家庭礼拝 2018年10月31日 ヨハネⅠ 2:1-17 新しい掟

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起 

このヨハネの手紙は、ヨハネが100歳ごろに書かれたと言われています。ヨハネはとても長生きしました。ですから12弟子の中で一番生きていたと思います。教会にいる人たちはたとえ長老であっても、ヨハネから見たら皆子供のようなものだったと思います。ヨハネはとても慈愛に満ちたおじいさんになっていたのです。年をとればとるほどその慈愛が増し加わってくるような生き方が出来ると言うのは本当に不思議なことです。普通は年を取ると、頑固な年寄りになってしまうのです。若い者からバカにされまいとして、自分の若い時はこうだったと言い、若い人たちに自分のほうが正しいと説教をして、嫌われるのです。ですがヨハネはそのような人たちとは全く違っていました。愛と慈しみに満ちて、愛する者たちと呼びかけ、子たちと呼びかけ、教えたり説教したりするのではなく、このことはこうなのですよと、噛んで含めるようにただ事実のみを語るのです。私もヨハネのように年を取ることが出来たら幸せだと思っています。

なぜ、ヨハネはこのような年の取り方が出来たのでしょうか。それは愛を知っているからです。愛は光です。ともし火です。ですから、愛のある人にはつまづきがないのです。どのようなことがあっても間違いのない歩みが出来るのです。ところが愛のない人にはその人生は闇を歩んでいるようなものです。自分がどこにいるのかどこに向かっているのかもわからず、いつも怒りや憎しみに満ちて、つまづいてばかりいるのです。ヨハネはこの愛と罪の対比を光と闇として、とてもよく語っています。この人生を恐れることなく、怒ることなく、迷うことなく歩んでいくためには愛があればよいのです。愛は光であり灯火であり、私たちがつまづかないで歩むことができるようにする、最高のものです。そしてこの愛は、神なのです。神は愛なのです。ヨハネはこのことを語っているのです。私たちもまた、この愛を知って光の中を歩んでいくものとなるのです。

ヨハネはまず、私の子たちよと呼びかけて、この手紙の目的を語り出しました。1節と2節です。

1ヨハ 2:1 わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。

1ヨハ 2:2 この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。

 ヨハネにとって、教会の人達は皆子供の様に愛すべきものでした。ですから老若男女すべての人に対して、私の子たちよと呼びかけているのです。そしてこの手紙の目的を、あなた方が罪を犯さないようになるためです、と言いました。このヨハネの語り口調は、ヨハネ独特のものです。普通ならば、あなた方は罪を犯してはならない、と説教口調になるところを、これらのことを書くのは、あなた方が罪を犯さないようになるためです、と語るのです。これを聞く者たちは、何の抵抗もなくその言葉を受け入れてしまうのです。なぜならば、それが自分たちの成長のためになることを自分で発見できるからです。

この語り口調は次の小見出しの◆新しい掟、のところでは何度も出てきます。愛する者たち、わたしがあなたがたに書いているのは、とか、子たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、とか、父たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、とか、若者たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、とかと言う語り口調が繰り返し出てくるのです。それはさも手紙の目的を書いているようで、本当は相手に対する要望事項を語っているのです。

本文に戻ると、これらのことを書くのは、あなた方が罪を犯さないようになるためです、と語った後、たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエスキリストがおられます、と語ります。人は誰でも罪を犯すと考えているのがヨハネの考えです。ですから、一部の人が自分は罪を犯したことがないと語ることを真実ではないと非難します。人は罪を犯してしまうのだけれども、一方で、その罪を救ってくださる方がおられることをも言います。その方こそ、神様のもとにおられる弁護者であり、正しい方であるイエス様であると言うのです。そしてヨハネは、このキリストであるイエス様が、私たち信仰者の罪ばかりでなく、全世界の罪を償う方でありそのためにいけにえとして、捧げられた方であると言うのです。これは全く新しい考え方でした。罪を救うキリストの考えはユダヤ教にもありました。ですがそれはユダヤ人を救うのみでした。ヨハネの語るキリストは人種の枠を超えて、全世界の人類の罪を救うと言うのです。そしてこれは単に人種だけではなく、ユダヤ人が罪びととする、多くの人々をも救うと言っているのです。これが全く新しい考え方なのです。その方がその贖いとして、自分自身をいけにえとしてささげた、と言うのがヨハネの考え方です。ここにイエス・キリストとはいかなる方であるかが、詳しく説かれているのです。

そして、神を知っていると言う事がどういうことを表すのかを語ります。3節から6節です。

1ヨハ 2:3 わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。

1ヨハ 2:4 「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。

1ヨハ 2:5 しかし、神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。これによって、わたしたちが神の内にいることが分かります。

1ヨハ 2:6 神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。

 ヨハネがなぜこのようなことを語ったのかには理由があります。当時の教会にはグノーシスと言う異端的教えが広まっており、自分たちは哲学的根拠を持って「神を知っている」と言う人々がいたのです。その人々は、さらに自分たちには罪がないとさえ言っていたのです。ですからここで語られていることはそのような、教会の中で広がっている異端的教えを意識して語っているのです。

ヨハネはまず、「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません、と語ります。このグノーシスの人々は知識として神を知っていると言うだけで、本当に神様に従おうとはしていないのです。一方ヨハネは、神様を知っている人は、その掟を守るはずだと語っているのです。ヨハネの信仰には、神は愛であり、その愛を知る者は必ず、神様に従順に従うものとなると言う考えがあり、神様に従順になりえない人は神を知っているはずがないし、愛してもいないというのです。だからその人々は偽り者で、その人のうちには真理はないとさえ語ります。

一方、神の言葉を守るなら、その人のうちには神の愛が実現していると語ります。ですから、イエス様が歩まれたように、自らも歩まなければ、それは神様を知っているとは言えないと言っているのです。

 さてここからは、ヨハネが独特の語り口調で、新しい掟について語っていきます。とても大切な教えです。7節から11節です。

1ヨハ 2:7 愛する者たち、わたしがあなたがたに書いているのは、新しい掟ではなく、あなたがたが初めから受けていた古い掟です。この古い掟とは、あなたがたが既に聞いたことのある言葉です。

1ヨハ 2:8 しかし、わたしは新しい掟として書いています。そのことは、イエスにとってもあなたがたにとっても真実です。闇が去って、既にまことの光が輝いているからです。

1ヨハ 2:9 「光の中にいる」と言いながら、兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます。

1ヨハ 2:10 兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。

1ヨハ 2:11 しかし、兄弟を憎む者は闇の中におり、闇の中を歩み、自分がどこへ行くかを知りません。闇がこの人の目を見えなくしたからです。

 まず愛する者たち、と語りかけ、教会のすべての人に語り掛けているのです。それは新しい掟について語ろうとしているのですが、それはあなた方がすでに聞いたことのある言葉であり、古い掟であると言います。それは愛しなさいという教えなのです。ですがその言葉はイエス・キリストによって新しくされたというのです。そのことをヨハネは闇が去って、まことの光が輝いていると語ります。ここでヨハネは、光と闇を愛と罪に対比させて語ります。特にここではその罪を憎む罪として描いています。自分は神を知っている、光の中にいる、と言っていながら、兄弟を憎むものは今もなお闇の中にいると言うのです。なぜなら憎しみは闇でありつまづきなのです。愛する者は光であり、決してつまづくことはないのです。闇を歩く者は自分がどこに行くか分からず、光の中を歩むものは神様のもとに向かって進んでいるのです。

 イエス様は本当に神様を知っておられる方です。ですからイエス様は光であり、神様にどこまでも従順に従うのです。そしてその従順は、十字架までも続いていたのです。そこまで従順であるものがまことの光となって、私たちを照らしているのです。そこまでできなければ神様を知っているとは言えないのです。まず兄弟を愛する者となり、いつも光の中を歩いてつまづかないようにすることが大切であるとヨハネは語っているのです。

 そしてヨハネは愛する者たちよと言う呼びかけから、まず一回目の子たちよ、父たちよ、若者たちよと言う語り掛けに変わります。12節と13節です。

1ヨハ 2:12 子たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、/イエスの名によって/あなたがたの罪が赦されているからである。

1ヨハ 2:13 父たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、/あなたがたが、初めから存在なさる方を/知っているからである。若者たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、/あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである。

 ここで、語り掛けられている子たち、父たち、若者たちの三つの世代について語りかけているとも受け取れますが、実は内容的にはそのような差は特にないのです。どの世代の人にも共通に語られる言葉なのです。子たちよと言うのは、若者たちや父たちよりも若い世代と言うよりも、ヨハネから見ればすべての人が、子たちよと呼ばれる人たちなのです。その中に若者たちや父たちが含まれると考えたほうが良いようです。さらに父たちと若者たちに差があるかと言えば、それはあなた方は、父であり若者であると語っていると考えたほうがよさそうです。自分を父と考えなさい、そして自分を若者として聞きなさいと言っているような感じです。ですからそこにはあまり区別はつけないで、信仰者にとって大切なことを、親しみを込めて呼びかけながら語っていると受け止めたほうがよさそうです。

 まず子たちよと語りかけている言葉は、「イエスの名によって/あなたがたの罪が赦されているからである。」と語っています。これは全ての信仰者たちよ、あなた方はイエスの名によって、既に罪が許されている、と言っていると同じです。そして次に父たちよと語りかけているのは「あなたがたが、初めから存在なさる方を/知っているからである。」と言う言葉です。これは年に関係なく、父としての権威をもつものよ、あなた方は初めから存在するただ一人の神様を信じています、と言っていると同じ事です。いろいろな経験を経て、そしてただ一人の神様を信じるようになった人達への呼びかけです。そして若者よ、と呼びかける言葉は、これも年に関係なく、若者のように元気が良く又いろいろな誘惑にさらされやすい人たちです。だから、この人々には「あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである。」と語ります。これは、悪人に勝ったというよりも、人を誘惑するサタンに勝ったという意味だと思います。信仰によって誘惑に勝ったと言う事です。

 そして14節でまたほとんど同じことを繰り返し語ったります。それはあなた方はすでにただ一人の神様を信じており、み言葉によってサタンに打ち勝つことができるようになっているはずだ、と言う事を念を押しているのです。そのうえで世にあるものについてこう語ります。14節から17節です。

1ヨハ 2:14 子供たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、/あなたがたが御父を知っているからである。父たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、/あなたがたが、初めから存在なさる方を/知っているからである。若者たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、/あなたがたが強く、/神の言葉があなたがたの内にいつもあり、/あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである。

1ヨハ 2:15 世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。

1ヨハ 2:16 なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。

1ヨハ 2:17 世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。

 ヨハネは、世も世にあるものも、愛してはいけません、と語ります。今日の個所では二種類の愛するが語られています。一つは兄弟を愛する人たちの愛で、その人たちは光の中を歩み、もう一つは世にあるものを愛する人たちで、物質的な欲望の中を歩み、その人たちは闇の中を歩む人たちです。ですから、世を愛する人には、神様への愛がその人にはありませんと語られています。

 世を愛する者は、肉の欲、目の欲、生活のおごりをむさぼる人たちで、これは神様から出るものではないと言う事です。そしてこの世も世にある欲も過ぎ去っていき、ただ神の御心を行う人が永遠に生き続けることが語られます。この永遠の命とは、時間的な永遠とは違います。そこに永遠を感じて生きることができると言う事です。神様の御心を行う人たちだけが、本当に満たされて、永遠を感じて生き続けることができると言う事です。

  ヨハネは私たちに愛を説いてくれました。私たちは、自分がどう生きたらよいかわからないというつまづきを感じるときがあります。これに対して、ヨハネは明快に語ります。愛する者は光の中を歩み、つまづくことはないということです。そして目標をしっかり持ってまっすぐに歩むことができると言う事です。知識は何の役にも立たないかもしれません。グノーシスが陥ったように知識は惑わせるだけかもしれません。ですが愛は決して裏切らないのです。私たちが愛の道をしっかり歩むとき、ただそれだけで、最も確かな道を歩むことができるのです。決して迷ったり、つまづいたりすることはないのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様。兄弟を愛することがいかに幸いなことかを思います。それはその人たちのためではなく自分自身が光の中を歩むことになり、つまづくことのない人生を歩ませてもらえることです。神様どうかこのことをいつも心にとめて、隣人を愛し、あなたを愛する道をしっかり歩むことができますように。少しでも人生につまづきを感じたならば、この愛の足りないことを思いあなたにゆだねて、歩ませていただくことができますように。この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


<<聖書の箇所(新約聖書:◇ヨハネの手紙一)>>

◆弁護者キリスト

1ヨハ 2:1 わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。

1ヨハ 2:2 この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。

1ヨハ 2:3 わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。

1ヨハ 2:4 「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。

1ヨハ 2:5 しかし、神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。これによって、わたしたちが神の内にいることが分かります。

1ヨハ 2:6 神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。

◆新しい掟

1ヨハ 2:7 愛する者たち、わたしがあなたがたに書いているのは、新しい掟ではなく、あなたがたが初めから受けていた古い掟です。この古い掟とは、あなたがたが既に聞いたことのある言葉です。

1ヨハ 2:8 しかし、わたしは新しい掟として書いています。そのことは、イエスにとってもあなたがたにとっても真実です。闇が去って、既にまことの光が輝いているからです。

1ヨハ 2:9 「光の中にいる」と言いながら、兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます。

1ヨハ 2:10 兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。

1ヨハ 2:11 しかし、兄弟を憎む者は闇の中におり、闇の中を歩み、自分がどこへ行くかを知りません。闇がこの人の目を見えなくしたからです。

1ヨハ 2:12 子たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、/イエスの名によって/あなたがたの罪が赦されているからである。

1ヨハ 2:13 父たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、/あなたがたが、初めから存在なさる方を/知っているからである。若者たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、/あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである。

1ヨハ 2:14 子供たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、/あなたがたが御父を知っているからである。父たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、/あなたがたが、初めから存在なさる方を/知っているからである。若者たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、/あなたがたが強く、/神の言葉があなたがたの内にいつもあり、/あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである。

1ヨハ 2:15 世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。

1ヨハ 2:16 なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。

1ヨハ 2:17 世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。