家庭礼拝 2018年10月10日 へブル13:20-24 結びの言葉

賛美歌3扉を開きて聖書朗読 祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り 賛美歌4世にある限りの

 

起 

いよいよ今日で、ヘブライ人への手紙が終わります。今日の個所は最後の結びの言葉です。ここにはイエス様がどんな方であり、神様がどんな方であるのかが簡潔に書かれています。いわば、これは信仰告白です。そして当時の手紙によくあるように、最後の挨拶へと続きます。

この手紙は、苦難が続く教会の人々を励ますために、「私たちの信仰は確かなものです。この信仰にしっかりとつながって、神の御国に入るように」と言っているのです。教会の外にはローマの迫害がありました。牢に入れられたり、いろいろな苦しみにあわされたりしました。教会の内側ではユダヤ教に戻ろうとするもの、異端的な教えを広げようとするものなどで、教会が分裂しそうになっていました。そのような教会に嫌気を指して、教会を去ろうとする者が続出してくるような時代だったのです。キリスト教がまさに廃れるかどうかのターニングポイントに来ていたのです。ここを乗り切らなければ、ほかの新興宗教と同じく、一代か二代で消えてなくなる運命にあったのです。ですがキリスト教はこの試練を乗り越えることができました。そしてそこから、ずっと発展をつづけ、あの強大なローマ帝国の中にまで入り込み、ローマ帝国が滅んでもキリスト教は生き続けたのです。そのまさに一番、教会として苦しい時期を、このヘブライ人への手紙で見てきたのです。

ですがこの手紙の話ももうすぐ終わります。この筆者はこの長い手紙を、私は手短に書いたと言って、十分には語りつくしていない様子をうかがわせます。この筆者の最後の願いは、「兄弟たち、どうか、以上のような勧めの言葉を受け入れてください」と言う言葉に表れています。この手紙の言葉を受け入れて、苦しくても希望をもって信仰生活を続けてほしいというのがこの手紙の目的です。

いよいよ結びの言葉に入ります。20節と21節です。

ヘブ 13:20 永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、

ヘブ 13:21 御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。

 これはこの筆者の祈りであり、賛美であり、信仰告白です。ここにはイエス様と神様と私たちのことが簡潔に語られています。イエス様については、永遠の契約の血による羊の大牧者、として語られています。ユダヤ人たちは、今まで厳しく恐ろしく律法を守らなければ罰すると言われてきた神様から、イエス様によって、慈しみと恵みと愛に満ちた神様へと導かれたのです。私たちはイエス様の血によってその罪を許されたので、神様の恵みのもとに歩むことができるようになったのです。そのことをこの言葉は語っています。そして、神様については、イエス様を死者の中から引き揚げられた平和の神、と語っています。イエス様が復活したのはご自分の力で復活したわけではありません。イエス様が万能の力を持っていたから復活したのではありません。神様がイエス様の死を義と認め、死者の中から引き揚げられたのです。私たちの復活もそうです。自分の力でなるのではありません。神様が私たちを死の中から引き揚げてくださるのです。そのような神様を信じると言う事です。イエス様がその見本を示されたのです。

そして、私たちに対する祈りとしては、神様が、その御心に適うことをイエス・キリストによって私たちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなた方に備えてくださるようにと祈ってくれました。イエス様が私たちにしてくださった、恵の御業の数々は、神様がイエス様を通して私たちにしてくださったことなのです。イエス様は神様がなさるままにその御業を共になさったのです。ですからイエス様のしたことは実は神様がしたことなのです。

そしてこのように祈ってくれました。それは、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように、と言う事でした。私たちは神様の御心を行おうとしても、自分の力ではとてもできないと思うことがたくさんあるのです。ですがそれをするのは自分ではなく、神様なのです。ですから、その必要な力、知識、助けが、その御心を行おうとするとき、神様が備えてくださるのです。このことを信じて、自分にできないことでも神様がきっと備えてくださると信じて行うのが信仰です。クリスチャンはこの信仰によって、人間には考えられないような大きな業をいくつも行ってきたのです。

この祈りの最後には、「栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。」と言う賛栄の言葉が備えられています。もしかすると、この20節21節の言葉は、この時代に、教会の祈りとして皆で唱えられた言葉かもしれません。

 この手紙の最後には、もう一度念を押すように、最後の願いが書かれています。もういろいろな教えに惑わされることなく私の言葉を信じてほしいという、思いが込められているのです。22節と23節です。

ヘブ 13:22 兄弟たち、どうか、以上のような勧めの言葉を受け入れてください、実際、わたしは手短に書いたのですから。

ヘブ 13:23 わたしたちの兄弟テモテが釈放されたことを、お知らせします。もし彼が早く来れば、一緒にわたしはあなたがたに会えるでしょう。

 これがこの筆者の最後の願いです。この勧めの言葉が、私たちには手短に書いたとは全く思われず、ずいぶん長い手紙の様な気がするのですが、この筆者の思いはこれでもまだまだ足りないのです。言い足りなくてしょうがないのです。心配でしょうがないのです。これで信仰を保ってくれればと言う願いは、いつまでも続くのです。

 この手紙はパウロの時代よりももっと後の時代に書かれたものですから、実際にパウロの書いた手紙ではないのですが、パウロが書いたように似せて、テモテの話が出てきます。このテモテが釈放されるという話には根拠となるものがないのですが、パウロとテモテの関係をにじませて、この手紙がパウロからの勧めであると印象付けているのです。

 そして最後の締めくくりは、皆さんによろしくと言う言葉です。24節と25節です。

ヘブ 13:24 あなたがたのすべての指導者たち、またすべての聖なる者たちによろしく。イタリア出身の人たちが、あなたがたによろしくと言っています。

ヘブ 13:25 恵みがあなたがた一同と共にあるように。

  これでヘブライ人への手紙は終わりました。なかなかわかりづらい個所もありましたが、無事に最後まで学ぶことができました。この手紙は、ユダヤ人がユダヤ人の教会の内輪の話として書かれた手紙なので、外部の人にはわかりにくい表現で書かれていたのです。当時の仲間の人には通じる言葉でも、現代のしかもユダヤ人ではない私たちの様な異邦人には理解しにくい言葉で書かれているところがたくさんありました。ですが、この時代の緊迫した環境の雰囲気が伝わってきます。この筆者も、必死になって、どんなに苦しくても信仰から離れないようにと薦めている姿が目に浮かびます。私たちの目指すのは神の国でこの世ではないことが、語られてきたのです。私たちもその信仰を受け継いでいくことができますように。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、ヘブライ人への手紙を最後まで学ぶことが出来まして感謝いたします。新約聖書の学びももう少しとなりました。これからどの学びに入るかわかりませんが、どうかあなたの導きがありますように。そしてこの学びを通して、あなたの信仰をしっかりと受け継いでいくことができますように。御名が世よ限りなくあがめられますように。

この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 

<<聖書の箇所(新約聖書:◇ヘブライ人への手紙)>>

◆結びの言葉

ヘブ 13:20 永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、

ヘブ 13:21 御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。

ヘブ 13:22 兄弟たち、どうか、以上のような勧めの言葉を受け入れてください、実際、わたしは手短に書いたのですから。

ヘブ 13:23 わたしたちの兄弟テモテが釈放されたことを、お知らせします。もし彼が早く来れば、一緒にわたしはあなたがたに会えるでしょう。

ヘブ 13:24 あなたがたのすべての指導者たち、またすべての聖なる者たちによろしく。イタリア出身の人たちが、あなたがたによろしくと言っています。

ヘブ 13:25 恵みがあなたがた一同と共にあるように。