賛美歌573光り輝けよ、主のみ民よ聖書朗読 祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り 賛美歌579主を仰ぎ見れば
起
このヘブライ人への手紙では、大きな視点で信仰が語られることが続きました。イエスと予言者、大祭司イエス、地上の聖所と天の聖所、イスラエルの信仰の歴史、信仰とは、など教理的な視点で信仰の正しさが語られてきました。ですがこの12章は違います。その中で、私たちはどのように生きればよいのかと言う視点で書かれているのです。最初に先週学んだ「主にある鍛錬」について語られました。そして、今日学ぶところは、私たちの日常生活はどうあるべきかと言う事が書かれているのです。再臨の時は近いとか、私たちの罪は許されているとか、と言うような言葉を誤解して、もう仕事をする必要はない、もう世の中は終わりになるのだと思って、日常生活をおろそかにする人々も出てきたのです。今日の聖書の個所では、そのようなことの無いように日常生活を、地に足をつけて信仰をしっかりと守って歩みなさい、と教えているのです。
承
それではどのような日常生活を送ったらよいのかを、聖書から聞いてみましょう。まず、14節です。
ヘブ
12:14 すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。
ここでは、自分と他人の関係そして、自分自身のことにおいて大切なことが語られています。まず、自分と他人の関係に関しては、すべての人との平和を目指しなさい、と言う事が言われています。私たちが目指すものは争いではありません。平和です。自分の正しさを通そうとして、争いを起こすことはクリスチャンのやるべきことではありません。クリスチャンは平和の中において対話によって問題を解決していくものなのです。もう一つは自分自身のことですが、これは自分と神様の関係ととらえてもよいと思います。それは聖なる生活を追い求めなさいと教えられていることです。聖なる生活とは、この世の欲望から離れた生活です。神様の御心を第一として、神様のようになる生活です。そして大切なことは、この聖なる生活を抜きにしては誰も主を見る事は出来ませんと言っています。心の清いものは神を見るであろうと教えられています。そして今、聖なる生活をするものは主を見るであろうと教えられるのです。この心の清いものと、聖なる生活をするものとは同じものだと思います。心の清いものが聖なる生活をするのです。この筆者は私たちに、クリスチャンはすべての人と平和に暮らし、聖なる生活を追い求めなさいと教えているのです。
ですが私たちはなかなか聖なる生活をすることができません。すぐにこの世の色々な快楽に惑わされて、この世的な生き方をしてしまうのです。そのようなこの世的な生き方、快楽的、偶像礼拝的な生き方をしてはいけないと15節から17節ではエサウを取り上げてこう語っているのです。
ヘブ
12:15 神の恵みから除かれることのないように、また、苦い根が現れてあなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚れることのないように、気をつけなさい。
ヘブ
12:16 また、だれであれ、ただ一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウのように、みだらな者や俗悪な者とならないよう気をつけるべきです。
ヘブ
12:17 あなたがたも知っているとおり、エサウは後になって祝福を受け継ぎたいと願ったが、拒絶されたからです。涙を流して求めたけれども、事態を変えてもらうことができなかったのです。
ここではまず、神の恵みから除かれることのないように注意しなさいと教えています。どうすると神の恵みから除かれるのかと言えば、この世的な偶像礼拝的な生き方をすると神の恵みから除かれるのです。これは神様よりも、この世を愛するようになると言う事です。その様にならないように注意しなさいと言っています。そしてその後では、苦い根が現れてあなた方を悩まし、それによって多くの人が汚れることのないように、気をつけなさいと勧告しています。ここで苦い根が現れる、と言う表現が出てきますが、これは、ほかの聖書の個所で使われている表現で、先ほどのこの世的な快楽的偶像礼拝的な生き方を求めるものを苦い根と言う表現で表しているのです。それが現れると人々を迷いへと導き悩まし、多くの人が汚れてしまうことがあるのです。
そのような実例として用いられたのがエサウの例です。兄のエサウはおなかがすいていたために、弟のヤコブに頼んでおいしい食事を一杯分けてもらうために、長子の権利を譲り渡したのです。これは目先の快楽に身をゆだねてしまう例として語られているのです。ですから、みだらなものや俗悪なものとさえ言われてしまうのです。兄のエサウは後になって後悔し、祝福を受け継ぎたいと願ったのですが、拒絶され、涙を流して求めたけれども取り返すことが出来なかったのです。ですから一時的な快楽に身をゆだねて、大切な神様の恵みを譲り渡すようなことをしてはいけないと言っているのです。だから聖なる生活を大切にしなさいと言っているのです。
転
ここで筆者はもう一度、クリスチャンの信仰が、旧約の信仰とどのように違うのかを思い起こさせます。18節から24節です。
ヘブ 12:18 あなたがたは手で触れることができるものや、燃える火、黒雲、暗闇、暴風、ラッパの音、更に、聞いた人々がこれ以上語ってもらいたくないと願ったような言葉の声に、近づいたのではありません。
ヘブ 12:20 彼らは、「たとえ獣でも、山に触れれば、石を投げつけて殺さなければならない」という命令に耐えられなかったのです。
ヘブ 12:21 また、その様子があまりにも恐ろしいものだったので、モーセすら、「わたしはおびえ、震えている」と言ったほどです。
ヘブ 12:22 しかし、あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、
ヘブ 12:23 天に登録されている長子たちの集会、すべての人の審判者である神、完全なものとされた正しい人たちの霊、
ヘブ 12:24 新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。
ここでは旧約で教えられてきた神様がどんなに恐ろしい方であったのかを語っています。18節から21節まではイスラエルの民が、シナイ山で律法を与えられるときに、どんなに恐ろしい思いであったのかが語られているのです。シナイ山で、律法を与えられるとき、そこは、燃える火の山であり黒雲が立ち込め、そこで語られることははもう耐えられないと思う言葉だったのです。それは2枚の石に刻まれていました。その聖なる山にはたとえ獣でも山に触れれば、石を投げつけて殺さなければならないという厳しさだったのです。人々はその厳しさに耐えられず、偶像を作ってしまいました。モーセですら、「わたしはおびえ、震えている」と言ったほどだと語っているのです。ですがこの言葉は聖書には書かれていません。むしろモーセがおびえ、震えたのは山から下りてきて、その人々が作った偶像を見た時なのです。ここでは旧約時代の神様がいかに恐ろしい神様であったかが強調されていますが、それは、新しい時代の神様、イエス様が教えてくださった神様がいかに素晴らしい方であるかを強調するためなのです。
筆者は、あなた方が近づいたのはその旧約の神様ではなく、イエス様が教えてくださった新約の神様であり、シナイ山に近づいたのではなく、シオンの山に近づいたのであり、罪によって死んでいる地上のエルサレムではなく、生ける神の都、天のエルサレムに近づいたのだと言うのです。そしてその天のエルサレムでは、無数の天使たちが祝いに集い、天に登録されている長子たちの集会、すなわちクリスチャンの集会があり、すべての人の審判者である神がおられ、完全なものとされた正しい人たちの霊が集っているのです。そしてそこにはアベルの血に勝る契約の血を流された、新しい契約の仲介者イエス様がおられるのです。これが私たちクリスチャンが今近づいている、新しい神の国なのだと語っています。
そしてこの素晴らしい御国を与えてくださる方イエス様を拒むことないように注意しなさいと警告しています。なぜならば、それは地上で語る預言者たちを拒むよりも大きな罪になるからだと言います。25節から29節です。
ヘブ 12:25 あなたがたは、語っている方を拒むことのないように気をつけなさい。もし、地上で神の御旨を告げる人を拒む者たちが、罰を逃れられなかったとするなら、天から御旨を告げる方に背を向けるわたしたちは、なおさらそうではありませんか。
ヘブ 12:26 あのときは、その御声が地を揺り動かしましたが、今は次のように約束しておられます。「わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう。」
ヘブ 12:27 この「もう一度」は、揺り動かされないものが存続するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。
ヘブ 12:28 このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。
ヘブ 12:29 実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です。
ここでは、地上で神の御旨を告げる人、とは預言者たちであり、それを拒むものが罰を逃れられないなら、天から御旨を告げる方、すなわちイエス様に背を向けたならば、なおさら大きな罰を逃れられないだろうと言うのです。そして、シナイ山で律法を与えられるときにはその御声が地を揺り動かしたけれども、今はこのように言っているのです。それは「私はもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう」と言っているのです。揺り動かして、ふるいにかけるのです。地にあるものも天にあるものももう一度ふるいにかけられて、御心にかなわないものを振るい落とすのです。それは、揺り動かされないものが存続するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています、と語っています。そして、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう、と語っているのです。地にあっても天にあっても、私たちはゆり動かされることのない信仰、神の御国を受けているのだから、感謝しましょうと言っています。ですがその信仰から離れたら、ふるい落とされて取り除かれるのです。そして焼かれてしまうのです。あなた方はそのどちらを選ぶのですかと言っているのが、「実に、私たちの神は、焼き尽くす火です」と言う言葉で言い表しているのです。あなたは焼き滅ぼされないように、信仰を正しく保ち続けなさいと言っているのです。
結
私たちの日常生活は実に単純で、人々と平和に過ごし、神様の御前で聖なる生活をするだけです。ですがこの世の誘惑の中で、そのことを行うことがとても難しいのです。ですがそれが出来なければ、私たちはふるいにかけられ滅ぼされてる存在です。私たちの信じるイエス様の教えは旧約の神様のような恐ろしいものではないと教えています。だから、イエス様を信じて新しい神の都、天のエルサレムを目指して、最後まで歩み続けなさいと教えているのです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、私たちが人々と平和に過ごし、聖なる生活ができますようにどうか導いてください。この世のものをあなたよりも大切に思うことがありませんように。いつもあなたの御国を目指して、聖なる生活ができますように。私たちにそれが出来なくてもあなたが導いてくださいます。どうかその御力にゆだねることができますように。信じて歩むことができますように。
この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ヘブライ人への手紙)>>
◆キリスト者にふさわしい生活の勧告
ヘブ 12:14 すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。
ヘブ 12:15 神の恵みから除かれることのないように、また、苦い根が現れてあなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚れることのないように、気をつけなさい。
ヘブ 12:16 また、だれであれ、ただ一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウのように、みだらな者や俗悪な者とならないよう気をつけるべきです。
ヘブ 12:17 あなたがたも知っているとおり、エサウは後になって祝福を受け継ぎたいと願ったが、拒絶されたからです。涙を流して求めたけれども、事態を変えてもらうことができなかったのです。
ヘブ 12:18 あなたがたは手で触れることができるものや、燃える火、黒雲、暗闇、暴風、ラッパの音、更に、聞いた人々がこれ以上語ってもらいたくないと願ったような言葉の声に、近づいたのではありません。
ヘブ 12:20 彼らは、「たとえ獣でも、山に触れれば、石を投げつけて殺さなければならない」という命令に耐えられなかったのです。
ヘブ 12:21 また、その様子があまりにも恐ろしいものだったので、モーセすら、「わたしはおびえ、震えている」と言ったほどです。
ヘブ 12:22 しかし、あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、
ヘブ 12:23 天に登録されている長子たちの集会、すべての人の審判者である神、完全なものとされた正しい人たちの霊、
ヘブ 12:24 新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。
ヘブ 12:25 あなたがたは、語っている方を拒むことのないように気をつけなさい。もし、地上で神の御旨を告げる人を拒む者たちが、罰を逃れられなかったとするなら、天から御旨を告げる方に背を向けるわたしたちは、なおさらそうではありませんか。
ヘブ 12:26 あのときは、その御声が地を揺り動かしましたが、今は次のように約束しておられます。「わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう。」
ヘブ 12:27 この「もう一度」は、揺り動かされないものが存続するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。
ヘブ 12:28 このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。
ヘブ 12:29 実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です。