家庭礼拝 2018年4月18日テモテ第二2章14‐26 適格者と認められた働き手
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起
今日の聖書の話では、教会の働きにあって、誰が的確者であり、誰が不適格者なのかをパウロは語っています。教会の中が、分裂してしまいそうないろいろな教えや考えがあって、その中でどのようにしていったらよいのかを、テモテに教えているのです。
教会と言うのは不思議なところです。教会はイエス様の教えを正しく受け継ぐ忠実な人たちの集まる所というイメージがありますが、教会は最初からそうではないし今でもそうではないのです。すなわち教会とはいいものも悪いものもすべて一緒にいられるところなのです。悪いものは悪いものだからと言って無理に排斥しないのです。イエス様の毒麦のたとえにもあるように、毒麦を抜いてしまいましょうかという弟子の考えに対して、良い麦も一緒に抜いてしまわないように、そのままにしておきなさい、というのが教会の在り方なのです。ですが時が来たなら、良い麦と毒麦ははっきりと振り分けられ、毒麦は火で燃やされてしまうのです。
この初代教会にあっても、異端の教えを語る者達と、イエス様に忠実な者達が一緒に教会の中にいて、それぞれが教えているのです。ですが、その中にあって、パウロはそのような人たちと議論してどちらが正しいかなどと語っているよりも、その正しい行いを実行しなさい。真理の言葉を正しく伝えなさい。愚かで無知な議論を避けなさいと語っているのです。
私達は相手が間違っていると思うとそれをねじ伏せてでも自分の意見に従わせようとしますが、そうではなくて、ただ、神様を信じて正しい行いを行いなさい、人を相手にするのではなく、神様に忠実でありなさいと教えているのです。それが神様の前に適格者と認められるものですよと言っているのです。人間の愚かな議論に負けまいと、夢中になってはいけないと言っているのです。
承
それでは聖書の言葉に聞いてみましょう。14節と15節です。
2テモ
2:14 これらのことを人々に思い起こさせ、言葉をあげつらわないようにと、神の御前で厳かに命じなさい。そのようなことは、何の役にも立たず、聞く者を破滅させるのです。
2テモ
2:15 あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい。
この節ではいきなりこれらの事を人々に思い起こさせなさいと言う言葉が出てきますが、これらのこととはどのことでしょうか。それはその前に語られた、讃美歌の内容の事です。この様になっています。
2テモ
2:11 次の言葉は真実です。「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、/キリストと共に生きるようになる。
2テモ
2:12 耐え忍ぶなら、/キリストと共に支配するようになる。キリストを否むなら、/キリストもわたしたちを否まれる。
2テモ
2:13 わたしたちが誠実でなくても、/キリストは常に真実であられる。キリストは御自身を/否むことができないからである。」
この言葉を、忠実な人々に、思い起こさせなさいと言っています。そして、言葉をあげつらわないようにと、神の御前で厳かに命じなさい、と言っています。これは間違った教えを教えている人たちと議論をしてどちらが正しいかなどというような、言葉をあげつらうようなことはもうしなくていい、ただ、この讃美歌の内容を信じて、従うものとなりなさい。異端の教えには取り合う必要はないと、神様の前で厳かに命じなさい、言っているのです。その様な議論は、信仰には何の役にも立たずに、しかも聞いている信仰の浅い人たちに、かえって間違った印象や考えを植え付けて、その人たちを破滅させるからですと言うのです。イエス様の毒麦のたとえと同じなのです。パウロは、そのような議論にエネルギーを費やすのではなく、あなた自身が適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい、と言いました。人を相手にするのではなく、神様のみ前に立って、神様を見つめていきなさいと言う事なのです。為すべきことはこの事なのだと教えたのです。それではその異端の教えとは、いったいどんな教えなのでしょうか。それはこれからだんだんその話が出てくるのでそれを待ちましょう。パウロは、テモテにどうしたらよいのかを具体的に指示しています16節から18節です。
2テモ
2:16 俗悪な無駄話を避けなさい。そのような話をする者はますます不信心になっていき、
2テモ
2:17 その言葉は悪いはれ物のように広がります。その中には、ヒメナイとフィレトがいます。
2テモ
2:18 彼らは真理の道を踏み外し、復活はもう起こったと言って、ある人々の信仰を覆しています。
俗悪な無駄話とは、噂話のようなものではありません。これは異端との議論の事を言っているのです。その異端を語る人たちの話と言うのは、18節にあるように、復活はもう起こったと言って、イエス様の復活を信じようとはしていないのです。それでは何を復活と言っているかというと、洗礼の時に水に沈められてそこから立ち上がった時のことを復活と呼んでいるのです。洗礼の時に死んで復活したのだからもう起こっているのだ、イエス様が死んだのちに生き返ったなどと言うのは信じられない話だと言って、イエス様の復活したことを信じようとしている人々の信仰を覆しているのです。その様な話はもっともらしく言われているので、悪い腫物の様に教会の中に広がっているというのです。その様に言っている人を名指しで、ヒメナイとフィレトがそうであると言っており、彼らは真理の道を踏み外していると言って怒っているのです。このヒメナイという人は、第一テモテの1章20節にも名指しでこう言われています。「ある人々は正しい良心を捨て、その信仰は挫折してしまいました。その中には、ヒメナイとアレクサンドロがいます。私は、神を冒涜してはならないことを学ばせるために、彼らをサタンに引き渡しました。」と痛烈に非難しているのです。サタンに引き渡したとは、破門したと言う事です。ここではもう一人アレクサンドロが言われていましたが、第二テモテでは、フィレトと言う人も新たに出てきたのです。この様な間違った教えを語る者に付き合うことなく、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい、というのがパウロの教えなのです。それにしても随分教会の中はすさまじい姿になっているようです。留守を任されたテモテも大変なのです。でも、このテモテへの第二の手紙は、パウロが死刑になる直前に書かれた手紙なのです。パウロ自身ももうすぐ自分の命が絶たれるかもしれないという、危機感をもって、この手紙を書いているのだと思います。
ですがパウロはまた落ち着いてこう語ります。19節です。
2テモ
2:19 しかし、神が据えられた堅固な基礎は揺るぎません。そこには、「主は御自分の者たちを知っておられる」と、また「主の名を呼ぶ者は皆、不義から身を引くべきである」と刻まれています。
パウロはこのような異端を語るものを怒りつつも、神が据えられた堅固な基礎は揺るぎません、とその確信を語っています。神様が据えられた堅固な基礎とは教会の事です。教会はそのような異端の話位で揺らぐようなものではないと言っているのです。なぜならば、イエス様はご自分に従う者達、信じる者たちを知っており、その様な者達を堅固な基礎としているからです。そしてそのような、主を信じて御名を求める人たちは皆、不義から身を引くべきであることを強く確信しているからです。
転
パウロは、ちょっと落ち着いた気持ちで、教会にはどのような人々がいるのかを、器と言う譬えを用いて話を始めました。20節と21節です。
2テモ 2:20 さて、大きな家には金や銀の器だけではなく、木や土の器もあります。一方は貴いことに、他方は普通のことに用いられます。
2テモ 2:21 だから、今述べた諸悪から自分を清める人は、貴いことに用いられる器になり、聖なるもの、主人に役立つもの、あらゆる善い業のために備えられたものとなるのです。
パウロの譬えは、大きな家には金や銀の器だけではなく、木や土の器もある、という譬えです。これは何を意味しているのでしょうか。大きな家とは教会です。個別の教会と言うよりも、キリストの公同の教会とでもいうものを指しています。すなわち基督教全体の教会です。その大きな家には金や銀の器だけでなく、木や土の器もある、というのは教会にはいろいろな人が居ると言う事です。金や銀や木や土の器が、それぞれの用途に応じて用いられるように、教会に集まるいろいろな人も、それぞれ、キリストに役立つものとして用いられ、あらゆる良い業に備えられている、と言っています。悪いことから自分を清めた人は、尊いことに用いられ、まだ浄められていない人は普通のことに用いられて、それぞれにふさわしい用いられ方をするために、教会にはいろいろな人が居るのだと言う事を言ってます。教会には金や銀の器になる人しか来てはいけないと言う事ではないのです。誰でも来て良いのです。その事を初代教会時代から、教会は受け入れているのです。
なぜ教会はそのような色々な人を受け入れるのでしょうか。22節から25節です。
2テモ 2:22 若いころの情欲から遠ざかり、清い心で主を呼び求める人々と共に、正義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。
2テモ 2:23 愚かで無知な議論を避けなさい。あなたも知っているとおり、そのような議論は争いのもとになります。
2テモ 2:24 主の僕たる者は争わず、すべての人に柔和に接し、教えることができ、よく忍び、
2テモ 2:25 反抗する者を優しく教え導かねばなりません。神は彼らを悔い改めさせ、真理を認識させてくださるかもしれないのです。
パウロはテモテに、クリスチャンとして、正しい歩みをするためにどのようにしたらよいのかを語りました。それはまず、正義と信仰と愛と平和を負い求めなさい、と言う事でした。それも一人でそれを行うと言う事ではなく、清い心で主を呼び求める人々と共にそれを一緒に追い求めなさいと言っています。それが教会だというのです。二つ目はおろかで無知な議論を避けなさい、と言う事です。この愚かで無知な議論とは、異端的な人々の考えと議論をすると言う事です。その様な議論は争いのもとになるだけで、少しも教会の進歩にはつながらないというのです。むしろ、三つめの教えですが、争わず、すべての人に柔和に接し、教えることができ、良くしのび、反抗するものを優しく教え導きなさい、と言っているのです。その様にすれば、神様が、彼らを悔い改めさせて、真理を認識させてくださるかもしれないからだというのです。パウロはここでは、教会にいる正しい信仰を持つ忠実な人々は、決して議論をすることなく、決して争わず、正義と信仰と愛と平和を追い求めつつ、反抗する者達に対しても優しく教え導きなさい。そして後は神様に委ねなさい。そうすれば神様が悔い改めさせてくださるかもしれないと言っているのです。この様なものが神様のみ前に、適格者と認められる働き手になるのですよとパウロは言っています。そしてそのように接していればいつか彼らは悪魔から解放されるでしょうと26節でこう語っています。
2テモ 2:26 こうして彼らは、悪魔に生け捕りにされてその意のままになっていても、いつか目覚めてその罠から逃れるようになるでしょう。
この様に、教会には悪魔に生け捕りにされた人もいるのです。それでも協会はその人たちをも受け入れて、決して争わずに、教え導いて、神様の御力によって、悪魔から解放されることを願っているのです。
結
私たちは、義論によって自分たちの正しさを証明しようとします。ですがパウロは議論をしてはいけないと言います。議論をすればするほど信仰から離れていき、義論が解決の方法ではなく、争いのもとになることを警告しています。そうではなくて、信仰にもとづく忍耐強い、寛容な精神で、教え導くことを語りました。この時代は、すぐ来ると思っていた、イエス様の来臨がなかなかやって来なかったので、復活そのものもなかったのではないかと思い始め、ある人たちはキリスト教にギリシャ的な哲学を取り込んで、もっともらしい理屈を教え始めていたのです。私たちが適格者と認められる働き手になるには、そのような異端的な考えに染まることなく、議論を交わすこともなく、ただ神様のみ前で良き働き人として、忠実にその務めを果たすことであると、パウロは言っているのです。このテモテ第二の手紙はこのパウロの最後の手紙となったのです。いわば、遺言のようなものです。
(一分間黙想)(お祈り)
天の父なる神様。パウロは如何に違った意見や非難する言葉に対しても争うことなくただ神様を見上げて、寛容に、教えさとすことを教えました。決してその事で議論してはならないと言いました。義論は争いを招き、信仰の浅いものを躓かせるとも言いました。神様、私たちも自分たちの信仰を守るために、自分の正当性を主張して議論してしまいそうになりますが、どうかあなたがすべてを解決して下さることを信じて、ただあなたを見上げて委ねていくことが出来ますように。私たちが行うべきは人と議論することではなく、あなたの御心を行う事です。どうかあなたのみ心を知って、一つでも多く善き業を行うことが出来ますように導いてください。周りのことに惑わされることのないようにさせて下さい。
この祈りを、主、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
<<聖書の箇所(新約聖書:◇テモテへの手紙二)>>
◆適格者と認められた働き手
2テモ
2:14 これらのことを人々に思い起こさせ、言葉をあげつらわないようにと、神の御前で厳かに命じなさい。そのようなことは、何の役にも立たず、聞く者を破滅させるのです。
2テモ
2:15 あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい。
2テモ
2:16 俗悪な無駄話を避けなさい。そのような話をする者はますます不信心になっていき、
2テモ
2:17 その言葉は悪いはれ物のように広がります。その中には、ヒメナイとフィレトがいます。
2テモ
2:18 彼らは真理の道を踏み外し、復活はもう起こったと言って、ある人々の信仰を覆しています。
2テモ
2:19 しかし、神が据えられた堅固な基礎は揺るぎません。そこには、「主は御自分の者たちを知っておられる」と、また「主の名を呼ぶ者は皆、不義から身を引くべきである」と刻まれています。
2テモ
2:20 さて、大きな家には金や銀の器だけではなく、木や土の器もあります。一方は貴いことに、他方は普通のことに用いられます。
2テモ
2:21 だから、今述べた諸悪から自分を清める人は、貴いことに用いられる器になり、聖なるもの、主人に役立つもの、あらゆる善い業のために備えられたものとなるのです。
2テモ
2:22 若いころの情欲から遠ざかり、清い心で主を呼び求める人々と共に、正義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。
2テモ
2:23 愚かで無知な議論を避けなさい。あなたも知っているとおり、そのような議論は争いのもとになります。
2テモ
2:24 主の僕たる者は争わず、すべての人に柔和に接し、教えることができ、よく忍び、
2テモ
2:25 反抗する者を優しく教え導かねばなりません。神は彼らを悔い改めさせ、真理を認識させてくださるかもしれないのです。
2テモ
2:26 こうして彼らは、悪魔に生け捕りにされてその意のままになっていても、いつか目覚めてその罠から逃れるようになるでしょう。