起
いよいよ、黙示録が始まりましたが、この黙示録とはどういう意味でしょうか。これは神様の隠された教えが知らされるという意味です。これと似た言葉に啓示と言う言葉があります。こちらの方が一般的によく使われる言葉で、神様の言葉が天からインスピレーションの様な感じで与えられるようなときに使われます。では黙示と啓示では何が違うのでしょうか。同じように神様から与えられた言葉やイメージであっても、啓示の場合は覚醒されている状態で、明確な言葉やイメージが与えられます。これは預言者などが神様から直接与えられた言葉などで、明確にその内容を示すことができます。一方黙示の場合は、その内容はまるで夢の中でイメージを与えられているようで、いったい何を言っているのかよくわからない内容の感じで、その説き明かしがないと理解できないようなことが多くあります。それは神秘的で、言葉や絵では書き表せないような人間の理解を超えた天上の出来事を、無理に言葉で表しているようなもので、もともと言葉では理解できないことなのです。これと似たようなものには異言と言うようなものもあります。異言を語るものを普通の人が聞いても理解できないのですが、異言を解き明かす者にはこの内容が良くわかるのです。またヨセフのように夢の解き明かしが出来る人もいますが、この黙示に関しても普通の言葉の理解では、とても理解できないのです。ですから言葉通りに受け取ってはいけないのです。
黙示文学と言われるものは旧約の時代からありました。それは人間の理解を超えた出来事や言葉では表現できないものを神秘的な夢を語るようなイメージで何とか天上のことを伝えようとするものでした。このヨハネの黙示録は新約聖書の正典とされているただ一つの黙示文学ですが、前回ユダの手紙に出てきたエノク書も正典とはされていないですが、黙示文学なのです。ユダは正典と思って扱っていたようです。この様な黙示文学がどうして書き表されたかと言うと、それは、信仰的な迫害にあるユダヤ人たちが、ユダヤ教を理解できない人たちにはわからないような形で、その信仰を表現しようとしたからです。迫害する者がもうすぐ滅び去るであろうから、信仰を持って、忍耐しなさいと励ましているのです。ですから、そのような内容は迫害する者に知られてはならないのです。普通は黙示文学の作者は誰であるかわからないようにしています。内容も外部の者にはわからないようにしているのです。それで黙示文学の言葉は何時も普通の意味とは違い別のことを意味しているような表現が多いのです。その様な言葉の裏の意味を知らないと、黙示録は理解できないのです。ですから私たちの様な、ユダヤ教に疎いものにはその理解が難しいのです。ヨハネの黙示録であっても、そこには旧約の黙示的言葉からの引用がたくさんあるのです。新約聖書を理解するには、旧約聖書の学びも必要であることを知ってはいますが、特に黙示録に関しては、旧約聖書の黙示的内容をしっかり理解することが必要なので、このことがますます黙示録を難しいものにしているのです。
この黙示録を理解するのに、大切なことがあります。それは、この世の救いのことは語られていないことです。黙示録においては、この世は滅び去るのです。良いものも悪いものも強いものも弱いものもみな滅び去るのです。そしてその後に新しい世界が現れてくるのです。そこに信仰をもつものは甦って新しいエルサレムに住むことができるのです。だから、そのこの世の滅び去る時の苦しみと恐れを前もって知って耐え忍びなさい。その後には必ず希望がやってくると教えているのです。このことが預言者たちが語る啓示の言葉と大きく異なるのです。預言者たちは、この世で救われるために、神の啓示の言葉を語って、このようにすれば救われる、悔い改めよと語ってきました。ですが黙示の語る世界は、この世は救われる価値がないのです。もうだめなのです。ただこの世が滅び去った後にすばらしい神の世界が現れることを待ち望むのです。信仰を持ち続けるものはその新しい世界に住むことができるのです。
このヨハネの黙示録は新約聖書のヨハネによる福音書の使徒ヨハネと同じ人でしょうか。そうではないようです。新約聖書はローマ時代に書かれたものですが、4つの福音書はどちらかと言うとローマの統治には理解を示しています。征服はされているのですが、法治国家なのでそれなりの正義が行われているからです。ユダヤ人たちに迫害されていた時代のクリスチャンにとってはむしろローマは自分たちの正しさを受け入れてくれる正義の味方なのです。隠れ蓑なのです。ですからパウロはユダヤ人たちの手に渡るよりもローマの裁判を受けることを選んでいるのです。ところがこのヨハネによる黙示録ではとてもローマに対して厳しい言葉を投げかけています。憎しみに似たものです。それはローマによるクリスチャンへの迫害が厳しくなったときであり、この黙示録を書いたヨハネもまた、とらえられて、パトモス島に流されて、苦しい人生を歩んだのです。そしてその時この黙示が神様から与えられたのです。この時代のクリスチャンたちは、多くの迫害に見舞われて、見せしめにライオンに食われたり、体にアスファルトを塗られて、松明代わりにされたり、悲惨な拷問や迫害がたくさんあったのです。この黙示録は大体紀元95年ごろに書かれたものだろうと言われていますが、この時代はキリスト教の大迫害の時代だったのです。その様な中で、生き延びて信仰を保っているクリスチャンに励ましの神様の言葉を伝えたのがこの黙示録なのです。
承
今日は最初なので前置きが長くなりましたが、そろそろ本文に入りましょう。まず最初の3節です。これはこの黙示録がどのようなものであるかを簡潔に言い表しており、当然のように正典に入るべきものであることを主張しています。1節から3節です。
黙
1:1 イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。
黙
1:2 ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。
黙
1:3 この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである。
この黙示録はヨハネの黙示録と言われていますが、ヨハネの言い方だと、これはイエス・キリストの黙示録であると言う事です。そしてここに書かれていることは遠い将来のことではなく、すぐにでも起こる予定のものであると言う事です。この黙示の言葉がどのようにしてヨハネに伝えられたかと言うと、まず神様が御子イエス・キリストにお与えになり、そしてキリストは天使を遣わして、ヨハネに伝えたというのです。そしてヨハネはその黙示を神様を信じる僕たちに伝えるのだと言う事なのです。ですから、ヨハネに黙示を伝えたのは直接キリストからではなくて、天使から伝えられたのです。そしてここに書かれたことは、その神様の言葉とイエスキリストの証を、天使から聞かされそして見せられたすべてをここに書き記しているのだと言うのです。イエス・キリストの証とはイエス様が神様のもとで、実際に見て、そして聞いたことを表します。そのことをヨハネは語っているのだと言う事です。
ヨハネはこのイエス・キリストの黙示録が、毎週会堂で、朗読され多くの人々に聞かされることを必然のことと考えています。ですからこれを朗読する人と、これを聞いてその言葉を守る人たちは幸いであると言うのです。会堂で、毎週朗読されるものと言うのは、その信仰の正典となっているものと言う事です。ヨハネはこれを書き送った時点で、これは正典ですと言っているようなものなのです。ヨハネがこのように急いでいるのは、もうその時、終末の時が近づいているからなのです。
転
そしてヨハネはこの序文を語った後で、神様を賛美します。これは頌栄になっています。今日ここに書かれていることは、まだ黙示にはなっていません。その前の儀式のような感じです。ですから礼拝の中で賛美歌を歌うように、ここではこの頌栄がうたわれています。4節から8節です。
黙 1:4 ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、また、玉座の前におられる七つの霊から、更に、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、
黙 1:6 わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。
黙 1:7 見よ、その方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る、/ことに、彼を突き刺した者どもは。地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。
黙 1:8 神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」
最初にこの黙示録がだれに対して書かれたものであるかが書かれています。それはアジア州にある7つの教会へ、と書いています。このアジア州と言うのは今のアジア大陸の概念とは違って、当時ローマ帝国が統治していた、アジアと呼ばれる地方、今でいうとトルコのあたりの地方を言っているのです。そこの7つの教会に対して書かれているというのです。この7つの教会はどこの教会かと言うのは後で具体的に出てきますが、それはあまり重要ではなく、7つと言う事が重要なのです。ユダヤ教では7と言うのは完全数で、完全なものを意味しているのです。ですから7つの教会とは、全世界の教会が含まれているのです。すべての教会と言う意味なのです。
頌栄とは父御子聖霊を賛美するものですが、ここではどのような表現になっているでしょうか。まず父なる神様ですが、今おられ、かつておられ、やがて来られる方と表現されています。この方こそ神様です。次に聖霊ですが、玉座の前におられる七つの霊から、と表現されています。やはりここでも7と言う完全数が使われ、ここでは数字の意味ではなく完全な霊、聖霊を意味するのです。そしてイエス・キリストのことが語られていますが、この方をどのように表現しているかと言うと、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、と表現されています。ここでの証人と言う意味も、先ほどの証人と同じように、イエス様は、神様に直接会われて、その言葉や行いを実際に見聞きした証人と言う事です。ですから、それは想像や推測ではなく事実であると言う事です。ここに書かれている言葉の証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者とは、イエス・キリストに対する信仰告白の様なものです。
この三位一体の神、父御子聖霊から、全世界の教会に祝福が与えられています。それは、恵みと平和があなたがたにあるように、と語られているのです。そしてその応答としての頌栄がこのように語られました。「わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、
わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。」ここで語られている、私たちを愛し罪から解放してくださったと言うのはよくわかるのですが、ちょっと聞きなれない言葉が入っています。それは「私たちを王とし、御自分の父である神に仕える祭司としてくださった」と言う言葉です。イエス・キリストを信じる者たちは、この世での王様とされ、神の祭司とされたと言う事です。私たちにそのような自覚があるでしょうか。これはとても驚くべきことです。私たちはすでに王であり祭司なのです。それはイエス様が王であるように、私たちも王として人々に仕え、イエス様が祭司であるように、私たちも祭司として人々のために執成しの祈りをささげるものであると言う事です。
そして、イエス様の再臨の時がこのように描かれています。「見よ、その方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る、/ことに、彼を突き刺した者どもは。地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。」この世の終末の時、イエス様は雲に乗ってこられるのです。そしてすべての人の目がイエス様を仰ぎ見ることになるのです。ことにイエス様を槍で突き刺した者たちは驚きと恐れを持ってみることになるのです。そしてその様になってしまったことを他のすべての人は嘆き悲しむだろうと言うのです。それはイエス・キリストの再臨の栄光があまりにも大きく圧倒するものであるからです。そしてその言葉の最後に、然りアーメンと、付け加えられています。これはその語られた言葉が全くその通りであると、特に強調して語っている言葉なのです。
そして神様がこう言われたとヨハネは言います。その神様のことをヨハネは、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われると語りました。神様だけが永遠におられ、ほかのすべてのものは変化し、滅びる存在なのです。その語った言葉は、「わたしはアルファであり、オメガである。」と語ったというのです。この意味は最初であり最後であると言う事です。これは神様のことを語ると、神様を作ったのは誰だとか、神様がいなくなったら後はどうなるとかいう議論がいつも出てくるからです。神様の前には何もないのです。神様の後にも何もないのです。神様が最初で最後であるとは、すべての存在に対して語られているのです。
結
ついに黙示録が語られましたが、まだ本格的な黙示の内容ではなく、序文に相当するところですから、まだ理解しやすい部分です。これから語られる部分は、どんな小さな箇所でも、必ず旧約からの引用や関連があるのです。それが何であるかを思い起こしながら読むのが黙示録です。言葉通りに読むのではないので、その解釈も色々に分かれてくるところもあります。ですから自分たちに都合よく解釈して、キリスト教の道から外れてしまっている異端的な新興宗教も今でもあります。私たちもこの黙示録を読む時には、そのような自分勝手な解釈をしないように気を付けるとともに、ここに自分に語られる言葉を見出すことも大切です。これからしばらく、大変な学びとなるかもしれませんが、祈りつつ学びを進めていきたいと思います。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、黙示録の第一回目を導いてくださり感謝いたします。私たちには理解が難しいようなところもたくさんあると思いますが、どうか心をあなたにゆだねて、あなたのみ言葉が与えられますように。言葉にとらわれることなく、あなたが指し示すところを見出すことができますように。旧約聖書もしっかりと学びつつ、どうか正しい理解が与えられますように、導いてください。信仰の神髄が与えられますように。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
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黙 1:1 イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。
黙 1:2 ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。
黙 1:3 この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである。
黙 1:4 ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、また、玉座の前におられる七つの霊から、更に、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、
黙 1:6 わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。
黙 1:7 見よ、その方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る、/ことに、彼を突き刺した者どもは。地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。
黙 1:8 神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」