家庭礼拝 2018年3月7日テモテ第一5章1‐24 教会の人々に対して

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起 

今日の聖書の箇所では、パウロはテモテに、教会員の一人一人にどのように接したらよいかを事細かに語っています。これはテモテがまだ若いので、教会員の指導をするにはいろいろ困難を伴うだろうから、具体的にこうしたほうがいいと言う事を教えているのです。

最初の1節2節では老人、若い男、そして年老いた婦人、若い女について、一般的な注意すべきことを教えています。これは若いテモテが、このような人々を諭して、正しい歩みをさせるにはどのような姿勢が大切かを言っているのです。教会の指導的な立場の人はすぐに人に嫌われたり非難されたりするのです。それがまだ若いテモテのような人だとさらに激しく嫌われたりするのです。ですから、そのような事を避けるためにどのようにさとしたらよいかを語ります。一言で言うと、家族の父母、兄弟姉妹に接するように諭しなさいと言う事なのです。

パウロが特に大きく言葉を用いて説明しているのは、やもめに対する接し方なのです。教会は、弱い人々貧しい人々を受け入れてきましたので、特に弱く貧しいやもめたちは教会に集まってきたのです。ですが、そこにはまた新しい問題が起こりました。どのようにこのやもめたちの面倒を見て、どのようにさとしていったらよいのか、それが教会の大きな問題だったのです。

次に大きな言葉を用いているのは、長老に対してです。長老は教会の指導的な立場であるがゆえに、人を批判したりさとしたり罰したりして、教会の運営を正しく保とうとします。ですがそれゆえに人々から嫌われ、非難され、いろいろうわさ話などの種にされて苦労しているのです。その様な長老のためにどうしたらよいのかをパウロはテモテに語っています。ですから、テモテはパウロの代弁者として、長老たちをも指導するような立場にあったのです。

この様にパウロはテモテに、若い身で、教会の指導に当たるにはどのようにしていったらよいのかを詳しく話をして、最後に健康のことや心構えなども話をしているのです。このパウロの話を聞いていると、当時の教会がどのような姿であったのかが良く見えてきます。教会にはどのような人々が集まって来たのか、そして教会はどのような働きをしたのか、そこにはどんな問題があり、長老はどんなことに苦労していたのかが伝わって来る手紙の内容です。

まず最初にパウロはテモテに、老人と若い男、そして年老いた婦人と若い女性に諭す時にはどのようにさとしたらよいのかを語ります。ここで老人と言われるのは男性の老人のことです。1節2節です。

1テモ 5:1 老人を叱ってはなりません。むしろ、自分の父親と思って諭しなさい。若い男は兄弟と思い、

1テモ 5:2 年老いた婦人は母親と思い、若い女性には常に清らかな心で姉妹と思って諭しなさい。

まず、老人を叱ってはなりませんと言います。何か間違ったことをしている時でも、その事を叱るような言い方でさとしてはいけないと言う事です。この当時は老人は若い人から尊敬されるべきであるという見方がされていたので、若いテモテのような人が年老いた老人の行動を非難したり叱ったりすることはとても侮辱するようなことだったのです。ですから、自分の父親を諭すように、穏やかに辛抱強く諭しなさい。親身になってさとしなさいと言う事を言っているのです。若い男に対しても、やはり家族のように兄弟のように思ってさとしなさいと言いました。当時は家族は特別な存在でしたので、他人と家族と言うのは今よりもずっと絆が強かったのです。ですから、家族のように接しなさい、父親とか兄弟のように接しなさいと言うのは特別な思いで接しなさいと言う事を語っているのです。同じように、年老いた婦人は母親と思い愛を持って諭しなさい。若い女性は姉妹と思って、清らかな心で接し諭しなさいと語っているのです。ここでは教会にいる全ての人を、家族の父母兄弟だと思って接し、問題があるならば心からの愛情をもって諭しなさい、他人行儀に非難してはいけないと言う事を言っているのです。これは今の私達にも必要なことかもしれません。ほかの人々と兄弟のように接しているでしょうか。もし兄弟や家族のように接していたら、その人間関係も変わってくるのではないでしょうか。

 さて、次は当時の教会の大問題、それはやもめの問題です。当時のやもめにとって、生活する手段がほとんどなかったので、当然皆貧しく苦しい生活を強いられていました。ですからそのようなやもめにとって、教会は大きな救いの手となっていました。まず、基本的な方針が3節4節に書かれています。

1テモ 5:3 身寄りのないやもめを大事にしてあげなさい。

1テモ 5:4 やもめに子や孫がいるならば、これらの者に、まず自分の家族を大切にし、親に恩返しをすることを学ばせるべきです。それは神に喜ばれることだからです。

 教会の方針は身寄りのないやもめを大事にすると言う事です。やもめは夫に先立たれて、一人になってしまった婦人の事ですが、実は他にも問題がありました。それはキリスト教は、一人の妻しか認めなかったので、当時何人も妻を持っていた男の人はひとりだけにする必要があって、他の女の人は離縁されたのです。それでやもめが増えました。教会はこのような人々にも支援する必要があったのです。この当時この様にやもめに救いの手を差し伸べていたのはユダヤ教とキリスト教であり、その意味ではユダヤ教も弱者に対してはとても理解のある宗教だったのです。

 教会が身寄りのないやもめを大切にする一方で、もう一つの原則がありました。そのやもめに、子や孫がいるならば、これらのものがまずそのやもめを養うべきであると言う事です。教会はまず、そのような人々に、自分の家族を大切にし、親に恩返しをするようにと言う事を学ばせて、やもめの面倒を見させ、教会が直接世話をすることがないように、まず家族が世話をするようにと指導したのです。そしてそのことが神様にも喜ばれる方法だと言っているのです。いずれにしても、教会はやもめを直接的にそして間接的に大事にするように働いていたのです。

 そのやもめにも、2種類のやもめがいました。身寄りのない一人暮らしのやもめと、放縦な生活をしているやもめです。教会が困っていたのは、放縦な生活をしているやもめです。5節から8節です。

1テモ 5:5 身寄りがなく独り暮らしのやもめは、神に希望を置き、昼も夜も願いと祈りを続けますが、

1テモ 5:6 放縦な生活をしているやもめは、生きていても死んでいるのと同然です。

1テモ 5:7 やもめたちが非難されたりしないように、次のことも命じなさい。

1テモ 5:8 自分の親族、特に家族の世話をしない者がいれば、その者は信仰を捨てたことになり、信者でない人にも劣っています。

 身寄りがない一人暮らしのやもめは、神様以外に頼れる方はいないのです。ですから、昼も夜も願いと祈りを続けて、信仰をもって、神様に希望をもって正しい生き方をします。一方、放縦な生活をしているやもめとは、一人暮らしの女性が収入を得る手段は娼婦となるしかなかったのです。ですからそのような手段で生きていても、死んでいるのと同然だとパウロは言っているのです。ですから、クリスチャンの家族や親族の中に、そのような生活をしている人がいれば、当然非難されるし、信仰を持っていると言いながら、そのようなやもめを助けることも世話をすることもないならば、それは信仰を持っていないと同じだし、信者でない人にも劣ったことだとパウロは言うのです。ですから、まずは家族親族でやもめを支え世話し、その家族親族がいない人ならば、教会で世話をしなさいと言う事なのです。これほどやもめの事を思ってくれる社会組織は、当時何処にも見られないすばらしいものだったのです。

 次にパウロはちょっと違った意味合いのやもめと言う言葉を使っています。それはやもめの登録と言う事です。これはどうも特別のやもめと言う事のようです。9節から16節です。

1テモ 5:9 やもめとして登録するのは、六十歳未満の者ではなく、一人の夫の妻であった人、

1テモ 5:10 善い行いで評判の良い人でなければなりません。子供を育て上げたとか、旅人を親切にもてなしたとか、聖なる者たちの足を洗ったとか、苦しんでいる人々を助けたとか、あらゆる善い業に励んだ者でなければなりません。

1テモ 5:11 年若いやもめは登録してはなりません。というのは、彼女たちは、情欲にかられてキリストから離れると、結婚したがるようになり、

1テモ 5:12 前にした約束を破ったという非難を受けることになるからです。

1テモ 5:13 その上、彼女たちは家から家へと回り歩くうちに怠け癖がつき、更に、ただ怠けるだけでなく、おしゃべりで詮索好きになり、話してはならないことまで話しだします。

1テモ 5:14 だから、わたしが望むのは、若いやもめは再婚し、子供を産み、家事を取りしきり、反対者に悪口の機会を一切与えないことです。

1テモ 5:15 既に道を踏み外し、サタンについて行ったやもめもいるからです。

1テモ 5:16 信者の婦人で身内にやもめがいれば、その世話をすべきであり、教会に負担をかけてはなりません。そうすれば教会は身寄りのないやもめの世話をすることができます。

 やもめとして特別に登録する人とはいったい何をする人なのでしょうか。普通のやもめとは違うのでしょうか。その登録されるやもめと言うのは、60歳以上で、一人の夫の妻であり、善い行いで評判の良い人でなければならないと言う事です。善い行いと言うのは、子供を立派に育て上げ、旅人を親切にもてなし、教会の長老たちに良く仕え、苦しんでいる人たちを助けたりしたことのある行いの事です。こんなに立派なやもめとはそんなにいなかったと思うのですが、どうしてそのような立派な人だけを登録したのでしょうか。ここで登録されたやもめと言うのは、長老や執事のように、教会の働きのために特別に用いられるやもめのようです。ですから、長老や執事を選ぶときのように、慎重に選ばれたようです。そしてこの登録されたやもめは、特に女性たちの世話をしたり、女性でないとできないようなことで奉仕をしたようです。

これに対して、年若い娘は登録してはなりませんと言います。やもめが登録される時には、神様と教会の前に誓約して、信仰をもって仕えていくことを約束するようですが、やもめになったばかりの若い女性はその時は、固い決意で誓約しても、時がたつにつれて、情欲に駆られて、キリストから離れて、結婚したがるので、約束を守れなくなってしまい、非難を受けるようになってしまうからだというのです。さらに悪いことに、若い女性は奉仕のために家々を回っている内に、だんだんと怠け癖が付き、家々を回ってはおしゃべりをし、また奉仕の中で知り得た、秘密の事柄をほかの人には語ってはいけないのに、いろいろと詮索したり、噂話をするようになったりして、他の人から非難を受けるようなことになりかねないと、パウロは心配しているのです。ですからパウロはこう結論付けるのです。「わたしが望むのは、若いやもめは再婚し、子供を産み、家事を取りしきり、反対者に悪口の機会を一切与えないことです。既に道を踏み外し、サタンについて行ったやもめもいるからです。」パウロは、若いやもめは教会の奉仕よりも、再婚して、子供を産んで非難されない生活をしたほうがいいと言っているのです。ここでは、このように、教会に奉仕する登録されたやもめが居り、その人たちの働きによっては、教会が非難されたり評判の良いものになったりするから気をつけなさいと言っているのです。ですからパウロは最後にこう言いました。「信者の婦人で身内にやもめがいれば、その世話をすべきであり、教会に負担をかけてはなりません。そうすれば教会は身寄りのないやもめの世話をすることができます。」すなわち、教会は身寄りのないやもめの世話をして、身寄りのあるやもめは、その身内の者が世話をしなさい、と言う事なのです。

次にパウロは、やもめの次に大切なこと、長老の事について語っています。長老は苦労が多く報いが少ない働きのように描かれています。17節から22節です。

1テモ 5:17 よく指導している長老たち、特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは二倍の報酬を受けるにふさわしい、と考えるべきです。

1テモ 5:18 聖書には、「脱穀している牛に口籠(くつこ)をはめてはならない」と、また「働く者が報酬を受けるのは当然である」と書かれています。

1テモ 5:19 長老に反対する訴えは、二人あるいは三人の証人がいなければ、受理してはなりません。

1テモ 5:20 罪を犯している者に対しては、皆の前でとがめなさい。そうすれば、ほかの者も恐れを抱くようになります。

1テモ 5:21 神とキリスト・イエスと選ばれた天使たちとの前で、厳かに命じる。偏見を持たずにこれらの指示に従いなさい。何事をするにも、えこひいきはなりません。

1テモ 5:22 性急にだれにでも手を置いてはなりません。他人の罪に加わってもなりません。いつも潔白でいなさい。

 パウロは、長老たちの働きに対して、良い働きをしている長老たち、御言葉と教えのために労苦している長老たちは2倍の報酬を受けるにふさわしい、と言っています。これは本当に報酬を倍にしなさいと言うよりも、長老たちがもっと報われて、尊敬されるべきであると言う事を言おうとしているのだと思います。その働きの割には口籠(くつこ)をはめられた牛のように、その報酬を受け取っていないのではないかというのです。しかも長老は、その教会員の行いを諭したり、罪あるものをとがめたりしなければならないので、嫌われたり、恨まれたり、非難されたりすることが多いのです。ですから長老に反対する訴えがなされる場合も多いのです。その様な訴えをそのまま聞いていると、長老の働きを損なうので、2人あるいは3人の証人がいなければ受理してはなりませんと言いました。これはのちに、そのクリスチャンでなければならないようになったそうです。というのも、クリスチャン以外の二人が共謀して、長老を貶めようとすることもあったからです。そしてそのような罪を犯すものは、皆の前で咎めなさいと言いました。ほかのものが同じような間違いをしないようにするためです。この様にパウロは、教会にとって大切な長老の働きを重んじ守ろうとしたのです。

 パウロはこれらの事を、神とキリスト・イエスと選ばれた天使たちとの前で、厳かに命じると言いました。何を命じたのでしょうか。それはまず、偏見を持たずにこれらの指示に従いなさいということ。そして、何事をするにも、えこひいきはなりません、と言う事。それに、性急にだれにでも手を置いてはなりませんと言う事。これは教会の大切な奉仕者を、むやみに任命してはならないと言う事と、罪を悔い改めて教会の交わりに復帰する時の、手を置くことを、簡単に行ってはいけないと言う事です。そうしないと、他人の罪に加わるようなことになってしまったり、いつも潔白であることが維持できなくなるかもしれないからです。

 そしてパウロは最後に、テモテに体に気を付け、長い目で考えていくようにするため、こう言いました。23節から25節です。

1テモ 5:23 これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、度々起こる病気のために、ぶどう酒を少し用いなさい。

1テモ 5:24 ある人々の罪は明白でたちまち裁かれますが、ほかの人々の罪は後になって明らかになります。

1テモ 5:25 同じように、良い行いも明白です。そうでない場合でも、隠れたままのことはありません。

 テモテは、胃を患っていたのでしょうか。エフェソの教会を守るためにストレスで胃痛を感じていたのかもしれません。それでパウロはこれからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のためにぶどう酒を少し用いなさいと勧めています。多分、テモテにはいろいろな批判や中傷があったのだと思います。それを気遣って、パウロはこう言ったのですが、その様に、テモテを非難する人々の罪は、ある人々の場合は明白ですぐに裁かれますが、他の人々の罪はなかなか裁かれません。ですが後になって明らかになり裁かれますと言うのです。ですから思い煩わずに、神様に委ねて、長い目で見ていきなさい、それは善い行いもそうです。隠れたままの事はありません、神様の目には皆、いつか明らかにされていきますとテモテを励ましているのです。

 パウロは、エフェソ教会を必死で守っている若いテモテを気遣って色々な事を教えました。特にやもめのことと、長老のことは大切な事でした。パウロはその人々に対してどのようにしたらよいのかを具体的に細かに指示をしていきました。そして最後にテモテの体と心を気遣って、少しぶどう酒を飲みなさい、最後には皆明らかにされるから、心配しないでその時を待ちなさいと語るのです。この事から、このエフェソ教会がいかに大変だったのか、パウロがどんなに心配していたかが推し量れます。教会は家族なのです。家族の父母兄弟姉妹に接するように、本当にそのような思いで接することが、教会を建てていくことになるのです。それにはまず、自分の家族を、自分の身内の者をしっかりと世話していくことがその基礎となります。パウロはその事を願ってこの手紙を書いています。

 

(一分間黙想)(お祈り)

天の父なる神様、私たちが、教会の一人一人を本当に家族のように、兄弟のように、父母のように思って、接していたら、素晴らしい教会が建てられます。教会は何時も弱いものを共に支え、励まし合って歩んで行くところです。イエス様がそのようにしなさいと教えられたのです。イエス様の御言葉が成就するところが教会であり神の国です。どうかその様な御国に生きるものとなりますように。どうか兄弟と分かち合うように、共に分かち合うことが出来ますように。

この祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 


<<聖書の箇所(新約聖書:◇テモテへの手紙一)>>

◆教会の人々に対して

1テモ 5:1 老人を叱ってはなりません。むしろ、自分の父親と思って諭しなさい。若い男は兄弟と思い、

1テモ 5:2 年老いた婦人は母親と思い、若い女性には常に清らかな心で姉妹と思って諭しなさい。

1テモ 5:3 身寄りのないやもめを大事にしてあげなさい。

1テモ 5:4 やもめに子や孫がいるならば、これらの者に、まず自分の家族を大切にし、親に恩返しをすることを学ばせるべきです。それは神に喜ばれることだからです。

1テモ 5:5 身寄りがなく独り暮らしのやもめは、神に希望を置き、昼も夜も願いと祈りを続けますが、

1テモ 5:6 放縦な生活をしているやもめは、生きていても死んでいるのと同然です。

1テモ 5:7 やもめたちが非難されたりしないように、次のことも命じなさい。

1テモ 5:8 自分の親族、特に家族の世話をしない者がいれば、その者は信仰を捨てたことになり、信者でない人にも劣っています。

1テモ 5:9 やもめとして登録するのは、六十歳未満の者ではなく、一人の夫の妻であった人、

1テモ 5:10 善い行いで評判の良い人でなければなりません。子供を育て上げたとか、旅人を親切にもてなしたとか、聖なる者たちの足を洗ったとか、苦しんでいる人々を助けたとか、あらゆる善い業に励んだ者でなければなりません。

1テモ 5:11 年若いやもめは登録してはなりません。というのは、彼女たちは、情欲にかられてキリストから離れると、結婚したがるようになり、

1テモ 5:12 前にした約束を破ったという非難を受けることになるからです。

1テモ 5:13 その上、彼女たちは家から家へと回り歩くうちに怠け癖がつき、更に、ただ怠けるだけでなく、おしゃべりで詮索好きになり、話してはならないことまで話しだします。

1テモ 5:14 だから、わたしが望むのは、若いやもめは再婚し、子供を産み、家事を取りしきり、反対者に悪口の機会を一切与えないことです。

1テモ 5:15 既に道を踏み外し、サタンについて行ったやもめもいるからです。

1テモ 5:16 信者の婦人で身内にやもめがいれば、その世話をすべきであり、教会に負担をかけてはなりません。そうすれば教会は身寄りのないやもめの世話をすることができます。

1テモ 5:17 よく指導している長老たち、特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは二倍の報酬を受けるにふさわしい、と考えるべきです。

1テモ 5:18 聖書には、「脱穀している牛に口籠をはめてはならない」と、また「働く者が報酬を受けるのは当然である」と書かれています。

1テモ 5:19 長老に反対する訴えは、二人あるいは三人の証人がいなければ、受理してはなりません。

1テモ 5:20 罪を犯している者に対しては、皆の前でとがめなさい。そうすれば、ほかの者も恐れを抱くようになります。

1テモ 5:21 神とキリスト・イエスと選ばれた天使たちとの前で、厳かに命じる。偏見を持たずにこれらの指示に従いなさい。何事をするにも、えこひいきはなりません。

1テモ 5:22 性急にだれにでも手を置いてはなりません。他人の罪に加わってもなりません。いつも潔白でいなさい。

1テモ 5:23 これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、度々起こる病気のために、ぶどう酒を少し用いなさい。

1テモ 5:24 ある人々の罪は明白でたちまち裁かれますが、ほかの人々の罪は後になって明らかになります。

1テモ 5:25 同じように、良い行いも明白です。そうでない場合でも、隠れたままのことはありません。