起
今日で、ヨハネの第一の手紙は完了となります。この手紙は、手紙と言う名前がついている割には、初めの挨拶の言葉もなければ、最後の挨拶の言葉もありません。最後はむしろ唐突に、子たちよ偶像を避けなさいという言葉で終わっています。次のヨハネの第二の手紙には、短くても始めの挨拶と最後の挨拶がついていますから、このヨハネの第一の手紙は、普通の手紙と言うよりは、ヨハネによる福音書と同じような、説教書と言うような感じがします。特にその書き出しはヨハネによる福音書と同じ雰囲気を持っています。
この最後の小見出しは永遠の命です。ヨハネはこの手紙の最後に永遠の命を持ってきました。ここでヨハネは永遠の命について書こうとしているよりも、死に至る罪と、死に至らない罪があると言う事を語ろうとしています。この言葉を聞くと、有名な哲学者のキルケゴールの死に至る病と言う題名の本を思い出しますが、これはラザロの復活で有名な場面で、イエス様が、ラザロの死を知らされたとき、「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。」と言う言葉から引用されたものです。この内容は絶望と言うものを題材にしているのですが、「死に至る病とは絶望である」と「絶望とは罪である」の二部で構成されています。今日のテーマの死に至る罪もまた、これと同様に、悔い改めをもたらす罪と、もう神様もイエス様もなく悔い改めを感じない罪との違いを語っているのです。キルケゴール風に言えば、悔い改めを感じない罪とは実は本当に絶望しているからなのだと言う事なのです。
それではヨハネ第一の手紙の最後の言葉を聞き取ってみましょう。
承
今日の13節の言葉は、その前の11節と12節の言葉の「その証とは、神が永遠の命を私たちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあると言う事です。御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません。」と言う言葉を受けて書かれています。それでは今日の最初の言葉13節です。
1ヨハ
5:13 神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。
ヨハネは、この手紙の目的を、あなたたちはすでに永遠の命を得ているのだと言う事を悟らせたいからだと語っています。永遠の命と言う言葉はなかなか理解しにくく、私たちも自分に本当に永遠の命があるのだろうかと、腑に落ちない気持ちになっているところがあります。ですが、ヨハネは、神の子イエス・キリストの名を信じている人々には、すでに永遠の命があるのだと語っているのです。私たち信仰者はすでに、永遠の命を持っているのです。それはどうしてでしょうか。それはこの手紙全体が語っていることです。この手紙の最初から、この手紙は、命の言葉について、伝えますと書かれています。この命と言うのはイエス・キリストと言う言葉と同じです。この命は現れたとも書かれています。ですから永遠の命を得ていると言う事と、神の御子の名を信じているという言葉は同じことを意味しているのです。すなわちイエス様を信じる人はすでに永遠の命を得ているのです。その内にイエス様をすなわち永遠の命を持っているのです。
そして次にヨハネは、願い事について語ります。14節と15節です。
1ヨハ
5:14 何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。
1ヨハ
5:15 わたしたちは、願い事は何でも聞き入れてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既にかなえられていることも分かります。
ヨハネたちの信仰の大きな力は、何事でも神の御心に適うことを願うならば、神様はそれを聞き入れてくださると言う信仰です。確かにヨハネたちはそれを信じて、それを願っていたのだと思います。そして、神様が何でも聞き入れてくださるならば、それは神様に願ったことがまだかなえられていなくても、すでにかなえられているのと同じであると言うのです。これほどまでの信仰をもつことはなかなかのものです。私たちは祈りがまだ届かないのではないかと思って、何度も同じことを祈ったりしますが、一度祈ったことはかなえられた、あとは結果を見るだけだと信じていれば、何度も同じことを祈る必要はなくなります。もうすでにかなえられているからです。ヨハネたちのように、神様は、御心に適うことならば、何でも聞き入れてくださると確信することができれば、なんとすばらしい信仰をもつことができるでしょうか。私たちもそれを目指していきたいと思います。
神様に聞き入れられる願いを、どのように祈るのかと言う事が次に書かれています。その願いとは自分のための願いではないのです。それは、神様の御心に適う願いなのです。16節と17節です。
1ヨハ
5:16 死に至らない罪を犯している兄弟を見たら、その人のために神に願いなさい。そうすれば、神はその人に命をお与えになります。これは、死に至らない罪を犯している人々の場合です。死に至る罪があります。これについては、神に願うようにとは言いません。
1ヨハ
5:17 不義はすべて罪です。しかし、死に至らない罪もあります。
ここでは、何を祈るのかと言うと、死に至らない罪を犯している兄弟を見たら、その人のために願いなさい、と言っているのです。死に至らない罪とはどういう意味でしょうか、死刑にはならない程度の軽い罪でしょうか。そのようなものとは違うのです。死に至らない罪とは、まだ神様から離れていないけれども、罪を犯してしまったという罪なのです。ですから、そこには悔い改めを含んでいるような罪なのです。そのような罪を犯したけれども自分の罪を悔い改めて神様につながろうとしている兄弟を見たら、その人のために執成しの祈りをしなさいと言う事です。そうすれば神様はその人に命をお与えになります、と言っています。これはイエス様の救いをお与えになる、と言う事です。その人の心にイエス様を住まわせてくださると言う事です。一方、死に至る罪を犯している人に対しては、神様に救いを願うようにとは言いませんと言っています。すなわち、悔い改めようとせず、神様に近づこうとしない人々のために祈るのは、神様の御心ではないと言っているのでしょう。ですが、これはイエス様が、汝の敵を愛せよと言い、7の70倍まで許しなさいと言った言葉に反します。これは後世に、教会の人達が書き加えた言葉ではないかと言われています。
ヨハネは不義は全て罪であると言いました。不義とは、神様が良しとしないことです。すなわち神様の御心にかなわないことは全て罪であると言っているのです。ですがその罪のすべてが死に至る罪ではないと言っているのです。罪を犯しても悔い改めようとするならば、それは死に至る罪とはならないのです。完全に神様から離れることはないのです。死に至る罪とは、悔い改めようとしない罪です。神様もイエス様も全く無視する罪なのです。
転
さて、これで本文は終わりです。18節から21節は、最後のまとめと言った感じになっています。そこには同じ言葉の繰り返しがあります。それは、「私たちは知っています」と言う言葉です。1節ごとにこの言葉が繰り返されて、3回繰り返されます。それは今まで語られたことの総まとめであり、今まで語られてきたことから、私たちはもうこのことを知っています、と言っているのです。ですから、これは総まとめなのです。最後にくぎを刺して、もう知っていますよねと言っているのです。ではその最後のまとめの言葉を学んでみましょう。18節から21節です。
1ヨハ 5:18 わたしたちは知っています。すべて神から生まれた者は罪を犯しません。神からお生まれになった方が、その人を守ってくださり、悪い者は手を触れることができません。
1ヨハ 5:19 わたしたちは知っています。わたしたちは神に属する者ですが、この世全体が悪い者の支配下にあるのです。
1ヨハ 5:20 わたしたちは知っています。神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました。わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。
1ヨハ 5:21 子たちよ、偶像を避けなさい。
最初の知っていますという言葉は何かというと、すべて神から生まれたものは罪を犯しません。と言う事です。神から生まれたものとは、特別に信仰のあるものと言う事ではなく、互いに愛し合うもののことです。すなわち、互いに愛し合うものは罪を犯さないことを知っていると言う事です。
2番目の知っていますと言うのは、この世は悪いものの支配下にあり、自分たちはその中で神に属するものである、と言う事を知っていると言う事です。この世を愛する者は、その悪いものを愛する事です。信仰をもつものはこの世ではなく、神の国を愛するのです。
3つ目の知っているというのは、神の子イエス・キリストが現れ、自分たちはその内にいることを知っているというのです。そしてその方こそ真実の神であり、永遠の命であると言う事を知っていると言ったのです。
ヨハネはこの3つのことを伝えるためにこの手紙を書きました。そしてその最後の言葉は、子たちよ、偶像を避けなさい、と言う言葉で終わっているのです。偶像と言うのは、単に何かの像があると言う事ではないのです。偶像の反対は、真の神様です。すなわち真の神様でないもの、偽物の神様のことを偶像と言うのです。ですから、偶像を避けなさい、と言うのは、真の神様でないものを大切にしてはいけない、それを拝んだりあがめたりしてはいけないと言う事なのです。結局はそれは真の神様だけをあがめなさいと言う事です。私たちはこの世の生活をしている中で、いつの間にかこの世の大切なものに心を奪われ、それよりも大切な神様のことを忘れてしまうことがあります。それは偶像にとらわれてしまったことです。そのようなことの無い様に偶像を避けなさいと言っているのです。まことの神様だけをあがめなさいと言ってこの手紙を終えているのです。
結
これでヨハネの第一の手紙は終わりました。この手紙では愛し合う事について、永遠の命について、多くの教えられることがありました。イエス様が永遠の命です。私たちはその永遠の命を私たちの内にもって生きるものなのです。そして互いに愛し合うものとなり、神様から生まれたものとして、新しい命に生きるものとされたのです。私たちは皆神様の子供です。私たちは神様から生まれた兄弟たちなのです。私たちが愛するのは神の国であってこの世ではありません。これらのことをヨハネから繰り返し教えられてきたのです。このことを忘れずに、互いに愛しつつ、神の国を目指して歩んでいきましょう。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、私たちはあなたから生まれたあなたの子供たちです。あなたは私たちに互いに愛する者となり、イエス・キリストの永遠の命に生きることを与えてくださいました。この命以外に私たちの生きる命はありません。どうかこの世のものに惑わされることなく、自分の利害損得にとらわれることなく、互いに愛する者として、あなたの御国を目指して歩んでいくことができますように。次に学ぶヨハネの第二、第三の手紙でもあなたのみ言葉が与えられますように。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ヨハネの手紙一)>>
◆永遠の命
1ヨハ 5:13 神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。
1ヨハ 5:14 何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。
1ヨハ 5:15 わたしたちは、願い事は何でも聞き入れてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既にかなえられていることも分かります。
1ヨハ 5:16 死に至らない罪を犯している兄弟を見たら、その人のために神に願いなさい。そうすれば、神はその人に命をお与えになります。これは、死に至らない罪を犯している人々の場合です。死に至る罪があります。これについては、神に願うようにとは言いません。
1ヨハ 5:17 不義はすべて罪です。しかし、死に至らない罪もあります。
1ヨハ 5:18 わたしたちは知っています。すべて神から生まれた者は罪を犯しません。神からお生まれになった方が、その人を守ってくださり、悪い者は手を触れることができません。
1ヨハ 5:19 わたしたちは知っています。わたしたちは神に属する者ですが、この世全体が悪い者の支配下にあるのです。
1ヨハ 5:20 わたしたちは知っています。神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました。わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。
1ヨハ 5:21 子たちよ、偶像を避けなさい。