家庭礼拝 2019年2月6日 ユダ 17-25 警告と励まし

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起 

いよいよ今日で新約聖書の手紙も終わりとなります。残るのは黙示録だけとなりました。新約聖書の学びが、ここまで来るのに約9年かかりましたので、全部が終わる時には10年以上かかるでしょう。これは自分の計画にはなかったことで不思議な事です。神様の導きがなければなしえないことです。これまで、自分の怠惰で、この家庭集会を休むことが一度もなかったことは感謝です。

さて今日のユダの手紙の後半ですが、先週の手紙の内容では、教会に入り込んできている異端思想に気をつけなさいと言う趣旨の警告がたくさん書かれていました。ですが今日の個所は、そのような異端思想を持つ人たちをどうにかしなさいと言う事ではなく、あなたたちが信仰においてなすべきことをなしなさいという励ましが書かれているのです。私たちの周りにおいても、信仰に敵対する人々がたくさんいるかもしれません。その様な時にどのような行動をとるべきかを語っているので、今の私たちにも参考になることです。また信仰におけることでなくても、私たちに対する反対者が出た場合にどうすべきかと言う事にも応用できるかもしれません。信仰をもって対応するとはどういうことかを教えられる個所です。

まず最初は、使徒たちが前もって語っていた言葉を思い出しなさいと言う事でした。17節から20節です。

ユダ 1:17 愛する人たち、わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが前もって語った言葉を思い出しなさい。

ユダ 1:18 彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、あざける者どもが現れ、不信心な欲望のままにふるまう。」

ユダ 1:19 この者たちは、分裂を引き起こし、この世の命のままに生き、霊を持たない者です。

ユダ 1:20 しかし、愛する人たち、あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下に祈りなさい。

 私たちが信仰的に生きようとするとき、それは何かを新しく考え出すことではありません。ユダは、使徒たちが前もって語っていた言葉を思い出しなさいと言いました。私たちもまた、どのように行動したらよいか迷う時には、まず聖書に何と書いてあったかを思い起こす必要があります。そして御言葉に沿って行動していくのです。ここでユダが言った使徒たちの言葉を思い出しなさいと言ったことは、使徒たちが何かを前もって予言していたのでしょうか。それはこう言うことです。使徒たちが語ったことは、「終わりの時には、あざける者どもが現れ、不信心な欲望のままにふるまう。」と言ったのです。このことはイエス様が最初に予言していました。すなわちこの時代の教会に起きていること、異端者の様なものが信仰をあざけり、不信人な欲望のままに振舞い、イエス・キリストを否定するようなことが起こるだろうと言う事は、この使徒たちがあらかじめ予言していたではないか、それを思い出しなさい、と言っているのです。だから今起こっていることは、すでに計画されていることであるから心配しないで、神様にゆだねて歩みなさいと言う事なのです。この者たち、すなわちあざける者どもは、分裂を引き起こし、この世の欲望のままに生き、神様の御声を聞こうとする霊を持たないものだから、あなた達とは違った、裁かれるべき人々なので相手にする必要はないと言っているのです。一方あなたたちは、霊を持つ人々なのだから、もっとも聖なる信仰を拠り所として生活しなさい。聖霊の導きのもとに祈りなさい、と教えているのです。すなわち真の信仰者のすることは、あざける者たちを相手にするのではなく、ただ信仰によって生き、聖霊によって祈りの生活をすることなのです。相手を変えようとするのではなく、自分が信仰によって変えられていくことなのです。

 そして信仰者たちがなすべきことをこのように語ります。21節から23節です。

ユダ 1:21 神の愛によって自分を守り、永遠の命へ導いてくださる、わたしたちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。

ユダ 1:22 疑いを抱いている人たちを憐れみなさい。

ユダ 1:23 ほかの人たちを火の中から引き出して助けなさい。また、ほかの人たちを用心しながら憐れみなさい。肉によって汚れてしまった彼らの下着さえも忌み嫌いなさい。

まず、神の愛によって自分を守りなさいと言われています。たとえ周りにどんな苦難が起こっても、神様が自分を愛してくださっていると言う事を信じて、信仰を守り通しなさいと言う事です。その固い信仰を持つことが出来るその根源は、神様が自分を愛してくださっていると言う確信を持つことなのです。そして、永遠の命へ導いてくださる、私たちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい、と言われました。永遠の命に生きるとは神様と共に生きること、愛に満たされて生きることです。その永遠の命に導いてくださるのはイエス・キリストであり、その憐れみと恵みを待ち望みなさいと言われました。そして、イエスはキリストではないと思っている人々、そのような疑いを持っている人たちを憐れみなさいと言いました。その様な人たちと議論して、正しく導きなさいと言うのではなく、ただ憐れみなさいと言うのです。無理に変える必要はないのです。変えてくださるのは神様だからです。そしてまた、ほかの人達を火の中から引き出して助けなさい、とも言いました。火事の家の中で助けを求め苦しんでいる人を見たら、もう、話などしている暇はありません、すぐに手を指し伸ばして助けなさいと言っているのです。これは、異端者たちに無理に異端思想に連れていかれそうになっている人たちをすぐにでも助けなさいと言う事だと思います。また、ほかの人達を用心しながら憐れみなさい、とも言いました。この人たちはもうすでに異端者たちの仲間になってしまった人たちです。この人たちと付き合う時には、自分も巻き込まれないように用心しなさい、そして憐れみなさいと言っているのです。もうこの人たちは引き戻せる距離にはいなくなったのです。そして、肉によって汚れてしまった彼らの下着さえも忌み嫌いなさい、と言いました。もう信仰ではなく肉の思いにとらわれてしまった人たちと、かかわりあうことはせず、彼らには一切触れてはならないと言う事です。これは、当時の重い皮膚病にかかった人たちの触れた衣服には触れてはならず、燃やしてしまいなさいと言う事に関連した言い方なのです。

 これで、ユダが言うべきことは終わりました。そしてユダは最後に祈りました。この祈りは頌栄となり、最も美しい頌栄の一つと数えられています。ユダの手紙の中では一番有名な個所です。この頌栄を、深く味わってみましょう。24節と25節です。

ユダ 1:24 あなたがたを罪に陥らないように守り、また、喜びにあふれて非のうちどころのない者として、栄光に輝く御前に立たせることができる方、

ユダ 1:25 わたしたちの救い主である唯一の神に、わたしたちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、力、権威が永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン。

 頌栄と言うと、三位一体の神を賛美する事ですが、25節に神様とイエス様のことは書かれていますが、聖霊のことははっきりとは書かれていません。もしかすると、24節のことが聖霊のことを語っているのかもしれません。聖霊は、私たちを罪に陥らないように守り、喜びにあふれて非の打ちどころのないものとしてくださり、栄光に輝く神様のみ前に導き立たせてくださる方、と言う事ではないかと思います。信仰をもち、霊的に生きるものは、聖霊によって罪から守られ、喜びに満たされるとの約束が与えられています。そして最後には神様と共に生きることができるのです。この祈りはその神様に、栄光、威厳、力、権威が今も過去も未来もずっとありますようにと祈っているのです。そしてこの祈りは、主イエス・キリストを通して祈られるのです。この主イエス・キリストを通してと言うのは、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたしますと言う事と同じ事なのだと思います。イエス様が私たちの代わりに祈り取りなしてくださるのです。

 神様は、私たちに祈っていただかなくても、何でもできる方なのですが、私たちが神様のために祈ると言うのは、私たちが神様を愛しています、神様にすべてをゆだねますと告白するのと同じなのだと思います。主の祈りに、御心の天になるごとく地にもなりますようにと祈るのと同じなのだと思います。このように頌栄を祈ることによって、私たちの信仰はさらに高められていくのだと思います。

 これでユダの手紙は終わりました。異端者に対する警告の後で、信仰者の為すべきことを語り、そして頌栄を祈って信仰者を励ましました。信仰者たちは異端者たちと議論をしたり戦ったりする必要はありませんでした。何も心配する必要はないのです。ただ自分の信仰をしっかりと守って歩み、それに逆らう人たちには憐れみをかけてあげなさいと言う事でした。私たちの信仰の戦いは外にあるものではなく、私たちの内側にあるものです。自分を変えていき、イエス・キリストのようになることが私たちの信仰の戦いなのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。私たちは人に反対されたり、異論を唱えられたりすると、不安になり、自分の正当性を主張しようとして議論になったり、感情的になったりしますが、私たちに必要なのは人と争うことではなくて、しっかりと自分の信仰を保って、自分を変えていくことです。どうかあなたが私たちとともにいてくださって、私たちの信仰を光り輝くものとさせてくださいますように。御名の栄光がとこしえに輝くものでありますように。

この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 


<<聖書の箇所(新約聖書:◇ユダの手紙)>>

 

◆警告と励まし

ユダ 1:17 愛する人たち、わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが前もって語った言葉を思い出しなさい。

ユダ 1:18 彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、あざける者どもが現れ、不信心な欲望のままにふるまう。」

ユダ 1:19 この者たちは、分裂を引き起こし、この世の命のままに生き、霊を持たない者です。

ユダ 1:20 しかし、愛する人たち、あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下に祈りなさい。

ユダ 1:21 神の愛によって自分を守り、永遠の命へ導いてくださる、わたしたちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。

ユダ 1:22 疑いを抱いている人たちを憐れみなさい。

ユダ 1:23 ほかの人たちを火の中から引き出して助けなさい。また、ほかの人たちを用心しながら憐れみなさい。肉によって汚れてしまった彼らの下着さえも忌み嫌いなさい。

◆賛美の祈り

ユダ 1:24 あなたがたを罪に陥らないように守り、また、喜びにあふれて非のうちどころのない者として、栄光に輝く御前に立たせることができる方、

ユダ 1:25 わたしたちの救い主である唯一の神に、わたしたちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、力、権威が永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン。