家庭礼拝 2018年5月2日テモテ第二4章1‐8 最後の勧め
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起
今日の聖書の箇所はとても短いです。そして、実質的には今日の箇所でこの手紙は終わっているようなものです。この後続く手紙の内容は追伸のようなもので、思い出して必要な事を書き足しているような感じです。
今日の、聖書の箇所でパウロは何を語っているのでしょうか。それはまさにパウロの遺言です。最後に、真剣に語ったパウロの遺言です。パウロはもう自分の命がもう長くないことを悟って、テモテにこの言葉を残していったのです。では最後にパウロは何を語ったでしょうか。聖書を見てみましょう。
承
パウロがテモテに言い残した言葉はこれです。1節と2節です。
2テモ
4:1 神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。
2テモ
4:2 御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。
パウロは、テモテに厳かに命じますと言って語りました。それも、神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます、と言ったのです。それは神様に誓って、これ以上大切なことはないと言った感じで、命じているのです。それは何かというと、御言葉を述べ伝えなさい、と言う事でした。この事こそ、パウロが命に代えて、テモテに語りたかったことです。それも、折が良くても悪くても励みなさいと言いました。今は都合が良いとか悪いとか、今はもっと大切なことがあるとか、自分に出来るとか出来ないとかと言う事ではなくて、どんな時でもよい時でも悪い時でも御言葉を述べ伝えなさいと言う事です。その方法は、とがめ、戒め、励まして、宣べ伝えなさいと言っています。単に御言葉を伝えるだけではなく、その人に罪や誤りがあったならば、とがめ、戒めて、御言葉によって正しなさい。そしてまた、失意にあり、思うように力が出ない人には御言葉によって励ましなさいと言っているのです。これは外部に対する宣教と言うよりも、教会員たちの牧会の事を言っているような気がします。その牧会において御言葉を述べ伝えなさいと言っているのです。それも、忍耐強く、十分に教えなさい、と言っています。相手が納得するまで、丁寧に、謙遜に、忍耐強く教えなさいと言っているのです。これはパウロがテモテに言い残した、最も大切な事でした。パウロは自分が死んでしまった後の、宣教をテモテに託して、こう言っているのだと思います。
なぜパウロはこの事を、大切な事として、テモテに遺言のように語ったのかというと、人々が教会の中においてさえ、御言葉を聞こうとしない人々が増えてくるという危機感を感じていたのです。3節から5節です。
2テモ
4:3 だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、
2テモ
4:4 真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。
2テモ
4:5 しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。
これは、パウロの予言です。自分が死んで教会に中心となる指導者がいなくなると、誰も健全な教えを聞こうとしない時が来るというのです。健全な教えとは、イエス様の教えて下さったことから、外れないで、聞いていこうとする教えです。その様な態度の人々が少なくなり、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります、と言っています。作り話とは、異端のグノーシス的な教えで、宗教と言うよりも哲学や科学を取り入れたような教えで、理屈で作り上げた世界を語っているのです。これは彼らに理解できない復活とか、再臨とか、またいろいろな奇跡とかを、別の理屈をつけて、理解しようとする考え方です。特にこの教えでは、肉体や物質的なものはすべて汚れており、精神のみが清いものであるという考え方であり、イエス様の教えとは全くかけ離れた教えになってきているのです。ですが、再臨の時や、終末の時がなかなかやって来ないと人々は別の理解の仕方の方に流れていったのです。そして教会の人達は、そのような事を良く教えてくれる教師たちを呼び集めて、イエス様の教えて下さった教えからは離れていくようになったのです。今でも科学的な考え方は新しく、宗教的な考え方は古いと言ったことを思う人々がいますが、その当時は、このグノーシス的な考え方の方が新しく感じて流行していったのです。でもパウロはテモテにこう言いました。この様に不健全な教えに流される人が増えてきているが、しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。御言葉を述べ伝え続けなさい、と語ったのです。パウロはテモテには、どんな苦しみにも耐え忍んで、御言葉を宣べ伝える使命を果たしてほしいと願っているのです。それほどテモテに対する期待は高かったのです。
転
パウロは、テモテに話したいことを語り終えると、パウロは自分の心境について語りました。ここにはパウロ自身がはっきりと、世を去る時が近づきましたと語っています。ですからこれらの言葉は、パウロの遺言なのです。6節から8節です。
2テモ 4:6 わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。
2テモ 4:7 わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。
2テモ 4:8 今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。
パウロは今、囚われの身となって牢獄に入っているのですが、その事を生贄としてささげられていると語りました。生贄とは、他の人々の罪を贖うためにささげられる命です。イエス様が世の罪を贖う生贄となったように、パウロもまた生贄としてささげられていると受け止めているのです。それは殺されると言う事ではなくて、人々の罪を救うために、神様に命を捧げると言う事です。そしてその時が近づいている、世を去る時が近づいたと言っているのです。そしてそのことを残念だと思っているわけではなく、自分のやるべきことはすべてやり遂げて、神様のもとに帰ることができると考えているのです。
パウロは自分の人生を顧みて、私は、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜いたという満足感で満たされているのです。この様な満足感を与えるのは、信仰以外にはないでしょう。信仰以外のものではどこまで行っても不満足でしかないからです。そしてパウロは、「今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです、」と言って、その時に神様から、お褒めをいただき、義の栄冠を授かることを楽しみにしているのです。パウロにとって死ぬことは決して恐ろしい事ではなく、神様のもとに帰れるすばらしい事なのです。でもパウロはその事について一言付けたしておくことを忘れませんでした。その様な義の栄冠を受けるのは私だけではなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます、と言いました。義の栄冠とは、神様から、良しとされることです。その様に神様から良しとされる人と言うのは、パウロの様に目覚ましい働きをした人しか受け取れないのではなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人にはすべて、この義の栄冠が与えられるというのです。反対にいくら立派な仕事をしても、主の再臨を待ち望む思いのない人には与えられないと言う事になります。信じて待ち望むことこそ信仰であり大切な事なのです。
結
パウロは最後にテモテに「御言葉を述べ伝えなさい」と命じました。それは折が良くても悪くても励みなさいと言いました。このイエス様の御言葉を伝え、神様の御国に生きるものとなるように、その福音を伝えて、救いを述べ伝えなさいと語ったのです。キリスト教には、この宣教と言う事が強く押し出されています。イエス様も復活して弟子たちに現れた時、「全世界に行って、すべてのつくられたものに福音を述べ伝えなさい」と命じました。これがこの世での最後の言葉になるのです。同じようにパウロも最後に御言葉を述べ伝えなさいと言って締めくくりました。それほどクリスチャンにとって御言葉を述べ伝えることが大切なのです。折が良くても悪くてもというのは、自分にはまだ力がない、語る資格がない、などと言う事にも関係なく伝えなさいと言う事なのです。その意志さえ持てば、あとは神様に委ねて、行えばいいだけなのです。神様が後は責任を持ってくれるのです。パウロはそのような神様に信頼を寄せていたので、死ぬことも恐ろしくはありませんでした。むしろ義の栄冠を受けることに喜びを感じているのです。これが人生を全うした人の感じる信仰的な感じ方です。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様、パウロはテモテに御言葉を述べ伝えなさいと言い残しました。それはキリスト・イエスの御前で厳かに命じられた命令なのです。この言葉は私達にも語られています。自分に出来るかできないかではなく、都合が良いか悪いかではなく、いついかなる時でも、神様が共に居て下さるから述べ伝えなさいと言う事なのです。私たちは何時も、自分達の都合を優先して、この事におろそかにしておりましたが、神様どうかあなたを信じあなたに委ねて、この業を行っていくことが出来ますように。自分たちの子供たちに、兄弟に、知り合いの人達に、さりげなくあなたの救いの事を、福音を語っていくことが出来ますようにそして近隣の人々に、世界中の人々に福音を語ることができるように導いてください。この祈りを、主、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
<<聖書の箇所(新約聖書:◇テモテへの手紙二)>>
2テモ
4:1 神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。
2テモ
4:2 御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。
2テモ
4:3 だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、
2テモ
4:4 真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。
2テモ
4:5 しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。
2テモ
4:6 わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。
2テモ
4:7 わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。
2テモ
4:8 今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。