起
今日も、7つの教会にイエス様が書き送った手紙のうちの二つ、第三の手紙と第四の手紙を学びます。その教会とはペルガモンの教会とティアティラの教会です。
ペルガモンと言う町は、エフェソやスミルナのように、港や商業で栄えたような街ではありません。それほど大きな街ではありませんでしたが、有名な都市でした。なぜ有名かと言えば、ペルガモンは昔からアジア州の首都だったのです。首都になって何百年も続いており、アレクサンダー大王の時代から、ローマ時代にいたるまで、アジア州の首都だったのです。ですから、この都市は商業都市と言うよりも、政治や文化の中心地だったのです。そしてまた宗教の中心地でもあったのです。この都市には二つの大きな神殿があり、それらは皇帝礼拝の神殿だったのです。ローマ自身は皇帝礼拝をさせようとしていたわけではなかったのですが、ローマによって与えられた平和をたたえて、皇帝礼拝をする者たちがこのような神殿で礼拝をするようになってきたのです。それは礼拝と言うよりは、ローマに忠誠を示すものと考えられてきました。この皇帝もまた主と呼ばれ、皇帝である主を拝むか、キリストと呼ばれるイエスを主と拝むかの選択を迫られ、クリスチャンは苦しめられたのです。主イエスのみを主とするクリスチャンは当然迫害に合うようになったのです。
もう一つのティアティラと言う町は、この7つの町の中では一番重要度の低い街です。ですが、一番長い手紙が書かれました。ティアティラは商業都市で、ペルガモンへの入り口にあたるところで、むしろ戦略上重要な都市で、武装した守備隊が駐屯していました。ここでもまた異邦人による迫害が生じていました。その様な中で、商売をしているユダヤ人たちにとって、この異邦人達とどのように付き合えばよいかと言う事がとても大事なことになっていたのです。
このように、それぞれ違う状況に置かれたクリスチャンたちですが、異邦人たちの迫害の中にあることは同じです。さてそれぞれどのような形でイエス・キリストの信仰を守って行ったのでしょうか。今日の聖書の個所から学んでいきましょう。
承
最初はペルガモンにある教会への手紙ですが、エフェソに送られた手紙の様に最初は褒めて、その後に叱責が来るという構造になっています。12節と13節です。
黙
2:12 ペルガモンにある教会の天使にこう書き送れ。『鋭い両刃の剣を持っている方が、次のように言われる。
黙
2:13 「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかし、あなたはわたしの名をしっかり守って、わたしの忠実な証人アンティパスが、サタンの住むあなたがたの所で殺されたときでさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。
この手紙もまた教会の天使に送られました。この教会の天使については、長老を指すという説もありますが、教会の守護天使なのかもしれません。その手紙の内容は、鋭い両刃の剣を持っている方が、次のように言われる、と言う言葉で始まります。この両刃の剣とは、1章16節にある、口からは鋭い両刃の剣が出て、というイエス様の姿を現す表現です。その口から出る言葉で、死にも生にも至らせる方と言う意味です。そのイエス様が、「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。」と言いました。このサタンの王座とは、この町の形が、サタンの王座のような形をしていたという説や、皇帝礼拝をする神殿のある場所、を示しているという説もあります。いずれにしても、この町はこの世の支配者サタンの王が支配していると言う事です。
ですがそのような状況の中でも、クリスチャンたちは、イエス様を主として、皇帝を主とあがめることはしなかったのです。アンティパスという人はどのような人であるかは何も語られていないのですが、この町で殉教しました。きっと皇帝を主と呼ぶことを拒んで、殺されたのだと思うのです。イエス様は、「それでも、あなたたちは、私に対する信仰を捨てなかった」とほめています。このように、この町でイエス様を主と仰いで信仰を守り続けるのは難しかったのです。
ですがイエス様は、このペルガモンの教会に対しては、エフェソの教会に対してと同様に、まだ言いたいことがあったのです。14節から16節です。
黙
2:14 しかし、あなたに対して少しばかり言うべきことがある。あなたのところには、バラムの教えを奉ずる者がいる。バラムは、イスラエルの子らの前につまずきとなるものを置くようにバラクに教えた。それは、彼らに偶像に献げた肉を食べさせ、みだらなことをさせるためだった。
黙
2:15 同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉ずる者たちがいる。
黙
2:16 だから、悔い改めよ。さもなければ、すぐにあなたのところへ行って、わたしの口の剣でその者どもと戦おう。
イエス様の言いたいのは、教会の中に、異端を教える者がいるから、そのままにしないで、悔い改めなさいと言う事でした。その異端を教えるものとは二つありました。一つはバラムの教えを奉ずるもので、もう一つはニコライ派の教えを奉ずる者たちのことでした。どちらも、この世と妥協することを教えるものでした。バラムの教えとは、偶像に捧げた肉を食べてもよい、みだらなことをしても問題ない、と言っていることなのです。そんなに厳格に教義を守らなくても、自分たちは救われているのだから大丈夫だと教える教えなのです。それは信仰から離れて、この世の生き方に倣う生き方なのです。それではいけないとイエス様は言っているのです。ニコライ派の教えも同じような考え方です。そのような教えを、教会の中でそのままにしておいてはいけない。悔い改めなさい、さもないと、すぐにあなたの所へ行って、私の口の剣でその者どもと戦おうと言っているのです。その者たちをそのままにはさせてはおかないと言っているのです。
そして最後に、再び、耳あるものは聞くがよいと言う事を宣言してから、大切なことを延べ伝えました。17節です。
黙
2:17 耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている。」
その聞くが良いと言って語られた大切なことは二つありました。一つは勝利を得るものには隠されたマンナを与えよう、と言う事でした。勝利を得るものとは、最後まで信仰を守り通すもののことです。そしてその者たちに与えられるものは隠されたマンナです。マンナとはユダヤ人たちが荒野をさすらっていた時に食べたマナです。このマナはユダヤ人たちが砂漠から、カナの地方に入った時からなくなってしまいました。マナの必要がなくなったからです。ですが、その時のことを忘れないようにするために、マナを入れたツボを契約の箱の中に入れて、幕屋や神殿の至聖所に置いておいたのです。ですが、紀元前6世紀の初めにソロモンが建てた神殿が破壊されたときに、エレミヤはマナを入れたツボをシナイ山の亀裂に隠したというのです。その隠されたマナを食べると言うのは、天国が到来することを意味しており、新しい世界の祝福に入れられることを意味していたのです。また隠されたマナとは命のパンと同じものであり、キリストご自身であると言う考えもあったのです。いずれにしても、隠されたマンナを与えるとは、神様の豊かな祝福が与えられると言う事です。最後まで信仰を守り通したものにはその祝福が与えられるのです。
二つ目の大切なこととは、勝利する者には、白い小石を与えるという約束です。その小石には、これを受けるもののほかには誰もわからぬ新しい名が記されているというのです。白い小石とはいったい何を意味するのでしょうか。この当時の人には自明のことです。それは当時は白い小石をお守りとして持つことが良くあったからです。その白い小石には、自分の神様の名前や、自分の名前などを書き込んで、お守りとして持っていたのです。この勝利する者に与えられる小石はイエス様から直接与えられる小石ですから、それは祝福と恵みに満ちた小石です。そしてその白さは純潔を意味します。その小石には受けるもののほかには誰もわからぬ新しい名が記されているというのです。何かは書かれているのですが、本人にしかわからないというのです。この様な小石の方が、お守りとしての力が強かったと言います。誰もわからぬ新しい名とは何でしょうか。これは復活のイエス・キリストの名です。すなわちイエスはキリスト救い主であるという名の、イエス・キリストと言う名が書き込まれていたのだと思います。その白い小石を与えると約束されました。隠されたマンナも、この白い小石も、イエス様からの祝福の約束を意味しているのです。
転
次はティアティラの教会ですが、この教会には一番長い手紙が出されました。18節と19節です。
黙 2:18 ティアティラにある教会の天使にこう書き送れ。『目は燃え盛る炎のようで、足はしんちゅうのように輝いている神の子が、次のように言われる。
黙 2:19 「わたしは、あなたの行い、愛、信仰、奉仕、忍耐を知っている。更に、あなたの近ごろの行いが、最初のころの行いにまさっていることも知っている。
ティアティラの教会に対しても同じように最初は褒め言葉が与えられています。今度はイエス様の姿は、目は燃え盛る炎のようで、脚は真鍮のように輝いている神の子として描かれています。そのイエス様が最初に語ったことは、「わたしは、あなたの行い、愛、信仰、奉仕、忍耐を知っている。更に、あなたの近ごろの行いが、最初のころの行いにまさっていることも知っている。」と言いました。これはクリスチャンに対する最高の褒め言葉ではないでしょうか。イエス様の教えられている徳目をしっかり守って成長していると言っているのです。
ですがこのティアティラの教会にも、イエス様が、語らなければならないような問題があったのです。それはやはり、異端的教えなのです。20節から23節です。
黙 2:20 しかし、あなたに対して言うべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女のすることを大目に見ている。この女は、自ら預言者と称して、わたしの僕たちを教え、また惑わして、みだらなことをさせ、偶像に献げた肉を食べさせている。
黙 2:21 わたしは悔い改める機会を与えたが、この女はみだらな行いを悔い改めようとしない。
黙 2:22 見よ、わたしはこの女を床に伏せさせよう。この女と共にみだらなことをする者たちも、その行いを悔い改めないなら、ひどい苦しみに遭わせよう。
黙 2:23 また、この女の子供たちも打ち殺そう。こうして、全教会は、わたしが人の思いや判断を見通す者だということを悟るようになる。わたしは、あなたがたが行ったことに応じて、一人一人に報いよう。
イエス様の、言いたいのは教会の中にあって、教会員として正しく行動していると見えながら、実はイエス様の教えから離れさせようとする教えを、許してはならないと言う事です。このような教えは一見もっともらしく、この世で生きていくためには、それも仕方がないではないかと思わせる教えなので、語る側も、聞く側もそれを異端だとは思わないで行っているのです。正しいと思っていることだけに、それは警戒を要する事なのです。この個所では、今まで個人の名を挙げてまで語らなかったことを、今回はイゼベルと言う女とはっきりと名前を出してきました。これは本当にその人の名なのかどうかはわかりません。と言うのはイゼベルと言うのは、旧約に出てくるアハブ王の妻のイゼベルで、アハブを通じて、人々がバアルの神を礼拝するように仕向けた有名な悪女なのです。イゼベルはイスラエルの神を禁じたわけではなく、バアルの神も両方礼拝するように言ったのです。ですがイスラエルの預言者たちがそれに反対したので多くの預言者たちが殺されたのです。するとエリヤが、神様から命じられて、バアルの預言者とカルメル山で壮絶な信仰の戦いをして、勝利するのです。するとイゼベルは怒って、エリヤの命を付け狙うと言う事が起こったのです。このようにイゼベルと言うのは悪名高い女だったのです。
このティアティラの教会のイゼベルもまた、イエス様の教えは素晴らしいが、偶像に捧げた肉を食べても、異邦人たちと一緒にみだらなことをしても、みんなと仲良くやっていくためには良いではないか。そうしないと私たちは、この世界で孤立してしまって、生活していくことが出来ないではないかと教えていたのです。この教えは、一見もっともらしいのです。偶像に捧げた肉を食べてはいけないとなると、異邦人たちと付き合って食事をすることも出来ないし、みだらなことと言っても当時は社交の一部だったのです。このくらいはいいではないかと言うのが、信仰を段々堕落させる元なのです。イエス様はそれを許さなかったのです。イエス様はこの女に悔い改めの機会を与えたが、悔い改めようとはしなかったと言います。自分のしていることは間違っていないと思うものはなかなか悔い改めようとしないので、厄介なのです。イエス様は、この女もその仲間も悔い改めないのならひどい苦しみに合わせると言い、その女の子供たちも打ち殺そうと言いました。女の子供たちとは、この女の教えを信じて行う者たちのことで、打ち殺すとは信仰の救いから遠ざけてしまうと言う事です。すなわちその様な中途半端なことをする者たちは、救われないであろうと言う事です。この様なイゼベルと同じような考え方、すなわち信仰をこの世の考え方に妥協させようとするのは、今の時代も同じです。この様な人たちを私たちは、それほどひどい信仰者だとは思わないのですが、イエス様は、この様な物こそ信仰を堕落させるのだと語っているのです。
一方、このイゼベルの教えを受け入れなかった信仰深い人々には、次のような約束を与えてほめたたえています。24節から29節です。
黙 2:24 ティアティラの人たちの中にいて、この女の教えを受け入れず、サタンのいわゆる奥深い秘密を知らないあなたがたに言う。わたしは、あなたがたに別の重荷を負わせない。
黙 2:25 ただ、わたしが行くときまで、今持っているものを固く守れ。
黙 2:26 勝利を得る者に、わたしの業を終わりまで守り続ける者に、/わたしは、諸国の民の上に立つ権威を授けよう。
黙 2:27 彼は鉄の杖をもって彼らを治める、/土の器を打ち砕くように。
黙 2:28 同じように、わたしも父からその権威を受けたのである。勝利を得る者に、わたしも明けの明星を与える。
黙 2:29 耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」
イエス様から祝福の約束を与えられたのは、この女の教えを受け入れず、サタンのいわゆる奥深い秘密を知らない信仰者たちと言う事です。サタンの奥深い秘密とは何でしょうか。これはこの世の快楽を深く経験した者だけが知りうる世界だと思います。これもまた人生経験で、人生に深みを与えるものであると芸術家などが求めたがるようなものです。ですがイエス様はそれはサタンの誘惑だと言うのです。そのような経験をしたところで、救いにあずかれるものではない、むしろ、そのような秘密を知らないあなた方に、別の重荷を負わせないと言いました。別の重荷とは何のことでしょうか。それはサタンの秘密を知ることは重荷になると言う事ではないでしょうか。その秘密を知ることによって、この世をうまく生きていけると思ったのがかえって重荷となると言う事ではないでしょうか。そしてそのような世界に入り込まないで、イエス様の再臨の時まで、今持っている信仰を固く守りなさいと命じました。そしてこう約束したのです。その信仰を最後まで守り通して勝利を得るものには、諸国の民の上に立つ権威を授けようと約束したのです。
その権威は鉄の杖で、土の器を打ち砕くような圧倒的なものであると言いました。その権威はイエス様が神様から授かった権威と同じものであると言いました。その権威が与えられるのです。
最後に、イエス様は勝利を得るものには、私も明けの明星を与えようと言いました。この明けの明星はイエス様ご自身を表します。勝利を得るものは、イエス様に似たものとなって、その権威、その永遠の命を共にすると言う事ではないでしょうか。そして、耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい、と言いました。霊の言葉は、霊的な思いで聞き取る者にしか聞き取ることが出来ない言葉なのです。
結
今日はペルガモンとティアティラの教会にあてた手紙を読みましたが、イエス様が問題にしているのは教会外の迫害のことではありませんでした。その迫害に対してはあなたたちは良く信仰を守って忍耐しているとほめているのです。問題とするのは、教会の内部の問題です。教会の中に、罪深いものを抱えて、そのままにしていることを問題にしているのです。その罪が罪と認められればいいのですが、それがもっともらしく正しいもののように教会が受け入れて、そのままにしてこの世と妥協していることをイエス様お叱りになっているのです。教会の中の小さな堕落が、教会をどんどん間違った方向へと導いていくことを警告しているのです。このくらいならいいだろうという思いが、教会をだめにしていくことを大きな問題としているのです。私たちの個人的な生活においてもこのことを注意していきたいと思います。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。私たちの信仰の内にある、この世との妥協をお許しください。悔い改めて、あなたに忠実なものでありますように。そして、勝利するものとなり、あなたの隠されたマナを与えられ、白い小石を与えられ、明けの明星が与えられるものでありますように。どうか自分の力でこの世と戦うのではなく信仰の力によってたたかい歩んでいくものでありますように。ただあなたに委ねて歩ませてください。この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ヨハネの黙示録)>>
◆ペルガモンにある教会にあてた手紙
黙 2:12 ペルガモンにある教会の天使にこう書き送れ。『鋭い両刃の剣を持っている方が、次のように言われる。
黙 2:13 「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかし、あなたはわたしの名をしっかり守って、わたしの忠実な証人アンティパスが、サタンの住むあなたがたの所で殺されたときでさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。
黙 2:14 しかし、あなたに対して少しばかり言うべきことがある。あなたのところには、バラムの教えを奉ずる者がいる。バラムは、イスラエルの子らの前につまずきとなるものを置くようにバラクに教えた。それは、彼らに偶像に献げた肉を食べさせ、みだらなことをさせるためだった。
黙 2:15 同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉ずる者たちがいる。
黙 2:16 だから、悔い改めよ。さもなければ、すぐにあなたのところへ行って、わたしの口の剣でその者どもと戦おう。
黙 2:17 耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている。」』
◆ティアティラにある教会にあてた手紙
黙 2:18 ティアティラにある教会の天使にこう書き送れ。『目は燃え盛る炎のようで、足はしんちゅうのように輝いている神の子が、次のように言われる。
黙 2:19 「わたしは、あなたの行い、愛、信仰、奉仕、忍耐を知っている。更に、あなたの近ごろの行いが、最初のころの行いにまさっていることも知っている。
黙 2:20 しかし、あなたに対して言うべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女のすることを大目に見ている。この女は、自ら預言者と称して、わたしの僕たちを教え、また惑わして、みだらなことをさせ、偶像に献げた肉を食べさせている。
黙 2:21 わたしは悔い改める機会を与えたが、この女はみだらな行いを悔い改めようとしない。
黙 2:22 見よ、わたしはこの女を床に伏せさせよう。この女と共にみだらなことをする者たちも、その行いを悔い改めないなら、ひどい苦しみに遭わせよう。
黙 2:23 また、この女の子供たちも打ち殺そう。こうして、全教会は、わたしが人の思いや判断を見通す者だということを悟るようになる。わたしは、あなたがたが行ったことに応じて、一人一人に報いよう。
黙 2:24 ティアティラの人たちの中にいて、この女の教えを受け入れず、サタンのいわゆる奥深い秘密を知らないあなたがたに言う。わたしは、あなたがたに別の重荷を負わせない。
黙 2:25 ただ、わたしが行くときまで、今持っているものを固く守れ。
黙 2:26 勝利を得る者に、わたしの業を終わりまで守り続ける者に、/わたしは、諸国の民の上に立つ権威を授けよう。
黙 2:27 彼は鉄の杖をもって彼らを治める、/土の器を打ち砕くように。
黙 2:28 同じように、わたしも父からその権威を受けたのである。勝利を得る者に、わたしも明けの明星を与える。
黙 2:29 耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」』