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起
今日の聖書の箇所のメインテーマは、4章の14節から始まっている、「偉大な大祭司イエス」、となります。私たち日本人には大祭司と言うのは、神主さんのようにお祓いをする人のようなイメージがありますが、この聖書で言っている大祭司はちょっと違うようです。聖書で言う大祭司は、神様と人間とを取り持つ人です。神様の言葉を聞いて人間に知らせ、人間の思いや、罪の許しを神様にとりなして、神様の恵みを人間が受けられるようにする人です。普通の人間が直接神様の前に立つ事は出来ないので、間に大祭司が入って、とりなしてくれるのです。ここには生きている神様がいらっしゃると言う事が前提なのです。ですから、神様の事を知りたかったら、その大祭司を通して知るのが一番良いわけです。もともとはこのような役割を担っていたのですが、だんだんと儀礼だけがやかましくなり、その役割が形骸化してくるのです。その中でも犠牲を捧げて罪の許しを得るための儀式が、一番大切な儀式となってきたのです。その犠牲を捧げる儀式をするのが大祭司の仕事だと言うような儀礼的なものにだんだんと変わってきますが、ここで言われている大祭司イエスとは、本来的な意味での大祭司です。神様の事はイエス様を通してしか知ることが出来ず、イエス様が教えて下さる神様が本当の神様なのです。そして、大祭司が贖罪の犠牲を捧げるように、イエス様は自らをその犠牲として神様にささげた大祭司なのです。その大祭司の事を今日の聖書の箇所では詳しく語っています。
承
大祭司とはどういう人なのかと言う事を語っていますが、まず一つ目は1節です。
ヘブ
5:1 大祭司はすべて人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています。
まず一つ目は、大祭司はすべての人間の中から選ばれた人間であり、人々のために神様に仕える者であると言う事です。特別な人々の代表者ではなく、すべての人間の代表者であると言う事です。そこには立派な人も、罪人も、男も、女も、子供も、病人もすべて含まれていると言う事です。そしてそのような人々のために、神様に仕える働きをする人なのです。そしてその主な働きは罪のための供え物や生贄を捧げること、すなわち贖罪の働きをすることなのです。この大祭司の務めについてはレビ記に詳しく書かれています。しかし、旧約の大祭司と違った意味で、新約の大祭司、イエス・キリストが現れたのです。
そしてこの大祭司はどのような人であるかを2節3節でこう語っています。
ヘブ
5:2 大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです。
ヘブ
5:3 また、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分自身のためにも、罪の贖いのために供え物を献げねばなりません。
大祭司の条件は人間であることです。天使でも、物の怪でもありません。ですから、大祭司自身も人間の弱さを身にまとっているのです。無知な人、迷っている人、苦しんでいる人、悲しんでいる人を、同じような経験から思いやることができるのです。これが神様の様な方なら、あまりに人間よりも強すぎるので、人間の弱さを理解することが出来ません。体験することもありません。ですが、大祭司は人間だからこそ、同じ人間の事を思いやることができます。またその弱さゆえに、人々のために罪の贖いをするだけでなく、自分のためにも罪の贖いのために、供え物を捧げる必要があるのです。イエス様は人間として生まれてきて、色々な苦しみを体験し、最後には命を奪われるという体験までしているので、人間の苦しみをことごとく知り味わっておられるので、私たちの苦しみをも理解し同情することができる方なのです。
この大祭司の職は人間の思いでなるものではなく神様から選ばれてなるものである事をこう言っています。4節から6節です。
ヘブ
5:4 また、この光栄ある任務を、だれも自分で得るのではなく、アロンもそうであったように、神から召されて受けるのです。
ヘブ
5:5 同じようにキリストも、大祭司となる栄誉を御自分で得たのではなく、/「あなたはわたしの子、/わたしは今日、あなたを産んだ」と言われた方が、それをお与えになったのです。
ヘブ
5:6 また、神は他の個所で、/「あなたこそ永遠に、/メルキゼデクと同じような祭司である」と言われています。
祭司の仕事は、モーセに率いられていた時、アロンが神様から選ばれ、その後その子孫が祭司としての仕事をするように選ばれました。その人々はレビ人と呼ばれ、もっぱら神殿に仕える人々となったのです。その様に大祭司の仕事も、自分でなったり、人に選ばれたりしてなるものではなく、神様により選ばれ任命された人だけがなるものです。イエス様の場合、バプテスマのヨハネから、洗礼を受けた時、神様から、「あなたはわたしの子、/わたしは今日、あなたを産んだ」と言われましたが、そのことが、この大祭司に選ばれた証であると言っているのです。そしてその大祭司とはユダヤ人の間で伝説的に伝えられている大祭司、メルキゼデクのような大祭司だというのです。ここに大祭司の原型があるのです。
そして、その大祭司であり、神の御子であるイエスが、どうして大きな苦しみを受けなければならなかったのかを語ります。神の子ならば、苦しみを受けなくてもいいではないかと思う人々が多くいたからです。7節から10節です。
ヘブ
5:7 キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。
ヘブ
5:8 キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。
ヘブ
5:9 そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり、
ヘブ
5:10 神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです。
イエス様は、神の子であるのにもかかわらず、大変苦しまれました。どのように苦しまれたのかの一例が書かれていますが、それは、7節にもあるように、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげたと書かれています。これはゲッセマネの園でのイエス様の祈りの時のことを彷彿とさせます。そしてそのような苦しみの中でも、自分を死から救うことの出来る方すなわち神様に、祈りと願いを捧げ、そして最後には御心がなりますようにと祈ったのです。この筆者は、十字架上での苦しみよりも、その前のゲッセマネの苦しみの方を最大の苦しみと考えたのかもしれません。生きるか死ぬかを迷っておられる時に、一番苦しんだのです。イエス様の祈りは、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました、と書かれています。イエス様は最初、御心ならば、この杯を取り除けてくださいと祈ったのですから、死なないようにしてくださいと祈ったのです。ですが最後には自分の思いではなく、御心がなりますようにと祈り、神様はその祈りを聞き入れて下さったのです。
イエス様は、多くの苦しみの中で、神様に従順であることを学ばれたと書かれています。それは神の子であってもそうなのです。この苦しみは、神様に対する従順を学ぶためにあるのです。私たちの場合もそうなのです。そして、この苦しみと従順とを通して、完全なものとなると言うのです。ですから、ご自分が神様に対して従順であられたように、イエス様に対して従順な人々には永遠の救いを与える人となったのです。苦しみは、それを御心として受け入れる者には、永遠の救いとなり、完全なものとなる道なのです。これが、神様からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたもととなったのです。ですが私たちには、このメルキゼデクのイメージがもう一つ湧きません。きっとユダヤ人にとっては理想の大祭司の原型だったのだと思います。外国人に、あの人は天照大神のようだと言ってもわからないように、私達にもこのメルキゼデクのイメージはわかないのです。ですがすごい大祭司だったと言う事は分かります。イエス様は、その伝説の大祭司と同じような方だと神様から呼ばれたのです。
転
ここからは、話が変わって、小見出しでも、「一人前のキリスト者の生活」、となっています。これは教会の指導者に対する、上から目線の小言です。11節から14節です。
ヘブ 5:11 このことについては、話すことがたくさんあるのですが、あなたがたの耳が鈍くなっているので、容易に説明できません。
ヘブ 5:12 実際、あなたがたは今ではもう教師となっているはずなのに、再びだれかに神の言葉の初歩を教えてもらわねばならず、また、固い食物の代わりに、乳を必要とする始末だからです。
ヘブ 5:13 乳を飲んでいる者はだれでも、幼子ですから、義の言葉を理解できません。
ヘブ 5:14 固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです。
書き出しで、このことについては、と言っているのは、今まで語ってきたこと、すなわち小見出しによると、神は御子によって語られたこと、次に、御子は天使にまさること、その次には大いなる救いについて、そして救いの創始者について、さらに続いて、イエスはモーセにまさること、そして、神の民の安息について、そして最後は偉大な大祭司イエスについてと、その教理的な事を語ってきました。その内容は決して易しいものではありません。旧約の知識も必要とする、高度なものです。私達にもいまひとつ理解できないことが沢山あります。そしてこの教理的な話については、話すことがまだまだ沢山あるのだが、あなた方の耳が鈍くなっているので、容易に説明できませんと言っています。私達にも理解が難しいというのは、私たちの耳も鈍くなっているのかもしれません。
ですから、ここからは宛先の長老たちに対するこの筆者の小言になります。そしてこの小言は、6章の12節まで続くのですが、今日の聖書の箇所は、あなた方は今どのような状態にあるのかを語っています。
この筆者はイエス様の事について教理的な事を語ろうとしているのですが、あなた方の耳が鈍くなっているので、容易に説明できませんと言っています。この話す相手は、教会の教師であり、代表者であり、指導者です。ですがその人たちの耳が鈍くなっているというのは、本当に同じ土俵の信仰の上に立っているのではなく、まだこの世的な考え方に振り回されている、初歩的な信仰者であるために、信仰者同士なら容易に理解できる言葉も、容易には説明できないので、困っていると言う事です。
この人たちは、教会でもう教師となっているのに、その信仰が後退して、再び誰かに神の言葉の初歩を教えてもらわなければならない状態だというのです。その状態を説明するのに、固い食物の代わりに、乳を必要とする始末だ、というのです。これはまだ赤ん坊で、普通の食事もとることの出来ない、極めて幼稚な状態であると言う事です。ですから義の言葉を語っても、理解できず、そのような言葉すなわち堅い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものであって、まだあなた達には、それは難しすぎると言う事を言っています。だからもうこれ以上語るまいと言っているのです。
この厳しい言葉の背景にはこの時代の迫害について思いを寄せなければなりません。少なくとも、教会に集まる人たちは、その迫害の事をある程度覚悟して、真剣に学び、その信仰を受け入れてきたのです。ですがその迫害の中で、その信仰が揺らぎ、また元に戻ってしまうような人々も出てきているのです。その様な人にまた一から教えていくのでは、その人たちの成長のためにはならないのです。同じことの繰り返しになるからです。ですから、同じことの繰り返しにならないように、今はあなた方にその堅い食事を与えることはしないと言っているのです。その前にあなた方はまず、成長し、固い食事がとれるように、めざしましょうと言っているのです。この時代のむずかしさがその背景にあるのです。
結
このヘブライ人への手紙は、私達にも難しい書巻です。色々語られていますが、いまいち呑み込めないのです。ですから、私たちはこの叱られている、教会の指導者たちと同じです。まだ乳飲み子であり、固い食物が取れていないのです。ですが、ここまでいろいろと堅い食物で語ってくれました。堅い食物はこのくらいでいいだろうと言う事です。これ以上語ってもまだ消化は出来ないでしょうと言う事なのです。それよりまず、信仰生活を通して、固い食物でも取れるような成長をすることが大切ですと語っています。私たちも、日々の信仰生活を通して、聖霊の体験を通して成長していくのが大切なことになるのです。難しい話を理解できることも大切ですが、信仰的な生活を通して日々成長していくことはもっと大切な事です。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、イエス様は私たちに本当の神様の事を教えて下さる大祭司です。そして私たちの犯した罪を取り除いてくださる大祭司です。このことをこの手紙の筆者は教えてくださいました。ですが、私たちはまだ堅い食物をとることも出来ない乳飲み子です。堅い食物ばかり取っていると体を壊します。まずは信仰生活を通して、あなたの恵みに触れ、日々感謝して成長していくことができますように。どうか聖霊が働いてくださって、私たちを成長させてください。
この祈りを、主イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
<<聖書の箇所(新約聖書:◇ヘブライ人への手紙)>>
ヘブ 5:1 大祭司はすべて人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています。
ヘブ 5:2 大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです。
ヘブ 5:3 また、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分自身のためにも、罪の贖いのために供え物を献げねばなりません。
ヘブ 5:4 また、この光栄ある任務を、だれも自分で得るのではなく、アロンもそうであったように、神から召されて受けるのです。
ヘブ 5:5 同じようにキリストも、大祭司となる栄誉を御自分で得たのではなく、/「あなたはわたしの子、/わたしは今日、あなたを産んだ」と言われた方が、それをお与えになったのです。
ヘブ 5:6 また、神は他の個所で、/「あなたこそ永遠に、/メルキゼデクと同じような祭司である」と言われています。
ヘブ 5:7 キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。
ヘブ 5:8 キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。
ヘブ 5:9 そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり、
ヘブ 5:10 神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです。
◆一人前のキリスト者の生活
ヘブ 5:11 このことについては、話すことがたくさんあるのですが、あなたがたの耳が鈍くなっているので、容易に説明できません。
ヘブ 5:12 実際、あなたがたは今ではもう教師となっているはずなのに、再びだれかに神の言葉の初歩を教えてもらわねばならず、また、固い食物の代わりに、乳を必要とする始末だからです。
ヘブ 5:13 乳を飲んでいる者はだれでも、幼子ですから、義の言葉を理解できません。
ヘブ 5:14 固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです。