家庭礼拝 2018年8月22日 へブル10:19-39 奨励と勧告

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起 

今日の聖書の箇所は、今までイエス様についていろいろ語って来たけれども、それはあなた方にこのようになってほしいからだと言う事を語っています。イエス様について語られてきたことを振り返れば、イエス様は天使にまさり、モーセにもまさり、まことの偉大な大祭司であると言う事です。そしてこの大祭司は地上の幕屋で犠牲の捧げものをするような方ではなく、天上でただ一度まことの犠牲を捧げられ、人々の救いのために新しい優れた約束を与えて下さった大祭司であると言う事でした。

この様な事を理解したうえで、さてそれではあなた方はこの大祭司の前でどうしたらよいのかと言うのが今日の聖書の箇所になります。ですから、多少お説教気味のところがあって、脅したり、すかしたり、励ましたりして、信仰者がこのイエス・キリストの信仰から離れないようにと勧告しているのです。なぜそこまでするのかと言うと、教会が危機的な状態にあったのです。教会が一致団結している時は良いのですが、この時は教会が分裂しそうな状態だったのです。そこには新しい教えを持ち込んで、イエス・キリストの教えから離れるように誘惑する、異端的な教えもあって、その教えに感化されていく人々もいました。また、キリスト教を迫害するローマの弾圧に堪えかねて、こんな苦しい思いをするなら、以前信仰していたユダヤ教に戻った方がいいと考えて教会を離れていく人たちもいました。この様な教会を離れる人々はただ離れて新しい信仰をするのならまだいいのですが、必ず前の信仰すなわちイエスキリストの信仰や、その教会がひどいものであったと吹聴するのが一般的だったのです。これはただ離れるだけではなく、イエス・キリストや、教会の敵になってしまうと言う事です。

ですからこの筆者はイエス・キリストが本当の救い主であることを訴え、教会に留まるように語り、イエス・キリストの信仰に固く立つように勧めているのです。この手紙を読んでいると、本当に当時の教会のむずかしさが分かり、このような大変な時期を乗り越えることによって、何代にもわたる、本格的宗教が確立されていったことが良く分かるのです。これが出来なかった宗教はみな消えていったのです。

まず筆者が語ったのは、今まで語ってきた、イエス様の事をもう一度振り返り、このイエス様に信頼して、神様に近づきましょうと勧めたのです。19節から22節です。

ヘブ 10:19 それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。

ヘブ 10:20 イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。

ヘブ 10:21 更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、

ヘブ 10:22 心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。

 まず語ったのは、今まで大祭司しか入ることの出来なかった聖所に、イエス様の流された犠牲によってイエス様を信じる者たちがそこに入ることができるようになったことを確信していると言う事でした。すなわち信仰者たちは直接神様に出会うことが出来、祈りをささげることができると言う事です。それはなぜかというと、信仰者と神様を隔てていた垂れ幕をイエス様は開いてくださったからと言います。それはどのようにしてかと言うと、イエス様は、神様を内にまとった、肉体を持っていたのですが、その肉体を十字架の上で切り割くことによって、神様のもとに至る、新しい道を私たちのために開いてくださったのだと言うのです。この様に私たちには偉大な大祭司がついておられ、心は浄められ、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われているのだから、このことを信頼して、真心から神様に近づこうではありませんかと人々に訴えたのです。

この様に神様に近づくことは恐ろしい事ではなく信頼して近づくことができるのですよと強調している背景には、もしかすると、教会が迫害され、クリスチャンがひどい目に合うのは、キリスト教が神様の教えから離れているためであって、神様の罰を受けているのかもしれないと考えている人々がいたのかもしれません。その様な人々に、イエス様はまことに信頼してよい方です、必ず神様のもとに行くことができますよと安心させているような気がします。

そしてさらに、このように励まし勧告するのです。23節から25節です。

ヘブ 10:23 約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。

ヘブ 10:24 互いに愛と善行に励むように心がけ、

ヘブ 10:25 ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。

 キリスト教の教えはもしかすると間違っていて神様の罰を受けているのではないかと動揺する信者に対して、約束してくださったのは真実な方イエス様なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう、と言いました。最初の確信に至った時のことを思い起こして、しっかりと信仰を保ちましょうと励ましています。そして自分だけではなく、教会の中や信仰者の間では互いに愛と善行を励むように心がけましょうと勧めています。自分のことだけを考えていると、不安に陥るので、むしろ教会の仲間や信仰者たちの事を思って、愛と善行に励む方が、確信が得られるので、そうしなさいと勧めているのです。と言うのも、一部の人達は、自分達の考えや、以前のユダヤ教の習慣に戻って、集会を怠ったりするものがいたのですが、そのようなことはせず、互いに励まし合って、教会に集い、再臨の日が近づいていることを互いに語り合って励まし合いましょうと語っているのです。

 ところがこのような素晴らしい恵みや約束の希望があるにもかかわらず、それに逆らい、故意に罪を犯し続ける人々がいました。この様な人々には非常に厳しい、審判が下ると語っています。それがどのようなものであるのかを26節から31節で語っています。

ヘブ 10:26 もし、わたしたちが真理の知識を受けた後にも、故意に罪を犯し続けるとすれば、罪のためのいけにえは、もはや残っていません。

ヘブ 10:27 ただ残っているのは、審判と敵対する者たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れつつ待つことだけです。

ヘブ 10:28 モーセの律法を破る者は、二、三人の証言に基づいて、情け容赦なく死刑に処せられます。

ヘブ 10:29 まして、神の子を足げにし、自分が聖なる者とされた契約の血を汚れたものと見なし、その上、恵みの霊を侮辱する者は、どれほど重い刑罰に値すると思いますか。

ヘブ 10:30 「復讐はわたしのすること、/わたしが報復する」と言い、また、/「主はその民を裁かれる」と言われた方を、わたしたちは知っています。

ヘブ 10:31 生ける神の手に落ちるのは、恐ろしいことです。

 この厳しい審判を受ける人々は、キリストの教えを全く知らないで罪を犯す人々ではなく、一度イエスキリストの真理の知識を受けたのちにも、故意に罪を犯し続けた人の場合なのです。その様な人々の犯した罪を贖うことの出来る生贄はもはや残っていないと言います。一度イエス様の贖いによって罪を赦されたのに、さらにそれを踏みにじり故意に罪を犯したのですから、もうその罪を贖う方法がないのです。そしてその人たちに待っているのは、神様の審判と、神様に敵対する者達を焼き尽くす激しい火とを、恐れつつ待つことだけです、と語っています。もう救いようがないので、そのような恐ろしい裁きを待つだけだと言うのです。

 このことが大げさな話ではないことを、旧約の律法を用いてこう話すのです。モーセの律法を破るものでさえ、二、三人の証言に基づいて、死刑に処せられるのに、イエス・キリストの教えに逆らい、神の子を足蹴にするようなことをして、イエス・キリストの十字架の血を新しい契約の血ではなく、汚れたものとみなし、その上恵みの霊を侮辱するのですから、モーセの律法を破るよりもどんなにか罪が重いのではないだろうかと言っているのです。その様な人々は今は、何事もないように生活をしているのですが、それは教会がその人々を裁かないのは、神様自身が、「復讐はわたしのすること、/わたしが報復する」と言っているからです。神様は正しい方ですから、きっと神様が厳しい裁きを与えるだろうと言っています。そしてこれは本当に恐ろしい事ではないですかと言っているのです。

 このように正しい教えを離れ、罪を犯すものが、どんなに恐ろしい裁きを与えられるかを十分語った後で、まだその様にはなっていないが不安にさいなまれている教会員の人々に、このように言って励ましているのです。32節から39節です。

ヘブ 10:32 あなたがたは、光に照らされた後、苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、思い出してください。

ヘブ 10:33 あざけられ、苦しめられて、見せ物にされたこともあり、このような目に遭った人たちの仲間となったこともありました。

ヘブ 10:34 実際、捕らえられた人たちと苦しみを共にしたし、また、自分がもっとすばらしい、いつまでも残るものを持っていると知っているので、財産を奪われても、喜んで耐え忍んだのです。

ヘブ 10:35 だから、自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります。

ヘブ 10:36 神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。

ヘブ 10:37 「もう少しすると、来るべき方がおいでになる。遅れられることはない。

ヘブ 10:38 わたしの正しい者は信仰によって生きる。もしひるむようなことがあれば、/その者はわたしの心に適わない。」

ヘブ 10:39 しかし、わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です。

 ここには教会の人達がどのような苦しみを味わったのかが詳しく書かれています。それはクリスチャンであるがために、あざけられ、苦しめられ、見世物にされたことがあったこと。実際に、捕らえられた人がいたこと、財産を奪われた人がいたことなどが、あげられています。ですが筆者は、あなた方はその苦しい大きな戦いに堪えてきたと褒め、財産を奪われても喜んで耐え忍んできたことをたたえているのです。だから、その自分の確信を捨ててはいけない、この確信には大きな報いがあると言って、信仰の上に立つことを勧めています。そしてその時に必要なのは忍耐だと言うのです。そして旧約聖書の言葉を引用してこう言います。「もう少しすると、来るべき方がおいでになる。遅れられることはない。わたしの正しい者は信仰によって生きる。もしひるむようなことがあれば、/その者はわたしの心に適わない。」これは、ハバクク書の2章3節4節からの引用だと言うのですが、私たちの使っている聖書の言葉とは少し違っています。ですが言わんとすることは、もう少しすれば、必ず、イエス・キリストの再臨があるから、信仰をしっかり持って生きなさい。もしそれが出来ないようであれば、そのものは私の心にかなわない、と言う事を言っているのです。再臨の希望を確かに持って忍耐強く待ちなさいと言う事です。そして、私たちは決してひるんで滅びるものではなくて、信仰によって命を確保するものである事をしっかりと覚えておきなさいと言っているのです。

 今日の聖書の箇所からは、この頃の教会の人々が、どんなに迫害の苦しみを受けていたかを知ることができます。この世で、どんなに苦しみを受けたとしても、信仰者には大きな報いが与えられるから、忍耐をもって、イエスキリストの再臨の時を待ちなさいと励ましているのです。この時代の人々にとって、この希望を持って待ち続けることが信仰だったのです。今の私たちにとって、信仰とは自分たちに何か幸せなものをもたらすものだという風に考えているところもありますが、この時代の人々は、この世で与えられることは何も期待せず、例え財産を奪われ、命を奪われても、再臨の主によって、命が与えられることを待ち望んでいたのです。それが信仰だったのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、この時代の人々がどのような厳しい環境の中で信仰を守り続け、崩れそうな不安の中にあって、互いに励まし合いながらその信仰を守り続けたのかが良く分かりました。私達もまた、確かな信仰をもって、この世の喜びではなく、あなたが与えてくださいます希望に望みをおいて信じて生きていくことができますように。この時代の人々の信仰を思い起こしつつ、あなたの御心にかなう信仰を持ち続けることができますように導いてください。

この祈りを、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


<<聖書の箇所(新約聖書:◇ヘブライ人への手紙)>>

◆奨励と勧告

ヘブ 10:19 それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。

ヘブ 10:20 イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。

ヘブ 10:21 更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、

ヘブ 10:22 心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。

ヘブ 10:23 約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。

ヘブ 10:24 互いに愛と善行に励むように心がけ、

ヘブ 10:25 ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。

ヘブ 10:26 もし、わたしたちが真理の知識を受けた後にも、故意に罪を犯し続けるとすれば、罪のためのいけにえは、もはや残っていません。

ヘブ 10:27 ただ残っているのは、審判と敵対する者たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れつつ待つことだけです。

ヘブ 10:28 モーセの律法を破る者は、二、三人の証言に基づいて、情け容赦なく死刑に処せられます。

ヘブ 10:29 まして、神の子を足げにし、自分が聖なる者とされた契約の血を汚れたものと見なし、その上、恵みの霊を侮辱する者は、どれほど重い刑罰に値すると思いますか。

ヘブ 10:30 「復讐はわたしのすること、/わたしが報復する」と言い、また、/「主はその民を裁かれる」と言われた方を、わたしたちは知っています。

ヘブ 10:31 生ける神の手に落ちるのは、恐ろしいことです。

ヘブ 10:32 あなたがたは、光に照らされた後、苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、思い出してください。

ヘブ 10:33 あざけられ、苦しめられて、見せ物にされたこともあり、このような目に遭った人たちの仲間となったこともありました。

ヘブ 10:34 実際、捕らえられた人たちと苦しみを共にしたし、また、自分がもっとすばらしい、いつまでも残るものを持っていると知っているので、財産を奪われても、喜んで耐え忍んだのです。

ヘブ 10:35 だから、自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります。

ヘブ 10:36 神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。

ヘブ 10:37 「もう少しすると、来るべき方がおいでになる。遅れられることはない。

ヘブ 10:38 わたしの正しい者は信仰によって生きる。もしひるむようなことがあれば、/その者はわたしの心に適わない。」

ヘブ 10:39 しかし、わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です。