいました。その町にある教会もまた、堕落した教会となっていたのです。

 一方フィラデルフィアと言う町はこのアジア州の中でも東のはずれの方にある、比較的新しい街だったのです。異邦の国への出発地になるようなところでした。この7つの町の中でも、フィラデルフィアと言うのは聞き覚えのある町の名前ですが、アメリカの東海岸にある、フィラデルフィアは有名で、アメリカでも5番目に大きい街です。ペンシルベニア大学など、大学の多い街です。この町の名前は、このアジア州のフィラデルフィアと同じく、兄弟愛、を意味しています。この町は、イスラム教徒がトルコの小アジアに押し寄せてきたときも、キリスト教の信仰を守り続けた、数少ない町なのです。

 この二つの対照的な街に対して、イエス様は何を語ったのでしょうか。聖書に聞いてみましょう。

サルディスの教会に対してはこういいました。1節です。

黙 3:1 サルディスにある教会の天使にこう書き送れ。『神の七つの霊と七つの星とを持っている方が、次のように言われる。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。

 ここではイエス様のことを、神の7つの霊と7つの星とを持っている方、と語っています。似たような表現が前にも出ていますが、それは1章で、7つの星と7つの金の燭台の話が出ています。このときは、7つの星とは教会の天使たちであり、7つの燭台とは7つの教会を表していました。ここではちょっと違った表現で、神の7つの霊と7つの星とを持っている方、と言っています。神の7つの霊とは、いわゆる聖霊のことで、完全な霊です。7つの星とはここでは教会を現しており、イエス様が、教会と聖霊を持って支配しておられる方であると紹介しているのです。

そしてその方がサルディスの教会に言われたのは、私はあなたの行いを知っていると言った後、今まではその教会の良く頑張ってきたことをほめて語っていたのですが、サルディスに対しては、あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいると、とても衝撃的な言葉を語られたのです。いきなり、あなたは実は死んでいる、と言われたのですから、そのショックはどれほど大きかったでしょうか。死んでいるという意味は、信仰的に死んでいるという意味です。クリスチャンとは名ばかりで、少しも信仰を持って生きてはいない、と言う事です。今の世でもこのような名ばかりのクリスチャンで、あなたは死んでいると言われる人も多いかもしれません。もし本当にイエス様からそのように言われたら、どれほどの恐れを抱くでしょうか。この言葉によって恐れを持って自分の信仰を正したと言う人も数多くいたようです。

そのあとイエス様は何と言ったでしょうか。2節と3節です。

黙 3:2 目を覚ませ。死にかけている残りの者たちを強めよ。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の前に完全なものとは認めない。

黙 3:3 だから、どのように受け、また聞いたか思い起こして、それを守り抜き、かつ悔い改めよ。もし、目を覚ましていないなら、わたしは盗人のように行くであろう。わたしがいつあなたのところへ行くか、あなたには決して分からない。

 この死んでいると言われたサルディスの教会に言ったことは、目を覚ませ、と言う事です。本当に死んでいるわけではなかったのです。死にかけているか眠っているのです。ですから目を覚まして、最初に聞いていたことを思い起こせと、信仰に立つことを促しているのです。そして死にかけている残りの者たちを強めよ、と言いました。自分だけではなく、周りにいる人たちの目を覚まさせて、その信仰を強めなさいと言っているのです。それはサルディスの教会の信仰は、生き生きとしたものがなく、信仰に活かされているとは言えないので、あなたの行いが私の神の前に完全なものとは認めないと言っているのです。ペルガモンやティアティラのように、異端の教えに染まっているというのではありませんが、その信仰が、輝きを失っていることを叱責しているのです。そして目を覚ましていないなら、私は盗人のようにいくだろう、と言いました。信仰は何時も目覚めて準備していないといけないのです。いつ神様が来られても大丈夫なように、準備をして生きる信仰が信仰なのです。

そして、このサルディスの教会にも、褒められるべき人がわずかながらいたことを語って、こういいました。4節から6節です。

黙 3:4 しかし、サルディスには、少数ながら衣を汚さなかった者たちがいる。彼らは、白い衣を着てわたしと共に歩くであろう。そうするにふさわしい者たちだからである。

黙 3:5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。わたしは、彼の名を決して命の書から消すことはなく、彼の名を父の前と天使たちの前で公に言い表す。

黙 3:6 耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」

このサルディスの教会には、少数ながら衣を汚さなかった者たちがいると言って、その信仰を認めたのです。衣を汚さなかったというのは、最初の信仰を守り、この世の生き方に染まらなかったと言う事です。その人たちは白い衣を着て私とともに歩くであろう、ともいわれました。白い衣は信仰の純潔を表します。そのような人々はイエス様とともに歩く人々で、それにふさわしいと言われました。このように、信仰の純潔を守り勝利する人々は、白い衣を着せられ、命の書にその名前を書かれて、神様と天使たちの前で、公表されるだろうと言うのです。命の書とは、神の国の住民票です。そこに書かれると言う事は正式に神の国の人となると言う事です。勝利する者にはこのような報いが約束されていることを、霊が諸教会に告げているので、それをしっかり聞くようにと言っています。

 次はフィラデルフィアの教会に告げられた言葉です。フィラデルフィヤの教会は一番褒められたと言いましたが、この7つの教会の中で、叱られなかったのは、このフィラデルフィヤの教会と、スミルナの教会だけです。後はなにがしかの叱責を受けているのです。では、7節です。

黙 3:7 フィラデルフィアにある教会の天使にこう書き送れ。『聖なる方、真実な方、/ダビデの鍵を持つ方、/この方が開けると、だれも閉じることなく、/閉じると、だれも開けることがない。その方が次のように言われる。

 フィラデルフィヤにはイエス様のことを、こう紹介しています。それは、『聖なる方、真実な方、/ダビデの鍵を持つ方、/この方が開けると、だれも閉じることなく、/閉じると、だれも開けることがない。』方、と紹介されているのです。聖なる方、真実な方とは、イエス様を指すのによく使われる言葉ですが、ダビデの鍵を持つ方、とはどういう意味でしょうか。この鍵で開けると誰も閉じることなく、閉じると誰も開けられないというのです。これはどこの鍵でしょうか。もちろんそれは神の国の鍵です。すなわち、イエス様だけが、人々が神の国に入る扉を開くことができ、また閉じることが出来るお方であると言う事です。

 その神の国の鍵を持つ方がどういわれたかと言うと、8節から10節です。

黙 3:8 「わたしはあなたの行いを知っている。見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。だれもこれを閉めることはできない。あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった。

黙 3:9 見よ、サタンの集いに属して、自分はユダヤ人であると言う者たちには、こうしよう。実は、彼らはユダヤ人ではなく、偽っているのだ。見よ、彼らがあなたの足もとに来てひれ伏すようにし、わたしがあなたを愛していることを彼らに知らせよう。

黙 3:10 あなたは忍耐についてのわたしの言葉を守った。それゆえ、地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあなたを守ろう。

 イエス様は必ず最初に、「私はあなたの行いを知っている」と言われます。その行いが良い時もあれば、悪い時もあります。そのすべてを知っているのがイエス様だと言う事です。このフィラデルフィアの教会に対しては良いことを言いました。それは、「あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった。」と言ったことです。

この言葉の裏には、この町の歴史的なことがあります。この町は地震の災害に何度も見舞われていたのです。そしてまた、この町は、未開の国々へ通じる門としての働きをしていて、その異邦人たちと接する中で、その信仰を守っていたのです。それは、その力は弱かったけれども、イエス様の言葉を守り、苦難の中にあっても、イエス様を知らないとは言わなかったのです。その事を褒め称えて、「見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。だれもこれを閉めることはできない。」と言ったのです。この門はイエス様が、私は門であると言ったように、天国に通じる門であるとともに、イエス様のことを未開の国に伝える、その出発の門であることも言っているのです。イエス様はフィラデルフィヤの教会にその使命と約束とを与えると言っているのです。

 一方ユダヤ人たちには厳しくこう語ったのです。「見よ、サタンの集いに属して、自分はユダヤ人であると言う者たちには、こうしよう。実は、彼らはユダヤ人ではなく、偽っているのだ。見よ、彼らがあなたの足もとに来てひれ伏すようにし、わたしがあなたを愛していることを彼らに知らせよう。」この様な思いもかけない言葉が与えられたのです。

ユダヤ人たちは、自分たちが神様から選ばれた民族であり、生まれながらにアブラハムの子孫だと言う事に誇りを持っていました。その誇りを持ってユダヤ人だという人々に、彼らはサタンの集いに属している、アブラハムの子孫ではないと言っているのです。それは偽っているのだと言うのです。本当のアブラハムの子孫とはその信仰を継承するものであって、単に、血統が意味するものではないと言う事です。ですから、神様はユダヤ人ではなく、イエスキリストを信じる、信仰者たちを愛していることを彼らに分かるようにして、あなたたちの足元にひれ伏すようにさせようと言っています。アブラハムの子孫となる本当に大切なことは、神様の教えを信じる信仰をもつと言う事なのです。

 そしてもう一度、フィラデルフィアの教会をほめてこういうのです。

「あなたは忍耐についてのわたしの言葉を守った。それゆえ、地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあなたを守ろう。」それは、地上に住む全世界の人々が、もうすぐ終末の試練の時に出会うだろうと言う事です。そのときに、イエス様は、忍耐して私を待ちなさいと言った、その言葉を守った人々を、私も守ろうと言うのです。イエス様は、イエス様の言葉を守るものを守ってくださるのです。この言葉は大切です。守るものは、守られるのです。

 そして、最後にこう言ったのです。12節と13節です。

黙 3:12 勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱にしよう。彼はもう決して外へ出ることはない。わたしはその者の上に、わたしの神の名と、わたしの神の都、すなわち、神のもとから出て天から下って来る新しいエルサレムの名、そして、わたしの新しい名を書き記そう。

黙 3:13 耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」』

 イエス様は、勝利を得るものを、私の神の神殿の柱にしよう、と言いました。これはどういう意味でしょうか。その人たちは、神殿の中にいる人々ではなく、神殿そのものとなって、神殿の柱として、神殿を支える人々となると言う事です。そして、彼はもう決して外へ出ることはない、と言いました。これはどういうことでしょうか。先ほども言いましたが、フィラデルフィアは地震の多いところで、地震が起こるたびに、崩れやすい家から飛び出しては何日も避難生活をしていたのです。いつも不安と戦っていたのです。ですが、もう決して崩れない神殿の柱となったのだから、もうそのような不安にさいなまれることなく、落ち着いて、神殿の中にずっといることができるようになったと言う事なのです。さらにイエス様は、「その者の上に、わたしの神の名と、わたしの神の都、すなわち、神のもとから出て天から下って来る新しいエルサレムの名、そして、わたしの新しい名を書き記そう」と言いました。それは神様の名前が与えられると言う事でした。その名前は、今までとは違う新しい名前でした。それは新しいエルサレムとイエスキリストと言う名前です。新しいエルサレムとは教会です。勝利する者には、神の教会の名前と、イエス様の名前が、書きこまれていると言う事なのです。この素晴らしい祝福を耳あるものは、霊が諸教会に告げることを聞くがよいと言ったのです。

今日は、死んだ教会と祝福された教会の二つを学びました。そのカギとなるのは、最初に与えられた、生き生きとした信仰を守り続けると言う事です。それには忍耐が必要なのです。忍耐をもってその信仰を守り続けた人々には素晴らしい祝福の約束が与えられました。フィラデルフィアは兄弟愛と言う意味です。その名前の付いた町が祝福されていることは素晴らしいことです。私たちの信仰も、この世の思いに流されず、しっかりと神の国を見つめて、忍耐をもってその信仰を守り続けたいと思うものです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。多くの信仰者がこの世の思いに染まってしまい、最初に与えられた純潔な信仰を失ってしまいます。それはあなたの御国から目をそらしてしまうためです。あなたはいつ来るかわからない方です。何時でも心の準備をしつつ、あなたから目をそらさないで、忍耐して待ち続けるものでありますように。どうか勝利するものとなって、あなたの御国に入るものとさせてください。

この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 


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◆サルディスにある教会にあてた手紙

黙 3:1 サルディスにある教会の天使にこう書き送れ。『神の七つの霊と七つの星とを持っている方が、次のように言われる。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。

黙 3:2 目を覚ませ。死にかけている残りの者たちを強めよ。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の前に完全なものとは認めない。

黙 3:3 だから、どのように受け、また聞いたか思い起こして、それを守り抜き、かつ悔い改めよ。もし、目を覚ましていないなら、わたしは盗人のように行くであろう。わたしがいつあなたのところへ行くか、あなたには決して分からない。

黙 3:4 しかし、サルディスには、少数ながら衣を汚さなかった者たちがいる。彼らは、白い衣を着てわたしと共に歩くであろう。そうするにふさわしい者たちだからである。

黙 3:5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。わたしは、彼の名を決して命の書から消すことはなく、彼の名を父の前と天使たちの前で公に言い表す。

黙 3:6 耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」』

◆フィラデルフィアにある教会にあてた手紙

黙 3:7 フィラデルフィアにある教会の天使にこう書き送れ。『聖なる方、真実な方、/ダビデの鍵を持つ方、/この方が開けると、だれも閉じることなく、/閉じると、だれも開けることがない。その方が次のように言われる。

黙 3:8 「わたしはあなたの行いを知っている。見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。だれもこれを閉めることはできない。あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった。

黙 3:9 見よ、サタンの集いに属して、自分はユダヤ人であると言う者たちには、こうしよう。実は、彼らはユダヤ人ではなく、偽っているのだ。見よ、彼らがあなたの足もとに来てひれ伏すようにし、わたしがあなたを愛していることを彼らに知らせよう。

黙 3:10 あなたは忍耐についてのわたしの言葉を守った。それゆえ、地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあなたを守ろう。

黙 3:11 わたしは、すぐに来る。あなたの栄冠をだれにも奪われないように、持っているものを固く守りなさい。

黙 3:12 勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱にしよう。彼はもう決して外へ出ることはない。わたしはその者の上に、わたしの神の名と、わたしの神の都、すなわち、神のもとから出て天から下って来る新しいエルサレムの名、そして、わたしの新しい名を書き記そう。

黙 3:13 耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」』