起
いよいよ今日から黙示の世界に入ります。黙示の表現がどのようなものであるのかを味わいながら進みたいと思います。一つ一つの言葉よりも、今ここで何を言い表そうとしているのかと言う事を考えながら読み進んでいきたいと思います。
ヨハネはとても旧約聖書についてよく知っていたので、その書き記したほとんどの言葉が旧約聖書の言葉で語られていると言ってもいいのです。今でも文章をほとんど新約聖書の言葉だけで書く人もいますから、聖書の言葉を知っていれば必要な文章は書けるようです。ですがいちいちこの言葉は旧約のどこから来ていると調べるように読んでもあまり本質をつかめないので、ところどころ大切なところだけを引用していきたいと思います。
今日の聖書の個所は、ヨハネがパトモス島に流罪として送られ、石切り場で重労働をさせられていたヨハネに突然イエス様の声が臨んでくるところから、始まります。そして今日の個所は、主にそのイエス様の姿がどの様であったかと言う表現にとどまります。一言でいえば、イエス様の姿は人間の言葉では言い表せないような、栄光と力と尊厳に満ちたものでしたと言うところですが、それをヨハネは旧約の言葉を引用して、いろいろな表現で言い表しているのです。
先週学んだところでは、イエス様はその言葉を天使に託してヨハネに伝えたと語られていましたが、今日のところは天使の介在はなく、イエス様が直接ヨハネに語り掛けています。そのイエス様の大きさと、ヨハネの小ささを対比するようにこの場面は描かれています。
承
まずヨハネは、自分がどのような状況の時に、この黙示を与えられたかを語りました。9節です。
黙
1:9 わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。
ヨハネは自分を、あなた方の兄弟であると紹介しました。それはイエス・キリストを信じる同じ信仰を持つだけでなく、イエス様と同じように、そしてあなたたちと同じように、その苦難、支配、忍耐にあずかっているものであると言いました。このことは、あなたたちが多くの苦難で忍耐をしているように、私も同じ苦しみを味わっている仲間なのだと言う事です。口だけで兄弟と言っているのではなく本当に同じ苦難の中にいるものであると言う事です。そしてどうしてそうなっているかと言うと、神の言葉とイエスの証のゆえに、パトモスと呼ばれる島にいるからであると言うのです。これはヨハネが神の言葉を宣教し、イエス様が神様について語った証言を、宣教したためにとらえられて、パトモス島に流されて、苦難を受けていると言っているのです。このころはクリスチャンがローマによって迫害を受け、とらえられ、苦しめられていた時代なのです。
このパトモス島で、ヨハネにいよいよ黙示を与えられる時が来ました。10節と11節です。
黙
1:10 ある主の日のこと、わたしは“霊”に満たされていたが、後ろの方でラッパのように響く大声を聞いた。
黙
1:11 その声はこう言った。「あなたの見ていることを巻物に書いて、エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの七つの教会に送れ。」
ここでヨハネは主の日と言う言葉を使っていますが、ここでは終末の時と言う意味ではなく、いま私たちが使っている主の日、すなわち日曜日と言う意味です。この日曜日を主の日と言う言葉で使い始めたのは、この黙示録が最初だったようです。それから後、日曜日を主の日と呼ぶようになりました。このときヨハネはパトモス島のどこにいたのかわかりませんが、どこか海の見える高台にいたのかもしれません。そのときヨハネは霊に満たされていたと言います。そのときヨハネは後ろの方で大きな声を聴いたのです。これはラッパの様な声を聞いたのではなく、当時は大きな音と言うのはラッパの音や雷の音でしか表現できなかったので、特に神様の声はラッパの様な声と言う表現が用いられたのです。それは大きくてすさまじい声だったということなのです。
その声が何と言ったかと言うと「あなたの見ていることを巻物に書いて、エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの七つの教会に送れ。」と言ったのです。ここでヨハネはイエス様から直接使命を与えられたのです。このヨハネは、使徒ヨハネとは違う人ですが、復活のイエス様に直接であって、使命を与えられたのですから、復活のイエス様にしか出会っていないパウロと同じく、使徒として考えてもよいのです。だからこのヨハネはこの黙示録を堂々と正典として会堂で朗読するようにと言っているのです。ヨハネが与えられた使命は、あなたの見たこと聞いたことを巻物に書いて、7つの教会に送りなさい、と言う事でした。先週の個所ではアジア州の7つの教会と言うことしか分かりませんでしたが、その7つの教会が具体的に示されています。アジア州と言うのトルコの西側でギリシャに面した側の地域をいいます。この地域にはクリスチャンがたくさんいたのです。7つの教会と言うのは完全数で表しているので、これらの教会だけでなく世界中の教会に書き送れと言う事です。この具体的に上げられた教会は、教会の姿を象徴するために挙げられているのです。
転
さてここからは、言葉では言い表せない神秘的なことを黙示的言葉で言い表す、黙示的場面となります。それはその天上のイエス様がどのような姿をしていたかと言う事を表そうとしています。12節から16節です。
黙 1:12 わたしは、語りかける声の主を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、
黙 1:13 燭台の中央には、人の子のような方がおり、足まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めておられた。
黙 1:14 その頭、その髪の毛は、白い羊毛に似て、雪のように白く、目はまるで燃え盛る炎、
黙 1:15 足は炉で精錬されたしんちゅうのように輝き、声は大水のとどろきのようであった。
黙 1:16 右の手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった。
ヨハネはその大きな声で語りかけてくる人の方を振り向きました。そうするとまず、7つの金の燭台が見えました。この当時の7つの金の燭台と言うのは、真ん中に一本太い柱があってそのてっぺんに燭台があり、その柱から両側に3本ずつ枝分かれした、燭台がついていたというのですが、この場面を描いた後世の絵では、中央にイエス様がいて、その周りに7つの燭台が置かれているような絵が多いです。実際にはどのような形なのかはわかりませんが、7つの燭台の中央に、人の子のような方、すなわちイエス様がいたと言う事です。ここで注意しなければならないのは、燭台で表されているものは教会なのです。すなわち教会とは、光そのものではなく、光を放つろうそくを支える、土台だと言う事です。そして光は、イエス様からくる光なのです。そのイエス様の姿は、足まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めておられた、と書かれています。これは何を意味するかと言うと、これは当時の祭司の装束だったのです。すなわちイエス様は祭司として表れたと言う事です。もう一つこのような装束をする人がいました。それは王侯貴族です。ですから、イエス様は王としても現れたと言う事にもなるのです。
イエス様の姿をとらえたヨハネの目は、さらに詳しくその顔の様子や体の様子を表現しました。
それは、その頭、その髪の毛は、白い羊毛に似て、雪のように白く輝いていたというのです。これは白髪になったというのではなく、その顔全体が光り輝いていたと言う事です。そしてその白さはイエス様の純潔を表しているのです。モーセがシナイ山で神様に出会ったときにも顔が光り輝いていたように、イエス様の顔も光り輝いていたのです。そしてその眼はまるで燃え盛る炎のようであったと言います。それは必ずしも威圧するような眼と言う事ではなく、すべてを見通すような権威の光があったと言った方が良いかもしれません。その目の前ではだれも隠し立ては出来ないのです。
そして、足は炉で精錬されたしんちゅうのように輝き、声は大水のとどろきのようであった、と言います。足は長い衣でおおわれていたので、脛が見えたというのではなく、足先がちらっと見えたくらいのようだと思いますが、それでもその足は当時貴重な金属であった精錬された真鍮のように輝いていたというのです。それは力強さを表しているのだと思います。そしてその声は大水のとどろきのようであったと言います。神様の声は、この大水のとどろきや、ラッパの音や、稲妻の音によくたとえられて、その圧倒的な音量を表そうとしているのです。もしかするとヨハネはパトモス島の島に打ち寄せる大波の音をイメージしていたのかもしれません。
そして右の手には、7つの星を持っていたと言います。これは神様のみが持っている、宇宙を支配する権限と権能を表しています。口からは鋭い両刃の剣が出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった、とも記されています。当時は長い剣のほかに、舌の形をした、短剣もあったそうです。ここはその短剣のイメージでその舌のこと書かれていますが、神様の口から語られる言葉が、鋭い短剣のように、心の奥底まで切り裂いていくことを表しています。顔が強く照り輝く太陽のようであったというのは、最初に語られた、髪が雪のように白く輝いていたことと同じように、まぶしく光り輝いていたのです。ここの中で7つの星と7つの燭台に関しては、別の意味が隠されていました。この7つの星と、7つの燭台に関しては、実はきちんと説明が書かれているのです。それは20節にこう書かれているのです。
黙 1:20 あなたは、わたしの右の手に七つの星と、七つの金の燭台とを見たが、それらの秘められた意味はこうだ。七つの星は七つの教会の天使たち、七つの燭台は七つの教会である。
このように、7つの燭台は7つの教会を表しており、7つの星は7つの教会の天使たちを表しているのです。教会の天使たちとは、教会を理想の教会に導く天使たちです。すなわち理想の教会と言ってもいいのかもしれません。一方、現世の教会は光をともし続ける燭台として表されているのです。それらの教会がイエス様を中心にして、働いていると言う事なのです。
ヨハネはこのイエス様の姿を見た時にどうなったのでしょうか。旧約の世界では、神様を見たものは死ぬと言われて恐れられていたのです。17節から19節です。
黙 1:17 わたしは、その方を見ると、その足もとに倒れて、死んだようになった。すると、その方は右手をわたしの上に置いて言われた。「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、
黙 1:18 また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。
黙 1:19 さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。
ヨハネは、その光輝くイエス様を見たショックで、その場に倒れ、死んだようになったのです。するとイエス様は、ヨハネの上に右手を置かれて、こういったのです。
「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。」と命じました。この状況は、パウロがサウロと呼ばれていた時代に、クリスチャンを迫害しとらえるためにダマスコに向かっていたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らし、サウロは地に倒され、「サウル、サウル、なぜ私を迫害するのか」と言う声を聴き、「起きて街には入れ、そうすれば、あなたの為すべきことが知らされる」と言われた時の状況に似ています。ヨハネにはまず、恐れるな、と言いました。これもイエス様が弟子たちによく言った言葉です。そして、私は最初のものにして最後のもの、又生きているものである、とは、私は神であり今も生きていると言っているのと同じです。その後こういいました。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府のカギを持っている、と言いました。イエス様は一度十字架の上で死んだけれども、世々限りなく生きて、死と陰府のカギを持っていると言いましたが、十字架の死から復活したイエス様は天国の鍵だけでなく死と陰府の鍵も持っており、その命を死に至らせることも死から蘇らせることも出来るお方であるということを言っているのです。
そして、「さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。」とヨハネに語りました。イエス様はこれから、ヨハネに不思議な世界を見せようとしているのです。その過去現在未来に起こることをヨハネに表わすからそれを書き留めて、全世界の教会に告げ知らせなさいとその使命を与えたのです。このこれから示される、不思議な世界こそイエス様の黙示の世界なのです。それはこれから、人類が、信仰者たちがどうなっていくかを現すものでした。それは終末の時の予告だったのです。
結
ヨハネはついに、パトモス島でイエス様に出合いました。そしてそのイエス様がどのようなお姿をしていて、ヨハネにどんな使命を与えられたのかを語りました。これを告げ知らされた7つの教会の人達はどんな思いでこれを聞いたでしょうか。そのイエス様の姿は、栄光と力と尊厳に満ちたものであり、ヨハネは言葉では言い尽くせないことを、なんとか言葉によって言い表したのです。私たちはこのヨハネが見たイエス様の姿をもう一度心の中で再現して、イエス様に出会うのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。ヨハネは迫害によって流されたパトモス島でイエス様に出会い、この黙示録を書き表しました。その表現するところは人間の言葉を超えていますが、どうかヨハネが言い表そうとしたその出来事を、私たちも感じ、聞き、そして見ることができますように。当時の人達がこの黙示録によって励まされた状況を知って、私たちの信仰も励まされますように。どうかこれからもあなたの解き明かしが、私たちの上に与えられますように。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ヨハネの黙示録)>>
◆天上におられるキリストの姿
黙 1:9 わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。
黙 1:10 ある主の日のこと、わたしは“霊”に満たされていたが、後ろの方でラッパのように響く大声を聞いた。
黙 1:11 その声はこう言った。「あなたの見ていることを巻物に書いて、エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの七つの教会に送れ。」
黙 1:12 わたしは、語りかける声の主を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、
黙 1:13 燭台の中央には、人の子のような方がおり、足まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めておられた。
黙 1:14 その頭、その髪の毛は、白い羊毛に似て、雪のように白く、目はまるで燃え盛る炎、
黙 1:15 足は炉で精錬されたしんちゅうのように輝き、声は大水のとどろきのようであった。
黙 1:16 右の手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった。
黙 1:17 わたしは、その方を見ると、その足もとに倒れて、死んだようになった。すると、その方は右手をわたしの上に置いて言われた。「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、
黙 1:18 また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。
黙 1:19 さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。
黙 1:20 あなたは、わたしの右の手に七つの星と、七つの金の燭台とを見たが、それらの秘められた意味はこうだ。七つの星は七つの教会の天使たち、七つの燭台は七つの教会である。