賛美歌18心を高く上げよう聖書朗読 祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り 賛美歌24たたえよ、主の民
起
今日の聖書の個所の小見出しは、互いに愛し合いなさいと言う事で、キリスト教の中心テーマになっています。先週のテーマは何だったかと言うと、神の子たちと言う小見出しがついていましたが、罪を犯すものと義を行うものとの対比が語られていました。そして何が義で、何が罪かが語られてきたのです。そして、先週学んだか所の最後の言葉10節の言葉が今週の最初の言葉、なぜなら、と言う言葉にかかってきます。その10節にはこう書かれています。「神の子たちと悪魔の子たちの区別は明らかです。正しい生活をしないものは皆、神に属していません。自分の兄弟を愛さないものも同様です。」すなわち、神の子か悪魔の子かの区別は正しい生活をし、兄弟を愛するかどうかで、区別されると言う事です。そしてその理由を今日学ぶ最初の言葉、なぜならと言う言葉に引き継いで語っているのです。
今週のテーマは互いに愛し合いなさいですが、その内容は、愛する者と憎むものの対比として書かれています。先週の罪を犯すものと義を行うものとの対比とよく似ています。愛は生かすもの憎むものは殺すものです。その代表として、カインのことが書かれています。カインは弟アベルを憎んで殺してしまいました。愛は命であり、憎むものすなわち罪は死なのです。
キリスト教がどうしてこんなにも互いに愛することを教えるのかが私にも少しわかってきたような気がします。互いに愛すれば平和に幸せに過ごすことができるというようなきれいごとではないのです。愛することだけが命とつながるのです。その命のためには愛する者は自分の命を捨てることも出来るのです。その命とは永遠の命です。愛することは永遠の命につながっているのです。この永遠の命だけが時空を超えて続いているのです。ほかのものは皆滅び去ってしまいました。だからイエス様はこの永遠の命につながるようにと教えてくださっているのです。この永遠の命を生み出す愛は、神様のもとからやって来ているのです。ですから、愛する者は神を知り永遠の命を知るのです。イエスキリストを信じる者は永遠の命を得ると語られています。それはこのイエス様が、自分の命を捧げてまでも愛することが永遠の命につながることを教えてくださっているからです。ですからイエス様を信じる者は永遠の命を得るのです。このことをヨハネも知りました。そして私たちに互いに愛するようにと教えているのです。これがまず最初の一歩です。これが神の子としての最初の一歩なのです。そのことをヨハネは私たちに丁寧に語っているのです。
承
今日の聖書の個所は先週の個所の、神の子か悪魔の子かの区別は正しい生活をし兄弟を愛するかどうかで、区別されると言う言葉を受けて始まります。11節と12節です。
1ヨハ
3:11 なぜなら、互いに愛し合うこと、これがあなたがたの初めから聞いている教えだからです。
1ヨハ
3:12 カインのようになってはなりません。彼は悪い者に属して、兄弟を殺しました。なぜ殺したのか。自分の行いが悪く、兄弟の行いが正しかったからです。
ヨハネは、互いに愛し合うことが、神の子となる道であることを、あなたたちは、はじめから聞いていることではないかと言います。キリスト教は原始キリスト教の時代から、互いに愛し合うことを基本的な教えとして受け継いできたのです。そして愛する事の反対、すなわち憎むものになってはいけないことを言います。その代表としてカインのようになってはいけないというのです。カインは弟のアベルが神様から喜ばれたことに嫉妬して憎みそして殺してしまいました。なぜカインは弟のアベルを殺してしまったのでしょうか。ヨハネはそれを、カインが悪いものに属していたからだと言います。悪い者とはサタンのことであり、カインは悪魔の子となっていたからだと言っているのです。そして殺した理由を、自分の行いが悪く、兄弟の行いが正しかったからだと言っているのです。すなわち正しいものは自分が相手に何も悪いことをしていなくても、悪いものから憎しみを買い、殺されることもあるのだと言うのです。なぜ悪いことをしていなくても憎しみを買ってしまうのでしょうか。それは正しいものの行いが、悪いものの行いを無言のうちに、あなたは悪いと、裁いているからなのです。
このことを受けて、ヨハネはクリスチャンは世から憎まれるものであることを、こう語ります。13節から15節です。
1ヨハ
3:13 だから兄弟たち、世があなたがたを憎んでも、驚くことはありません。
1ヨハ
3:14 わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。兄弟を愛しているからです。愛することのない者は、死にとどまったままです。
1ヨハ
3:15 兄弟を憎む者は皆、人殺しです。あなたがたの知っているとおり、すべて人殺しには永遠の命がとどまっていません。
カインがアベルを憎んで殺してしまったように、あなた方は世に対して何の悪いこともしていなくても、世があなた方を憎んでも驚くことはないというのです。なぜならば、アベルが正しいことをしたように、あなた方も神に対して正しいことをし、世が、カインのように罪に満ちたことをしているのだから、世はあなた方を見て、自分が裁かれる思いを抱いて、きっとあなた方を憎むに違いない。だから驚くことはありませんと言っているのです。クリスチャンは地の塩、世の光であるのだけれども、それでいて、世から憎まれる存在なのだと言っているのです。
ヨハネは、私たちが、死から命へ移ったものであることを知っていると言います。私たちはその様に自覚しているでしょうか。何をもってそうだと言うのでしょうか。それは兄弟を愛しているからだと言います。世の人々のように、愛する事のないものは、死にとどまったままだと言うのです。ここの言葉でわかるように、ヨハネの語っている生と死は、生物学的な生と死ではないのです。魂の生と死なのです。霊魂の生と死なのです。ですから永遠の命と言うのも、生物学的な永遠の命ではなく、霊魂の永遠の命のことを言っているのです。兄弟を愛する者は、この霊魂の永遠の命につながっていると言う事なのです。それは神につながっていることをも意味します。
そしてヨハネは、兄弟を憎むものは皆、人殺しだと言っています。憎むものは何時しかお互いに殺しあうものになるのです。ですから永遠の命につながるはずはないのです。そして滅びに至るのです。ただ愛する者だけが命を得て、永遠の命へとつながっていくのです。だからイエス様は、私たちに互いに愛し合いなさいと教え、ヨハネもまたその愛の伝道を行っているのです。
そしてヨハネは、イエス様のことを語りました。私たちもイエス様に倣う者となるようにと語るのです。16節から18節です。
1ヨハ
3:16 イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。
1ヨハ
3:17 世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。
1ヨハ
3:18 子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。
わたしたちは、愛と言うものがどういうものであるかぼんやりと知っていても、これこそが本当の愛なのだというものを知りません。それを教えてくださったのがイエス様なのです。イエス様は私たちを愛して、その罪から救い出すために、自分の命を捨ててくださったのです。そのことを当時の人々は大きな衝撃を持って受け止めたのです。イエス様はこの様な取るに足りない私のためにもその命を捧げて死んでくださった、と言う思いはとても強かったのです。そしてこれこそが本当の愛であるという思いを強くしたのです。だから私たちも、イエス様のその愛を知ったならば、兄弟のために命を捨てるような愛を持とうではないかとヨハネは語っているのです。これこそが神の愛だからと言っているのです。
世の富を持ちながら、兄弟の窮乏に同情しないならば、どうしてその神の愛がそのようなもののうちにとどまるだろうかと言っています。神の愛は、命を捨てないまでも、身を削ってでも人々に同情し捧げる愛を示すのだと言うのです。わたしたちにもそのような姿勢が求められるのです。キリストに似たようなものになることこそ、私たちの目標なのです。
キリスト教と言うのは、行動の宗教なのです。自分だけが救われるために教会に行くのではなく、教えられた愛を実行することが大切なのです。ヨハネは、子たちよ、言葉や口先だけでなく、行いをもって誠実に愛し合おうと言い、その愛を実行することを強く求めているのです。
転
ヨハネは、私たちがその愛を実践するならば、自分が真理に属していることを語ります。そしてそれはどのようなことをもたらすのかを語るのです。19節から22節です。
1ヨハ 3:19 これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます、
1ヨハ 3:20 心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。
1ヨハ 3:21 愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ、
1ヨハ 3:22 神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。
このように、ヨハネは私たちが兄弟を愛する事を行うならば、自分が真理に属していることを知って、神のみ前で安心できると言います。神様の御前で安心できることこそ救いなのです。私たちはこのことを目指して信仰をしているのです。真理に属しているとは、愛こそが真理であると言う事を知っていると言う事です。
たとえ私たちに、まだ罪の思いが残っていて、心に責められることがあっても、神様はただ単にそれを責めるのではなく、私たちの心よりもずっと大きな心で、すべてをご存じで受け入れてくださっていると、ヨハネは言います。
また、もし心に責められることのない清い心を持つならば、神様の御前で確信を持つことができ、神様に願うことは何でもかなえられます、と、約束しています。私たちは祈れば何でもかなえられると思って祈りますが、そこには条件があります。心に責められることのない清い心で祈ることが大切なのです。そのような心の人は全てかなえられるのです。そのような心の人は全て神様の御心をもって祈るからです。そのことをヨハネは、私たちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからですと語っています。
そしてヨハネはその神の掟について語ります。23節と24節です。
1ヨハ 3:23 その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、この方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです。
1ヨハ 3:24 神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。神がわたしたちの内にとどまってくださることは、神が与えてくださった“霊”によって分かります。
ヨハネは、神の掟を守って祈る人にはその祈りがかなえられると言っていますが、その神の掟とはどのようなものでしょうか。それは、神の子イエス・キリストの名を信じ、この方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです、と語っています。すなわち、イエス・キリストを信じ、互いに愛し合うことを行うならば、神様に願うことは何でもかなえられるというのです。かなえられなければ、まだ信じ愛し合うことが不足しているのかもしれません。
この神の掟を守る人は、いつも神の内にとどまり、神様もその人のうちにとどまってくださると言うのです。キリスト教で大切なことは、この掟、イエス・キリストを信じ、兄弟を愛する事なのです。そうすれば、神様が私たちの内にいてくださって、願うこともかなえられると言う事です。もし私たちが、神の霊に満たされるならば、神様が私たちとともにいてくださることがそれによってわかると言います。私たちに必要なことはただ、この神の掟を守ることです。
結
キリスト教の大切な教え、互いに愛し合うことは神様の掟です。神様の掟はイエス・キリストを信じ、互いに愛し合うことです。そのことによって、神様は私たちの内に住んでくださり、私たちの願いは神様によってかなえられるようになります。そして聖霊に満たされることによって、私たちは神様が私たちとともにいてくださることが分かるのです。行うことは神の掟を守ることだけです。決して難しい教理や解釈ではありません。わたしたちにはその行動が求められているのです。決断し実行する事です。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、今日は互いに愛し合いなさいと言う事を教えられました。それは神様の掟です。この掟を守るものには、神様に願うことが何でもかなえられると言う恵が与えられます。私たちはそのことを信じて祈ります。どうかわたしたちがこの掟を守り、イエス様を信じて、互いに愛し合うものでありますように。憎むものはこの教えから遠いものです。憎むものには死がやってきます。滅びです。どうかいつも愛の内にいることができますように。そして永遠の命につながることができますように。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ヨハネの手紙一)>>
◆互いに愛し合いなさい
1ヨハ 3:11 なぜなら、互いに愛し合うこと、これがあなたがたの初めから聞いている教えだからです。
1ヨハ 3:12 カインのようになってはなりません。彼は悪い者に属して、兄弟を殺しました。なぜ殺したのか。自分の行いが悪く、兄弟の行いが正しかったからです。
1ヨハ 3:13 だから兄弟たち、世があなたがたを憎んでも、驚くことはありません。
1ヨハ 3:14 わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。兄弟を愛しているからです。愛することのない者は、死にとどまったままです。
1ヨハ 3:15 兄弟を憎む者は皆、人殺しです。あなたがたの知っているとおり、すべて人殺しには永遠の命がとどまっていません。
1ヨハ 3:16 イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。
1ヨハ 3:17 世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。
1ヨハ 3:18 子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。
◆神への信頼
1ヨハ 3:19 これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます、
1ヨハ 3:20 心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。
1ヨハ 3:21 愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ、
1ヨハ 3:22 神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。
1ヨハ 3:23 その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、この方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです。
1ヨハ 3:24 神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。神がわたしたちの内にとどまってくださることは、神が与えてくださった“霊”によって分かります。