家庭礼拝 2018年11月14日 ヨハネⅠ 2:28-3:10 神の子たち

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起 

今日の聖書の個所は、私たちが神の子であることを語っています。いったいどうして私たちが神の子なのでしょうか。わたしたちが教えられた主の祈りでも、天の父なる神様、と語ることをイエス様から教えられていますから、確かに私たちは神の子とされたのでしょう。でもなかなかそのことを真に受けない人が多いのです。教会などで祈る時にも、私たちの父なる神様と祈るのではなく、わざわざイエスキリストの父なる神様、としか祈らない信者のいることも確かです。聖書が私たちに私たちの父なる神様と祈るように教えているのに、頑として受け付けず、神様はイエス・キリストの父なる神様なのだと主張しているような祈りをする人もいるのです。それが謙遜な受け止め方だと考えて、神様を私の父なる神様と祈ることはまるで不遜なことだと思っているような人もいるのです。

確かにそれもわからないではないのです。この様なものがどうして神の子と呼ばれていいものだろうかと言う思いもあるのです。私も聖書を読んでいて、自分が神の子なんだと知った時にはショックでした。そしてなかなかそれを素直には受け止められませんでした。でもいつしかその驚きが、喜びに変わりました。今日はヨハネが私たちが神の子であることを丁寧に説明しています。その神の子とはどういうものであるのかをヨハネの言葉から学んでいきたいと思います。そして私たち自身が、確信をもって、自分を神の子であると、語れるようにしたいと思います。

ヨハネはまず、本題に入る前にこう言いました。1節と2節です。

1ヨハ 2:28 さて、子たちよ、御子の内にいつもとどまりなさい。そうすれば、御子の現れるとき、確信を持つことができ、御子が来られるとき、御前で恥じ入るようなことがありません。

1ヨハ 2:29 あなたがたは、御子が正しい方だと知っているなら、義を行う者も皆、神から生まれていることが分かるはずです。

わたしたちが信仰の確信を持つことができるようになるためには、いつも御子のうちにとどまることが大切であることを語っています。そしてその確信は御子が現れるときに証明されるのです。もし私たちがそのことを疑っていたならば、御子が現れた時に恥じ入ることになるだろうと言っています。そして、御子が正しい方であるならば、義を行うものもまた、御子と同じく神様から生まれていることが分かるはずだと言うのです。ここから、神の子の考えが出てきます。御子と同じことをするものは御子と同じ神から生まれた神の子だと言うことなのです。

ヨハネは私たちがなぜ神の子なのかと言う事を説明することなく、すでに既定の事実として神の子なのだと話を進めます。3章の1節と2節です。

1ヨハ 3:1 御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。

1ヨハ 3:2 愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。

 ヨハネは、神様が私たちのことを神の子と呼んでいるというのです。それはイエス様が私たちのことを神の子だと語ったことによるのかもしれません。そして、私たちが神の子と呼ばれるほどに、父なる神様は私たちを愛してくださっているのだと言う事を、よく考えなさいと言いました。私たちが神の子であることを自覚しなさいと言う事です。そして、世の人が私たちのことを神の子と認めることが出来ないのは、私たちを愛してくださる神様のことを知らないからなのだと語っているのです。もし神様が、私たちをどんなに愛しているのかを知ったならば、きっと神の子と認めるに違いないと言っているのです。

そしてヨハネは、私たちがすでに神の子であることを認めたうえで、これからどうなるかと言う事に関しては、まだ示されていないと言います。ですが一つだけはっきりしているのは、御子が現れるときには、私たちが御子と似たものとなると言う事を知っていると言います。どうしてこのように言い切れるのか、私たちにはわかりません。ですがヨハネは、御子イエス・キリストをいつも見つめ続ける中で、もし御子が現れたならば、自分自身は御子の内に取り込まれて御子に似たものとなると言う事を知っていたのだと思います。それほど何時もイエス様を見続けていたのだと思います。私たちもいつもイエス様を見続けていると、きっとそのような一つになる確信に満たされるのだと思います。

 そしてヨハネは、罪を犯すものとの違いをこのように語るのです。3節から6節です。

1ヨハ 3:3 御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。

1ヨハ 3:4 罪を犯す者は皆、法にも背くのです。罪とは、法に背くことです。

1ヨハ 3:5 あなたがたも知っているように、御子は罪を除くために現れました。御子には罪がありません。

1ヨハ 3:6 御子の内にいつもいる人は皆、罪を犯しません。罪を犯す者は皆、御子を見たこともなく、知ってもいません。

 まずヨハネは、御子が現れる時には御子と似たようなものになれるとの希望を持っている人は、皆、御子が清い様に、自分自身も清くなりますと言います。イエス様は山上の説教で、心の清いものは神を見るだろうと言いましたが、ヨハネは、御子に望みをかけるものは、御子のように清いものになるだろうと言うのです。そしてその清いものが神を見ることになるのです。信仰をもつものにはこの清さが大切なのです。穢れたままでは本当の信仰には入ることが出来ないのです。本当に神を見る事は出来ないのです。きっとヨハネはこれが出来た人なのです。

 そしてヨハネは、罪を犯すものは皆、法にも背くと言いました。罪とは神様の御心から離れることです。逆らうことです。法とは律法のことで神様の戒めのことです。ですから当然のように、神様から離れて罪を犯すものは、神様の戒めである律法に背いているのです。これはただここだけ読んでも良くわからないのですが、この時代背景として、教会にはグノーシス的な異端思想が入り込んで、自分たちは神様を知っており、神様は霊的なものである。自分の本質もまた霊的なものである。だから、体がいくら罪を犯しても、それは霊的な自分が罪を犯したことにはならない、と言った考え方があったのです。ですからヨハネはそのような人たちを意識して、肉体的な罪を犯すような人々は神様の律法からも背いていると言っているのです。

 そしてヨハネはイエス様のことを語りました。イエス様は、罪を除くために現れましたと語りました。イエス様はこの世の人々を救うために現れたと言う事はどんな信仰者でも知っています。でも救いと言う事がどんなことであるかを知っている人はあまりいません。苦しいことや悲しいことが取り除かれることが救いだと思たり、願い事がかなえられることが救いだと思っている人もいます。そうではないのです。救いとは罪から解放されることなのです。罪から救われることなのです。ですからヨハネはイエス様は罪を除くために現れましたと言うのです。そしてそのイエス様に罪を除かれた人たちは、もう罪を犯すことはなくなるのです。ところが、体は邪悪なものだからその体で罪を犯しても心は罪を犯していないと言っているような人たちは、イエス様のことを見たこともなく知っていることもないと言い切るのです。もしイエス様のことを知っているならば、そんなことを言うはずがないというのです。罪を犯すものは、イエス様のことも神様のことも知らないのです。

 そしてヨハネは、教会の信仰者たちに一番言いたかったことを語ります。それは、罪を犯すものに惑わされてはいけないと言う事です。この罪を犯すものとは、この肉体は穢れたもので、メシアが肉体をまとうはずはないと言って、イエス様のメシア性を否定し、肉体的な罪を犯しても精神が清ければいいのだから、肉体的な欲望は満たしてもよいとするような者たちです。このような教えを語る者たちをグノーシスと呼んで、頭だけで信仰を理解するような人たちだったのです。そのような人たちに惑わされてはいけないというのが、ヨハネの言いたかったことなのです。7節から10節にこう書いてあります。

1ヨハ 3:7 子たちよ、だれにも惑わされないようにしなさい。義を行う者は、御子と同じように、正しい人です。

1ヨハ 3:8 罪を犯す者は悪魔に属します。悪魔は初めから罪を犯しているからです。悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたのです。

1ヨハ 3:9 神から生まれた人は皆、罪を犯しません。神の種がこの人の内にいつもあるからです。この人は神から生まれたので、罪を犯すことができません。

1ヨハ 3:10 神の子たちと悪魔の子たちの区別は明らかです。正しい生活をしない者は皆、神に属していません。自分の兄弟を愛さない者も同様です。

 ヨハネは教会の信者たちに、子たちよ、だれにも惑わされないようにしなさい、と言いました。この時代はそのような新しい考え方を良いと思って、信仰から離れていく人が多く出てきたのです。その様な中で、教会の信仰者に対して、義を行いなさいと言うのです。義とは神様が正しいとしていることです。その義を行うものが、イエス様と同じように正しい人であると言っています。その義とはイエス様が教えてくださった教えだからです。その教えをしっかり守って惑わされてはいけないというのです。

 そしてヨハネは、罪を犯すものは悪魔に属しますと言いました。罪とは神様から離れることであり、悪魔とは神様から離れるように誘惑するものです。惑わすものです。その悪魔の誘惑を滅ぼすために、イエス様が表れて、罪からの解放を与えてくださるのが、救いと言う事です。

 ヨハネは良く、神から生まれるという言葉を使います。ここでも、神から生まれた人は皆、罪を犯しません、と語っています。1ヨハ 4:7では、

1ヨハ 4:7 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。

と語っています。愛する者は、皆、神から生まれ、神を知っていると言いました。今日の聖書の個所では、神から生まれた人は皆、罪を犯しませんと語っています。神から生まれると言うのは、神の性質を持っていると言う事です。子が親の性質を引き継ぐように、神から生まれたものは、神様の性質を引き継ぐのです。この神から生まれたものこそ信仰者であり、神の子なのです。神から生まれた人が罪を犯さないのは、神の種がこの人のうちに何時もあるからです、と言っています。この種とは何を言うのでしょうか。ほかの聖書の個所では、この種と言う言葉が子孫を意味したり、家族を意味したりしているところもありますが、私はこの種とはDNAのことだと思います。すなわち遺伝子です。神から生まれ、神の遺伝子を持つ者は罪を犯すことないし、罪を犯すことも出来ないと言っているのです。

 そして最後に、神の子たちと悪魔の子たちの区別について語りました。その区別は明らかだと言うのです。その区別は正しい生活をし、自分の兄弟を愛するかと言う事です。そのことが出来ないものは悪魔の子であり、それを行っているのが神の子だと言いました。私たちは果たしてどちらなのでしょうか。恵みによって、神の子とされているのだと思います。

 ヨハネはこのように、私たちが神の子であることを語りました。神の子であると言う事は、私たちが神から生まれ、神の性質を持っていると言う事です。それは正しい生活をして、隣人を愛する者であると言う事です。これが出来ないならば、いくら立派なことを言ってもそれは悪魔の子であり、正しいものを誘惑する者たちです。その誘惑に陥らないように、私たちは、いつも御子イエスの内にとどまるようにしなければならないのです。

 私たちは、神から生まれた神の子であり、神の性質をもって正しく生きるものであることを今一度噛み締めて歩んでいきたいと思います。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。私たちは御子イエス様によって、あなたの子とされました。ヨハネは私たちがあなたから生まれた神の子であると教えてくれました。そして神から生まれたものは罪を犯すことが出来ないと教えてくれました。わたしたちには恐れ多い言葉ですが、それを否定することもまた恐れ多いことです。どうかわたしたちがあなたの子としての性質を十分に理解し、あなたの子としての歩みをしていくことができますように。私たちの思いで、不可能に思えてもどうかあなたの御力で、可能なものとしてください。あなたがこのように私たちを愛してくださっていることに感謝いたします。

この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


<<聖書の箇所(新約聖書:◇ヨハネの手紙一)>>

◆神の子たち

1ヨハ 2:28 さて、子たちよ、御子の内にいつもとどまりなさい。そうすれば、御子の現れるとき、確信を持つことができ、御子が来られるとき、御前で恥じ入るようなことがありません。

1ヨハ 2:29 あなたがたは、御子が正しい方だと知っているなら、義を行う者も皆、神から生まれていることが分かるはずです。

1ヨハ 3:1 御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。

1ヨハ 3:2 愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。

1ヨハ 3:3 御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。

1ヨハ 3:4 罪を犯す者は皆、法にも背くのです。罪とは、法に背くことです。

1ヨハ 3:5 あなたがたも知っているように、御子は罪を除くために現れました。御子には罪がありません。

1ヨハ 3:6 御子の内にいつもいる人は皆、罪を犯しません。罪を犯す者は皆、御子を見たこともなく、知ってもいません。

1ヨハ 3:7 子たちよ、だれにも惑わされないようにしなさい。義を行う者は、御子と同じように、正しい人です。

1ヨハ 3:8 罪を犯す者は悪魔に属します。悪魔は初めから罪を犯しているからです。悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたのです。

1ヨハ 3:9 神から生まれた人は皆、罪を犯しません。神の種がこの人の内にいつもあるからです。この人は神から生まれたので、罪を犯すことができません。

1ヨハ 3:10 神の子たちと悪魔の子たちの区別は明らかです。正しい生活をしない者は皆、神に属していません。自分の兄弟を愛さない者も同様です。