起
ヨハネ第一の手紙には、最初と最後によくある、挨拶がなかったですが、この第二の手紙にはきちんと最初と最後に挨拶があります。この当時はパピルスに手紙を書いて送ったのですが。現代でも紙の大きさがA4とかB5とかと規格があるように、当時もパピルス紙には規格があって、縦25㎝横20㎝と言う規格がありました。このヨハネの第二の手紙は短いようですが、当時はこの規格の紙に書いて送ったので、このくらいの分量の手紙が一番多かったと思います。いまでいうと、A4の紙にびっしり手書きで書いたくらいと思えばよいと思います。
この手紙はエペソにいる長老のヨハネから、選ばれた婦人と子達に送られた手紙です。普通に理解すると、教会の長老職にあるヨハネから、知り合いの信仰深い婦人とその家族の子供たちにあてられた手紙と理解してしまいます。ですがどうもそのようではないようです。この選ばれた婦人と子供たちと言うのは、教会と信者たちを表しているというのが、多くの学者の見解です。教会はキリストの花嫁と言う表現もありますが、そういった意味で、教会を婦人と呼んでいるようです。そしてそこに集まる人々を子供たちと呼んでいるのです。ではこのヨハネはエペソの教会の長老としてこの手紙を書いているのでしょうか。これもそうではないようです。普通長老と言うのはその教会だけに限られる権能であって、ほかの教会にまで、いろいろ影響を与える人ではないのです。このヨハネは、多くの教会あてにこの手紙を書いているのです。すなわち選ばれた諸教会に対してこの手紙を書いているのです。すなわちこの場合の長老と言うのは、イエス・キリストの直接の弟子となった12弟子すなわち使徒の次に権能のある、使徒に直接指導を受けた人たちで、多くの尊敬を受けている、教会の指導者と言う意味のようです。ですからこの場合の長老と言う意味は教会の長老と言う意味よりももっと権威のある、全教会の指導者と言った意味合いがあるようです。その長老のヨハネから、選ばれた諸教会にあてられた手紙がこの第二の手紙であり、ここにはこの時代に起こっていた問題に対して、一致して対応するようにと言う、指導項目が書かれているのです。その問題と言うのは、巡回説教師の問題です。当時はこのような巡回説教師が教会をめぐって歩いては、教会で説教し、いろいろな教えを教えていたのです。その中には自己解釈して、間違った教えを教える人もいたのです。当時はこの巡回説教師と言うのは、尊敬されていました。いろいろな知識を持ち、また各地の情報を持って、優れた見解を持っていると思われたのです。ですから、教会の人々は、巡回説教師が来ると、大切にもてなしていたのです。巡回説教師の中には居心地が良い場合には何週間も何か月もとどまっていろいろな影響を教会に与えていました。この巡回説教師の中にはギリシャ哲学の影響を受けて、キリスト教をいろいろに解釈し、自分たちの解釈が最も進んだ解釈であると、語って、教会の人々を迷わせる人々もいたのです。その解釈の中で一番よく表れたのは、キリストは、肉体を持って世に現れたのではないという考えです。いわゆるグノーシスの考え方で、物質は穢れているから、キリストが物質である肉体をまとって、この世にあらわれるはずがないという考えなのです。これを、当時は一番進んだ解釈であると言って教えていたのです。これに対して、長老ヨハネはそれは間違っていると言って正しているのが、この手紙であり、そのような教えをする巡回説教師には近づいても教会に入れてもならないと語っているのです。
承
それでは手紙を読んでみましょう。最初は挨拶文で1節から3節です。
2ヨハ
1:1 長老のわたしから、選ばれた婦人とその子たちへ。わたしは、あなたがたを真に愛しています。わたしばかりでなく、真理を知っている人はすべて、あなたがたを愛しています。
2ヨハ
1:2 それは、いつもわたしたちの内にある真理によることで、真理は永遠にわたしたちと共にあります。
2ヨハ
1:3 父である神と、その父の御子イエス・キリストからの恵みと憐れみと平和は、真理と愛のうちにわたしたちと共にあります。
最初は長老の私から、選ばれた婦人とその子達へ、と手紙の宛先が書かれています。これは先ほど話したように、教会に対して書かれたものと思われます。そしてその教会を真に愛しています、と言った後、私ばかりでなく、真理を知っている人はすべてあなた方を愛していますと言いました。この真理とは何のことでしょうか。普通真理と言うと、何か普遍的な正しいことを指しているように思われます。科学的な真理や哲学的な真理などのように思われますが、聖書を読む場合、真理とはイエス・キリストを表すと考えたほうが良いのです。すなわちイエス・キリストを信じている人は全て、あなた方教会を愛していますと言う事なのです。
そのことは2節の言葉からもわかるのです。2節では、その真理と言うのはいつも私たちの内にある真理によることで、真理は永遠に私たちと共にあります、と語られています。すなわち、それはいつも私たちの内にある、イエス・キリストのことであり、イエス・キリストは永遠に私たちと共にあります、と言う事を言っているのです。
そして3節では、父である神と、その父の御子イエス・キリストからの恵みと憐れみと平和は、真理と愛のうちにわたしたちと共にあります、と宣言するような調子で語りました。この言葉は普通は、祈りとして語られることが多いのですが、ここでは宣言として語られているのです。普通は、父である神と、その父の御子イエス・キリストからの恵みと憐れみと平和は、真理と愛のうちにわたしたちと共にありますようにと祈るのです。ですがここではそれはすでに祈られているので、それはもうかなえられたと同じなのだと言う事を強調して、恵みと憐れみと平和は、私たちと共にあります、と宣言しているのです。
転
さてこの挨拶が済むと、本題に入ります。小見出しではこの本題を真理と愛としていますが、むしろこれは真理と愛を惑わす者達、とした方が良さそうです。この本題の前半は文字どうり真理と愛とについて書かれています。4節から6節です。
2ヨハ 1:4 あなたの子供たちの中に、わたしたちが御父から受けた掟どおりに、真理に歩んでいる人がいるのを知って、大変うれしく思いました。
2ヨハ 1:5 さて、婦人よ、あなたにお願いしたいことがあります。わたしが書くのは新しい掟ではなく、初めからわたしたちが持っていた掟、つまり互いに愛し合うということです。
2ヨハ 1:6 愛とは、御父の掟に従って歩むことであり、この掟とは、あなたがたが初めから聞いていたように、愛に歩むことです。
ヨハネはここで、あなたの子供たちの中に、わたしたちが御父から受けた掟どおりに、真理に歩んでいる人がいるのを知って、大変うれしく思いました、と書いています。今の私たちには教会にいる人たちが、イエス・キリストに従って歩んでいるのは当然ではないかと思われるのですが、ヨハネはむしろ、教会の中にイエス・キリストに従って歩んでいる人を知って大変うれしく思ったと言っているのです。これは一体教会はどうなっていたのでしょうか。教会がイエス・キリストの教会ではなくなっていたのでしょうか。ヨハネがここで、改めて、教えているのは新しいことではありませんでした。それは初めから私たちが持っていた掟、つまり互いに愛し合うことだったのです。キリスト教は思想ではありません。それはイエス・キリストの教えを実行する事なのです。その教えとは互いに愛し合うことでありそれを実行する事なのです。ところが教会の中に、哲学的な思想を持ち込んで、互いに愛し合うことよりもその知識の先進性を誇り、自分の方がより深くそれを知っていると傲慢になる人々がいたのです。いくら知識を持っていたとしても互いに愛し合うことがなければ、それはイエスの教えではないのです。そのことをヨハネは語っているのです。そしてわずかな人々が真理に従って、すなわちイエス・キリストの教え、すなわち互いに愛し合うことを実行して歩んでいる人々を知って喜んでいるのです。ほかの人々は愛ではなく知識に流れて行ったのかもしれません。
そしてこの手紙を書いた目的を語ります。7節と8節です。
2ヨハ 1:7 このように書くのは、人を惑わす者が大勢世に出て来たからです。彼らは、イエス・キリストが肉となって来られたことを公に言い表そうとしません。こういう者は人を惑わす者、反キリストです。
2ヨハ 1:8 気をつけて、わたしたちが努力して得たものを失うことなく、豊かな報いを受けるようにしなさい。
この手紙を書いた目的は、教会を惑わす者が大勢世に出てきたからだと言っています。この教会を惑わす者の教えと言うのが、キリストが肉体を持って世に来られたと言う事を認めようとしていないのです。キリストは霊であって、肉体の様な穢れたものをまとうはずがないと言っており、十字架の死も復活もないと言っているのです。これはキリスト教の大問題です。これを認めたら、キリスト教ではなくなるのです。ですからヨハネは、このような人々を反キリストと断言しました。そして、気をつけて、わたしたちが努力して得たものを失うことなく、豊かな報いを受けるようにしなさい、と言ったのです。
そしてこのような反キリスト者に対してどのような対応をとればよいかを語ります。9節から11節です。
2ヨハ 1:9 だれであろうと、キリストの教えを越えて、これにとどまらない者は、神に結ばれていません。その教えにとどまっている人にこそ、御父も御子もおられます。
2ヨハ 1:10 この教えを携えずにあなたがたのところに来る者は、家に入れてはなりません。挨拶してもなりません。
2ヨハ 1:11 そのような者に挨拶する人は、その悪い行いに加わるのです。
まず、イエス・キリストの教えにとどまらず、自分たちの解釈の方が優れている先進的だと考えるようなものは、神様に結ばれていることはないと言いました。むしろイエス・キリストの教えにとどまっている人にこそ、神様も、イエス様もおられますと言っているのです。勝手な解釈をしてはいけないと言う事です。イエス様のみ言葉に従いなさいと言う事です。
そして、このようなイエス様の教えをそのまま教えようとしないものは家に入れてはならず、挨拶をしてもいけないというのです。この家と言うのは教会のことだと思います。彼らに教会で説教させてはいけないというのです。この様な者たちに挨拶するという人は、その人自身がその考えに協力しているのであって、その悪い行いに加わっていることになるから、挨拶もしてはならないというのです。当然のことながら接待してはいけないのです。
これで、本文は終わりました。ヨハネの語ることは語られました。そして、最後に終わりの挨拶が始まります。12節と13節です。
2ヨハ 1:12 あなたがたに書くことはまだいろいろありますが、紙とインクで書こうとは思いません。わたしたちの喜びが満ちあふれるように、あなたがたのところに行って親しく話し合いたいものです。
2ヨハ 1:13 あなたの姉妹、選ばれた婦人の子供たちが、あなたによろしくと言っています。
ヨハネはあなた方に書くことはまだいろいろあるけれども紙とインクで書こうとは思わないと言いました。そしてむしろあなた方のところに行って、直接親しく話し合いたいと思っていると言うのです。そして、こちらの教会から、あなた方によろしくと言っていますと言って、教会同士の挨拶をして終わっているのです。
結
長老ヨハネは、当時の教会には大きな影響力を持って、指導していました。そしてヨハネの戦うべき相手は、巡回説教師の一部のグノーシスにとらわれた教えをする説教者でした。この様な反キリストから教会を守るために、ヨハネはこの手紙を書き送っているのです。キリスト教徒は、イエス・キリストの教えをそのままに受け止め、互いに愛し合うことを実行する信仰なのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、ヨハネが大切なこととして教えたことは、互いに愛し合いなさいと言う事でした。とても簡単な言葉ですが、それを忠実に行うのは難しいのです。そしてそれを行うことなく勝手に自分の考えで、歩んでしまうのです。神様、どうかわたしたちに、互いに愛し合う思いをお与えください。思い上がることなく謙遜に仕える者として互いに愛し合うことができますように。知識ではなく、イエス様のみ言葉を実行できる人とならせてください。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ヨハネの手紙二)>>
◆挨拶
2ヨハ 1:1 長老のわたしから、選ばれた婦人とその子たちへ。わたしは、あなたがたを真に愛しています。わたしばかりでなく、真理を知っている人はすべて、あなたがたを愛しています。
2ヨハ 1:2 それは、いつもわたしたちの内にある真理によることで、真理は永遠にわたしたちと共にあります。
2ヨハ 1:3 父である神と、その父の御子イエス・キリストからの恵みと憐れみと平和は、真理と愛のうちにわたしたちと共にあります。
◆真理と愛
2ヨハ 1:4 あなたの子供たちの中に、わたしたちが御父から受けた掟どおりに、真理に歩んでいる人がいるのを知って、大変うれしく思いました。
2ヨハ 1:5 さて、婦人よ、あなたにお願いしたいことがあります。わたしが書くのは新しい掟ではなく、初めからわたしたちが持っていた掟、つまり互いに愛し合うということです。
2ヨハ 1:6 愛とは、御父の掟に従って歩むことであり、この掟とは、あなたがたが初めから聞いていたように、愛に歩むことです。
2ヨハ 1:7 このように書くのは、人を惑わす者が大勢世に出て来たからです。彼らは、イエス・キリストが肉となって来られたことを公に言い表そうとしません。こういう者は人を惑わす者、反キリストです。
2ヨハ 1:8 気をつけて、わたしたちが努力して得たものを失うことなく、豊かな報いを受けるようにしなさい。
2ヨハ 1:9 だれであろうと、キリストの教えを越えて、これにとどまらない者は、神に結ばれていません。その教えにとどまっている人にこそ、御父も御子もおられます。
2ヨハ 1:10 この教えを携えずにあなたがたのところに来る者は、家に入れてはなりません。挨拶してもなりません。
2ヨハ 1:11 そのような者に挨拶する人は、その悪い行いに加わるのです。
◆結びの言葉
2ヨハ 1:12 あなたがたに書くことはまだいろいろありますが、紙とインクで書こうとは思いません。わたしたちの喜びが満ちあふれるように、あなたがたのところに行って親しく話し合いたいものです。
2ヨハ 1:13 あなたの姉妹、選ばれた婦人の子供たちが、あなたによろしくと言っています。