庭礼拝 2018年10月3日 へブル13:1-19 神に喜ばれる奉仕

賛美歌573光り輝けよ、主のみ民よ聖書朗読 祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り 賛美歌579主を仰ぎ見れば

 

起 

いよいよヘブライ人への手紙も最終章に入りました。そして今日の個所が本文の最後となります。ここには先週と同じく、具体的な信仰生活についての勧めが書かれています。小見出しでは神に喜ばれる生活となっています。

私たちは、人を助ける奉仕や活動は良いものとされ、そのことを強く勧められています。最近では災害ボランティアなどが活躍する社会となって来て、災害が発生すると大勢の人々が奉仕に向かっています。スーパーボランチィアなどと言う言葉も生まれ、マスコミはそのような人を祭り上げています。ですが、テレビなどを見ていても、奉仕をする人々は、みんな謙虚な人が多く、人に褒められようとか、それでいい気分になろうとかしようとする人はおらず、皆人のために助けになりたいという思いでやっている人が多いようです。ですが、いろいろな奉仕がある中で、人に褒められよう、認められようとしてする奉仕や献金もあるのです。聖書の中ではそのような奉仕や献金はすでにその人たちの行いは報われている、と言われています。人の称賛を受けて報われているのだから、神様の報いはやって来ないだろうと言われるのです。ですから、私たちが本当に神様の報いを受けたいと思うならば、できるだけ人の報いを受けないように注意する必要があります。奉仕はすばらしいことですが、それが人に喜ばれる奉仕とならず、神様に喜ばれる奉仕をするようにと言うのが今日の聖書の個所です。その奉仕とは何かを、この聖書の個所は語っています。

その奉仕の最大のことは、互いに愛し合うと言う事です。1節から4節です。

ヘブ 13:1 兄弟としていつも愛し合いなさい。

ヘブ 13:2 旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。

ヘブ 13:3 自分も一緒に捕らわれているつもりで、牢に捕らわれている人たちを思いやり、また、自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい。

ヘブ 13:4 結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません。神は、みだらな者や姦淫する者を裁かれるのです。

 まず最初に、兄弟としていつも愛し合いなさいと言う勧めが語られました。その具体的な働きの一つに、旅人をもてなすことが語られています。当時旅をする人たちは、どこに泊まるかと言うことが最大の悩みでした。当時も旅館はありましたが、それは不潔で、高額な料金を取り、不親切で、その商売をする人たちは、町のごろつきのように思われていた時代だったのです。イエス様も生まれるときはこのような旅館に泊まろうとしたのですが、泊まることが出来ず、馬小屋にとまったのです。当時のユダヤ人たちは世界中に散らばっていたので多くのユダヤ人たちが世界中を旅していました。ですから、そのような旅人をもてなすことはとても喜ばれたのです。旅人は何時も困っていたので、その旅人をもてなすことを忘れてはいけませんと語りました。そうすることはもしかすると気づかずに、天使をもてなしているのかもしれませんよと言うのです。イエス様もたとえ話でこのようなことを何度か話をしています。あなたは私が乾いているときに水を飲ませ、苦しんでいる時に助けてくれた、と言った話や、あなた方の中で一番小さいものにしたこと、それは私にしたことである、と言ったことなど、困っている人々を助けることはイエス様を援けることになるという話を聞くことができるのです。

もう一つは、牢にとらわれている人々に対する思いやりです。自分も一緒に捕らわれているつもりで、牢に捕らわれている人たちを思いやりなさいと言う事が言われています。当時のクリスチャンは迫害され虐待され、投獄されることもありました。そのような人々に親切にすることは自分自身も危うくなる可能性があったのです。それでも、牢にとらわれている人々を思いやりなさいと言う事が、兄弟としていつも愛し合うことであり、大切なことなのですと語っているのです。

次には結婚について書かれています。結婚はすべての人に尊ばれるべきであると語られています。このようなことが言われる背景には、当時は、結婚が軽んじられていたと言う事です。別に結婚しなくても、似たような生活はできると、同棲したり、わかれたり、多くの孤児を生み出したりしていたのです。そうではなくて、夫婦の関係は汚してはなりません、と言っています。神様は、正しい結婚生活をせず、みだらな者や姦淫する者を裁かれるのです、と警告しています。正しい結婚生活をすることが、互いに相手を尊重し、愛し合うことになるのです。

 ここまでは、兄弟としていつも愛し合うことが中心に語られてきましたが、ここからは物欲にとらわれない生活のことが語られています。まず最初は金銭です。5節から7節です。

ヘブ 13:5 金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。

ヘブ 13:6 だから、わたしたちは、はばからずに次のように言うことができます。「主はわたしの助け手。わたしは恐れない。人はわたしに何ができるだろう。」

ヘブ 13:7 あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。

 ここで語られていることは、その反面が現実であると言う事です。金銭に執着しない生活をしなさい、と勧められていることは、金銭に執着して、信仰を忘れている人が多いからなのです。必要なことは神様が与えてくださると言う信仰を忘れ、金銭が自分の生活を保障してくれると思い、いくらお金を持っても満足せず貪欲に金銭に執着している人々がいたのです。この著者は、今持っているもので満足しなさいと言っています。なぜならば、神様が、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われたからです。この言葉を信じる者は金銭にとらわれることなく、神様に与えられたもので満足するでしょう。神様が必要なものはすべて与えてくださると信じるからです。あるえらい政治家は、この言葉を愛聖句としていたそうです。さらにこの著者はこのことから、「主はわたしの助け手。わたしは恐れない。人はわたしに何ができるだろう。」とはばからずいうことができると宣言しています。だから、人を恐れず、金銭の乏しいことを恐れず、ただ信仰を持って、満足して喜んで歩んでいきなさいと言っているのです。あなた方に神様の言葉を語った指導者たちもまた、そのような素晴らしい信仰生活を送っていたことを思い出しなさい。その生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見習いなさいと勧めているのです。この言葉の裏には、これらの信仰の指導者たちが、大変な迫害や苦しみにも耐えて、人を恐れることなく、死に至るまでも信仰を貫き通したのではないかと言う事が思わされます。。

 次に語られる信仰生活の勧めは、食物規定のことです。ユダヤ人の生活はいろいろな律法で、生活が定められていました。その中でも食物規定は毎日の生活にかかわる大切なことでした。ユダヤ人たちは、このような食物規定をしっかり守ることによって信仰を表そうとしていたのです。一方でその食物規定を守ることのできない人々を、信仰の弱い人たちと言って裁いていたのです。ですが、イエス様の教えはそれとは違うことをこの著者は語っているのです。8節から15節です。

ヘブ 13:8 イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。

ヘブ 13:9 いろいろ異なった教えに迷わされてはなりません。食べ物ではなく、恵みによって心が強められるのはよいことです。食物の規定に従って生活した者は、益を受けませんでした。

ヘブ 13:10 わたしたちには一つの祭壇があります。幕屋に仕えている人たちは、それから食べ物を取って食べる権利がありません。

ヘブ 13:11 なぜなら、罪を贖うための動物の血は、大祭司によって聖所に運び入れられますが、その体は宿営の外で焼かれるからです。

ヘブ 13:12 それで、イエスもまた、御自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです。

ヘブ 13:13 だから、わたしたちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに赴こうではありませんか。

ヘブ 13:14 わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです。

ヘブ 13:15 だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。

 このころ教会にはいろいろな教えが、飛び交っていたのです。イエス様の教えだけではなく、ユダヤ人の律法に基づく教えや、グノーシス的な異端の教えなどいろいろあり、人々はその信仰を迷わされていたのです。

 まずイエス様が、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方であることが語られています。イエス様の教えが、その時代の変化によって変わっていくものではなく、永遠に変わらないものであることが語られています。それはイエス様が今も生きておられて、働いているからであり、イエス様が過去の人ではないからです。ところが人間は、その時代の変化によって、いろいろな考えや教えが出てきます。そのようなものはまたすぐに変化して廃れてしまうものだから、そのようなものに惑わされてはいけません、永遠に変わらないイエス様を信じなさいと言うのです。そしてここで突然食物規定のことが出てきます。そこには、こう書かれています、「食べ物ではなく、恵みによって心が強められるのはよいことです。食物の規定に従って生活した者は、益を受けませんでした。」ここで、食べ物ではなく、恵によって、と書かれているのは、食物規定を守ること、すなわち律法を守ることによってではなく、イエスキリストの恵みによって、と言う事です。ですから、律法を守ることによってではなく、イエスキリストの恵みによって、信仰が強められることは良い事ですと言うのです。そして律法を守って生活しても何も良いことはなかったというのです。ですから律法を守る努力によってではなく、神様から与えられる恵みによって生きなさいと勧められているのです。

 そして次の話は不思議なのですが、これも突然、祭司たちは、神殿に捧げられた犠牲を食べることが出来ないと言うことが書かれています。これはどうも贖いの日の規定のことで、これは大祭司の罪のために捧げられる雄羊の体は宿営の外で焼き捨てなければならないことがレビ記に書かれているのです。実は言いたいことはこのことではなくて、クリスチャンが聖餐の時に食べるパンと葡萄酒はこれはイエス様の体を食べているのだと言う事を主張している人々に対して言っているようです。イエス様は宿営の外のゴルゴタの丘で、十字架に付けられました。それは私たちの罪のために捧げられたいけにえなので、だれもその体を食べることはできないということを言おうとしているのだという説もあります。この人たちは、イエス様の体を食べることによって特別のパワーを身に着けることができると考えているのです。ですが、筆者はそんなことはできないしあり得ない、食べ物ではなく恵みによって心が強められるのが良いことなのだと、イエスキリストの恵みによる救いを強調しているのです。そしてイエス様の十字架のある宿営の外に赴いて、イエス様を通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神様に献げましょう、と呼び掛けているのです。

 そして、最後にこう言いました。それはこの指導者たちからのお願いでした。16節から19節です。

ヘブ 13:16 善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。

ヘブ 13:17 指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい。この人たちは、神に申し述べる者として、あなたがたの魂のために心を配っています。彼らを嘆かせず、喜んでそうするようにさせなさい。そうでないと、あなたがたに益となりません。

ヘブ 13:18 わたしたちのために祈ってください。わたしたちは、明らかな良心を持っていると確信しており、すべてのことにおいて、立派にふるまいたいと思っています。

ヘブ 13:19 特にお願いします。どうか、わたしがあなたがたのところへ早く帰れるように、祈ってください。

 そのお願いと言うのは、「善い行いと施しとを忘れないでください。」と言うものでした。それはこの様ないけにえこそ、神様がお喜びになるからだと言うのです。人のためにいろいろな奉仕をすることがあっても、それは人を喜ばすためではなく、神様に喜んでいただくためにするのです。ですからその奉仕の業を人から悪く言われたり、無視されたりしても、それにはとらわれることなく、ただ神様がどのように受け止めてくれるかを第一とするのです。クリスチャンにとって、善い行いと施しとを行うことは、神様に関係する大切なことなのです。

 そしてその良い業のうちに、指導者たちのことを聞き入れ、服従しなさい、と言う事が言われています。この当時の教会の指導者たちはとても苦労していました。教会の中でも指導者の言うことを聞かずに、勝手にいろいろな考えや慣習を持ち込んで、教会を分裂させようとする人々がいたからです。ですから、お願いとして、指導者たちのことを聞き入れ、従ってくださいと言っているのです。この指導者たちを嘆かせずに、喜んで従ってくださいと言っています、いやいや従うのであれば、それはあなた方の益にはなりませんと言うのです。

 そして、その良い行いと施しの一つとして、私たちのためにも祈ってほしいと願っています。自分たちは明らかな良心持っていると確信していますからそれを信頼してくださいと言うのです。そして、すべての事において立派にふるまえるように、祈ってほしいと願っているのです。特にお願いすることとしては、「どうか、わたしがあなたがたのところへ早く帰れるように、祈ってください。」とお願いしました。私たちのために祈ってくださいと複数形をとっていたお願いが、ここで、私が帰れるように、と単数形になっています。個人的にも特にお願いして祈ってもらうことを願っているのです。私たちが祈りによって支えられていることは素晴らしいことです。これが出来るのがクリスチャンです。善い行いと施しの中に、私たちの捧げるとりなしの祈りが含まれているのです。それはイエス様が喜んでくださる捧げものです。それは私たちがいくら年老いても病気になってもできることです。この神様に喜ばれる捧げものの祈りを何時も捧げることができるようにと願っています。

  ヘブライ人への手紙の本文が、今日で終わりました。公に書かれた手紙と言うよりも、特定の教会を意識して指導した手紙と思われます。最後にはその教会に行くことができるようにと願っています。当時の教会が分裂と迫害に見舞われて、危機的な状況にあったのですが、このような教会の指導者、信仰の指導者の切実な思いが伝わってくる手紙でした。そして最後の言葉は、「善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。」と言う言葉です。私たちクリスチャンはたとえ世界がどのようであり、状況がどのようであってもいつも善い行いと施しとを忘れない人々なのです。私たちもこのことを心に刻んで歩んでいきたいと思います。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神さま、私たちに与えられましたこの信仰が、イエス様の犠牲と、多くの人々の奉仕によって与えられていることを思います。このように大切な信仰をどうか立派に継承していくことができますように。わたしたちも、すべての事において立派にふるまえるように、互いに祈りによって支えあっていくことができますように。この祈りは神様に喜ばれる捧げものです。どうかこの捧げものをいつもあなたに捧げて賛美するものでありますように。

この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


<<聖書の箇所(新約聖書:◇ヘブライ人への手紙)>>

 

◆神に喜ばれる奉仕

ヘブ 13:1 兄弟としていつも愛し合いなさい。

ヘブ 13:2 旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。

ヘブ 13:3 自分も一緒に捕らわれているつもりで、牢に捕らわれている人たちを思いやり、また、自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい。

ヘブ 13:4 結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません。神は、みだらな者や姦淫する者を裁かれるのです。

ヘブ 13:5 金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。

ヘブ 13:6 だから、わたしたちは、はばからずに次のように言うことができます。「主はわたしの助け手。わたしは恐れない。人はわたしに何ができるだろう。」

ヘブ 13:7 あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。

ヘブ 13:8 イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。

ヘブ 13:9 いろいろ異なった教えに迷わされてはなりません。食べ物ではなく、恵みによって心が強められるのはよいことです。食物の規定に従って生活した者は、益を受けませんでした。

ヘブ 13:10 わたしたちには一つの祭壇があります。幕屋に仕えている人たちは、それから食べ物を取って食べる権利がありません。

ヘブ 13:11 なぜなら、罪を贖うための動物の血は、大祭司によって聖所に運び入れられますが、その体は宿営の外で焼かれるからです。

ヘブ 13:12 それで、イエスもまた、御自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです。

ヘブ 13:13 だから、わたしたちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに赴こうではありませんか。

ヘブ 13:14 わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです。

ヘブ 13:15 だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。

ヘブ 13:16 善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。

ヘブ 13:17 指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい。この人たちは、神に申し述べる者として、あなたがたの魂のために心を配っています。彼らを嘆かせず、喜んでそうするようにさせなさい。そうでないと、あなたがたに益となりません。

ヘブ 13:18 わたしたちのために祈ってください。わたしたちは、明らかな良心を持っていると確信しており、すべてのことにおいて、立派にふるまいたいと思っています。

ヘブ 13:19 特にお願いします。どうか、わたしがあなたがたのところへ早く帰れるように、祈ってください。