家庭礼拝 2018年7月25日 へブル7:1-28 メルキゼデクの祭司職

賛美歌511光と闇とが聖書朗読 祈り 奨励説教 一分黙想 全員祈り 主の祈り 賛美歌512主よ、捧げます

 

起 

今日の聖書の箇所は、このへブル人への手紙を書いた著者が最も語りたかった箇所です。すなわちこのへブル人への手紙の中心テーマです。それを語るのにメルキゼデクの祭司職と言う事を盛んに取り上げているのですが、ユダヤ教にあまり深い知識や関心のない私たちにとってはとても理解しにくい所です。このメルキゼデクと言う人はアブラハムの物語の中で、ほんの一瞬出てくるだけの人なのですが、なぜそれほどまでにこの人物にこだわるのでしょうか。それをこれから読み解いていくことになります。

今まで学んできたこの手紙の聖書の箇所では、イエス様がいかに偉大な方であるかをずっと語られてきたのです。1章では、イエス様は天使にまさるものである事が語られ、3章ではイエス様がモーセにまさるものである事が語られました。そして4章5章では、イエス様が偉大な大祭司であることが語られました。そしてその5章の中で、旧約聖書を引用して、神様がこう言われたと語っています。「あなたこそ永遠に、メルキゼデクと同じような祭司である。」という言葉が語られ、このメルキゼデクと言う人物の名が出てくるのです。

そして今日の7章では、このメルキゼデクとイエス様の祭司職についていろいろと語っているのです。なぜでしょうか。私たちはイエス様が救い主であり、王であり、大祭司であるということを聞いて知っています。救い主であるとは、私たちを罪から救い出して下さる方であると言う事です。そして、王であるとは、イエス様はこの世の王ではなく、神の国の王であると言う事です。そして大祭司であるとは、イエス様が私たちと神様の間を取り持って、私たちに神様の事を伝え、私たちの事を神様にとりなして下さる、と言う事です。今日はその大祭司の職について、メレキゼデクとレビ人の祭司の働きの違いについて、いろいろ比較しながら語っているのです。

と言うのも、祭司職と言うのは、モーセの律法によって既に堅く決められているのです。すなわち祭司はアロンの子孫であるレビ人の内から選ばれることになっているのです。ですからダビデがいくら偉くなって王になっても、祭司にはなれないのです。ダビデはレビ人ではなく、ユダ族のものだからです。そしてイエス様はダビデの子孫なので、やはりユダ族なのです。それなのに、どうして大祭司と呼ばれるようになるのかと言う事が、ここに書かれているのです。イエス様が大祭司でなくなると、イエス様の救い主としての権能がなくなるので、その事を詳しく語っているのです。

そこで出てくるのがこのメルキゼデクと言う人なのです。この人はサレムの王様であり、大祭司なのです。ですがユダヤ人ではありません。サレムと言うのは完全なとか、平和なという意味の町の名前です。これはエルサレムと同じであるという解釈がなされています。エルとは神のと言う言葉が、サレムにくっついた言葉が、エルサレムです。この町の王様が、このメルキゼデクであり、大祭司でもあったのです。この人は、モーセの律法が出来るずっと前のアブラハムの時代から大祭司であったわけですから、律法には拘束されません。ですから、イエス様が大祭司であることは、このメルキゼデクが大祭司であるように、律法に拘束されない大祭司であり、モーセの律法に定められたアロンの子孫のレビ人とは関係のない大祭司なのだと言う事を言おうとしているのです。しかもそれはレビ人たちのように、系図に縛られるような大祭司ではなくそれに勝るものであると言う事を言おうとしているのです。

それでは、聖書を直接読んで理解してみましょう。1節から3節です。

ヘブ 7:1 このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司でしたが、王たちを滅ぼして戻って来たアブラハムを出迎え、そして祝福しました。

ヘブ 7:2 アブラハムは、メルキゼデクにすべてのものの十分の一を分け与えました。メルキゼデクという名の意味は、まず「義の王」、次に「サレムの王」、つまり「平和の王」です。

ヘブ 7:3 彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司です。

 メルキゼデクがアブラハムを出迎える話は、創世記14章の17節に書かれています。これはソドムとゴモラの王たちが、他の王たちとの戦いになった時、ソドムとゴモラの王たちが負け、ソドムに住んでいたアブラハムの甥ロトはその時に財産もろともに、連れ去られてしまったのです。その事を聞いたアブラハムは敵を襲って、ロトとその財産、他の人々をも救いだしたのです。その時に凱旋して帰って来たアブラハムをソドムの王やサレムの王が出迎えたのです。そして、サレムの王は祭司なのでパントぶどう酒で、アブラハムを祝福したのです。その時、アブラハムは、メルキゼデクにすべてのものの十分の一を与えたのです。

メルキゼデクと言う名前はもともと義の王と言う意味です。その王様がサレムを統治していたのでサレムの王と呼ばれ、さらにサレムと言うのは平和と言う意味ですから、平和の王と呼ばれたのです。

この王様は、不思議なことに父も母もわからず、系図もなく、いつ生まれていつ死んだかもわからないのです。祭司と言うのはレビ人の祭司の様に代々受け継がれていくのが祭司ですから、このような受け継がれた様子がないことから、この人は永遠に生きる人であり、ただ一人の祭司であり、神の子に似たものであると言う事になったのです。このことがイエス様の大祭司であることととても似ているので、イエス様がメルキゼデクと同じような祭司である、と言う事が語られたのです。イエス様も、レビ人のように律法や系図から任命された祭司ではなく、ただ一回の出現で永遠の祭司であり、十分の一を受け取るにふさわしい方であり、メルキゼデクの様な大祭司であると言われるのです。これが、イエス様はレビ人ではないのにどうして大祭司なのかと言う問に対する答えになるのです。そしてここから先は、さらに緻密に、その根拠を確かなものにしていく説明に入るのです。それは、メレキゼデクの祭司の方が、レビ人の祭司よりもすぐれた祭司であることを語ろうとしているのです。4節から10節です。

ヘブ 7:4 この人がどんなに偉大であったかを考えてみなさい。族長であるアブラハムさえ、最上の戦利品の中から十分の一を献げたのです。

ヘブ 7:5 ところで、レビの子らの中で祭司の職を受ける者は、同じアブラハムの子孫であるにもかかわらず、彼らの兄弟である民から十分の一を取るように、律法によって命じられています。

ヘブ 7:6 それなのに、レビ族の血統以外の者が、アブラハムから十分の一を受け取って、約束を受けている者を祝福したのです。

ヘブ 7:7 さて、下の者が上の者から祝福を受けるのは、当然なことです。

ヘブ 7:8 更に、一方では、死ぬはずの人間が十分の一を受けているのですが、他方では、生きている者と証しされている者が、それを受けているのです。

ヘブ 7:9 そこで、言ってみれば、十分の一を受けるはずのレビですら、アブラハムを通して十分の一を納めたことになります。

ヘブ 7:10 なぜなら、メルキゼデクがアブラハムを出迎えたとき、レビはまだこの父の腰の中にいたからです。

 ここで語られていることは、メルキゼデクはアブラハムに祝福を与えたのだから、アブラハムよりも偉いものであり、アブラハムの子孫であるレビ人よりも当然偉いものであると言う事です。そして、このメルキゼデクと同じような大祭司であるイエス様もまた、レビ人たちよりも偉い大祭司であると言う事を言おうとしているのです。十分の一を受け取る話も出てきますが、これはメルキゼデクの時からアブラハムが自ら決めてそうであったと言う事です。

このことをさらに詳しく語っているのが、7節から10節です。

ヘブ 7:7 さて、下の者が上の者から祝福を受けるのは、当然なことです。

ヘブ 7:8 更に、一方では、死ぬはずの人間が十分の一を受けているのですが、他方では、生きている者と証しされている者が、それを受けているのです。

ヘブ 7:9 そこで、言ってみれば、十分の一を受けるはずのレビですら、アブラハムを通して十分の一を納めたことになります。

ヘブ 7:10 なぜなら、メルキゼデクがアブラハムを出迎えたとき、レビはまだこの父の腰の中にいたからです。

 ここでは、レビ人はアブラハムを通して、メルキゼデクに十分の一をおさめたのだから、メルキゼデクの方が上のものであり祝福を与え、レビ人は下のものとして十分の一をおさめているのであると言う事になります。

 著者はここで、どうして祭司制度に二つの系統すなわち、レビの系統とメルキゼデクの様な系統があるのかを語るのでしょうか。11節から15節です。

ヘブ 7:11 ところで、もし、レビの系統の祭司制度によって、人が完全な状態に達することができたとすれば、――というのは、民はその祭司制度に基づいて律法を与えられているのですから――いったいどうして、アロンと同じような祭司ではなく、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられる必要があるでしょう。

ヘブ 7:12 祭司制度に変更があれば、律法にも必ず変更があるはずです。

ヘブ 7:13 このように言われている方は、だれも祭壇の奉仕に携わったことのない他の部族に属しておられます。

ヘブ 7:14 というのは、わたしたちの主がユダ族出身であることは明らかですが、この部族についてはモーセは、祭司に関することを何一つ述べていないからです。

ヘブ 7:15 このことは、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられたことによって、ますます明らかです。

 ユダヤ人にはレビ族による祭司制度が与えられ、律法を守り、贖罪の生贄を捧げる務めをなしていました。それなのに、イエス様はメルキゼデクと同じような祭司として、現れたのです。このことを、著者は祭司制度が新しくなり、律法も新しくなったのだと言うのです。そうでなければどうして新しい祭司制度が必要になるだろうかと言っているのです。レビ族以外から別の祭司が立てられた。このことは祭司制度に変更があり律法にも変更があったのだと言う証拠ではないかと言うのです。

 そしてこの新しい祭司はどのような方であり、何の権威によって立てられたのかをこう説明するのです。16節から22節です。

ヘブ 7:16 この祭司は、肉の掟の律法によらず、朽ちることのない命の力によって立てられたのです。

ヘブ 7:17 なぜなら、/「あなたこそ永遠に、/メルキゼデクと同じような祭司である」と証しされているからです。

ヘブ 7:18 その結果、一方では、以前の掟が、その弱く無益なために廃止されました。――

ヘブ 7:19 律法が何一つ完全なものにしなかったからです――しかし、他方では、もっと優れた希望がもたらされました。わたしたちは、この希望によって神に近づくのです。

ヘブ 7:20 また、これは誓いによらないで行われたのではありません。レビの系統の祭司たちは、誓いによらないで祭司になっているのですが、

ヘブ 7:21 この方は、誓いによって祭司となられたのです。神はこの方に対してこう言われました。「主はこう誓われ、/その御心を変えられることはない。『あなたこそ、永遠に祭司である。』」

ヘブ 7:22 このようにして、イエスはいっそう優れた契約の保証となられたのです。

 レビの系統による祭司は、その系図が大切になります。その系図によって、アロンの子孫であることを証明できなければ、祭司となる事は出来ないのです。一方、それが証明できれば誰でもなることができるのです。すなわちレビ系統の祭司は、本人の資質よりも、肉体的な系統を重んじているのです。ですが、新しい祭司、イエス様はこの肉体的な系統、すなわち肉の掟の律法によらず、朽ちるこのない命の力によって立てられたのです。なぜならば、神様が直接イエス様を示して立てられたからです。神様はこう言ってイエス様を指名したのです。「あなたこそ永遠に、/メルキゼデクと同じような祭司である」。これはレビの祭司は律法に定められた祭司であり、メルキゼデクやイエス様は神様から直接任命された祭司なのです。しかも、神様自らが誓いによって、祭司としているのです。神様はイエス様に対してこう言われました。「主はこう誓われ、/その御心を変えられることはない。『あなたこそ、永遠に祭司である。』神様が誓われたと言う事はこれから絶対に変更のない確実な事であることを保証しているのです。一方レビの祭司は律法によるだけで誓われたものではないから、イエス様の祭司の方が優先すると言うのです。

 そしてもう一つ、レビ系統の祭司と、イエス様の祭司で大きく異なることを説明しました。それは死があるか、罪があるか、完全に救うことができるかと言う事でした。23節から28節です。

ヘブ 7:23 また、レビの系統の祭司たちの場合には、死というものがあるので、務めをいつまでも続けることができず、多くの人たちが祭司に任命されました。

ヘブ 7:24 しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。

ヘブ 7:25 それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。

ヘブ 7:26 このように聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです。

ヘブ 7:27 この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。

ヘブ 7:28 律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いの御言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです。

 まず語られたのは、レビ族には死があると言う事です。ですから、それに伴い新しい祭司が任命されていきました。ですがイエス様の場合は永遠に生きているので、ただ一人の祭司で十分なのです。そして、何時も生きておられ人々のためにとりなして下さるので、完全に救うことができると言うのです。次に、レビ族の人々は罪があるので、自分のためにも民のためにも毎日生贄を捧げる必要がありました。そして大祭司もまた罪を持つ人間でした。ですが、イエス様はご自分には罪がないので、民のためにただ一度ご自身を捧げるだけでよかったのです。そして神様の誓いの言葉によって、永遠に完全な者とされた大祭司となったのです。

 このように、この著者は、イエス様の大祭司の正当性と、優位性を語り、イエス様こそ民の罪を完全に救うことの出来る大祭司であることを主張したのです。そしてレビ族による祭司制度は、新しい大祭司によって、とってかわり、その律法にもまた、変更が与えられたことを語ったのです。ここまで、イエス様の大祭司の正当性優位性を強く主張している背景には、信者たちの置かれている迫害と言う背景がありました。その迫害の中で、元のユダヤ教の方がいい、それに戻ろうとする人々が多くいたのです。それらの人々に対して、その時代はもう終わって、新しい大祭司が、私たちを完全に救ってくださるのだから、その方を信じて、お委ねしなさいと主張しているのが子のへブル人への手紙なのです。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、この手紙ではイエス様の大祭司としての正当性が強く語られ、イエス様のもとに留まるようにと言う訴えがなされています。私たちはユダヤ教に戻ることはありませんが、無宗教や仏教に戻る可能性はあります。キリスト教に救いを求めたのに、キリスト教がこんなに苦しいならばここに留まる必要なないのではないかと言う事があるかもしれません。神様、どうか私たちが困難や苦しみや悲しみの中にあっても、イエス様こそ大祭司であり、私たちを憐みをもって取り成して下さり、完全に救いへと導いてくださる方であることを信じさせてください。そして、いつも委ね、信じて受け入れていくことができますように。その中に私たちの本当の喜びを見出すことができますように。

主イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


<<聖書の箇所(新約聖書:◇ヘブライ人への手紙)>>

◆メルキゼデクの祭司職

ヘブ 7:1 このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司でしたが、王たちを滅ぼして戻って来たアブラハムを出迎え、そして祝福しました。

ヘブ 7:2 アブラハムは、メルキゼデクにすべてのものの十分の一を分け与えました。メルキゼデクという名の意味は、まず「義の王」、次に「サレムの王」、つまり「平和の王」です。

ヘブ 7:3 彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司です。

ヘブ 7:4 この人がどんなに偉大であったかを考えてみなさい。族長であるアブラハムさえ、最上の戦利品の中から十分の一を献げたのです。

ヘブ 7:5 ところで、レビの子らの中で祭司の職を受ける者は、同じアブラハムの子孫であるにもかかわらず、彼らの兄弟である民から十分の一を取るように、律法によって命じられています。

ヘブ 7:6 それなのに、レビ族の血統以外の者が、アブラハムから十分の一を受け取って、約束を受けている者を祝福したのです。

ヘブ 7:7 さて、下の者が上の者から祝福を受けるのは、当然なことです。

ヘブ 7:8 更に、一方では、死ぬはずの人間が十分の一を受けているのですが、他方では、生きている者と証しされている者が、それを受けているのです。

ヘブ 7:9 そこで、言ってみれば、十分の一を受けるはずのレビですら、アブラハムを通して十分の一を納めたことになります。

ヘブ 7:10 なぜなら、メルキゼデクがアブラハムを出迎えたとき、レビはまだこの父の腰の中にいたからです。

ヘブ 7:11 ところで、もし、レビの系統の祭司制度によって、人が完全な状態に達することができたとすれば、――というのは、民はその祭司制度に基づいて律法を与えられているのですから――いったいどうして、アロンと同じような祭司ではなく、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられる必要があるでしょう。

ヘブ 7:12 祭司制度に変更があれば、律法にも必ず変更があるはずです。

ヘブ 7:13 このように言われている方は、だれも祭壇の奉仕に携わったことのない他の部族に属しておられます。

ヘブ 7:14 というのは、わたしたちの主がユダ族出身であることは明らかですが、この部族についてはモーセは、祭司に関することを何一つ述べていないからです。

ヘブ 7:15 このことは、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられたことによって、ますます明らかです。

ヘブ 7:16 この祭司は、肉の掟の律法によらず、朽ちることのない命の力によって立てられたのです。

ヘブ 7:17 なぜなら、/「あなたこそ永遠に、/メルキゼデクと同じような祭司である」と証しされているからです。

ヘブ 7:18 その結果、一方では、以前の掟が、その弱く無益なために廃止されました。――

ヘブ 7:19 律法が何一つ完全なものにしなかったからです――しかし、他方では、もっと優れた希望がもたらされました。わたしたちは、この希望によって神に近づくのです。

ヘブ 7:20 また、これは誓いによらないで行われたのではありません。レビの系統の祭司たちは、誓いによらないで祭司になっているのですが、

ヘブ 7:21 この方は、誓いによって祭司となられたのです。神はこの方に対してこう言われました。「主はこう誓われ、/その御心を変えられることはない。『あなたこそ、永遠に祭司である。』」

ヘブ 7:22 このようにして、イエスはいっそう優れた契約の保証となられたのです。

ヘブ 7:23 また、レビの系統の祭司たちの場合には、死というものがあるので、務めをいつまでも続けることができず、多くの人たちが祭司に任命されました。

ヘブ 7:24 しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。

ヘブ 7:25 それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。

ヘブ 7:26 このように聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです。

ヘブ 7:27 この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。

ヘブ 7:28 律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いの御言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです。