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起
テトスへの手紙は今日で終わりです。短い牧会書簡ですが、当時の教会の状況が良く反映されており、教会員が何に注意して、信仰生活を送っていたかが良く分かります。先週は、「健全な教え」と言う小見出しで、教会員の一人一人がどんなことに注意して信仰生活や教会生活を送って行ったらよいかを、年老いた男の人、年老いた女の人、若い女の人、若い男の人、奴隷である人、それぞれに分けて、語り掛けています。そこには、それぞれどんな人間関係の中にあっても、柔和に辛抱強く、善行を行い平和に過ごしなさいと言う指導指針が出されているのです。
そして今日の聖書の箇所ですが、今日の小見出しもまた、「善い行いの勧め」、と言う事で、同じような事が言われています。先週の話と違ってくるのは、教会の中だけでなく、支配者や権威者に対してもそうでありなさいと言う事が言われています。そしてそのことを行えるようにしてくださるのはイエス・キリストを通して与えられる聖霊による恵みによるものである、と言う事が語られています。信仰によって善行を行うことが、出来るようになるのだと言っているのです。
この手紙を読むと、何故かとても保守的な考え方にちょっと疑問を感じてしまいそうになります。何故かと言えば、ここで言われていることは、あなたたちは、とにかく現状を受け入れなさい。周りに多少問題があっても我慢して争うことなく、正しく柔和に過ごしなさい。教会に従順にしたがい、若者たちは、誰に対しても争う事なく、奴隷たちは主人に従順に仕えなさい。そして今日の聖書にあるように、支配者や権威者に対しても何か悪いことがあっても、逆らうことなく、平和に過ごしなさい。そしてクリスチャンは、善い子だ優等生だと思われるようにしなさい、と言っているような気がするのです。確かにそういっているのですが何故でしょうか。今の若い人たちに同じような事を言ったら、その保守的な考えに対して、もっと世界を変えなくてはいけない。権威と戦わなくてはいけないと革新的な主張をするのではないかと思います。なぜパウロはそのような事を言ったのでしょうか。権威に対抗してでも勇気をもって世界を変えていこうという活動をすることはいけないことなのでしょうか。後世にはそのような勇気あるクリスチャンがたくさんいたのですが、どうしてだめなのでしょうか。
それにはこの時代背景を考慮に入れることが必要なのだと思います。パウロにとって、とにかく今は静かにしている時だという判断があったのだと思います。クリスチャンの人口はどんどん増えて行ってはいますが、まだ、芽が出たばかりの苗木のようなものです。今ここで世間や権威の批判を浴びて、クリスチャンは危険な宗教団体だというような悪い評判を立てられれば、この宣教活動に大きな支障が出るだろうという判断だったと思います。そしてそのうちもっと力をつけて時が満ちたなら、必要な改革をしていくときが来るのだと考えていたのではないかと思うのです。また、再臨の時は近い、終末の時は近いという考えから、この世的な問題はそれに比べたら、とても小さなことだから、今はそれに関わり合って、平安を乱してはいけない。今は心を静めて、キリストの再臨の時を待ち望むことが一番なのだから、この世のことは、多少我慢して、過ごしましょうと言った思いがあるような気がします。
その様な時代背景があることを考慮に入れて、今日の聖書の箇所を学んでいきたいと思います。
承
ここでまず、パウロがテトスに語ったことは、支配者や権威者に対して従いなさい、と言う事でした。1節から2節です。
テト
3:1 人々に、次のことを思い起こさせなさい。支配者や権威者に服し、これに従い、すべての善い業を行う用意がなければならないこと、
テト
3:2 また、だれをもそしらず、争いを好まず、寛容で、すべての人に心から優しく接しなければならないことを。
キリスト教の考えの中には、支配者や権威者と言うものもまた、神様から与えられたものだから、その権威に従いなさい、というものがありました。イエス様もそのような事を語っているのです。ですから何でもかでも、支配者や権威者に逆らって、新しい価値観を立てればいいと言う事ではありません。聖書の中には、エジプトやアッシリアの様な征服者の国や王でさえも神様に用いられて、ユダヤ人たちを征服し、奴隷にして、ユダヤ人たちが神様に従うべき民であることを教えているところが多数あります。当時はローマ帝国が支配者であり権威者となっていたのですが、それに逆らい闘う人々も多数いたのです。ですがクリスチャンはそれと戦ってはいけない、それに服し、これに従い、すべての良い業を行う用意がなければならないと言ったのです。クリスチャンは支配者の側から見ても模範的な行いをする人々だと思われるようにしなさい、と言っているのです。
そしてパウロは、自分達がどのように変えられたのかの証を語ります。3節から5節です。
テト
3:3 わたしたち自身もかつては、無分別で、不従順で、道に迷い、種々の情欲と快楽のとりことなり、悪意とねたみを抱いて暮らし、忌み嫌われ、憎み合っていたのです。
テト
3:4 しかし、わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに、
テト
3:5 神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。
その証の方法とは、昔から常套手段になっている方法がありました。それは、以前は、私はこのような罪の中にいた、ですが今では私は、神様によって救われて、このように変えられた、という論法の話をすることです。その様な方法でパウロも語ります。それではかつてはどうであったかというと、パウロはこう言います。「わたしたち自身もかつては、無分別で、不従順で、道に迷い、種々の情欲と快楽のとりことなり、悪意とねたみを抱いて暮らし、忌み嫌われ、憎み合っていたのです。」パウロも含めて信仰に入る前の人々は、かつては神様を畏れることなく、無分別で、不従順で、神様の道から迷い、種々の情欲と快楽のとりことなっていたというのです。その結果どうなったというのでしょうか、それは、悪意とねたみを抱いて暮らし、忌み嫌われ、憎み合っていたのです、とパウロは語りました。イエス・キリストの信仰を持っていなかったときには最悪だったと言っているのです。それが信仰を持つようになってどのように変えられたでしょうか。それは信仰を持つというようなことではなく、私たちの前に、救い主である神の慈しみが示され、神様の愛が人間に対して示されたというのです。それは人間の努力によって義の業によって信仰を持つようになったと言う事ではなくて、神様の憐れみによって、私たちを救ってくださったと言う事でした。その救いというのはどういうものだったのでしょうか。それは、聖霊によって新しく生まれ変わり、新たに造り替えられることが出来たというのです。それは洗いを通して、すなわち洗礼を通して、新しく生まれ変わることが出来たと言う事なのです。聖霊による生まれ変わりで、神様の恵みによって生かされる新しい人生となったと言う事です。
そして、パウロはその救いをもたらした聖霊についてこう語りました。6節から8節です。
テト
3:6 神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。
テト
3:7 こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。
テト
3:8 この言葉は真実です。あなたがこれらのことを力強く主張するように、わたしは望みます。そうすれば、神を信じるようになった人々が、良い行いに励もうと心がけるようになります。これらは良いことであり、人々に有益です。
イエス・キリストを信じようとするものに対して、神様はまず、イエス様を通して、この聖霊を私たちに豊かに注いでくださったと言いいます。救いというものは、神様がイエス様を通して、聖霊を私たちに注いで下さる事によって起こるものだと言う事がこの話でよくわかります。それぞれが別々の話ではなく一体になって行われているのです。その聖霊によって、すなわち神様から与えられたキリストの恵みによって、私たちは本当は罪人なのに、赦されて正しいものとされ、希望通り永遠の命を受け継ぐものとされたというのです。神の国に生きるものとされたのです。
パウロはこの事について、この言葉は真実ですと言いきりました。そして、この事を力強く主張し、宣教してくださいと言いました。そうすれば、神様を信じるようになった人々が、罪から離れて、善い行いに励もうと心がけるようになります。この事はその人々にとっても周りの人々にとっても良い事ですと語ったのです。
一方で、教会の中で湧きあがっている、新しい教えとの論争がありました。それはイエス様の教えから離れて行こうとする教えでした。それに対してどうしたらよいかをパウロは語ります。9節から11節です。
テト
3:9 愚かな議論、系図の詮索、争い、律法についての論議を避けなさい。それは無益で、むなしいものだからです。
テト
3:10 分裂を引き起こす人には一、二度訓戒し、従わなければ、かかわりを持たないようにしなさい。
テト
3:11 あなたも知っているとおり、このような人は心がすっかりゆがんでいて、自ら悪いと知りつつ罪を犯しているのです。
パウロは、「愚かな議論、系図の詮索、争い、律法についての議論を避けなさい。それは無益で虚しいものだからです」と語りました。これは主にユダヤ教的な律法主義的な教えにいつまでも関わり合ってはいけないというものです。パウロはそのような議論をしていくら知識を蓄えたとしても、神様からの恵みがなければ、聖霊の満たしがなければ、何の意味もない事を言っているのです。ですがそのようなユダヤ教の教えを広めようとする人々、グノーシス的な物質も、体も汚れていると教えるような人々は教会の中に分裂を起こしていました。その様な人々に対して、パウロはテモテに、1,2度は訓戒して様子を見なさい。それでも従わなければ、かかわりを持たないようにしなさい、と言いました。ここでかかわりを持たないようにしなさいと言うのは単に、知らん顔をしていなさいと言うよりも、教会から破門して、教会から追い出しなさいという強いメッセージがあるのです。なぜならば、あなたも知っているようにと、パウロは前置きし、このような人は心がすっかり歪んでいて、自ら悪いと知りつつ罪を犯しているからだというのです。すなわちすっかり魂をサタンに引き渡して、そのサタンによって操られているからだというのです。
転
そしていよいよこの手紙の最後に入りました。いつもの最後の挨拶をしています。12節と13節です。
テト 3:12 アルテマスかティキコをあなたのもとへ遣わしたら、急いで、ニコポリスにいるわたしのところへ来てください。わたしはそこで冬を越すことにしたからです。
テト 3:13 法律家ゼナスとアポロとを、何も不自由しないように、よく世話をして、送り出してください。
パウロはどこにいても常に人人を動かしている大変な指導者でした。この時もまずアルテマスかティキコをあなたのもとへ遣わしたら、急いで、ニコポリスにいる私のところへ来てください。と言いました。ティキコは良くパウロの手紙をもってコロサイ教会やら、エフェソの教会などに行った人です。多分この人たちはこのパウロの手紙をもって、テトスの所にやってきたのだと思います。そして、この手紙の内容についてもっと詳しく話をするために、パウロの所に来るように言っているのだと思います。
パウロは、どうも体に悪い寒い場所を避けて暖かいニコポリスと言うところに住まいを移すので、そこにテトスに来るようにと言っているのです。この牧会方針について、詳しい話や相談でもあったのではないでしょうか。
そしてまた、法律家ゼナスとアポロとを、何も不自由しないように、よく世話をして、送り出してください、と言いました。アポロと言うのはパウロにつくかアポロにつくかというほど力のある教師でした。その事は使徒言行録に書かれています。ゼナスの事は分かりませんが、法律家だと言いますから、このローマの治世の中で、問題を起こさずに過ごすための知恵を与えられたのかもしれません。それで十分に丁重にもてなして、お返ししなさいと言っているのです。
そしてパウロは最後にこう言いました。14節と15節です。
テト 3:14 わたしたちの仲間も、実際に必要な物を賄うために、良い行いに励むことを学ばねばなりません。実を結ばない者とならないためです。
テト 3:15 わたしと一緒にいる者たちが皆、あなたによろしくと言っています。わたしたちを愛している信仰の友人たちによろしく伝えてください。恵みがあなたがた一同と共にあるように。
パウロは、最後の締めくくりに繰り返し、善い行いに励み、実を結ぶものになりなさいと語りました。これがパウロが一番言いたかったことです。そして、こちらの教会の人々があなたによろしくと言っていますと言う事を、付け加えることを忘れませんでした。そして、そちらの教会の信仰の友人たちにもよろしく伝えてくださいと言う心配りをしています。手紙の結びはいつものように、恵みがあなたがた一同と共にあるように、と言う祝福の言葉です。
結
パウロはテトスに、最後までよい業に励みなさいと言う事を伝えました。それが今の教会にとっては一番良い事である、この世的な事や、異端の教えや、ユダヤ教の教えに捉われてはならない。ただ神様がイエス・キリストを通して与えて下さる恵みの聖霊を豊かに受け取りなさい。この事が一番大切なのですよと言っているのです。そうすれば自然に良い業に励むようになるのですよと言っているのです。私たちもこの聖霊をいつも求めて自然に良い業に励むものでありたいと思います。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。私達にも日々あなたの聖霊を送ってください。そして私たちが巧まずに良い業に励むことができますように、その実を結ぶことができますように導いてください。パウロはその事をテトスにもテモテにも語ってきましたが、その事は今の教会の牧会指針にもなっています。そしてあなたの教えが世に広められて、平和な豊かな世界が与えられますように。私たちがあなたのもとにあって、本当に兄弟姉妹として、愛をもって互いに受け入れていくものでありますように。この祈りを主、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
<<聖書の箇所(新約聖書:◇テトスへの手紙)>>
◆善い行いの勧め
テト 3:1 人々に、次のことを思い起こさせなさい。支配者や権威者に服し、これに従い、すべての善い業を行う用意がなければならないこと、
テト 3:2 また、だれをもそしらず、争いを好まず、寛容で、すべての人に心から優しく接しなければならないことを。
テト 3:3 わたしたち自身もかつては、無分別で、不従順で、道に迷い、種々の情欲と快楽のとりことなり、悪意とねたみを抱いて暮らし、忌み嫌われ、憎み合っていたのです。
テト 3:4 しかし、わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに、
テト 3:5 神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。
テト 3:6 神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。
テト 3:7 こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。
テト 3:8 この言葉は真実です。あなたがこれらのことを力強く主張するように、わたしは望みます。そうすれば、神を信じるようになった人々が、良い行いに励もうと心がけるようになります。これらは良いことであり、人々に有益です。
テト 3:9 愚かな議論、系図の詮索、争い、律法についての論議を避けなさい。それは無益で、むなしいものだからです。
テト 3:10 分裂を引き起こす人には一、二度訓戒し、従わなければ、かかわりを持たないようにしなさい。
テト 3:11 あなたも知っているとおり、このような人は心がすっかりゆがんでいて、自ら悪いと知りつつ罪を犯しているのです。
◆結びの言葉
テト 3:12 アルテマスかティキコをあなたのもとへ遣わしたら、急いで、ニコポリスにいるわたしのところへ来てください。わたしはそこで冬を越すことにしたからです。
テト 3:13 法律家ゼナスとアポロとを、何も不自由しないように、よく世話をして、送り出してください。
テト 3:14 わたしたちの仲間も、実際に必要な物を賄うために、良い行いに励むことを学ばねばなりません。実を結ばない者とならないためです。
テト 3:15 わたしと一緒にいる者たちが皆、あなたによろしくと言っています。わたしたちを愛している信仰の友人たちによろしく伝えてください。恵みがあなたがた一同と共にあるように。